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主人(マスター)と悪魔(メイド)の主従関係  作者: 睡蓮酒
終章 ~神とか、天使とか~
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第58話 「殺してやるよ、親友」

錆び付いた扉が奏でる不快な擦過音の残響を聞きながら、天理の待つ屋上へと一歩を踏み出すと、天理が砂で汚れた白い石タイルにその身を横たえていた。

まるで作り物のように少したりとも動かない。しかし遠目からでもわかる天理の飛び抜けた人間らしい綺麗さが作り物である可能性を否定する。気を失っているようにも見えた。

「何が……」

 ルシフは息を飲んで、この不可解な状況の判断を仰ぐがごとく拓真に視線を移した。

 拓真は――どこか苛ついているようにも見える無表情ではない無表情で、天理のそばに重い足取りで歩み寄った。ルシフのように驚きを感じている様子はない。

 しゃがみこみ、天理の頭を落とせば割れてしまう宝石を扱うように柔らかに抱え上げて耳に口を近づける。そして溜めを作った後に囁いた。

「……天理、そのネタはもう天宮がやった」

 拓真の言葉でスイッチが入ったかのように、天理が急に目を覚ました。瞼を二、三回開閉し、起き上がって大まかに服についた砂を払い落とし、一度見た目相応に可愛らしい咳払いをして、

「もうっ、か弱い女の子が倒れてるっていうのに、心配もしないで真っ先に疑ってかかるなんて拓真はひどいわねっ、ぷんすかぷんっ」

「お前何キャラだよ」

 やけに高い声で、ぷんすかぷんっとジェスチャーをして拓真を叱りに(?)かかった。その瞳は星が散りばめられているごとく輝いていたが、普段の天理を知る拓真からしてみればそんな瞳は不気味以外の何物でもなかった。

「暇だったのよ。一時間くらいこうしていたわね」

「動機まで天宮と被せるな」

 どうせ嘘なのだろうが。時間軸が合わなすぎる。

「被ってる? それはあんたの×「そのネタももういいっ!!」やあね、そんなに怒らなくてもいいじゃない。ジョークよ、ジョーク」

 天理は頬に手を当て、目を細めて拓真に呆れたような視線を送った。拓真はげんなりとした表情で肩を落とす。

「お前と話すとみるみるうちにカルシウムが減っていくのが実感できるよ」

「いいじゃない、かわりに女の子との会話率が上がるんだから」

「世の中の性別は男、女、天宮、天理の四つのはずなんだがな」

「あんたも結構な毒舌家よねー。拓真に意地悪されてか弱い女の子こと天理ちゃん泣いちゃいそう。あと天宮ちゃんもかわいそう」

「いや、お前のは単なる嫌味だが、天宮は真剣に性別がわからんからな。あとお前はさっきから嘘つきすぎだ」

「あら、私の何を知ってそんなことを言うのかしら。どうでもよくないことだけど、私はこれまでの生涯一度として嘘をついたことがないことで有名なのよ。嘘だけど」

 皮肉を言い合っていた二人はこらえきれないといった風に、互いに笑った。

 ひとしきり笑って、拓真はこの楽しげな時間を打ち切るように天理に問いかける。

「で、やるのか? お前が俺達と」

「え? 私? やるわけないじゃない、面倒だし」

「ふざけておるのか、降参するというのなら早くあの白い人形を消すがよい」

 あっけらかんとした表情で首を横に振る天理に、ルシフが前に出て睨みつける。天理は笑みを崩さないまま、手を前に出して憤るルシフを制止した。

「落ち着きなさいよ悪魔ちゃん。私は戦わないけど、誰も戦わないとは言ってないでしょ。それにアレは私じゃないし」

「ならば誰がやるというのじゃ」

「そんなの決まってるじゃない。ねえ? 拓真」

 もうわかってるわよね、拓真?

