第5章 後編 「消えない違和感」
夜、家に帰ってきた夫に言った。
「実家に帰っても、なんか落ち着かないんだよね」
口にしてから、自分で少し驚いた。
実家は、私にとって避難場所だった。
母実家での同居に疲れたとき、
子どもを連れて、ふらっと帰れる場所。
深呼吸ができる場所だった。
そのはずだった。
けれど、今は違う。
玄関を開けた瞬間、
無意識に空気を読む。
誰がいるか。
どんな温度か。
今日は長居できるか。
自分の実家なのに、気を遣っている。
夫は少し黙ってから言った。
「なんかあった?」
「いや、何もないんだけど」
本当に、何もない。
怒鳴り声もない。
揉め事もない。
露骨な態度もない。
ただ、挨拶がない。
ただ、空気が違う。
ただ、居場所が少しずつ曖昧になっていく。
それだけ。
「二年だけなんだよね?」
夫はそう言った。
私は一瞬、言葉に詰まる。
「……そう、のはず」
――のはず。
自分で言っていて、頼りない。
父は確かに言った。
二年だけって言ってあるから、と。
けれど、姉は笑って流す。
母も弟も、その話を知らない。
期限のあるはずの同居が、
誰の口からも語られない。
そのことが、怖い。
私は約束を聞いたはずだった。
でも、証人はいない。
あの静かな昼間。
父と私だけだった。
だからこそ、
自分の記憶を疑ってしまう。
本当に「言ってある」と言ったのか。
私が勝手に「二年」と解釈しただけじゃないのか。
もし、そうなら。
その二年は、最初から存在していなかったことになる。
考えすぎだと思いたい。
でも。
洗濯物は増え続け、
玄関の靴は減らない。
二階の洋室には、確実に生活が根を張っている。
私は、寂しいのだと気づいた。
怒っているわけではない。
責めたいわけでもない。
ただ、静かに、寂しい。
帰れば自分の場所があると、
どこかで思っていた。
けれど、その場所はもうない。
そして、もうひとつ。
口に出せない不安があった。
このまま、
終わらないのではないか。
二年。
その数字だけが、
頼りないまま、心の中に浮かんでいる。
私は、
その数字にすがりながら、
同時に、
信じきれずにいた。
このまま、何年も続くのではないか――
そんな漠然とした不安が、胸の奥で静かに膨らんでいた。




