第55話 セパレート・セパレート
校舎内では異能持ちの生徒たちが白い人形たちと戦っている。
ある者は異様に伸びた爪で引っ掻き、ある者は凄まじい跳躍力からの蹴りを入れたり、またある者は息を吹き掛けるだけで凍りづけにしたり。
多種多様、千差万別の能力を振り回し、今京光高校にいる全員が白い人形を相手に戦っていた。
それらを脇目に、道を塞ぐ人形を排除しながら拓真たちは屋上へと続く階段をかけ上がっていた。
「それにしても、なんか楽すぎねえか?」
そう、六階建ての校舎に対して今四階を過ぎ去ったというのに、脆弱な白い人形しか相手にしていないのだ。
あまりにも障害がなさすぎて、逆に疑心が煽られてしまう。
こんなに簡単にいくはずがない、どこかに落とし穴があるのではないだろうか。それとも、屋上に行くのは間違いで、天理は別の場所にいるのだろうか。
実際、拓真たちは確固たる根拠があって屋上に向かっているわけではない。おそらく天理はそこにいるだろうという曖昧な予測に基づいて一心不乱ながらも半信半疑でかけ上がっているのだ。
それとも、拓真たちにそんな疑心暗鬼を生じさせるための、天理の性悪なイタズラなのだろうか。
「うむ、しかしそれを今考えても仕方がなかろう。現れたら現れたときじゃ」
「そりゃそうなんだけどさ……」
何か拓真は違和感を拭えないでいた。
ベッタリと絡み付き、まとわりついてくる、ぼんやりとした違和感。
それでも、足は止まらない。止まることなく階段をかけ上がる。
「あ……」
拓真はつい声を漏らしてしまった。
結局、何事もなく屋上へと出られるドアにたどり着いてしまった。ドアには『鍵は開けといたから覚悟決めてから入りなさい by天理』という貼り紙がしてあった。
ルシフはふん、と鼻を鳴らした。
「杞憂だったようじゃな、主さま」
「ああ……なんだったんだろうな、さっきの違和感は」
「覚悟決めてから、のう……主さま、覚悟は?」
「んなもんとうに決めてるよ」
「うむ、では行こうではないか」
「おう、……っ!?」
釈然としないままドアノブに手をかけたとき、拓真の中で何かが引っ掛かった。そしてその引っ掛かりは爆発を引き起こし、ぼんやりとしていた違和感に誘爆した。
拓真は狼狽して後ろを確認する。
ルシフと目があった。拓真がやにわに振り返ったことに驚いたルシフはたじろぐ。
「ど、どうしたのじゃ主さま」
「……ルシフ」
拓真が後ろを確認したとき、ルシフと目があった。
裏返そう。
――ルシフ以外とは、目があわなかった。
「椿とサリエル、どこ行った?」
「なっ……!?」
ルシフは慌てて周りを見渡す。
いない。あの朱と白の巫女服も、色が抜け落ちたようなのに透き通っていて艶やかな白髪も、ルシフの視界には映らなかった。
「これ、だったのか……」
違和感の正体。
椿とサリエルが消えたことではない。
椿とサリエルが消えたことに一抹の違和感もなかったという自らの状況認識に対する、違和感。
違和感の無い違和感。
倒錯で、パラドックスな違和感。
誰の仕業なのかはわからないが、天理の差し金であることは明白。
完全に、やられていた。
「くっそ……!」
「どうするのじゃ? 引き返して巫女と死神を探すか?」
拓真は逡巡して、頭を横に振った。
「……いや、探さない。あいつらを信じよう。一方通行的な信頼だけど、ここで時間を無駄にしたくない」
時間を無駄にするわけにはいかない、椿とサリエルに何かがあっても天理だけは止めなければならないのだから。
小さな障害にとらわれて本来の目的を見失うことは愚かだ。
仕方がないのだ。
合理的に、客観的に考えろ。
拓真は拳を爪が痛々しく食い込む程に強く握りしめる。
「主さまや」
「なん、ぶっ!」
そんな拓真を見かねたルシフは拓真の頬をひっぱたいた。小気味いい音が壁に反射して響き渡る。あきたらず、両頬を摘まんでぐにぐにと左右に引っ張り、伸ばす。
「いふぇえよ!」
「しゃんとせぬか。無理に取り繕ったところで本心では心配しておることが一目瞭然じゃぞ。心配することなどなかろう、あやつらは主さまよりもずっと強かじゃ。主さまに助けてもらうまでもなくあやつらから主さまを追いかけてくるに決まっておる。信頼するというなら心の底から信じるのじゃ、あやつらは帰ってくる。ならば主さまがすることはなんじゃ?」