 天理にそう訊かれた気がした拓真はほんの一瞬だけはっとして、何かに納得したかのような面持ちになる。

 顔を上げて空を仰ぐと、真っ青な大空を真っ二つに割くように飛行機雲が白い軌跡を刻んでいた。

「……そうだな、何となくだけど、そんな気はしてた。生きてるんだよな――」

 何処へということもなく、ただ虚空に向かって放り投げるように、拓真は意を決してその名を呼んだ。





                      「氷室」





「大正解や。拓真」

 拓真がその名を呼ぶや否や、氷室は天理の傍らに現れていた。

 いつからいたかなど推し量りようもない。気が付いた時には、氷室はそこにいたのだから。むしろ、気が付かなかったから氷室はそこにいなかったのではないかとすら思えてしまうほどに、唐突に氷室はそこにいた。

「天理の反応見る限り、天理がお前を殺したのは演出だったんだな」

 天理は氷室が生きていたことに驚いている様子もなく、さらには非常に微かではあるが、安堵すらしているように思えた。

「どうでもよくないことだけど、私はちゃーんと氷室を殺したわよー。なのに氷室は生きていた……嘘みたいな出来事ねー」

「でも、殺したのは氷室に頼まれたからなんだろ?」

「ええ、そうじゃなかったら、自分の恋人を殺す人なんているわけないじゃない」

「頼まれたからって、殺せる人間もそうはいないと思うけどな」

「そうねー……でも、氷室を殺しているとき、私はすごく辛かったわ。これは本当よ。何か弁論はあるのかしら、恋人に自分を殺させる"最悪"さん?」

 天理は嫌味な笑みを浮かべて、氷室に視線をやる。氷室を殺害させられたことについてはあまり気にしていないように見えるが。

「それはほんまにすまんゆうたやん、感謝なら言葉では言い表せんほどしとる」

「そ、ならいいわ。感謝なんか実はしてなくて、言い表せないのは言い表す言葉がないからなんてオチじゃなきゃね」

「しとるからそないにひねくれんなや……でも俺はあそこまできつい殺し方をしろとはゆうてないねんけどな」

 今度は氷室が天理を感情の読めない瞳で見やった。天理は悪びれもせずに明後日の方向を向いて、無駄に得意気な調子で詠い上げるように述べる。

「そこはあれよ、有能で思い遣りのある天理ちゃんが良かれとしてやったアドリブよ。拓真に衝撃を与えるという点では最高だったでしょ」

「氷室の殺され方っつーか、その殺され方で天理の死に様がフラッシュバックしたのがダメージだったけどな」

「つまり拓真にとっての友情値は氷室<天理ちゃんってことかしら、天理ちゃん嬉しいわ。拓真に好かれていることじゃなくて、氷室に勝ったということがね」

「単に天理の時はそういうのに耐性がなかったし、過去のことだから余計に怖い方向に誇張されてるだけなんじゃねえかなって思うぞ。俺の中では氷室のが上だ」

「はっ、つまらないわね、このBL野郎」

「待て、その結論は早計すぎだ」

「……」

 三人の会話を、ルシフは喜劇の観客になったかのような感覚に陥りながら聞いていた。自分はここには入れない。あと入れるのは、あの巫女だけ。そしてその四人でこの喜劇の役者はいっぱいになる。その事実が、何故かルシフの物悲しさと羨望を誘っていた。

 喜劇が悲劇に姿を変えた一年前まで、この他愛もない喜劇は続いていて、それは四人の誰にとっても永遠に終わらなければいいものだったのではないか。三人の喜劇を端から見ていた観客は、そんな風に感じた。

「なあ、拓真」

「なんだよ」

 不意に、氷室は、そんな幸せな喜劇に幕を下ろすように拓真に呼び掛けた。拓真は表情を固く引き締めてそれに応じる。氷室が何か重要なことを言う、そんな気がしたからだ。氷室はゆっくりと口を開く。それはとても長い時間をかけたように感じられた。

