8話
大会当日。
朝の空気は冷たく澄んでいて、吐く息が白くほどける。
玲奈は、部のジャージではなく私服で
会場へ向かった。
自分は選抜メンバーじゃない。
走るわけでもない。
ただ――
先輩たちの最後を見届けるために来た。
コースの回りには、色とりどりのチームテントが並ぶ。
他校の選手たちは静かにアップをし、集中した目で地面を見つめている。
その中で自分の学校のテントは――
異質だった。
新三年の先輩たちは芝生に座り込み、監督の顧問の先生も椅子に座ってスマホをいじっている。
「ねぇ、これ可愛くない?」
「てか今日寒くね?」
「走る前からだるいんだけど」
笑い声。
緊張感は、どこにもない。
玲奈は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
胸の奥に、じんわりとした痛みが広がる。
(……この人たち、本当に走る気あるのかな)
スタート前。
他校の選手たちは、黙ってその場に立っている。
軽くジャンプしたり、腕を振ったり、呼吸を整えたり。
一方、先輩たちは――
「え、もう並ぶの?まあ、いいや」
ぐだぐだのままスタートラインへ。
玲奈はその背中を見ながら、無意識に拳を握っていた。
号砲。
一斉に選手たちが飛び出す。
土煙。
歓声。
太鼓の音。
他校の選手たちは勢いよく飛び出していくのに、先輩は――
明らかに出遅れた。
フォームは重く、腕も振れていない。
(……遅い)
玲奈は先輩に合わせて走って追いかけながら、嫌でもそう思ってしまう。
スタート直後からすでに最後尾。
一キロ、二キロ。
沿道の応援もどこか遠慮がちだ。
「頑張れー……」
声が弱い。
タスキリレー。
次の先輩も気だるそうに走り出す。
「はぁ……きつ……」
口元がそう動いているのが見える。
他校の選手は歯を食いしばって走っているのに。
だが二人目の先輩は少しだけ速かった。
先輩たちの中にも走っていた人がいたようだ。
他校の選手と同じか、少し上回るペースで走っている。
こういう先輩と一緒に走りたかったと思うが、あの雰囲気では言い出せなかったのだろう。
三人目。
あきらかにジョギング程度のペースで走る先輩。
今まで走ってないのがまざまざとわかる。
先程の先輩と違い、もう前も見えない程離され完全に最下位。
差はどんどん広がる。
沿道の人たちは、
視線を前の集団に向けている。
最後尾はほとんど見られていない。
玲奈は無意識に唇を噛んでいた。
四人目。
前の集団が中継所を次々と通過していく。
差は、
取り返しがつかないほど開いていた。
審判が無線で何かを確認している。
先輩がタスキを受け取った瞬間、
もう――
足切りライン。
先輩は、必死に走っている――
……ようには、見えなかった。
フォームは崩れ、歩くようなスピード。
そして――
笛。
「すみません、ここで終了です」
係員がタスキを止める。
足切り。
その瞬間、先輩は立ち止まった。
「……マジか」
小さく呟く。
悔しそうでも、泣くわけでもない。
ただ、「終わった」という顔。
5区の先輩は白タスキで自動スタートになった。
玲奈は四区を走った先輩を見届けた後、元の場所の様子を見に戻った。
ぞろぞろとテントに戻る先輩たち。
「まあ、こんなもんでしょ」
「練習してなかったし」
「しゃーない」
誰も悔しがらない。
玲奈はその輪から少し離れた場所で、隠れるように黙って立っていた。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
(……これが、この人達の最後の大会なんだ)
一年前。
真面目だった先輩たちは、泣きながらも笑っていた。
今は――
誰も泣かない。
悔しがらない。
やり切ったという気持ちが全く感じられない。
帰り道。
夕方の風が冷たく頬を打つ。
玲奈は一人で歩きながら思った。
(……私は……絶対にこうならない)
たとえ誰もいなくても。
たとえ応援されなくても。
最後くらい、ちゃんと走り切る。
それだけは決めていた。




