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最終話 アキちゃんとみんな

* * *


ある日曜日の朝・・・アキちゃんは、家の前の道路で遠くを見ていました。



「アキ~、そんなところで待ってても、まだ来ないわよ!」

ママは、和室の窓から顔を出して、門のところで座り込んでいるアキちゃんに向かって言いました。


「ねえ、ママ~。いま何時ぃ?」

アキちゃんが、後ろを振り返ってママに聞くと


「まだ、9時半よ・・・アキ、まだだから、おうちの中に入ってなさい。」

と、ママに言われてしまいました。


「な~んだ。まださっきから10分しか経ってないのかぁ」

アキちゃんは、ブツブツ言いながらゆっくりと立ち上がりました。






「じゃあ、ゆっくり先に向かってますね。」

トラックの運転席の窓を開けたヒロシがシゲさんに声をかけました。


「おお、頼む。俺もすぐ行くから・・・」

シゲさんが、そう答えるとヒロシの運転するトラックが白い煙をあげながら静かに動き出しました。


「シゲちゃん。たまには、遊びに来てね・・・」

だんだんと小さくなっていくトラックを見ながら、おばちゃんがシゲさんに言いました。


「はい。そんなに遠くへ行くわけじゃないですから、顔出しますよ。それより、こいつらのことお願いします。」

シゲさんは、大きなカゴに入れられたあずきと黒猫に目をやりました。


「はいはい。この子たちには少し可哀想な気もするけど、いつでも会えるんだしね・・・心配しないでね。ちゃんと面倒見させてもらうわよ。」

おばちゃんは、そう言うとカゴの中で目をまん丸くしながら見上げているあずきと黒猫のことをチラッと見ました。

「じゃあ、俺はこのまま行きますね・・・こいつらに気付かれないうちに・・・」

シゲさんは、なるべくあずきたちのことを見ないようにしていました。


「あらあら・・・でも、もうこの子たちきっと感付いてるわよ。」

おばちゃんが、しゃがみこんでカゴの中を覗きこむと、あずきと黒猫はずっとシゲさんのことを見つめていました。


「いや。前にも、俺が泊まりの出張のときとか、何度かおばちゃんちに泊まったりしてるから・・・たぶん今度もそうだと思ってますよ・・・きっと」

シゲさんは、自分に言い聞かせるように言いました。


「そうかしらね・・・なんだか、ちゃんとお別れもしてもらえないなんて不敏だわ・・・」

おばちゃんが、悲しそうな声を出しましたが、シゲさんは聞こえないフリをして、最後に残った大きなバッグを車のトランクに押し込みました。


そして、運転席のドアを開け中に乗り込むと、助手席側の窓を下げておばちゃんに向かって声をかけました。


「じゃあ、おばちゃん。本当にいろいろお世話になりました。落ち着いたら顔出しますね。猫たちのこと、お願いします・・・ありがとうございました。」

シゲさんは、それだけ言うと車のエンジンをかけました。そして、首を伸ばせば見える場所にある、あずきと黒猫が閉じ込められたカゴには目をくれずに車を発進させました。


シゲさんが、静かに加速していく車の中で、ルームミラーにチラチラと目をやると、さっきおばちゃんと別れた場所には、まだ手を振っているおばちゃんの姿が映っていました。

だんだん小さくなっていくルームミラーの中のおばちゃんの足元には、あずきと黒猫が入っている白いカゴが置かれていました。





「シロ・・・クロ・・・すまん。きっと、いつか迎えにくるからな・・・」

シゲさんは、そう心の中でつぶやいていました。






「やれやれ・・・行っちゃったわね・・・おまえたち、今日からはうちの子になるんだよ・・・よろしくね。しばらくは寂しいだろうけど我慢してちょうだいね・・・」

おばちゃんが、そう言いながらしゃがみこんでカゴの中のあずきたちを覗き込もうとしゃがみこむとカゴの中のあずきは、不思議なほどおとなしく、じっとおばちゃんの顔を見つめていました。


「おや、ずいぶんとおとなしいね。じゃあ、おうちの中に入ろうかね・・・」

と、おばちゃんは、あずきたちのカゴの上に付いている取っ手に手をかけました。

「どっこいしょ」

おばちゃんは、勢いをつけてカゴを持ち上げようとしました。しかし、あずきたちが押し込められたそのカゴは、思ったよりも重たくて、おばちゃん一人の力では持ち上げることが出来ませんでした。