 そしてようやく、言葉が発せられる。


「俺が殺されて、どうやった?」


 空気を微かに震わせただけのはずのその言葉は、拓真の頭の中で何倍にも膨れ上がり、脳を激しく揺らした。

「……ああ、わかってるよ。お前がそのためにわざわざ殺されたってことくらい」

「そうかい。それで、どうやったんや?」

 そう、拓真は知っていた。いや、理解していた。氷室が殺されたのは、自分に氷室との関係を確認させるためだったのだ。

 拓真にとって、氷室は友だったのか、敵だったのか、他人だったのか、味方だったのか、それとも――



「お前はやっぱり俺の親友だった」



 拓真は屈託のない笑みでそう宣言し、氷室はそれを受けて微かに笑う。

「……わかった。じゃあ、もうええやろ」

「そうだな」

 拓真は"村正・金剛"を鞘から解放し、氷室は空間から突如として顕現した黒い刃をした身の丈ほどの槍を掴み取る。

 二人は声を揃えて言う。

 悲しくて、辛くて、惨めで、可哀想で、不快で、儚くて、最低で、"最悪"で、でもほんの少し優しくて、そして、本来ならこうなるべきだった言葉を。



『殺してやるよ、親友』







「儂の相手は、おぬしか」

「んー、対応させるならそうなんでしょうけどー。私たちが戦う必要はないわよ、やめておきましょう」

 ルシフと天理は、拓真たちから少し離れた位置で対峙していた。しかし天理は、ルシフにはさして興味もないと言わんばかりに、拓真たちの方によそ見をしながら気だるげにルシフに応えた。ルシフも天理に関しては既に興が冷めていた。

「わからぬな、おぬしは一体何をしようとしておる」

「別に。ただ私は氷室と拓真を戦わせられればそれでいいの」

「本当に、それだけか? おぬしの目的はそれだけではなく、例えば、その先にあるのではないか?」

 天理が驚いたようにやっとルシフに視線を向ける。

「ふうん、鋭いわねー。まあ、ないことはなくなくなくなくないということにしておきましょう」

「どっちじゃ」

「ないわよ、嘘だけど」

「……それが、主さまにとって害になるのなら、儂は止めるぞ」

「害になるかは氷室とあなたたちの手にかかっているわね。私は一切関与しないわ。それに、私とあなたが戦うことなんて無意味よ、氷室と拓真のこと抜きにしてもね」

「勝敗の決まっている戦いに意味はないということか?」

「そ、どうせ負けるしねー」

「それは、どちらがじゃ?」

 ルシフの眼光が強まる、天理は微笑む。

「ふふ、どっちでもいいじゃない。あなたにとってはどうでもよくないことなのかもしれないけど」

「おぬしはつかみどころがないから嫌いじゃ」

「構わないわよ。私は誰からも好かれようとは思わないもの」

「ふん……」

 天理のことは諦めて、ルシフは拓真の戦いを見守ることにした。

 出どころのわからない妙な胸のざわつきを抱えたままに。


「お前、その武器って槍か?」

 拓真は氷室の持つ槍に目をやる。

 巨大な黒曜石から彫刻したように、繋ぎ目の無い、武骨な氷室の身の丈ほどの、ゲームにでも出てきそうな槍。持ち手の部分は一直線で、刃は調和を崩してしまうほどに巨大だった。

 人を刺せば、ちょうど腹に大きな孔が空けられそうなくらいに。

「俺は別に槍使いってわけやないねんけどな、その時の気分に応じていろんなもん出すことに決めてんねん」

「気分ね……天理を殺したときにも、その槍を使ったんだな?」

「だからこそ、ここでこいつを使うんや。ぴったりやろ」

「けど悪趣味だ」

 氷室は唇を吊り上げる、拓真は笑わない。

「お前はなんちゅーか、人間離れした技使うようになったなあ」

 "村正・金剛"を抜いた時から、拓真は身体中に青白い火花が散らせていた。足だけだった"電光石火フラクタル・サーキット"が、侵食したように全身に回っている。電気の花弁が散るたびに、バチバチと弾けた音を響かせる。

「自覚はしてるよ」

「拓真、全力でいくけど、ええな?」

「当たり前だろ。俺だって手加減する余裕なんかどこにもねえんだ、出し惜しみなしでやらせてもらうぜ」

「ほな、いくで」

 氷室は黒曜石の槍を逆さに持ち、地面に突き立てる。すると、白いタイルがまるで水面にそうしたように波打ち、漆黒に輝く刃を呑み込んでいった。そして刃が全て地面の中に潜り込んだ辺りでそれは止まる。

 構えていた拓真がなにも起こらないことに気を緩めた次の瞬間、地面をかき分けるようにして、人ひとりなら脳天から串刺しにできてしまいそうなほどの大きさをした黒曜石の杭が拓真に襲いかかった。

