第15章 「家族だから」
じーちゃんの一周忌と、ばーちゃんの三回忌を合同で行うことになった。
お寺での開催は事前に親族へ伝え済み。場所が分からない人は、一度家に集合してから向かうとも聞いていた。
当日の朝、玄関のチャイムが鳴っても驚きはしなかった。想定内。
そう、自分に言い聞かせた。
問題は時間だった。
私はあらかじめ家を出る時間を伝えていた。花の受け取りがあり、遅れるわけにはいかない。
段取りは頭の中で何度も確認していた。
花の受取、お弁当の受取、僧侶への挨拶、席順、お弁当の配布。
二年続けて法事を取り仕切るうち、自然と「まとめ役」は私になっていた。
時計を見る。出発予定の時間になっても、全員は揃っていない。玄関先で立ち尽くす。胸の奥がざわつく。
数ヶ月前、じーちゃんの49日法要で初めて鍵を貸したときの感覚が、頭の片隅で蘇る。あの時も少し違和感を抱えながら、でも渡さざるを得なかった。
「もう出ないと間に合わないから」
そう言うと、間を置かずに返ってきた。
「じゃあ鍵貸して。あとで出るから」
あまりにも自然だった。
私達がいない家に残ることを当然のように言っている。
一瞬、言葉が詰まった。ここは、誰の家だろう。聞きたい衝動が喉まで上がる。
でも時間がない。揉めれば法要に遅れる。場の空気が悪くなる。
結局困るのは自分だと、もう分かっている。
私は鍵を差し出した。
手渡す瞬間、指先が少し冷えた。
小さな違和感が、胸の奥に沈む。
法要は滞りなく終わった。
僧侶の読経の声が静かに響き、焼香の煙がゆっくりと立ち上る。
形としては何も問題はない。
それなのに、心のどこかが落ち着かなかった。
帰宅すると、家の空気が少し違って感じた。
物の位置は変わっていない。荒らされた形跡もない。
それでも、“誰かが過ごしていた時間”だけが、確かに残っている。
私がいない間に、私の家で、私の知らない会話があった。
それが妙に引っかかった。
それだけではなかった。
親族の中には香典を持ってきていない者もいた。何も言わず、香典返しは受け取って帰った。
指摘することはできた。
でも、言えば角が立つ。
言えば私が神経質になる。
「家族だから」
その言葉が、私の頭の中で自動的に浮かぶ。
でも夜になると、違う声がする。
どうして私ばかりが調整するのだろう。
どうして当然のように、段取りも鍵も、家を守ることも、私の責任になるのだろう。
二年前、ばーちゃんの葬儀。
去年、じーちゃんの葬儀。
その後、じーちゃんの49日法要で、初めて鍵を貸した経験が頭の片隅で蘇る。
そして今回の合同法要。
気づけば、私はずっと“動く側”にいた。
決める側ではなく、引き受ける側。
誰かが少し遅れても、誰かが忘れても、最終的に整えるのは私。
それがいつの間にか、当然になっていた。
玄関の鍵を見つめる。
あの時、渡さなければどうなっていたのだろう。揉めたかもしれない。空気が悪くなったかもしれない。
でも少なくとも、私は自分の家の境界線を守れたのかもしれない。
「家族なんだから」
その言葉は便利だった。
誰も責めなくて済む。
誰も悪者にしなくて済む。
代わりに、私が少しずつ削れる。
小さなことだ。鍵のことも、香典のことも。
一つ一つは些細に見える。外から見れば、そう思うだろう。
でも、その“些細”が積もる。静かに、確実に。
夜、居間に座る。
祖父母がいなくなった家は、広く感じる。
守るべきものは増えたのに、守ってくれる人は減った。
祖父に握り返された手の感触がよみがえる。
とても温かく、力強く、ぎゅっと握り返してくれた。
その感触は、誰にでも自由に出入りしていい、という意味ではないはずだ、と胸が理解していた。
私はまだ何も決めていない。何も断っていない。
ただ、胸の奥に小さな棘が残っている。
それは抜ける気配もなく、静かにそこにある。
法要は終わった。
でも、私の中では何かが終わらずに、残り続けていた。
家に入っている以上、家を守るのは当然だと分かっている。
でも同時に、家を出ていった叔母たちに、いつまでも「自由に過ごして良い実家」だと思ってほしくないという気持ちもあった。
世代は二世代分交代しているのに、まだ古い感覚で振る舞おうとする。
それが、胸の奥の小さな棘の正体だった。
あのとき祖父に握り返された手の感触が蘇る。
力強く、ぎゅっと握り返してくれたあの一握りは、私への責任の重さだった。
家を守ることは、もう私たちの世代の使命。
でも、それは自由に出入りしていいという意味ではない。
家は守る。
でも、家族の意識の世代交代も、少しずつ理解してもらわなければならない。
静かな居間で、胸の奥に残る小さな棘と向き合った夜だった。




