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主人(マスター)と悪魔(メイド)の主従関係  作者: 睡蓮酒
終章 ~神とか、天使とか~
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第60話 拓真の力

 柔らかな日の光が射し込み、心地いい春の風が駆け抜けてゆく。まさに小春日和と言って差し支えない日に、拓真は熱い茶を啜りながら息をつく。

「結局、こうしてるのが一番幸せだよなー」

 そこは拓真の家の、縁側に面した和室。

「そうねぇ」

 ちゃぶ台を挟んで向かいにいる者も、気の抜けた声でそれだけを返して同じく茶を啜る。

「ねえ、ところで、幸せってすごく残酷だと私は思うの」

「ふうん?」

 唐突な話題提示に、拓真は適当な返事とともに耳を傾ける。

「だって、幸せは平等にやってはこないじゃない。幸せがたくさん来る人もいれば、少ししかこない人もいる」

「そりゃそうだろ。この世界で平等なもんなんてせいぜい時間くらいなもんだ。人は幸せに限らず、たくさんの不平等を抱えながら生きてるんだろ」

 茶を啜る。

「それに、幸せっつうのは自分が幸せと感じるか否かの問題だろ。幸せはどれだけやってくるかじゃなく、どれだけそう感じるかだ」

「そうかもね、でも幸せがなかったら不幸もないと思わない? 幸せという基準がなければ、何かを不幸と考えることもなくなる。だって人は比べることでしか物事を判断できないんだもの。だから、幸せなんてない方がいいんじゃない?」

「そんなの人間の定義からして滅茶苦茶だろ。ロボットみてえに何の感情も持ち合わせてないならまだしも、心のある人間が何が幸せで何が不幸かを感じないわけがない。たとえ幸せという概念を人から消したとしてもな。それに、不幸を不幸と感じられないことが、すでに不幸だと思うぞ」

「幸せを幸せと感じている間はまだ幸せではないんだけどね。……幸せって、きっと絶対量が決まってると思うわ。そして、もう幸せはいっぱいいっぱいなのよ。全ての幸せを誰かが少しずつ所有している。他の誰かから奪ったり、奪われたり。そうして人は幸せを感じたり、不幸を感じたりする。略奪を唯一の手段とさせる世界って、残酷よね」

「確かに幸せを奪ったり、奪われたりはするんだろうさ。けどそれだけじゃねえだろ、幸せは与えることもできるし、与えられることもある。幸せの絶対量なんてその気になればいくらでも増やせる気もするしな。世界が残酷だったとしても、俺たちが残酷である必要はないんじゃないか」

「うん、そうかもね」

「多分な。つか、考えても仕方ないんだよ、こんなこと。さっきから俺は色々言ってるけど、三日後に同じこと言ってるかっていったらそうじゃないだろうし。こういう答えのない問題は、暇なときにその時の気分で結論を出すのが正解だ」

「そうね」

「ああ、どこまでも暇潰しだ」

 二人して湯飲みを傾け、喉を潤す。

「ひとつだけ分かったことがあるわ」

「それは?」

「あなた、いますごく幸せなのね」

 その言葉は慈しむような声で、奏でるように発せられた。

「んー、かもなぁ」

 拓真は頭をかいた。何故か自分が幸せと言われたのに気恥ずかしさを覚えたからだ。

「幸せをそこまで肯定できる人間は幸せなのよ」

「言いきりますか」

「言いきります。……まあ、合格ね……」

「何か言ったか?」

「言いきります、と言ったけど?」

 首を傾げる。

「いや、その後に……」

「ところで、学校は楽しい?」

「なんだよ、急に」

「楽しい?」

「まあ、楽しいよ。あいつらがいる、し……?」

 ふと、拓真は疑問に思う。

「そういや、あいつらは?」 

 ルシフは、サリエルは、椿は、どこだ?