拓真は反射的に頭を引いて紙一重でかわす。鼻の数センチ先で武骨な削り方をされた黒曜石が通過してゆくのを一瞥して、周囲に注意を向ける。

「う……お……っ」

 先程とは別の漆黒の杭が右のわき腹に照準を合わせ、地面を割きながら突進してきた。

 身体を回転させて避けるが、また次の杭が今度は後ろから襲いかかる。これは"村正・金剛"で迎え撃ち、砕いた。

 相次ぐ攻撃に手一杯で、拓真はその場に縫い留められていた。これでは"村正・金剛"の間合いに氷室を捉えることは不可能だ。

「近づけねえつもりかよっ」

「当たり前や、音より速く動くお前に正面から敵うわけないやんけ」

「そうかよ、だったら俺から行くぞっ」

 拓真の足から青白い火花が一層強く咲き乱れる。正面から発生した杭を"村正・金剛"を振るって刈り取り、"電光石火フラクタル・サーキット"を発動させて一瞬で氷室に肉薄する。勢いを力に変換して、"村正・金剛"を上段から振るう。氷室は地面から槍を抜き出し、振り下ろされた"村正・金剛"を受け止める。二人の視線がぶつかり合い、得物を押す手に力がこもる。

 そのとき、視界の端に何かを見た拓真は反射的に顔を横にずらした。目と鼻の先を黒光りした何かが横切っていく。

 まさかというべきか、やはりというべきか、出現したそれは黒曜石の杭。地面からだけではなく、空中からもその身に黒い光をたたえた杭が姿を現したのだ。そんなことに気をとられている間に、漆黒の杭は次々と出現しては拓真に襲いかかる。拓真は状況の整理ができないままにそれらを避けきり、一瞬の内に氷室との距離をとる。

「地面からだけじゃねえのかよ」

「ちっとばかし強引やけどこう考えてみろや。さっきまでは地面に刺さっとったから地面から杭が現れた。地面から引き抜いた今は、言い換えれば空中に刺さっとるから空中から杭が現れねん」

 氷室がそう言い終えた刹那、何の気なしに上を見た拓真は戦慄した。

「なっ……」

 そこには黒曜石の杭が、まるで剣山のように隙間なく立ち並び、今にも拓真を八つ裂きにせんと浮遊していた。そして、無慈悲にもその剣山は、処刑を実行するギロチンのごとく拓真に向かって落下する。

 自らの危機に意識が追い付いた頃には、すでに拓真が手を伸ばせば届いてしまうところまで死は迫っていた。

 ガギャギャギャギャ! と杭の雨が地面を砕き、散った破片がカラカラと音を鳴らす。

 そして、残ったのは静寂。氷室はゆっくりとクレーターまで足を進める。巨大な窪みを覗き込んで、氷室は目を見開いた。拓真の生存は絶望的で、砕かれて瓦礫のようになった地面にその肉片を撒き散らしているはずだ。しかし、拓真の姿はそこにはなく、氷室の視界には空虚な瓦礫の谷が広がっているだけだった。

 氷室は槍をタイルに落ち着けて、まるで歓喜しているかのように吹き出した。

「……なんや、なんか変やなあ。お前ちょっと戦えすぎやないか?」

「んー?」

 拓真は"村正・金剛"を肩にのせ、氷室の後ろで身体中に火花を散らせながらとぼけた表情で立っていた。氷室は拓真の方に身体を向けて続ける。

「さっきからお前の反応速度が尋常やないねん。普通の人間じゃあ避けられへんような攻撃も全部避けとる。その磁力による高速移動が使えるにしても、お前の能力面は突き詰めればただの人間レベルのはずや。いくら速くても、あれだけの数の攻撃全てに反応できるわけない。お前何かしとるやろ」

 拓真は一瞬考える素振りをして、

「お前は一度俺の"電光石火フラクタル・サーキット"を見てたよな。身体に魔力から生成した電気を纏わせて、高速で動けるようにしていたそれだったけどな、追加で能力を足したんだ」

「どういうことや」

「"電光石火フラクタル・サーキット"応用編その一、俺の周りにはいま電磁波によるセンサーが働いてんだ。そのセンサーが俺の周囲5メートルの状況を完璧に教えてくれる。つまり、いまの俺は目を閉じていたとしてもお前とまともに戦えるぜ」

 電磁波によるセンサー。いまの拓真には死角というものがなく、視覚で認知するまでもなく周りの状況を余すことなく理解できることができると語っている。

「なるほどなあ。けどな、それでもまだおかしいとこがあるで。たとえ来るとわかっていても避けられへん攻撃かてあったはずや。お前それにどないして反応したんや」

 そう、たとえ周りの状況を完璧に理解できるとしても、避けるための判断や、それを実行するための時間が必要なのだ。すなわち、常人ではその判断と実行の間に殺されているはずなのだが、今の拓真はその判断も、実行も、考えられない速さなのだ。

