後日談 其の終
後日談を語ろうか。
あれから4ヶ月。
拓真は天宮の用意した病院で冬を過ごした。全身に渡っての複雑骨折、内蔵各所の損傷、多量の出血にエトセトラ。医者には『なんで君死なないの?』という医者としてどうなんだと思える台詞を素で言われた。
もちろん学校に行けるわけもなく、絶対安静のため本のページを捲ることすら許されなかった。
しかし、拓真の入院生活に"暇"などあろうはずもなかった。
椿、サリエル、そしてルシフの三人が毎日のようにやって来ては世話をしてくれた。"下の"世話をしようとした際には、看護師に摘まみ出されていたが。
授業のある時間帯は天宮が側にいて話し相手になっていた。本来いていいはずはないのだが、本人曰く自分がいても正直何も変わらないらしい。拓真がさもありなん、と納得すると文句を言われた。
見舞いもそれなりに来た。
天狗山 芙蓉に拓真が改めて抱いた感想は"なんか五月蝿い先輩"だった。九尾はなぜかメイド服を来ていて、拓真は今になって新しい悪魔でも召喚されたかと勘違いした。芙蓉に着せられたらしく、順調に逆らえなくなってきてるなあと拓真に言われ言い返せない最強の妖怪がいた。
エクスピールはどこかぎこちなく話だけして、普通に見舞いの品を置いて帰った。見舞いには来なかった影山についてエクスピールが言うには、最後の最後、本物になろうとして拓真の幼少時に変化してしまったのは、拓真の無意識に発していた魔王の魔力に当てられたからだろうとのことらしかった。
あと、病室を後にしようとしていたエクスピールを呼び止め、拓真が神妙な面持ちで名前を確認すると憤慨しながら帰っていった。
クラスの代表として、妙に間延びした話し方をする委員長も見舞いに来た。特に話すこともなく、形式的な受け答えをして、『学校全体が拓真に感謝している』という旨を伝えられた。
そして、そんな4ヶ月を終えて、拓真は京光高校の屋上にいた。
「ひさしぶりだな、氷室」
「せやな、拓真」
氷室と拓真は並んでフェンスにもたれ掛かっていた。あの戦いの痕はきれいさっぱりなくなり、真新しい雰囲気が充満している。
「お前は怪我、なくなったよな」
拓真はいまだに松葉杖をついてやっと移動できるようになったところであるのに対し、同程度に重症だった氷室には傷一つ見られなかった。
「天理に治してもろうとるからな、あいつにかかればどんな重症も一発や」
「ずりいな、それ」
「恋人の特権や」
二人して堪えるように笑った。
「……で、拓真、身体はどうやねん」
そして、氷室は突然切り出した。
「見ての通りだよ。ボロボロだ」
「そうやない。もっと根本的なことを訊いとんねん」
「……気づかれてたか」
拓真は肩をすくめた。
「天宮が言うには、二十年後にはもう走れなくなるらしい。その五年後には左腕が使えなくなるそうだ」
「……そうかい」
拓真は魔王の力を失った。
しかし、それは拓真が魔力を使えないただの人間になるというわけではない。
二本足で立っていた物体が、足を一本失ったとしよう。すると、残ったもう一本までその影響を受け、支えられていた物体は傾き、崩れる。
拓真はいまや、普通の人間より脆い体になっていた。
「ま、別にどうとも思わないけどな。これが最善を選び続けた結果なんだから、享受するさ」
「どうやら、俺が心配することはなかったみたいやな」
「ああ、俺は大丈夫だよ」
沈黙。
「……一年前とは、変わったよな」
「あの時は、セカイにおるのはたった4人やったのになあ」
「俺とお前は別の道を進んで、それぞれで新しいセカイを創った」
「……だから、俺たちはここでお別れやな。お前が"絶対魔王政"を失った以上、俺との対極関係はもうない。俺らが交わることは二度とないやろ」
「そうだな、俺とお前の物語はこれで終わりだ」
自然と、悲しい気持ちは湧いてこなかった。氷室とここで関係を断ち切ることは、どこか必然にも思えたから。
だから、後腐れのないように、拓真は――
「ほなな、拓真」
「おう、楽しかったぜ。――」
――氷室の、名を呼んだ。
一度だけ、ここぞという時に言うという条件で氷室に教えられた、下の名前を。
今言わなくて、いつ言うと言うのか。
氷室はしばらく目を見開いていたが、ふっと唇を吊り上げて、
「親友でおろうな」
「当たり前だ」
氷室は、忽然と姿を消した。 まだ冷たさの残る風が吹きすさぶ音だけが置き去りにされていた。
"大虚構"
最後の最後に、虚像を使っていた氷室の言葉は本心だったのか、はたまた"大虚構"だったのか。
いや、きっと――――
「見つけたぞ拓真っ」
その時、扉が開き、椿たちが拓真に近づいてきた。
「まったく、君は怪我人なんだからむやみに動き回るのはよくないぞ」
「……自覚をもつべき」
「そうじゃぞ、無理をしてまた傷が開いては元も子も――うふふ、元気に育ってくれたことは嬉しいけどね――勝手に出てくるではないっ!」
「……はは、悪い」
ああ、一つ大事なことを忘れていた。
香香は死んでいなかった。
ルシフの身体に取り込まれるどころか寄生するようになった。なんでも、人間の身体にいた時は意識の中に潜むくらいしかできなかったが、悪魔の身体でなら、より魔王と波調が合うため、先程ルシフの口調が急に変わったように、身体を操って外に自分を出せるらしい。
まったく、神様はとんだご都合主義者らしい。
結局、だれも世界から消えることなんてないままに物語を収束できるようにしたのだから。
「むう、困ったのう――あら、そんなこと言うの? 私、悪魔さんの心も見ることができるから、つい偶然たまたま秘密をばらしちゃうかもしれないわね?――や、止めぬか! このっ!」
ルシフも忙しくなったなあ、と拓真は原因が自分の母親であることに苦笑する。
「ところで、拓真」
ぬっ……と椿が不気味に視界に入りのけぞった。
「な、なんだよ」
「4ヶ月、大変だっただろう?」
にっこり、と笑みを浮かべながら拓真の腕を掴む。反対側からはサリエルが。
「だから、私たちで発散するといい」
怪我人であるからしてあくまでも優しく、しかし抵抗はできないように力強く押し倒す。
「ちょっと待て、それはどういう意味でしょうか?」
思わず敬語。
「決まってるじゃないか、ここの話だ」
椿は拓真のズボンに手をかける。
「……つまり、性欲的な」
サリエルも便乗する。
「ちょ、ルシフ、助けて」
「……主さま、儂は決めたのじゃ。儂も、正直に主さまを求めようと!」
「駄目だ、最後の砦が寝返りやがった! 香香! あなたの息子さんがピンチですよ!」
「――親の名において公認するわ。励みなさい、若者たち♪――」
「アホかあー!? ちょ、え、ガチなの? マジでズボン剥いできたんですけど。いや、トランクスは駄目だって! 本当にやるの? 今回は真剣に!? …………ら、らめええぇぇぇぇ!」
私たちは全てを手に入れることはできない。でも、全てを手に入れることを諦めることはないんじゃないだろうか?
私たちは貪欲であるべきだ。
貪欲に、全てを求める。
そうすれば、私たちのセカイ《、、、》は少しずつにでも広がっていくだろう。
ああ、楽しいなあ、この世界は――
[とある日記の最後のページより]