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主人(マスター)と悪魔(メイド)の主従関係  作者: 睡蓮酒
終章 ~神とか、天使とか~
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第50話 タイキョクな二人

 永遠に続くのかとも思えるほどに果てしない暗闇が白みを帯びてきていた。

 深いまどろみの中から、ゆっくりと椿の意識が覚醒してゆく。 

 そしておもむろに椿は重いまぶたを開けた。上半身を起こして背伸びをすると、口元を押さえて大きなあくびをした。

 当たり前ではあるがそこは椿の部屋。

 日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。

 椿は髪をかき上げて、周りを見渡した。

「んん……じゅう……いちじくらい、かな?」

「おはようございます、あともう十二時過ぎですよ」

「おはよう……そうか、もうそんな時間だったのか……」

「ええ、意外とお寝坊さんなんですね」

 椿の隣でくすくすと笑いがこぼれた。

 「私は睡眠時間が長めなんだよ……昨日床に就いたのだって九時なんだぞ……」

 そこで椿は覚醒しきっていない意識の中、不意に言葉を止めた。


 ――私は今、誰と話している?


 冷水を頭から浴びせられたように意識が一気に覚醒した。

「あら、それは厄介な体質ですね。私はどちらかといえば寝なくても大丈夫なほうなんですよ。流石に一日寝なかったりすると身体が重くなってしまいますが──」

 楽しそうに独り語りをしている人影の輪郭が瞬時に明確になる。

 全身を包む黒い修道服。その身体の線からして、なにより修道服が女性用であることからして女性であることが分かる。その左手で聖書を抱えて、慈愛に満ちた笑みは、修道服からはみ出た金色の髪も相まって聖母を連想させた。椿はそのような人物を一人しか知らない。

 「何の用だ、マリアベル」

 「あら、そんなに警戒しなくてもいいと思いますよ。私は貴女に害意をもってここに来た訳ではありませんので」

 「……」

 「ほら、いつも持っている拳銃も今はありませんし」

 表情を弛めない椿に対してにこやかな笑みを浮かべたマリアベルは何も持っていない右手をひらひらと振って見せた。

 「ならば何をしに来たんだ。言っておくが、君は今不法侵入者だからな」

 「あら、不法侵入者ではありませんよ。貴女のお母様に快く出迎えていただきましたから。なんだか素直でない言葉遣いをするお母様でしたが、私が何かしたせいだったのでしょうか? あと私の目的は参拝です」

 「私のお母さんは正統派ツンデレなんだよ。誰にでも愛想よく接するはいいんだけどな……参拝?」

 椿は目を丸くして聞き返した。

 「ええ、私はこれでも修道女なのでこのあたりの神社で神様にお会いしておこうと思いまして」

 「だったら氷室とでも天理ちゃんとでも行けばいいだろう」

 「氷室さんは多分連れていってくれませんし、天理さんに頼んだら『くすくす、神社ってあんた、その格好で行ったらネタじゃないw』とか言われちゃうじゃないですかっ」

 「あ、ああ、そうかもしれないな……」

 マリアベルの物真似が異様に上手かったことに顔をひきつらせつつ、普段から苦労していることを悟って椿はマリアベルを不憫に感じた。

 「はあ、わかった、神社なら……天狗山神社でいいだろう」

 椿は天狗山兄妹や、九尾のことを思い出しながらそう呟いた。

 「ありがとうございます……その、綾乃桜さん」

 安堵の表情で礼を言ったマリアベルであったが、一転して顔を紅くして、小さな声で椿に語りかけた。マリアベルの顔に浮かんでいたのは――羞恥。

 「な、なんだ?」

 椿はただならぬ雰囲気を感じ取って、たじろいだ。

 「あのですね、貴女が起きてからずっと気になっていたことなのですけど……思った通り、とても大きいですね」

 「大きい?」

 椿はマリアベルの真意をしばらく読み取れないでいたが、マリアベルの視線が自分の顔より下に向かっていることに気がついて、自らも下を見た。


 状況を整理しよう。

 椿は寝起きだ。

 そして結構に寝相が悪い。

 さらに寝間着は自分にぴったりなのより二回りくらい大きな物を着ていて、ボタンは腹のあたりの二つしか留めない。

 それでもって椿は寝るときに下着を着けない主義だ。

 さあ、何が起こる?