「俺はな、身体の至るところの性能がいま五割増しくらいになってんだよ。生体電気をいじってるからな」

「生体電気やと?」

「そう、"電光石火フラクタル・サーキット"応用編その二、生体電気を意識的に増幅させて、身体のもろもろの能力を上げてんだよ。反応速度だって半端じゃねえぜ?」

「お前もいよいよ化け物じみてきたなあ」

「はは、そうだな。……で、いいのか氷室。そんな悠長に構えてて」

「なにがや? お前がどんだけ速かろうと、性能が高かろうと、そんなもんはどうでもええねん。俺が杭を出し続ける限り、お前は俺に近づくことは――」

「近づくことは、なんだよ?」

 氷室が言葉を詰まらせたのは、自分の喉元に刃が突きつけられたからだった。

「っ!」

 瞬速。

 氷室だって能力はただの人間。そんな人間が、"電光石火フラクタル・サーキット"を視認することは不可能だ。

 つまり、拓真に"電光石火フラクタル・サーキット"を使わせるだけの時間を与えることは、氷室にとってやってはいけないことなのだ。

「さっきは先手をやっちまったせいでなんにもできなかったけどな、"電光石火フラクタル・サーキット"つきの俺からすれば、お前の杭は出現までが遅すぎんだよ。お前がなんかするまえに、俺が攻撃すればそれで解決だ」

「……やるやんけ。ようここまで成長したわ」

 氷室はくつくつと笑う。いまも刃が喉元に突きつけられているというのに、氷室は構わない。

「成長はした。でもお前は変わってへん。まだ俺には勝てへんわ」

「んだと……?」

 氷室の表情が途端に消える。身体中に怖気を覚えた拓真は、刀と共に氷室から距離をとった。

「こっからは真剣にやるから、しっかりついてこいや」

「いままでは本気じゃなかったのかよ」

「本気やったで。本気で戦っとった。そんでいまからは真剣に勝ちにいく」

「意味わかんねえ、よっ!」

 拓真は"電光石火フラクタル・サーキット"で一気に距離をつめて、不気味に立ち尽くす氷室に斬りかかる。

 もちろん氷室が反応できるわけがない、あっさりと懐に入り込み、軟らかい右脇腹を"村正・金剛"が貫いた。

 親友の血が顔や服に跳ね返る。拓真は不快感を圧し殺し、止めをさそうと、もう一度斬りつけようとした。

「これで――」

 激痛が身体を襲っているはずなのに、氷室の表情は変わらない。そして"村正・金剛"による二撃目が当たる直前に、氷室は口を開いた。


「拓真、それは本当に現実か?」


「っ!?」

 気がついたときにはしゃがみこんでいた。

 これが電磁波のセンサーによる身体の自動操縦だと気がつくのに一瞬。

 目の前にいた氷室が消えているのに気がつくのにもう一瞬。

 そして、頭上の黒曜石の槍が、いつの間にか後ろにいた氷室によるものだと気がついたのはもう一瞬必要だった。

 混乱した頭で理解したことは、前方にいた氷室が消えていて、何故か後方に現れた氷室に刺殺されかけていたということだった。

 どっと冷や汗が溢れる。乱暴に立ち上がり、距離をとって、その双眸で氷室を睨み付ける。氷室は槍を落ち着けて、鼻を鳴らす。

「さすがに速いなあ、生体電気をいじるなんちゅう反則技使っとらんかったら絶対当たったんやけど」

 氷室が一体何をしたのか。

 全く理解不能な現象に出くわして、焦りからいままでせき止められていた疲労が身体になだれ込んでくるのを拓真は感じた。

「お前、どうやって……!」

「さあな。ところで拓真、ここにおる俺は本当に現実か?」

「そんなっ……の……」

 氷室の不可思議な言動に答えようとした拓真は、最後まで言葉が続かなかった。なぜなら、また氷室が消えたのだ。忽然と、意識の隙間をすり抜けられたように。焦燥に駆られながら氷室を捜索する。氷室は拓真の後方に現れていた。

