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主人(マスター)と悪魔(メイド)の主従関係  作者: 睡蓮酒
終章 ~神とか、天使とか~
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第51話 "最悪"("災厄")

拓真は懐かしい空気を吸いながら階段を登っていた。

いつも登っている階段ではない。拓真が一年前までいた中学校の、屋上に至る階段だ。

すでに中学校の生徒たちが授業を受けている時間だったので、見つからないように忍び込んだ。

今も極力音をたてないように、されども速やかに一段一段登ってゆく。

わざわざ授業をサボってまで卒業した中学校に忍び込むという奇異な行動に理由という理由はなかった。

ただ、"い"る気がしたのだ。

"い"るのは誰なのか、それは語る必要もないだろう。

拓真はま新しい扉の前で、逡巡した。


もしかしたら、この扉を開けた先には一年前のあの光景が広がっているのではないか?


あり得ない。拓真は自らの考えを打ち払う。得体の知れない恐怖と悪寒がまとわりついて離れないのを感じながら、拓真は細かく震える手で扉を開けた。

そこには何の変哲もない、いや、扉同様にま新しすぎる白い石タイルが敷き詰められていた。一年前にここで血にまみれた惨事があったことを感じさせる痕など一つだって残っていなかった。

その不自然なほどに綺麗になっている屋上は、あのような事件があったという事実を上から塗りつぶして隠しているかのようで、拓真は淡く不快感を覚える。

「……変わったよな、あの時とは」

「そりゃあそうやろ、むしろ変わらんわけがないねん。万物流転、諸行無常に有為転変ってな」

フェンスに肘をかけて景色を眺めながら、拓真の独り言に応えた誰かが"い"た。

拓真は無言でその隣までゆっくりと歩き、フェンスに背を預けた。

「お前は変わらねえよな、氷室」

作り物じみた笑みを浮かべている鋭い顔立ち。

この世の全てを呑み込む深い闇ような藍色の瞳。

"最悪"の人間、氷室がいた。

青みがかった黒髪が風に揺れる。

「お前は随分と変わったみたいやんけ、拓真。特にここら数日でかなり変わったように思えるなあ。ましなつらになっとる」

「ほんと、今年の流行語大賞は"俺のつらがましになった"になりそうな勢いだな」

拓真は苦笑する。

「で、なんでこんなとこに来てんだよ。転校して早々にサボりか?」

「それはお前が言えたことやないけどな」

「いんだよ俺は、普段からサボり気味だから」

「じゃあ俺もええやろ」

「……一年経ったんだな、お前が天理を殺してから」

「ああ、そんでもってお前が俺を殺しかけたんも一年前の話やな」

氷室がほほえましい思い出でも語るように発した言葉が拓真にまたフラッシュバックを引き起こさせた。




血塗れで倒れる天理と傍らで嘲う氷室。

その光景を見たとき、自分には何が起こったのか理解できなくて、理解できないままに気を失い――


気がついたときには氷室まで血塗れで倒れていて、傍らで立ち尽くしていた自分がいた。

なんのことはない、これを自分がやったと、自分を取り巻く状況が教えてくれた。

今は大量にひびや窪みができている床や壁だって、自分が気を失う前はここまでひどくはなかったはずだ。

そこらじゅうに撒き散らされている血だって、ここまで惨々たる量ではなかった。


――そして、天理の死体もここまで壊されていたわけじゃなかったはずだった。


全部、自分がやったことは、明白だった。




拓真が顔をしかめて拳を握り締める。

氷室は景色を眺めたまま拓真を見ない。

「なあ、あの時俺がお前を殺しかけたから、今度はお前が俺を殺しに来たのか?」

「ちゃうな、俺はお前の全てを壊しにきただけで、お前を殺しにきたんやあらへんわ」

何が違うのだろう、拓真はそう思う。

「俺がお前を殺しかけたからってとこは否定してくれないんだな」

「俺がお前を楽にしてやるようなことするわけないやろ」

「ほんと、俺たちよくもまあ一年前まで付き合い続いたもんだな」

「俺とお前は完全に対極やったからこそ、綺麗に噛み合っとったし、綺麗に噛み合わんかったんやろ……俺たちの間に出来た小さな歪みは、たちまちに大きくなる。そんな仕組みになっとってん」

