第18章 「21年目」
姉と姉旦那の図々しい要求に、私は静かに疲れ果てていた。
話し合っても、伝えても、通じない。
断っても、形を変えてやってくる。
そのたびに、胸の奥が削られていく感覚があった。
思い返す。あの日々も、似たような“当然”の連続だった。
姉夫が単身赴任から帰ってきて、新しい仕事を決めたのは、叔母夫の紹介だった。
そこは車で20分程度の場所で、自転車で通えなくもないけれど、少し大変な所だった。
仕事を始めてすぐの頃、雨が降る日、姉夫は車で行くことにして、姉は母に仕事と保育園の送迎を頼んだ。
弟はその時、母を怒って、それ以降は送迎をしなくなった。
姉が車に乗れない時、
母や長姉、私が、姉夫や姉、姉の子どもたちを車に乗せて運ぶのが当たり前だった。
入院のときも同じで、私は姉夫を乗せて病院まで見舞いに行ったりしていた。
ほとんどの外食は弟が奢っていたらしい。
母と弟が実家の草取りをしていても、姉も姉夫もほとんど外にさえ出てこない。
大掃除なども頼まないとやってくれない。
大雪が降った後、道路や庭の雪かきも私か弟がやっていた。
畑仕事も手伝わないのに、出来た野菜は堂々と持っていく。
さらに驚いたのは、お米のことだった。
全国的に米価が高騰している時期、土地を貸して地域の人にお米を作ってもらっていた。
その分配を私たちは受け取っていたのだが、姉は悪びれもせずに「お米が無くなったからちょうだい」と言ってくることがあった。
土地の税金、田んぼの水利費、保管用の冷蔵庫の費用などを考えると、市場価格より高くついているにも関わらず、である。
その図々しさに、胸の奥がざわつき、理不尽さが押し寄せた。
旅行の計画、バーベキュー、プール、買い出しや後片付け――
動く人と動かない人が決まっていた。
弟がゲーム機を新しく買った時、古いものを私の子どもにくれたら、姉の子どもは前に貰ったことがあるのに「ズルい」と言ったこともあった。
一方で、姉がやってくれた事もあった。
実家での生活の中で、いくつか思い当たることがある。
家賃代わりに三万円(光熱費込み)をもらっていたこともあった。
弟との外食では、奢り返すこともあった。
弟の誕生日にはケーキを用意したこともある。
弟は、姉家族の分も含めて何度も買っていたようだが…。
私に対しては、お互いの子どもの誕生日やお祝い事、クリスマスなどのイベントでプレゼントを贈り合った。
姉の子ども宛には、こちらの義両親から毎年お年玉を頂いていたが、こちらの子ども宛には、あちらの義両親からは一度もそういったことはなかった。金額の差があるわけでもなく、ただ単に習慣の違いとして存在していた。
お礼として、一度だけ菓子折りを預かったことがあった。
学校の役員の作業を一緒にやったこともあった。
でも、実質的に手を動かしたのはほとんど私だった。
振り返ると、姉家族にとっての関係は、ギブ・アンド・テイクというよりも、ギブ・アンド・ほんの少しテイクだったのだと分かる。
私は淡々とやるしかない、そんな日々。
胸の奥にずしりと残る虚しさもあった。
受け入れるしかない、仕方のないことのように思いながらも、心の底では少しずつ摩耗していた。
小さな“当然”の積み重ねが、いつの間にか自分の自由や安心感を削っていく感覚。
思わずため息を漏らす日もあった。
それでも笑顔でやり過ごすしかなかった。
胸の奥に残る、理不尽さと虚しさーーその感覚は、決して消えることはなかった。
でも、今はもう違う。
あの“当然”に飲み込まれることはない。
もう誰も、私たちの生活に踏み込ませない。
こうして心に線を引いたから、やっと次の一歩を選べる。
夫と何度も話し合った末、私たちは一つの決断をした。
姉と姉夫のLINEを、私と夫はブロックした。
LINEをブロックする際、夫から姉夫に最後に一言送った。「今貸しているお金は返さなくていいから、もうこちらに関わってこないでほしい」と。
そのことを弟に伝えた。
弟は少し黙ってから言った。
「俺も、そうする」
誰かに強制されたわけではない。
ただ、それぞれが限界を迎えていただけだった。
でもそのとき、私は初めて、自分の選択が間違いではなかったと思えた。
もう連絡も、頼みごとも受けない。
これ以上、私たちの生活に踏み込ませない。
距離を置くことは逃げではなく、守るための選択だと、やっと思えた。
けれど――
それで全てが終わったわけではなかった。
うちの庭は広く、草取りは大変だ。
母が手伝いに来てくれる。
私はそのお礼として、少しだけお金を渡していた。
母のために。感謝の気持ちとして。
けれど、ある日気づいた。
そのお金で買った食材が、姉家族のもとへ渡っていることに。
「……なんで、私の出したお金で、あの人たちが食べてるの?」
声には出さなかった。出せなかった。
理不尽さ。図々しさ。
そして、どこにもぶつけられない苛立ち。
居候は終わったはずなのに、“当たり前”はまだ終わっていなかった。
第二子は、姉の第一子と同じ学校に通っている。
時折、小さな声で言う。
「……あの子から、無視されてるみたい」
その言葉を聞くたびに、胸の奥がチクッと痛む。
参観日。運動会。
会社で偶然顔を合わせる瞬間。
終わったはずの関係が、日常の中に何度も顔を出す。
「なんで、まだこんな思いをしなきゃいけないんだろう」
ため息は数えきれないほど、もう何度も吐いた。
でも私は、第二子の肩をそっと抱き寄せる。
守りたいのは、ここだ。
自分の出すお金で助けたいのは母だけ。
守りたいのは、私の家族だけ。
その線を、もう曖昧にはしない。
家族だから、仕方ない――
そう思ってきた20年。
でも今は違う。
家族でも、守るべき境界線はある。
距離を置くことは、冷たさではない。
自分と子どもたちを守るための、責任だ。
大きく何かが変わったわけじゃない。
朝は来るし、学校も仕事もある。
母も年を重ね、子どもたちは少しずつ成長していく。
それでも、確かに違う。
私はもう、自分の線を知っている。
日々は、静かに進んでいく。
21年目。
私はようやく、自分を後回しにしない選択をした。
庭の草取りも、子どもたちとの時間も、
以前よりほんの少し、穏やかに感じられる。
未来はまだ揺らいでいる。
でも、目の前の穏やかな時間を奪われる必要はない。
ある日の夕方。
子どもたちが家の中でそれぞれの時間を過ごしている。
テレビの音。誰かの鼻歌。ページをめくる音。
小さな生活音が、家の中にやわらかく広がっている。
「はい、お茶」
そう言って、子どもが湯のみを差し出す。
少し熱くて、少し濃い。
分量もきっと適当。
その湯気を見つめながら、私は思う。
ああ、今は静かだ、と。
日常の小さな温かさが、胸に染みる。
それぞれの子ども達の進路。
環境の変化。
いつか来る母との別れ。
まだ不安な未来はある。
でも、今ここで守りたいものを失うわけにはいかない。
守りたいものは、ここにある。
21年目。
私はやっと、自分と家族の境界線を引いた。
揺らぐ日はきっと来る。
それでも、そのたびに選び直せる。
湯のみを包む手の温かさを感じながら、
私は静かに息をつく。
今は、それでいい。




