第42話 暫定的休息と断片的予兆 Case by 椿
同日、日曜日。
「……………………んぁ……」
綾乃桜椿は睡眠時間が平均に比べてかなり長い。
1日10時間は寝なければ調子が悪くなってしまうほどだ。
これが血のせいか、体質のせいかはわからないが、とにかく椿は睡眠不足を嫌う。
「んぅ…………9時、か……」
そんな彼女が目を覚ましたのはすでに外が明るくなっていた午前9時。
前日の午後8時に寝始めたので、普通に眠れた方であった。
椿ははだけていた服を整えて、立ち上がり、背伸びをしてから、
「なんとも微妙だな……拓真は昼まで寝ているだろうし、今から二度寝も良くないな。んー、寝込みでも襲いに行こうかな?……いや、誰かと思考がかぶっている気がするからやめておこう」
ふとあのロリ系死神が頭をよぎったのは、きっと偶然だ。
「まずますやることが無くなってきたな…………………あそこに行こうか」
最寄り駅から約10分。
市内で唯一の弓道場がある競技場に椿は来た。
射撃場と隣接している最端で弓道着に着替えた椿は弓を構えている。
もちろん綾乃桜家には弓道場があるのだが、椿は小学生の時、力加減を誤って隣の家ごと弓道場を吹き飛ばしてしまったのだ。
幸い怪我人は出なかったし、今の椿なら力加減を誤ることはないだろうが、椿はその時以来自宅での弓の練習を自粛することにしていた。
「…………ふっ」
矢は風を切ってぶれることなく飛んでゆく。
ど真ん中。
椿がわざわざ射撃場に隣接している最端の場所を選んだのは悪目立ちしたくなかったからだ。
椿の弓矢の技術は次元が高すぎるので、適当な場所でやっているとすぐに人だかりができてしまう(経験あり)。
しかし今椿がいる場所なら隣に射撃場があるゆえに皆敬遠するので、独りで集中できる。椿はいつも通り黙々と弓を構え、引き、解き放つ。
全く無駄のない流麗な動き、凛とした姿勢。正に完璧だった。
ふと、周りが騒がしいことに椿は気が付く。
見ると、向こうから人がゆったりと歩いて来ていた。
「……何だあれは」
歩いて来たのはこの場にそぐわない黒い修道服を着た大人の女性。柔らかい表情、佇まいが正に聖母を連想させる。修道服から少しはみ出している綺麗な金髪、当然とばかりに抱えている聖書。
そして、右手には、拳銃。
明らかに異様な修道女は椿に見られていることに気がついたのか、椿のいる場所の前で立ち止まって、椿を見た。
すると修道女は驚いたように少し目を見開いて、さらに椿を凝視し始めた。
まるで、昔に何処かで会った気がするが面影が少ししか残っていないため判断に困っているように。
修道女はしばらくして、口に手を当てて息を飲んだ。
そして、笑った。
修道女は笑いながら弓道場に隣接している射撃場に入った。
そしてそのまま、拳銃の引き金を引いた。
ど真ん中。
異様な修道女に注目していた人々が感嘆の声を漏らす。
それから何故か修道女は椿を見て、にこりと微笑んだ。
修道女は二発目を撃とうとせず、椿を見ている。
「……」
椿はよく分からないまま弓を構えて、引き放った。
これもまたど真ん中。
周りからの感嘆の声がまた聞こえた。
椿が見ると修道女は未だ椿を見て微笑んでいて、突然に、そのまま、的を見ずに引き金を引いた。
ど真ん中。
勝負を吹っ掛けられている。
そう感じた。
だから椿は―――――
「……はぁ」
溜め息を吐きながら、的を見ずに矢を放った。
ど真ん中。
――――勝負に乗ることにした。
椿が勝負に乗ったことを悟った修道女は、引き金を二度引いた。
ど真ん中、ど真ん中。
椿はそれに応じて、二本同時につがえて、放つ。
ど真ん中、ど真ん中。
今度は椿が先に放つ。
ど真ん中。
応じて修道女が撃つ。
ど真ん中。
そんな応酬が30分程度続いた。
ギャラリーも散る様子がなく手に汗握って観戦している。
もう何本目か定かではなくなってきた頃、
「あ……」
弓をつがえようと後ろに回した手は空を切る。
「あら……」
修道女が引き金を引いたが拳銃からはカチッという手応えのない音がした。
両者共に弾切れ。
決着はそんな呆気ないものだった。
「……仕方ありませんね」
修道女は少し残念そうに笑って、そう言った。
拳銃は既に下ろしている。
「そうですね」
椿も弓を構えるのを止めた。
ギャラリーから拍手が湧く。
椿は荷物をまとめて、修道女とはそれ以上話さないままに弓道場を出た。
何故だか、必要がない気がしたのだ。
だから椿はそのまま歩みを止めず、振り向かず、その場を後にした。
「面白い方でしたねぇ……偶然会ったとはいえ、あれが綾乃桜椿さんですか」
修道女は拳銃の弾を詰め替えながら、そう呟いた。
「どうやった?綾乃桜の実力は」
何処からか、不意に、人影。
「あら、いたんですか。氷室さん」
「いや、今来たところや。ここに入ろうとした時、綾乃桜を見たからな、見た目と違って勝負好きなお前ならやっとるやろうと思うただけや」
「そうですか。ふふ、素晴らしい方でしたよ。あれが天村拓真の側近の一人。天村拓真、流石氷室さんと対極なだけはありますね」
「俺が拓真の対極なんか、拓真が俺の対極なんかはまだ定かやないけどな」
「それを知るために、行くんでしょう?」
「せやな。ほな行くで―――――――マリアベル」
これが、集束してゆく物語の断片的予兆の二つ目。
"最悪"との物語のための、下準備の二つ目。
あと少しで、集束した物語たちは、加速する――――――――