 ――ぷるんっという擬音が聞こえた気がした。

 椿の豊かな胸が、外気に晒されて揺れていた。

 「――――――――〜〜っ!?」

 スイッチを入れたように顔を赤くした椿は両手をクロスさせるようにして胸を隠した。それから張り裂けるような悲鳴を上げるまで、そう時間はかからなかった――






 「うう、不覚だ……」

 「そんなに気にすることないですよ。女同士ですし、ノーカウントですよ、ノーカウント」

 しゅんと肩を落としている椿を苦笑いしたマリアベルが慰めていた。

 二人は竹藪に切り拓かれた石段の階段を登っている。

 あの後、椿はやけになって巫女服に身を包んだ。よって修道女と巫女という凄まじい組み合わせの二人組が天狗山神社に向かうことになった。

 「それにしても長い階段ですねぇ……あら、あそこだけ竹藪がありませんけど、何かあったんでしょうか」

 長い長い階段の先を見据えたマリアベルが、竹が無い場所があることに気づいて指差した。

 椿もマリアベルの指差す場所に目を向けた。

 そこは、拓真と九尾が戦った場所だった――実際に竹を切り揃えたのは天狗山兄と戦ったサリエルだが――そこまで昔のことではないあの時の記憶が蘇った。

 「その顔からすると、貴女たちが関わっているんですね」

 「え、あ、顔に出てたか……」

 椿ははっとして顔をぐにぐにと揉んだ。マリアベルはクスリと笑って、前に向き直った。

 「私も。いえ、私たちもいろんな事件に巻き込まれました。その全てが氷室さん中心に展開したんですけどね。きっと貴女たちが関わってきた物語の数と私たちのそれは同じなんでしょうね」

 「同じだと?」

 マリアベルがあまりにもはっきりと断定をしたので、椿は不自然に感じて聞き返した。マリアベルは表情を変えることもなく首肯して。

 「ええ。なぜなら氷室さんと天村さんは対極だからです」

 「対極……」

 対極、という言葉に何故か椿も納得してしまった。

 対極だったからこそ噛み合っていた。

 対極だったからこそ噛み合わなかった。

 拓真と氷室。

 「氷室さんの目的はそこに集約されているといっても過言ではないでしょうね。おそらくですが、この世界には中心人物、主人公とも言える人間が存在しています。そしてその主人公とは、氷室さんか天村さんのどちらかなんだと氷室さんは考えているらしいんです。片や世界の主人公、片や主人公と対極である何か。どちらがどちらに当てはまるのかを知ることが、氷室さんには必要なんだそうです」

 「拓真か氷室が世界の中心、か……あながち、間違ってもいなさそうな仮説だな」

 椿もマリアベルに言われて思い当たることは数多だった。

 氷室のことについては知らないが、拓真については分かる。

 只の人間が、特別な能力を持って、悪魔と死神を呼び出し、周りを普通ではない者たちに囲まれ、いつも事件の中心で、あれだけ無茶なことをして死なないなんてあり得るのだろうか? よもや世界が拓真を中心に廻っているのではないか。いや、むしろ拓真のために世界ができたのではないか。そんな途方もない考えが、椿の頭を巡った。

 「ええ、私も氷室さんと長い間一緒にいてそう思えてきました。初めて氷室さんにこの話を聞かされた時には何を馬鹿な、と思ったんですけどね」

 マリアベルは自嘲気味に笑った。

 「本当に、息をつく暇もないくらいに次々事件に巻き込まれましたね。ここに来るときも飛行機を使ったんですが、どうやらそこにはお忍びでどこかの国の皇族の姫様が乗り合わせていたみたいでして、飛行機がジャックされてしまったんですよ。ジャックされたことに気づいたお姫様が隠れようと焦っていたところにぶつかったのが氷室さんでして、それからは……分かりますよね?」

 「ああ、氷室がなんとかしたんだろう」

 「ええ、言わずもがなですが主導者が異能だったので、氷室さんが能力を使って圧勝しました」

 「天理ちゃんを殺した、能力でか?」

 「……それは知りません。私が氷室さんと出会った時には既に天理さんは氷室さんの隣にいましたから。失礼かもしれませんが、天理さんは本当に死んだのですか?」

 「死んだよ。天理ちゃん自身がそう言っていた。今の天理ちゃんは天使なんだろう?」

 「天使? そうなんですか?」

 マリアベルがきょとんとした表情で聞き返してきたので、知っているものとばかり思っていた椿はがくっと肩を落とした。

 「知らなかったのか?」

 「ええ、訊いたこともありませんしね……そうですか、天使だったんですね、天理さんは……」

 うわごとのように小さな声でマリアベルは天理の正体を反芻していた。

 それからは二人とも何も喋らなかった。ひたすら階段を登ってゆく。

 話をしている間にかなり登っていたので、さして時間もかからずに、二人は鳥居をくぐることになった。登りきった時、心地よい風が吹いた。笹の葉たちが揺れて柔らかな音を奏でる。

