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第4章 後編 「積もっていくもの」

借家での生活が始まった。


父が材料費を負担し、私たちはリフォームをした。

破れた襖を外し、

床が抜けそうな場所を補強し、

床板を張り、掃除をする。

見た目は整った。

けれど、それは――

“住める状態にした”だけだった。


姉は妊娠糖尿病の影響もあり、出産後もしばらく体調が安定しなかった。

食事管理や通院は続き、精神的にも不安定な様子だった。

都会での孤立。

金銭問題。

出産と入院。

限界だったのだろう。


でも、現実は待ってくれない。


引っ越し費用や滞納分の整理で、まとまったお金が必要になった。

姉は弟に頭を下げた。


「30万円、貸してほしい。必ず返すから」


そう言って借りたと、後から聞いた。

弟だって余裕があるわけではない。

それでも出した。


――必ず返すから。


その言葉が、私の中に残った。

本当に返せるのだろうか。

もし返せなかったら。

そのとき、誰が埋めるのだろう。


姉夫は仕事を辞め、こちらに来た。

地元でやり直すとはいえ、収入はゼロからのスタートだった。

結局、私がパートで働いている会社に紹介することになった。

面接日程を調整し、

私が間に入り、話を通した。

断れなかった。

家族だから。

そう言われなくても、そういう流れだった。


乳児と幼児を抱え、

祖母の後始末をし、

借家の掃除を手伝い、

さらに仕事の橋渡しまで。


私の生活のどこに、余白があったのだろう。


朝は子どもの泣き声で始まる。

あやして寝かしつけ、洗濯物を干し、食器を洗う。

荒れた指先のひび割れに、洗剤が染みる。


母は姉や赤ちゃんの世話に奔走し、私のことも手伝おうとする。

ありがたい。

でも、結局私の手も止まらない。


頼まれると断れない自分にも、疲れが溜まっていく。


弟の30万円は「貸し」だ。

でも、その重みは家族全員が分かっている。

返せなかったらどうなるのか。

また誰かが埋めるのか。


その“誰か”の中に、

自分が含まれている気がしてならなかった。


姉夫は働き始めた。

けれど、一度崩れた生活基盤はすぐには立て直せない。

もしまた何かあったら。

そのとき、また誰かが動くのだろうか。

また誰かが削れるのだろうか。


夜。

子どもを寝かせたあと、暗い部屋で天井を見つめる。

隣の小さな寝息が、規則正しく続いている。


守りたい。


強く、そう思う。


でも同時に、

私はどこまで背負うのだろう、とも思う。


怒りではない。

責めたいわけでもない。


ただ、バランスが崩れている。


困った人が出るたび、

他の誰かが無言で差し出す側になる。

それが家族の形なのかもしれない。


でも、その形の中で、

私は確実に摩耗していく。


弟の30万円。

私が紹介した仕事。

父の透析の体。

母の奔走。


全部が、静かに重なっていく。


借家生活は、まだ始まったばかりだった。


けれど私の中では、

何かがもう、限界に近づいているような気がしていた。


声には出さない。

出せない。


家族だから。


その言葉の中で、

私は少しずつ、自分を後回しにしていた。


そしてそれが、

当たり前になり始めていた。

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