 その小さな引っ掛かりが、扉の鍵をどんどん開けていくように、拓真はこの環境に違和感を覚え始めた。

 記憶が引きずり出される感覚。何を思い出そうとしているわけでもないのに、勝手に過去が頭のなかに再生される。

 それは、本当に始まりから。

 たまたま見つけた本からルシフが出てきて。

 いろいろ頑張ってメイドにして。

 椿がルシフを退治しに来て。

 サリエルが俺を殺そうとして。

 それもメイドにして。

 ……俺すげえな。

 稲荷、つーか九尾が俺たちを利用して死のうとしたり。

 エクス……エクス、いやむしろイン……やっぱりエクスなんとかさんが転校してきて。

 ドッペルゲンガーはマジ強かった。

 そして、氷室がきた。

 天理と再会した時には、再起不能になって。

 ルシフと戦って。あれは死ねるレベルに強かった。

 結局あいつらに助けられてまた頑張って。

 ついに氷室と戦って。

 負けて、死ん――

 フィルムが切れたように記憶の奔流が止み、そこで我に返った。

「そうだっ、氷室がっ!」

 拓真は立ち上がる。

「氷室がっ、氷室にっ……負けて、死んだのか、俺……」

 拓真は力なく座る。急激な虚脱感に襲われて、脳が脱力して思考すらできなくなった気さえした。

 結局、氷室に負けてしまったのだ。"大虚構フィクショナル・フィクション"という能力になすすべなく殺された。


 そして、気づく。本来なら最初に気づくべきだったそれに。

「……お前、誰だよ?」

「ん? あっちでは魚間うおま 香香きょうかと名乗っていたけど」

 軽くウェーブのかかった紫色の長い髪。座っているからわかりづらいが、おそらく小柄だ。Tシャツの上にエプロンという家庭的なファッションだが、幼い顔立ちが本当の主婦ではなくごっこですよ、と主張しているようだ。ただ、幼く見えるだけで実際はそうではないことを、香香を取り巻く落ち着いた雰囲気が語る。

「魚間、香香……知らねえな」

「だって新キャラだし。あなたという物語が始まってからの、ね」

「まあ、誰かなんてどうでもいいか。まずはここがどこなのか教えてくれ。いや、俺の家なんだけど、氷室に負けて死んだはずの俺がどうしてここにいるのかを、教えてくれ」

「教えてくれと言われてもねえ……」

 香香は下唇に人差し指を当てて困った顔をする。何から話すべきかわからないらしい香香に代わって、拓真から質問することにした。

「ここは死後の世界とか、そういうことなのか?」

「いいえ、だってあなたまだ死んでないもの」

「心臓を一突きだぞ?」

 自分で言って、正常に機能できるはずのない心臓が疼いたのを感じた。当然のように心臓はそこにあり、どこにも槍で刺された形跡は見られなかった。

「ただの人間ならそれで終わりなんだけど、あなたは違うから。ここは死後の世界なんかじゃなく、私の中。もっと正確に言えば私の力の中」

「お前の、なか?」

「ああん、あなたが私のナカに入っちゃってるう~」

「……」

 身をよじり、全く色気のないむしろ滑稽な声で下ネタに走った香香に、拓真はイタイ物を見る目で視線を送った。香香も拓真の反応を見て、己の過ちを悟ったようだ。

「……コホン。まあ、それは置いといて。あなた、あの"大虚構フィクショナル・フィクション"を見て、どう思った?」

「勝てるわけねえ。戦ってるときには何とかしようと頑張ったけど、今になって冷静に考えたら勝ちようがない。思いがけない弱点でもあるなら別だけどな」

「ないわよ。神の能力だもの」

「氷室も言ってたけど、それは神のようなってことか?」

「いいえ、そのままの意味よ。"大虚構フィクショナル・フィクション"は神、具体的には破壊と創造を司るシヴァ神の能力ね。つまり、"大虚構フィクショナル・フィクション"のことを"すべてを虚構で塗り替える能力"と氷室は言っていたけど、簡潔に"破壊と創造を自在にできる能力"と考えればいいわ。そして当然だけど、あれは決して人の身で敵うものじゃない」