 「風情あるいいところですね、心が落ち着きます……あら、貴女と同じ格好をした方がいますね」

 神社を見渡していたマリアベルが箒で石畳を掃いている巫女を見つけた。

 「ああ、芙蓉先輩だろう。この天狗山神社の神主で、天狗だ」

 「私なんかでは遠く及ばないほど綺麗な金髪ですね、羨ましいです」

 「芙蓉先輩が、金髪?」

 芙蓉が髪を染めたという話は聞かないし、染めるとも思えなかった。

 近づいてみると、椿の知っている芙蓉より随分身長が高く、髪は日の光を反射して煌びやかに輝く金髪だった。そこまでして、椿はようやく巫女の正体に気づいた。

 「九尾かっ!?」

 「ああ? 誰だぁ? うるせえから黙れ……っててめえかよ、巫女」

 「今は君も巫女だがな」

 椿に今の自分の姿を指摘され、九尾は身をよじるようにして巫女服を隠そうとする。

 「見んじゃねえ! 好きで着てるわけねーだろ、こんな服!」

 「あの、どちらさまで? どこかで見たことのあるような気がするのですが……」

 マリアベルはどこかで見たような――実際に見ているのだが――九尾の顔をじっと見て困り顔をしている。

 「十組の担任、九尾先生だ。いまや見るも無惨な姿になっているが、これでも日本最強の妖怪なんだぞ」

 「見るも無惨とか言うんじゃねえっ!」

 「ああ、そうです、九尾先生、九尾先生じゃないですか。言葉遣いがやけに荒れてましたのですぐに気がつきませんでした」

 「普段は猫かぶってるからな、この先生は……で、なんで九尾が巫女服を着ているんだ? 自虐ネタか?」

 「ちげえよ、これは、その……」

 九尾が何故か言い澱んでいると、その後ろから何者かが飛びついてきた。

 予期せぬ不意打ちに九尾は倒れそうになったがなんとか持ちこたえた。ロケットもかくやという速度で九尾にダイブしてきたのは天狗山神社の神主、天狗山芙蓉だった。

 「初音初音初音っ、ちゃんと掃除してるっ? 前から着せようとしてたけどやっぱり巫女服が似合うねっ、多分初音ならなに着ても似合うんだろうけどっ。本当はずっと見ていたいんだけど私これから神社の手続きしなきゃいけないから出かけるんだっ、ホントごめんねっ、すぐ終わらせてくるから待っててね……ってああ! 綾乃桜さんじゃないですかっ、お久しぶりですっ、ちょっと私用事があってこれから外出しなきゃいけないんですよ、おもてなしできなくてすみませんっ、何か用があれば初音に言えばたいていのことは大丈夫ですから、初音に言って下さいっ。それじゃ私はこれでっ……あ、そうそう、初音! 今日は一緒にお風呂はいる約束したんだから勝手に帰っちゃ駄目だからねっ! じゃ、行ってくるねー!」

 九尾に飛びついてきた小柄な少女、天狗山芙蓉は一人でひたすらしゃべり続けたかと思うと、嵐のごとく走り去って階段をかけ降りていった。

 『……』

 全員が沈黙した。

 「なんというか、元気になったな、芙蓉ちゃん……」

 「嵐のような女の子でしたね」

 「……はぁ」

 九尾がため息とともに肩を落とした。

 「……で、何しに来たんだよてめえらは」

 「参拝です」

 「そうか、だったらそのまままっすぐ進みやがれ、そうすりゃ賽銭箱あるから」

 「わかりました、ありがとうございます」

 力なく九尾が本堂の方向を指差すと、余計な慰めをしない方がいいと判断したマリアベルは礼だけを言って本堂に歩いていった。

 「すまないな……まあ、その、あれだ、一緒にお風呂なんか入って、十八歳未満お断りな百合展開にならないようにするんだぞ?」

 椿は九尾の肩に手を置いて、本気で心配した目をしていた。語気もなんだか恐る恐るだ。

 「うるせえその目を止めろてめえもさっさといきやがれっ!」

 九尾が箒を振り回し始めたので、椿はこれ以上逆鱗に触れまいとしてマリアベルの後を追った。

 マリアベルは賽銭箱の前で立ち尽くしていた。椿が追いついたのに気がつくと、顔だけ振り向いて、賽銭箱を指差した。

 「綾乃桜さん、この箱はなんですか?」

 「ああ、そこに小銭を投げ入れて、神様に願いをかなえてもらうためにお祈りするんだ」

 「私は別に願いをかなえたいのではないのですが」

 「参拝でもやることは変わらないよ」

 「そうですか、では……」

 釈然としない顔をして、マリアベルは偶然取り出した十円玉を賽銭箱に放った。

 そしてゆったりとした動きで片膝をつき、両手を組んで胸の前に掲げ、目を閉じて静止した。祈り方が明らかに違っていたが、今のマリアベルはまさに聖母のような神々しさを放っていて、椿は口出しすることができなかった。

 マリアベルの周りだけ時間が止まっているかのような光景を椿が見つめていると、マリアベルは立ち上がって、椿の方に振り向いた。

 「終わりました。綾乃桜さん、今日はありがとうございました」

 マリアベルは深く頭を下げる。

 「いや、かまわないよ。私も興味深い話を聞けたことだしな」

 「……最後に一つだけ、言わせていただきます」

 「なんだ?」

 マリアベルは憂いを帯びた表情で、告げた。

 「もし、天村さんが氷室さんと本当に対極だったなら……天村さんはとんでもない力を秘めている可能性があります」

 「とんでもない、力? それは一体どういう――」

 椿は不穏な気配を感じ取り、マリアベルに問い詰めようとしたが、マリアベルは忽然と姿を消していた。

 周りを見渡すが、姿はない。気配を読み取ろうとするが、何も感じられない。どうやら本当にここから消えたようだった。

 椿は諦めてため息をついた。

 「……確かに、拓真の力は不明瞭な点があるが――まさかな」

 椿の不吉な胸騒ぎは、一日中消えることはなかった。

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