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第8章 後編 「深く息をする」

夜、布団に入る。

電気を消すと、闇がゆっくり部屋を満たす。


静かだ。


耳を澄ませても、何も聞こえない。

冷蔵庫の低い音と、遠くを走る車の気配だけ。


少し前までは、

この静けさの中でも体が構えていた。


目が覚めるたび、

「何かあったかも」

と胸がざわつく。


物音がしなくても、

“これからするかもしれない”

と先回りしてしまう。


階段を下りる自分の姿を、

何度も想像していた。


けれど今は違う。


目が覚めても、

「あ、何もない」

と分かるまでが、ほんの数秒で済む。


そのあと、

ちゃんと眠りに戻れる。


朝まで起きない日が、増えた。

目覚ましの音で目が覚める。

それが、少しずつ当たり前になってきた。


ある朝、ふと思う。


「そういえば、最近ちゃんと眠れている」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


大きな解放ではない。

劇的な変化でもない。


けれど確実に、

体は戻りつつある。


じーちゃんの畑仕事を、

手伝えるようになった。


土の匂いを吸い込みながら、

並んで草を抜く。


指先が土で茶色くなっていく。

風が頬を撫でる。


前なら、

少し動いただけで息が上がっていた。


眠れていない体は、正直だった。


今は違う。

汗をかいても、ちゃんと回復する。


「無理すんな」

じーちゃんが言う。


その声は穏やかだ。


ばーちゃんを怒鳴っていた頃の荒さはない。


「じーちゃんこそ無理しないでね」


それでよかった。


ただ並んで土を触る時間。


それが、静かに心を整えてくれる。


家の中も。

自分の体も。


前より、苦しくない。


けれど。


どこかで分かっている。


この穏やかさが、

永遠ではないこと。

 

じーちゃんが、いつ動けなくなるか分からない。


今は優しいこの人が、

ばーちゃんのように変わってしまう日が来るかもしれない。


その想像は、消えない。


夜、目を閉じるとき、

ほんの少しだけ未来の影がよぎる。


それでも。


今はまだ、何も起きていない。


怒鳴り声もない。

慌てる夜もない。


だから私は、

今日の分だけ息をする。


明日の不安は、明日考える。


そうやって、

一日ずつ眠れるようになった。


平穏は、

派手な出来事ではない。


怒鳴らない朝があって、

慌てない夜があって、

普通に眠れること。


それだけ。


それだけで、十分だった。


静かな家の中で、

私は深く息を吸う。


完全に安心はできない。


それでも。


今はちゃんと、生きている。


その実感が、胸の奥にある。

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