「……つまり勝つには、同じような能力を使って戦うしかないってわけか」

「頭の回転が速くてよろしいわね」

「で、結局どうすればいいんだ? 同じような能力があれば、なんて所詮たらればの話であって、そんなものは俺にはないぞ」

「あるじゃない。ここに」

 香香は両手を広げて、不敵に笑う。

「え?」

「私よ、私。この魚間 香香があなたに力をあげるの。それこそ、"大虚構フィクショナル・フィクション"なんて目じゃないやつをね」

「アレが目じゃなくなるって……」

 "大虚構フィクショナル・フィクション"よりも強大な力を与えられるなど、なんというか現実味が湧かなかった。

「んや、やっぱり目じゃなくなるほどじゃないかも。対抗できるくらいかな……」

「急に自信なさげだな、オイ」

「だって相手が相手だもの。まあ、勝てるかどうかはあなた次第、くらいにはなるわよ。で、それだけの力をあげるわけだけど」

「けど?」

「気を抜いたら喰われるわよ。気を抜かなくても喰われる可能性はあるけど、それでも気を抜いた瞬間に、あなたはこの力に喰われるわ」

「過ぎたる炎は我が身すら焼くってことか?」

「そゆことー。実際あなたは一年前に一度喰われてるのよ」

 拓真には思い当たることがあった。

「な…………まさか、卒業式の日のあれは……」

「まさにその日よ。あの時、私の能力があなたを支配した。でも悪いのは間違いなくあなた。怒りに任せて無意識に私の能力だけを求めたから、制する暇もなく喰われたのね」

「……っ」

「ねえ、あなたには氷室が悪者に見えていたんでしょうけど、本当にそうなの? あなたの目は、きちんと過去を見てる?」

「……悪いのは、俺――」

「そうじゃないわよ。わかってないわね」

「え? いや、」

 肩透かしをくらってしまったように、拓真は体勢を崩した。

「悪いやつなんて今回はどこにもいないの。氷室にもあなたにも非はない。ただちょっと運命のいたずらがあなたたちを喧嘩させただけ」

「じゃあ、俺はどうしたら……」

「一転して頭の回転が遅いわね。親友同士の喧嘩よ?」

 香香は呆れ顔で茶を啜り、湯飲みを置いたときには唇を吊り上げて、自信をもって言葉を発した。

「後腐れなく決着つけて、仲直りに決まってるじゃない」

 目からウロコ、とはこのことだろうか。そう拓真は思わされた。

 簡単なことだったのだ、何も考えずに決着をつけて、仲直りでもなんでもすればよかったのではないか。それが、親友と喧嘩した時の唯一にして最高の解決法だ。

「……そっか、それだけで、十分だよな」

「わかればよろしい。あ、でも私としてはあなたを応援してるから、勝ちなさいよ」

「勝ってくるよ。もちろん」

「じゃあ、いってきなさい」

 香香がそう口にした途端に、世界が崩れ出し、あらゆる家具などが消え始めた。

 ふと、拓真は思う。

「香香、お前はどうするんだ?」

「私はずっとここにいるわよ」

「そうなのか……」

 なぜだか、拓真はもやもやとした気分になる。初めて会い、少し会話をしただけなのに、心の奥底で、香香をここに置いていく、或いは香香と離れてしまうことを嫌がっているような。自分でもよくわからない、本能的な感覚。

「何? 私に惚れちゃったの? それはいろいろと困ったわね」

「そうじゃねえよ」

 頬に手を当てて微妙に顔を赤らめている香香に、それだけはないと拓真は心底から誓えた。

「拓真」

「なんだ?」

 突然に、初めて香香は拓真、と呼んだ。拓真はそれに気がつき、どこで名を教えただろうか、と記憶を掘り返す。しかし、そんなことをしている暇もないほどに、香香は不穏な言葉を発した。

「私の力はあなたを喰らうかもしれない。だから、その時は、もう私のことなんて考えなくていいから、あなた自身をどうにかしなさい」

「……わかった」

 なんだろう、香香にはどんな未来が見えていて、そんなことを言うのだろう。

 香香は心を包み隠すような、しかし悪意は全く感じさせない笑顔を浮かべた。

「じゃあね、いってらっしゃい」

「ああ、いってくる」

 拓真の身体が、香香の世界から消えた。

 半ば暗闇となってしまった世界に取り残された香香は、

「……真を拓くものだから、拓真。魔を拓くものだから、拓魔。拓真にして拓魔。頑張りなさい、私の息子」

 朗らかに笑って、茶を啜った。

「うん、今日もお茶がおいしい」














「さぁて、今度は勝たんとなぁ……」

 氷室は槍に体重を預け、目を閉じる。

 一年前の、覚醒した拓真が瞼の裏に浮かび上がり、少し動機が激しくなった。視界を開き、一息ついて緊張を抑える。

 血の海に溺れた拓真に再び視線を向けた。湧き上がる不快感を殺し、自嘲するように笑う。

「アレを引き出す確実な方法が、"一度殺して、意識をアレの中に保護させる"なんてふざけたもんやで。天理の言うことやから正しい方法なんやろうけど……」

 それでも、殺さなければならないという事実は重くのしかかった。

 氷室は、これで二人の人間を殺したことになる。天理と拓真、自分に最も近しい二人を。確かに天理は生き返った。拓真ももうすぐ生き返るのだろう。しかし、氷室は殺した罪を忘れるつもりも、赦されるつもりもない。忘れることも赦されることも、自分が赦さない。