 ――槍の巨大な刃を地面に潜り込ませて。

「しまっ……!」

 地面から杭が花を咲かせるように出現する。直径10メートルにはなるであろう巨大な漆黒の花だった。

 拓真はその花の杭が及ばないぎりぎりのところでしりもちをついていた。

「はあっ……はっ……」

「これまで避けよるか。つくづく化け物じみとる、が……息もあがってきたみたいやのお?」

「んなわけ……あるかっつーの……」

 拓真は立ち上がりながら考える。視覚、いや、殺している感触はあったのだからもしかしたら触覚も支配する能力か。もしくは白い人形を応用した分身を作り出す能力か。

 それとも――

「考えてる時間は無いで。今お前が立ってる場所は、本当に現実か?」

 氷室がそう口にした瞬間、絶対にそこにあったはずの屋上の床が消え去った。

 こんなことは、視覚を支配するとか、分身を作るとか、そんな能力でできるわけがない。

「嘘だろっ……!」

「そうや、全部大嘘や、そんでお前はその大嘘に殺される」

 黒曜石の剣山が、落下する拓真の上空に現れる。自由落下よりも断然速いスピードで、拓真に襲いかかる。足場がなければ、"電光石火フラクタル・サーキット"は使えない。よって拓真はこれを避けられない。

「く……あああっ!!」

 拓真は"村正・金剛"を身体を捻って振り抜いた。すると、その軌跡をなぞって後から追いかけきた青白い電気の波が黒曜石を呑み込んで、閃光とともに消し去った。

 拓真は着地と同時に身体を崩し膝をついた。どっと息を吐き出し、肩を上げてまた吸い込む。限界が近づいていることを五臓六腑が知らせていた。

 そんな身体に鞭打って、"電光石火フラクタル・サーキット"で穴を登り、再び屋上の地を踏み締める。

「ほんまにしぶといなあ。あれで死なんとか、お前人間ちゃうんちゃうか?」

「幻覚、だな?」

「あ?」

「幻覚を見せる、それがお前の能力だ」

 それが拓真の結論。

 最も妥当な考えだろうが、結局それは妥当でしかない。

「違うわ、ボケ」

 氷室はいつの間にか、拓真の目の前まで迫っていた。そして槍を拓真の足に刺した。足の骨を削られて、激痛に意識が飛びそうになる。

「ぐ、あ……!」

「あんまり失望させんなや。この痛みが幻覚やと思うんか? 俺の能力がそないにちゃっちいもんなわけないやろ」

槍を抜き、間髪入れずに拓真を蹴り飛ばす。

「ぐっ!」

「しゃあない。せめてこれがどんな能力かだけでも教えたるわ」

 氷室は両腕を翼のように広げて、その名を告げる。

「"大虚構フィクショナル・フィクション"、万物を虚構で塗り変えることができる、神にも等しい能力や」

「虚構に……神?」

「つーか神やねん、俺」

 氷室が口にした言葉を、拓真は理解できなかった。

「虚構とか、神とか、とりあえず全部わかんねえけど……負けるわけにはいかねえんだよっ」

 "電光石火フラクタル・サーキット"で一気に距離を縮め、肩に向かって斬り込む。

 氷室は呆れた顔で哀れむように拓真に言う。

「はあ、いい加減学べや。それじゃあかんねん。……拓真、ここにおる俺は本当に……ッ――!」

「学んでるよ。だからもうその言葉は言わせねえ、お前の"大虚構フィクショナル・フィクション"の起爆剤になるその言葉はなっ!」

 拓真は氷室の口を空いている手で塞いでいた。そう、氷室が"大虚構フィクショナル・フィクション"を使う際に共通して口にしていた言葉があった。だから拓真はそれを封じた。

 それが"大虚構フィクショナル・フィクション"の突破口だと信じて。

 しかし、それも違っていた。氷室は忽然と姿を消して、後ろから現れて、振りかぶった槍を叩きつける。拓真が地面に伏せつけられた。

「はずれや。あんな言葉は何でもない、ただのおまけや」

「ぐ……くっ、そ……」

「終わりやな。結局、お前は俺には届かんかった」

「……」

 拓真は無言で動かなかった。

「残念や」

 何がなのだろう。何が、氷室にとって残念だったのだろう。しかしそれが知らされることはなく、拓真に向かって槍が振り下ろされた。


「――なんや……!?」


 その槍は拓真には当たらなかった。なぜなら、拓真が"村正・金剛"でそれを受け止めていたのだから。そして、限界がきていたはずの拓真の身体から、一層激しい火花が散っていた。

