第17章 「守るべきもの」
じーちゃんの三回忌も、お寺で行うことになっていた。
これまで四度、法事はお寺でやっている。
もう場所は覚えているはずだった。
だから今回は、家に集まるという話は聞いていないし、私はそのつもりもなかった。
段取りを確認し、花の受け取り時間も頭に入れて、家を出る準備をしていた。
玄関の鍵を閉めた、その時だった。
車に向かおうとしたところで、叔母が一人、歩いてくるのが見えた。
「あら、もう出るの?」
そう言われた。
私は事情を説明した。
「お花を受け取る時間があるので、もう出ないと」
すると、自然な口調で言われた。
「鍵、貸して」
胸の奥が、ゾワッとした。
まただ。
そう思った。
でも今回は、勇気を出した。
「今日は家に寄るって聞いていなかったので…」
やんわりと、断った。
叔母は少し間を置いて言った。
「線香だけあげたいのよ」
その言葉に、詰まる。
祖父の家で、線香をあげたい。
それを拒む自分が、冷たい人間のように思えた。
私は迷った末、鍵を開けた。
「少しだけなら」
そう言って、玄関を開ける。
その間に、もう一人の叔母がやってきた。
「あら、ちょうどよかった」
同じように言われる。
私はもう一度、説明した。
「お花の受け取りがあるので、もう出たいんです」
すると、ほとんど同じ調子で言われた。
「鍵、貸して」
一度は断った。
それだけでも、私にとっては勇気だった。
でも、二度目を断る勇気は出なかった。
さっき断ったばかりなのに、また拒むのか、と自分の中で声がする。
揉めたくない。
空気を悪くしたくない。
法事の日に。
私は鍵を差し出した。
今度は、指先も震えなかった。
代わりに、胸の奥で、守るべきものを守れなかったもどかしさが沈み込んだ。
法要は滞りなく終わった。
読経の声を聞きながら、私はどこか遠くにいるようだった。
母が、ふいに泣き出した。
声を押し殺すように。
理由は分からない。
祖父への思いか。
次姉が来ないことが悲しかったのか。
家族がバラバラなことがつらかったのか。
私は何も聞かなかった。
何も、聞けなかった。
法要の終わり、喪主挨拶の時間になった。
この日のことは、前もって夫と話し合っていた。
もしまた同じようなことがあれば、これまでと同じ形では続けられないかもしれない、と。
夫は静かに前に出て言った。
「次回以降の法事は、規模を小さくして行います」
その言葉を聞きながら、私は胸の奥で一つの区切りを感じていた。
帰宅すると、家は静かだった。
誰がどれくらい居たのかも分からない。
何を話したのかも知らない。
でも今回は、前回のような鋭い違和感はなかった。
代わりにあったのは、確信だった。
私は、守れなかったもの──この家を守る線を、はっきりと認識した。
一度は断った。
でも、貫けなかった。
それが答えだった。
夜、夫に言った。
「もう、無理かもしれない」
静かな声だった。
怒りでも涙でもない。
ただ、疲労。
夫はうなずいた。
「距離を置こう」
その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。
家族だから。
その言葉で守ってきたものがある。
でも同時に、その言葉で、私は削られてきた。
祖父に握り返された手の感触がよみがえる。
守るということは、誰かを受け入れ続けることではない。
守るために、閉じることもある。
私は初めて、そう思った。
鍵を、元の場所に戻す。
それは小さな動作だった。
けれど私の中では、はっきりと線が引かれた瞬間だった。
そして、守るためには、これから距離を置くことも必要なのかもしれない――そう思った。