 そこまで思考が遊んでいた時、拓真に変化が訪れた。

 氷室は息を飲む。

 一年前と何も変わらず、どす黒い瘴気が拓真の身体を包み始めたのだ。一年前の光景と、自分の目的が同時に頭をよぎり、干上がった喉を鳴らす。

「……来おったか」

 掠れぎみの声で、何とかそれだけを喉から絞り出した。槍を強く握りしめ、その存在を確かめる。そして、時間が巻き戻されるように、みるみる修復されてゆく拓真の身体に語りかける。

「ほんまに笑えたで、お前のソレの正体を天理から聞いたときにはな」

 氷室がそれを天理から聞いたのは、天理が再び自分の前に現れた時。


――アレがなんなのかって? あなたの中にいたのが"神"なら、決まってるじゃない。その"神"と対をなす存在、つまり……


 天理は意地悪く笑いながら、心底愉しそうにその正体を告げたのだ。





――"魔王"よ





 空間が大きく揺れた。地盤にズレでも生じたかのような重低音が空気を震動させる。この場の空気が、何者かによって支配されてしまったような錯覚に陥る。身体の奥底から、恐怖、畏怖、そういった感情が強制的に引きずり出されてゆく。この世の生物として、ソレの前に立ちはだかることを本能が絶対的な拒否反応を示してしまう。

 これが、魔王の力。


 これが――拓真の力。


 もう、拓真の身体の外傷は痕も残さず消えていた。

 拓真は、まだ身体に魂が定着しきれていないかのようなおぼつかない動きで立ち上がり、顔を上げた。

やはり、瞳の色は黒ではない。深紅にして真紅。一年前と違って、ルビーを埋め込んだかのようなそれに、確かな意思を持った輝きが宿っている。つまり、まだ一年前のように暴走はしていないのだろう。

「よお、氷室」

 拓真は、しっかりと自分の言葉を話せていた。香香のいう『喰われた』状態にはなっていないことに、拓真は安堵する。

「……今回は、まだましに制御できとるようやな。ええ夢見たか?」

「よくわからねえ夢もどきなら見たよ。そんで、香香から力をもらった瞬間に全部思い出した。……一年前にお前をどんな風に殺しかけたかも、全部な」

「……そうかい」

「全て思い出した今だから、あらためて聞くぞ、氷室。お前、何をしにここにきたんだ?」

 氷室は、少しだけ嬉しそうに鼻を鳴らして、言葉を紡いだ。

「天理に聞かされた、お前にする対処は二つあったんや。あの時にお前を殺しておくか、力をつけた俺がお前を止めるか。……俺の目的は今のお前を倒すことや。今のお前を倒して、いつお前が暴走しても俺が止められることを証明する」

 魔王の力はあまりにも絶大である。おそらく、単体で世界を滅ぼすなど、比喩でもなくやってのけるほどに。そして、人は大きすぎる力を好まない。その力がそのまま脅威に転換する可能性があるからだ。

拓真が覚醒した今、世界がどう対応するかは想像に難くない。監視、束縛、あるいは、処分。たとえ天宮や天理がどれだけ裏から手をまわそうとも、止める術がない以上、拓真の対応に反対を申し立てることは難しくなる。そこで、氷室の出番だ。神の力をもつ氷室が拓真をいつでも止められることが証明できれば、拓真は"最大の脅威"とは見なされず、せいぜい監視で手打ちにすることができる。

しかし、それは同時に、氷室が"最大の脅威"となることになる。そうなった氷室がどう扱われるかは言うまでもない。それでも、氷室は拓真を倒して自らが不幸を被ることを選んだ。