「その安い哲学的考え方も変わらねえな」

「安いとかいうなや、俺は俺なりに適当に考えとんねん」

「適当かよ」

拓真の呆れた声に氷室は苦笑する。

「マリアベルは適当に考えたこれに結構振り回されとるみたいやけどな。あいつもおもろいわ」

「歳上の人で遊んでんじゃねえよ」

「適当なんやからええやんけ」

氷室はそれこそ適当に茶化した。


一年前まではいつもやっていたような会話だった。

拓真がそれを楽しんでいたのも事実で、疎んでいたのも事実で、望んでいたのも事実で、終わらせたかったのも事実で。

それでも、自分が何の感情を抱いているのかはわからなかった。

いや、もしかしたら何の感情も抱いていないのかもしれない。だから、拓真は自分が一番出したかった感情を出すことにした。

「……なあ、氷室」

「なんや」

振り向いた氷室が見たのは、紅く染まりつつある瞳で睨み付けてくる拓真だった。

「――動くな――」

「嫌や」

魔眼。視たものを拘束する紅い瞳だ。拓真は以前にこれを使ってサリエルの動きを封じたことがあった。

しかし氷室はそれを事も無げに「嫌」の一言で振り切った。

しかし拓真は止まらない。氷室の胸ぐらを掴み、フェンスに叩きつける。叩きつけた際に大きな音が響いたが、気にせずに氷室に肉薄する。

拓真が顕した感情は、憤怒だった。

「いいか、俺の大切な物に手を出すんじゃねえ。あの時はお前のことを殺さなくて安堵した自分がいた。けどな、今の俺はお前を殺してでも護りたい物がたくさんできちまった。お前がそれに危害を加えるってなら俺はお前を殺せるぞ。それも今なら自分の意思でな」

「はっ……自分の意思で、なあ……」

氷室が鼻で嗤い、小さく呟いた。

そんな氷室の挙動を苛立たしげに見ていた拓真の視界が、急速に反転した。

自分の身に起こったことに意識が追い付いたときには、胸ぐらを掴み返され、フェンスに叩きつけられていた。

氷室が拓真を憤怒に歪んだ顔で見下ろした。

「ふざけんなや、俺は他の誰よりもお前に危害を加えるためにおんねん。自分の意思? 前に俺を殺しかけた時のことを未だによく判っとらんくせに言うやんけ。あの時のことを理解しとらん状況で俺に敵うと思うなやボケ」

「っ!……」

拓真は言葉に詰まった。

確かに、拓真はまだあの時のことをよく判っていない。何故突然に意識が途切れたのか、どうして氷室を殺しかけていたのか。いったい自分はなんなのか。このことは何回訊いても天宮は答えてくれなかった。

それでも、拓真は毅然とした表情で氷室を睨み返す。

そして二人同時に唇を吊り上げて、


『殺してやるよ』


それが二人が最後に交わした言葉だった。

二人は暫し睨み合った後、両者同時に殺気を緩めた。

氷室が先に扉へと歩いていった。

すると、一迅の風が吹いて、

「お話しは終わったの?」

まるでもとからそこにいたかのように天理が現れた。拓真はもう驚かなかった。

「なんや、聴いてたんかい」

「ええ、面白そうだったから。それで、もういいの?」

「ああ、もう十分や。あいつと話すことはなくなったわ」

「そ、じゃあもういいわよね」




鮮血が舞った。

天理の腕が、氷室の腹部を貫いていた。

天理の指が、氷室の内臓を蹂躙した。自らが一年前にされたように、クチャクチャと、グチャグチャと。

氷室の身体が一度大きく痙攣して、人形のように力が抜けた。

死んだ。拓真はそう直感した。


あっけなく、氷室は死んだ。


返り血を浴びた天理は恍惚の表情を浮かべて頬の血を舐め取った。

クスクスと、猟奇的に、狂気的に嗤う。

「な、に、してんだよ……天理……?」





――さあ、ようやく物語の始まりだ。


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