「……」
決まっている。天理を止めて椿とサリエルを笑って迎えることだ。ならば、不安を抱えて戦いに臨むわけにはいかない。
拓真はしばらく無表情でルシフの瞳を覗き込んでいて、ふいに笑った。
「はは、そうだな、そうだよなあ。俺があいつらの心配をする必要なんかないよな。ただ信じてりゃいいだけじゃねえか」
「まったく、ここぞというときにパニックに陥ると脆いところがあるのう。この、阿呆、主さまは」
ルシフは語調に合わせて拓真の頭に数発チョップを入れる。
「悪かったよ、精進する。……じゃあ、いっちょう行こうか」
「うむっ」
拓真は屋上へと出る扉を開け放ち、一歩を踏み出した。
「……ここは、」
階段をかけ上がっていたはずなのに、サリエルはいつの間にか見知らぬ場所に立ち尽くしていた。
白く、何もない空間。無音で、扉などがある様子もない。広さは学校の体育館くらいだろうか、景色が白一色で遠近感がまるで掴めない。光源はどこにも見当たらないが、ちゃんと明かりはある。学校どころか世界中を探してもこんな場所があるとは思えない。
「……精神と○の部屋?」
何故かあの有名な漫画を知っていたサリエルから言わせるならば、それに近しい場所であるらしい。
「……やられた。どうみても、」
「あいつらが作った空間、かな? ちっちゃなお姉ちゃん」
後ろから無邪気な子供の笑い声が聞こえた。この純白の空間ではことさらに目立つ赤い髪。年相応にあどけない顔立ちで、帽子をかぶり、その小さな頭に対してはやや大きめなヘッドホンをしている。
「……赤神」
「ん、最近ぶりだね、ちっちゃなお姉ちゃん」
ピクッ、とサリエルの身体が反応した。
「……」
「どうしたの? ちっちゃなお姉ちゃん」
「……」
「ちっちゃなお姉ちゃん?」
「……」
「お姉ちゃん?」
「……何」
「"ちっちゃな"が気に入らなかっただけかよ! 子供か!」
赤神がわめくが、サリエルは気にしない。
「……何のためにここにつれてきたの?」
「何のために? 決まってんじゃん」
途端、不吉な笑みをあらわにした赤神はヘッドホンを外して投げ捨てた。ヘッドホンが落ちた些細な音でさえ、この空間ではよく鳴り響いた。残響の中、赤神は告げる。
「戦うために。僕の役目はここでちっちゃなお姉ちゃんを止めること。ちっちゃなお姉ちゃんが勝てばここから出られるよ」
「……なるほど、分かりやすくていい」
サリエルは鎌を構え、腰を落とした。無表情なはずのサリエルは、どこか不敵な笑みを浮かべているようにも見えた。
「ここは氷室が造った空間なのか?」
「いいえ、これは天理さんが造ったみたいですよ。氷室さんのはこのようなことができる能力ではありませんから」
「そうか。それで、何のために私をこんなところに連れてきたんだ?」
椿は改めて周りの景色を確認する。
一言でいうなら、神社。
砂利を割るように敷き詰められた石畳の道が、木造の本堂に続いている。周りを囲むように立ち並ぶ樹からは燃え上がるような紅葉が風に乗り散り落ちていた。このような清々しい情景の中、ただおかしいのは、赤い鳥居が規則正しく並んでいないことだろう。普通は石畳の道のアーチになるように等間隔で建てられているはずなのだが、この空間にある鳥居は砂利の地面に建てられていたり、高さがバラバラだったり、傾いていたり。
非常に乱雑な鳥居の建ち並びに、神社に関して並々ならぬ思い入れがある椿は怖気を感じた。
椿はそんな鳥居の一つに背中を預けており、マリアベルは同じ鳥居のもう片方の柱に背中を預けている。
「そんなことは、おおよそわかっているのでしょう?」
「まあ、な」
二人同時に柱から離れ、相対する。
椿は弓を構え、マリアベルは右手の拳銃――左手には相変わらず聖書を抱えている――を向ける。
「戦いましょう。貴女を止めることが私の役目です」
「そうだな、私もあなたを倒して拓真のもとへ行くことにしよう」
二人は微笑み、同時に駆け出した。
――さあ、始まった。