「誰にもお前の幸せの邪魔はさせへんで、親友やからな」



 氷室は、どこまでも拓真のことしか考えていなかったのだ。

「もしかしたら初めて言うかもしれねえな……ありがとな、氷室」

「正真正銘初めてやで……かまわへんよ、拓真」

 歪みそうになる視界をなんとか堪えて、拓真は"村正・金剛"を氷室に向ける。力が覚醒して身体能力が上がっているのか、"村正・金剛"は妙に軽く感じられた。

「じゃあ、始めようぜ」

「そうやな」

「もちろん手加減はしない。本気の俺を倒さないと意味ないんだろ?」

 そう、氷室は本気の拓真を倒さなければ、"最大の脅威"には認められない。拓真は、それがわかっているからこそ、手を抜くことはできない。氷室と自分、どちらが"最大の脅威"となり不幸シアワセになるか。それを、ここで、決める。

「せや、頼むで」

「ああ」

 じり……と地面を踏み込む。膝を曲げ、体勢を前に倒し、"村正・金剛"を構える。

「おおおおお!」

 溜め込んだ力を爆発させ、氷室に向かって疾走する。

 拓真には一つ気づいたことがあった。"電光石火フラクタル・サーキット"が使えなくなっているのだ。どんな技かは憶えているのに、使い方が全くわからなくなっている。まるで、新しい能力で脳の容量が埋め尽くされてしまったかのように。だが、不安は微塵もない。いま感じられる香香の力は、自分が勝つという確信が得られるほどの安心感をもたらしている。氷室とは違う形で、世界をどうにかしてしまえるとさえ思えた。

 あと一歩で"村正・金剛"の射程範囲に氷室を捉えられるというところで、漆黒の槍が振り上げられた。拓真はそれを見切り、右下から斬り上げ、迎え撃つ。振り下ろされた黒曜石の槍と、金剛石の刀がぶつかり合い、火花を散らせ矯声をあげる。拓真は刃を滑らせ槍から"村正・金剛"を離し、身体を回転させまた振るう。氷室はそれを後ろへ飛んでかわし、懐の深いところまで槍を引いた。それが突きの前兆であることを感じ取った拓真は、刀の勢いを無理やり殺して、槍の先端を注視する。

 次の瞬間、拓真の予想通り突きが放たれた。先ずは右肩に向けて。かわす。

 次は脚に向けて。弾く。

 さらに腹に向けてもう一撃。受け止める。

 つばぜり合いの状態で、二人の顔が切迫する。悦びと怒りを混ぜ合わせたような獰猛な表情を二人して浮かべた。

「どないした? 何の能力も使わんと。むしろさっきより弱なっとるぞ」

「なんでもねえよ、ちょっと様子見してただけだ。新しいのは、いつでも使えるさ」

「なら、さっさとやったほうがええでっ」

 氷室はひときわ強く力を込めて"村正・金剛"を押し返す。そして黒曜石の刃を地面の下に潜り込ませた。

 拓真は何度も見たその動作に反応して、その場から後退する。遅れて、拓真の踏んでいた地面から黒曜石の杭が突出した。一撃目から逃れたからといって拓真はその足を緩めはしない。流れるような速度でひたすらに動き続ける拓真を、杭は死神のように執拗に、絶えることなく追いかけてくるからだ。逃げに徹することで、拓真は危なげなく杭を避け続ける。

「そら、これならどうや」

 氷室がそう言葉にした刹那、拓真を中心に円をえがくように杭が同時に数十本出現した。拓真の足が止まった。それはまさに拓真を閉じ込める檻となる。

 そして、新たな杭が次々に現出し、円が外側から塗り潰されてゆく。

「……っ」

 逃げ場のない、確実に敵を殲滅するための攻撃。"電光石火フラクタル・サーキット"が使えたなら或いは逃げ出せるだろうが、今はできなくなってしまった。

 拓真が生き残るには、香香からもらった能力を使うしかない。

 能力を身体に取り込んだ折に、使い方もどんな能力かも理解はできている。そしてそれがどれだけ有用かも。

 しかし、拓真は使うことを躊躇していた。

 なぜなら――

「終わりか? 拓真」

 氷室がそう尋ねると、拓真は身体の力を抜いて俯いた。

 諦めたわけではない。それは覚悟を決めるための一動作。自らの能力を使うことに集中するための自然体。

 そして杭と拓真の間が人ひとり分も無くなった時、拓真は小さな声で何か言葉を発した。ついに隙間が埋まり、最後の一本が拓真の喉元を貫こうと凶悪な速度で迫る。

 そして、杭は――拓真に接触し砕け散った。

 カシャ……と雪を踏みしめたような淡い音の残滓だけを置き去り。漆黒の硝子は残骸を霧散させた。拓真はそのまま一歩踏み出す。拓真に触れた杭は、どれも脆い砂の塊ように、塵となって風に乗り消えてゆく。そうして拓真は杭の監獄からいとも簡単に脱出した。