「"電光石火フラクタル・サーキット"応用編その三。生体電気から心臓の鼓動を逆操作して代謝を何万倍にも高めて、高速で身体を回復させる能力だ」

 拓真は口元の血を拭いながら立ち上がった。今までに氷室から受けた傷は、あらかた塞がっていた。治りかけの傷も目に見えて回復していく。

「……やるやないか。まだやれるとは思ってもなかったで」

 二人して武器を互いに相手に向け直す。

 生体電気を使っても、体力は回復しない。魔力を使う分むしろ減っていくくらいだ。

 しかし体力を削られているのは拓真だけではない。氷室にも疲れの色が滲んでいる。おそらく体力的にもここで勝負をつけなければならない。

 つまりここが――最後の勝負!

「いっくぞぉぉぉ!」

 拓真が今度は"電光石火フラクタル・サーキット"を使わずに、走って氷室に斬りかかる。氷室はそれを槍で受け止める。拓真はその槍を蹴り飛ばし、大きく開いたその懐に"村正・金剛"を突き出す。氷室は半身になってかわし、そのままの勢いでバットをそうするように槍を振り抜いた。拓真はそれをしゃがんでやり過ごし、跳ぶように氷室の腹部に向かって"村正・金剛"を突き出した。大振りな動きをした氷室にこれを避ける術はなかったが、攻撃は当たらなかった。

" 大虚構フィクショナル・フィクション"を使い、氷室は拓真の後ろにいた。

「お前が回復しようが関係ない。"大虚構フィクショナル・フィクション"を破れへん限りお前は勝てへんぞっ」

 氷室が槍を逆手にもって拓真に向かって振りかぶる。

「わかってるよっ、だから、俺はここを狙ってたんだっ」

 "大虚構フィクショナル・フィクション"がくることがわかっていた拓真は、それの発動と同時に全身版"電光石火フラクタル・サーキット"を発動させ、常人よりはるかに能力が上がった身体で、氷室が振り終えるより先に"村正・金剛"が氷室を貫いた。

 しかし、それすらも消える。

「それも、"大虚構フィクショナル・フィクション"や」

 二人目の氷室もまた、"大虚構フィクショナル・フィクション"による虚構だった。

 氷室が槍を振るう。

 鮮血が舞った。





 血を流していたのは、氷室。


 拓真は、"村正・金剛"で氷室の心臓を突いていた。

「知ってるよ。その"大虚構フィクショナル・フィクション"が虚構を連続で作れないとは限らないなんてことは、簡単に予想がつく」

 槍が氷室の手から滑り落ちた。身体を痙攣させ、血を噴きながら、薄く笑う。

「まさか……お前の方が上手やったなんてな……」

「これで終わりだ氷室。お前を倒して、俺はこれからもあいつらと生きていく」

 氷室は小さな声で短く何かを呟いたあと、全身の力を抜いて、動かなくなった。

 拓真は氷室の身体をゆっくりと地面に横にした後、自らも力が抜けたように座り込んだ。

「……終わった、のか……? これで……」

 拓真は周りを見渡す。

「え?」

 何も、なかった――

 ルシフも、天理も、景色も、空も、何もかも、照明を切ったかのように真っ暗になって消えていた。


――何をしておる!! 主さまっ!!――


「はっ……?」

 気がつけば、拓真は立ち尽くしていて、氷室の槍が腹を貫いていた。

「ええ夢見たか? "大虚構フィクショナル・フィクション"で作れる虚構は物理的なもんだけやない。抽象的なもん……お前が俺を倒したという事実を虚構にすることもできんねん。……拓真、ほんまに生体電気による回復なんていう能力、お前にあったんか?」

「……な、い?」

「そうや、お前の最後の能力でさえ、大嘘やったんや」

「そんな……」

 腹部に激痛が走る。しかし、絶望感が勝ってそんなことは気にならなかった。

 氷室はいつも通りの無慈悲かつ平坦な声で告げる。

「終わりや拓真。お前に幸せな未来なんぞ、与えへん」

 心臓を抉りとるように、黒曜石の槍が拓真の胸を貫いた。



 

 拓真は、死んだ。




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