「……なんや、えらい強なったやんけ。その能力を今まで使わんかったんは驕りか?」

 氷室はそんな拓真の為したことにあまり驚いてはいないようだ。"大虚構フィクショナル・フィクション"に引けをとらない能力なら、あの程度は当たり前と考えているのだろう。

「そうじゃない。使うのが怖かったんだよ、もし失敗してればさっきので死んでたからな。……でも今ので俺にも使えることが確定した。正直、"大虚構フィクショナル・フィクション"より反則だ、この能力」

 拓真は真紅の瞳で氷室を見据え、自信に満ち溢れた声で、その能力の名を告げた。


「"絶対魔王政ジ・エンペラー"。万物と俺の優劣を自在に操ることができる能力だ」


「……んなもん、まさにチートやんけ。ただ、"大虚構フィクショナル・フィクション"が通じんとは限らんぞ」

 氷室がそう言い終えた瞬間に、拓真の背後に氷室が二人、鏡写しのごとく対称性を保ちながら槍を振りかぶっていた。

 もちろんそれは"大虚構フィクショナル・フィクション"によって創られた虚像だ。しかし、"大虚構フィクショナル・フィクション"によって創られた虚像は虚像ではなく、世界に対する干渉力を持った現実である。言うまでもなく、その槍に貫かれればこの世から消されることになる。

 槍の脅威がその鎌首をもたげたが、拓真はその場から微動だにせず、口を開く。

「――俺と槍の優劣を、支配する」

 "絶対魔王政ジ・エンペラー"によって優劣を支配された槍は、拓真にその先端をねじ込もうとした瞬間に、砕け散り砂塵となって消えた。

 拓真は視線を向けることもなく丸腰となった二人の氷室を切り払う。"大虚構フィクショナル・フィクション"による虚像なる現実は、空間に溶け込むようにして消え去った。

「無駄だ。どっからかかってきても、"絶対魔王政ジ・エンペラー"で優劣を決めれば俺が勝つ」

「ふん……なら、ちょいとファンタジックにいこか」

 刹那、氷室の両隣に二体の巨大な影が出現した。

 片や、神々しい両刃剣を手にして、女性をモチーフにしたかのような無機質な仮面をつけた天使。

 片や、禍々しい三又槍を手にして、ピエロのような仮面をつけた悪魔。

 全く別の存在である二体が、その巨大な武器をもってして拓真に襲いかかる。

「どや、それぞれ違うやつらを同時に創ってやれば、優劣をどちらか一方にしかつけられへんやろ」

 氷室はしたり顔でそう言ったが、拓真は何も焦ることなく口を開いた。


「――俺と万物の優劣を、支配する」


 二体の巨大な虚像たちは拓真に触れて、音もたてずに崩壊した。

「面倒だから、とりあえず俺を最強に設定した。これでお前が何を創っても意味がなくなったな」

 余裕の笑みを浮かべる拓真に対し、氷室の額からは一筋の汗が伝った。

「はっ……どこまでも反則な能力やのお」

「だろうな。それで、どうする? "大虚構フィクショナル・フィクション"で何を創ってももう通じなくなった。俺の勝ちでいいのか?」

「勘違いすんなや。まだ終わっとれへんやろ」

 氷室の言葉に、拓真は怪訝な表情をする。

「終わりだろ。今度こそお前の負けだ、氷室。最強に設定された俺に、"大虚構フィクショナル・フィクション"で何を創っても――」

「そこや」

「……何がだよ」

「"大虚構フィクショナル・フィクション"は"何かを創る"能力やない。"万物を虚構で塗り変えることができる"能力や。そこを間違えとったらあかん。正確な能力の定義に従うなら、俺がやることは一つしかないやろ」

 氷室は唇を吊り上げて、

「何をするっていうんだ?」

「拓真……」

 おもむろに、"大虚構うそ"を吐いた。


――拓真、その能力は、本当に現実か?


 氷室は、"絶対魔王政ジ・エンペラー"を虚構にすることを選択した。

「っ!? ……"絶対魔王政ジ・エンペラー"と"大虚構フィクショナル・フィクション"の優劣を、支配するっ!」

 拓真は氷室の言葉を聞いて、そう唱えずにはいられなかった。

 そしてその瞬間、氷が割れるような音があちこちに響き渡り、空間に亀裂が走った。空中に出現した黒の谷からは、透明な粉塵が落下してゆく。

 それは、世界の残骸だ。

 強大な二つの能力が、能力の本質をぶつけあった場合において、世界はどちらを優先するか決めることが出来なかった。よって両者は均衡という状態におかれ、この世の何とも表現できない二つの能力から、結果として未知の物質が析出したのだ。

 そして、拓真は急な違和感に襲われた。

 "絶対魔王政ジ・エンペラー"の扱い方がわからなくなったのだ。"電光石火フラクタル・サーキット"と同じように、使い方やどんな能力かは憶えているのに、扱い方がまるでわからない。世界がこれ以上の変革を嫌って、この均衡状態を崩すことを妨害しているように感じられた。

「……どうやら、お前もみたいやな」

「お前も、"大虚構フィクショナル・フィクション"を忘れたのか」

「ああ、世界はよっぽど俺らが嫌いみたいやな」

「俺たちが能力を使うことが嫌いなんだろ、多分」

「まあ、なんでもええわ。能力が無いなったなら無いなったで、またおもろいやん」

「……そうだな」

「そろそろこの戦いも冗長になってきたからな、ここで決着つけようや」

「ああ」

 二人は改めて武器を握って、相対する。

 無粋な能力は消えた。

 ここから始まるのは、能力も何もない、ただの人間同士の戦い、いや、喧嘩だ。全てが零に返った今、二人は最高に高揚した気分の中にいた。

『らあああああああああ!!』

 拓真と氷室は、共に叫びながら駆け出した。二人の間にあった距離があっという間に詰まる。

 片手で武器を目一杯に振りかぶり、ただただ全力で相手の武器にぶつけ合う。とてつもない衝撃が武器を伝って腕を痺れさせたが、そんなのは些事なことだ。武器を離し、再び相手の武器に叩きつける。互いの反動で二人して身体がよろめき、結果として距離をとることになったが、すぐさま攻撃を再開する。

 刀が斬り込めば槍が受け止め。

 槍が突き出されれば刀が弾き。

 刀に斬られたなら怯まず槍で突き返し。

 槍で突かれたならば間髪入れず刀で斬り返す。

 二人とも身体の所々から出血し、その様は互いを喰らい合う獣そのものだった。

 そのとき、氷室の身体が一瞬ぐらついた。

 物理的な点で身体が限界を迎えていたせいだろう。拓真はその隙を逃さず刀を振るう。

 風を斬りながら迫る刃を、体勢を立て直した氷室は、躊躇いなく自らの腕で受け止めた。

「なっ!?」

 当然、氷室の腕はその骨まで外の世界に晒すこととなり、今までとは比にならない程の血液がそこから流れ出ることになったが、氷室は痛みを感じる素振りすら見せず、拓真の脇腹に黒曜石の槍を深くえぐり込んだ。

「っぐう……!」

 拓真は後ろに飛び退いて、腹部を押さえて焼けるような痛みを堪える。

「すげえな、お前……」

「どうせなら徹底的にやる方がええやろ。身体の痛みなんぞ気にせんとやったるで」

「……はは」

 "村正・金剛"を構える。

「……くくっ」

 黒曜石の槍を構える。


『さいっこうだお前ぇぇぇ!!』

 

 同時に、空間を置き去る勢いで凶器を振るう。

 音が遅れて聴こえたような気がするほどの速度で衝突した刀と槍は、互いを壊し合い真っ二つになって宙を舞った。しかし、武器が壊れたからといって止まる二人ではない。

 使い物にならなくなった武器を後ろに放り投げ、拳を交差させた。骨にめり込む鈍い音だけが響き、もう痛覚すら失ってしまったように感覚が脳に伝わってこない。明確に危険な状態に陥っているが、それでも二人は絶対に止まらない。防御は度外視して、ひたすら拳で相手を殴りつける。

 殴る、食らう、殴る、食らう、殴る、殴る、殴る殴る殴る――

 身体中に痣ができ、そこらじゅうの骨が折れている。血を大量に失って視界もおぼろげになっているし、身体を動かすことが非常に億劫だ。


 でも、それでも、気分は、最高だ。


「……ひっむろおおおおおおお!!」

「……たぁくまあああああああ!!」

 拳をいっそう固く握り締め、全身の力を収束させたそれを、二人は決着に向けて繰り出した。

 突然世界がスローモーションに切り替わる。本来の0.01秒が、100秒にまで引き延ばされていると感じられるほどに、至極鈍重に世界が時を進めてゆく。

 拓真はそんな世界の中で、一年前の、もう少し前を追想した。

 あの時は、本当に楽しかった。

 氷室とたわいないやりとりをして、

 天理とは皮肉を言い合って、

 椿にはいろいろ世話してもらって、

 氷室と天理は言われてみれば妙に仲がよかったし、

 天理は椿にセクハラするし、

 椿と氷室は、そこまで仲良くはなかったかもしれないな。

 ……ああ、本当に楽しくて、永遠に続けばいいと思ってた。

 でも、今の俺の居場所は、ルシフや、サリエルや、椿たちのところだ。

 ここもまた、最高に心地のいい、永遠に終わらなければいい場所。

 ルシフはずっとそばにいて俺を守ってくれる、最悪最凶の悪魔なんだけど割りとかわいいところが多い"女の子"だし、

 サリエルは、常識はずれで手はやくけど、俺にとって一番癒しになっているし、

 椿は、うん、まあ、エロ女だけど、俺のことをよくわかってくれてるんじゃないかなと思う。一年前から、一番俺を助けてくれたのは椿だ。

 もし、一年前に戻るか、今の居場所にいるかと言われたら、俺は今の居場所を選ぶ。

 この居場所が、俺の辿り着いた現在いまだからだ。

 だからさ、氷室。

 俺は、お前との未練を断ち切るよ。

 俺たちは、一年前には戻れない。

 でも、それでいいんじゃないか。

 俺たちを必要としてくれる居場所がそれぞれできたんだから。

 無理に俺たちが交わることはないだろう?

 だから、これで終わりだ。

 俺の、たった一人の、親友。


 ついに、スローモーションだった世界にも終わりが訪れた。

 拳が交差し、同時に互いを殴る。拳と顔面にとてつもない衝撃が走る。身体は軋みをあげ、どこに力を入れれば踏ん張れるのかわからない。視界が真っ白に染め上げられた。

そして、


――拓真は、倒れない。

――氷室は、倒れた。


 勝負の結果を認識するのに、二人して長い時間がかかった。拓真が先に、掠れた声で宣言する。

「……俺の勝ちだな、氷室」

「……ああ。結局、お前を救うことはかなわんかったか……」

「いいんだよ、お前が俺を救う必要なんかない」

「……」

「ただ、俺がヤバイことになった時には、手伝ってくれるよな? 親友」

 屈託なく笑う拓真に、氷室は口元を弛めた。

「……もちろんや。……なんやろうな、目的は達成できんかったのに、えらく気分はええ」

「そうかよ。俺もまあ――悪い気分じゃない」

 これが、今回の物語の顛末。

 かくして二人の少年たちは、これから二度とない交錯の中で認めあい、それぞれの居場所を守ることを決めた。

 大団円。ハッピーエンド。誰にも文句はつけられないほどに、物語はきれいに収束し、終わりを迎えた。


















はずだった。



 その時、一際強く拓真の心臓が鼓動を刻んだ。内側から身体が張り裂かれるような激痛に襲われる。

「……っ! ……あ、ぐぅ……」

「どないした!? ……まさか……!」

 最悪の予感に、氷室は声を張り上げた。拓真も、この痛みが何を意味するのかすぐに悟った。

 つまり――"喰われる"。

「収まれ、よ……喰われるわけにはいかねえんだ……ぐ、ううう……」

「くそっ、身体も動かんし、"大虚構フィクショナル・フィクション"ももう使えへん……負けんなや拓真! 天理ぃ! 何とかならへんのか!?」

 天理はただ立ち尽くして、苦い表情を浮かべていた。つまり、打つ手なし。

「負けるか、よおおお……!」

 それでも拓真は諦めない。全力で自らの中で暴れる獣を押さえつける。

 その時、頭の中で、誰かの声がした。

 それは絶望を告げる鈴の音にも似ていた。

 冷徹で、無感情な声音で、紡がれる誰かの言葉。


――私と拓真の優劣を、支配する。


 いや、誰か、なんて曖昧なことは言わない。これは、この声は――

「……嘘だろ……香香……」


……ごめんね、拓真。


 拓真は力に喰われ、二度目の暴走を、開始した。


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