「あら、あんたたち、けっこう重たいのね・・・こりゃ、いっぺんには無理だわね・・・」

そう言うと、おばちゃんは、カゴを持ち上げるのを諦めて


「じゃあ、一人ずつね・・・」

と言いながら、カゴの扉に付いているカギをパチンと外しました。



そして

「はい。じゃあ、シロちゃんから抱っこね・・・」

と、おばちゃんは、扉を開けてカゴの中に手を入れました。




そのとき






カゴの中に入ってきた、おばちゃんの手の脇をするりとすり抜けて、あずきが外へ飛び出しました。


「やだ!」

カゴの外へ飛び出したあずきは、小さく叫ぶとそのまま、振り返りもせずにシゲさんの車が走り去った方向へ勢いよく走り出しました。


「あ! だめ!」

おばちゃんは、突然飛び出したあずきにビックリして後ろに少しよろけました。

すると、次の瞬間


「・・・ったく!」

と、叫ぶと同時に黒猫もカゴから飛び出して、あずきのあとを追いかけました。




* * *


どれくらいの時間走ったのか・・・あずきには分かりませんでしたが、あずきの目には、もうシゲさんの車の姿は映っていませんでした。

それでも、あずきはシゲさんの乗った車が走り去った方へ向かって走り続けました。

そんな、あずきのあとを追って黒猫も走りつづけていました。


「ちっ!もう見えなくなっちまったじゃないか!」

黒猫は心の中で叫びました。


あずきは、こんなに長い時間走り続けるのは生まれて初めてでした。数ヶ月前、初めての外の世界で野良犬に追いかけられて命からがら逃げたあの時の何倍もの距離を走っていました。


黒猫も同じでした。


「あいつ、どこまで行く気なんだよ!」

黒猫が言う『あいつ』とは、シゲさんとあずきの両方のことでした。


シゲさんが、ここ数日なにか様子がおかしいことは、黒猫もあずきも気付いていました。

急に、散らかっていた部屋の中が整理され、毎日あずきと遊んでいた山積みの洋服の山もすっかり片付けられました。


そして今朝、シゲさんは、いつもより長い時間あずきと黒猫のことを抱きしめました。

黒猫とあずきは、おかしいな・・・と思いながら、それでもそんなシゲさんの行動が嬉しくていつもよりたくさん、シゲさんの顔を舐めました。


「ごめん・・・元気でな・・・」

何やらつぶやいたシゲさんでしたが、言葉の意味はあずきと黒猫には分かりませんでした。


そして、黒猫はあずきと共に白い大きなカゴの中に入れられました。

部屋の外に出ると、今まで部屋の中にあったテーブルやソファーが積まれたトラックが停まっているのが見えました。


おばちゃんもいました。

シゲさんは、カゴの中の自分たちのことを見ながら、おばちゃんと話していました。


そして、シゲさんが車に乗り込んだかと思うと、自分たちを置いて走り去りました。


黒猫は、その時はじめて分かりました。




「シゲさんと、もう会えなくなる・・・」




黒猫は、一緒にカゴの中に閉じ込められたあずきの顔をチラッと見ました。

あずきは、何も言わずカゴの中からおばちゃんの顔を見上げていました。


そして、おばちゃんがカゴの扉を開けたとたんあずきは飛び出していきました。


「やだ!」


反射的に黒猫もあずきのあとを追いかけました。


あずきのことを追いかけながら、黒猫は思いました。

あいつ・・・俺なんかよりずっと前から気付いていたんだ。





黒猫は、あずきのことを追いかけながら、あずきと初めて出会った時のことを思い出していました。


数ヶ月前、黒猫がいつものようにブロック塀の上をゆうゆうと歩いていると、道路の真ん中にうずくまっている雪のように白い毛の小さな子猫を見つけました。


あずきでした。


あれから、色々なことがありました。


あずきと出会い、そしてシゲさんと出会いました。





黒猫は、まだ小さい頃、ある一件の家で飼われていました。

黒猫が住んでいたその家には、小さな男の子がいました。


黒猫は、男の子と毎日毎日一緒にあそびました。


黒猫は、やさしいその男の子のことが大好きでした。


ある日いつものように家族みんなで車で出かけたとき、見知らぬ場所で黒猫は突然車の外へ放されました。


黒猫は、自分のあとにみんなが車から降りてくるのだと思っていました。


しかし、そのままドアは閉められ、車は走り去って行きました。


黒猫は、みんながすぐに戻ってくるのだろう・・・と思っていました。

だから、その時わからなくならないように、その場所でずっと待ち続けました。


そしてだんだん空が暗くなり、黒猫は、一晩中その場所で待ちました。

朝になっても、誰も戻ってはきませんでした。



黒猫はその時はじめて気付きました。



「捨てられたんだ・・・」




黒猫は、その日以来、人間が嫌いになりました。

誰のことも信じなくなりました。


何度か、子どもたちに見つかって無理矢理、知らない家に連れて行かれたことがありました。

そのたびに、黒猫はその家から逃げ出しました。


もうずっと一人でいい・・・そう思っていました。


あの時の、あの辛い思いは二度としたくないと思っていました。

誰かに可愛がられて、好きになって、裏切られたときの悲しみを、黒猫は二度と味わいたくないと思っていました。

でも、あずきとシゲさんに出会い、黒猫の考えは変わりました。


もう一度、信じることができる家族が黒猫にはできました。


黒猫は、あずきとシゲさんのことが大好きになりました。

ずっとこのまま一緒にいたいと思っていました。



黒猫は、一人で生きているときは自由で気楽で幸せだと思っていましたが、あずきとシゲさんと一緒にいるときは、その何十倍も幸せでした。


そんな、シゲさんがいま自分とあずきを置いてどこかへ消えようとしていました。



あずきも、自分と同じだというのは黒猫は分かっていました。


あずきは、シゲさんの部屋で一緒に暮らすようになってからも、黒猫やシゲさんに気付かれないように一人でメソメソ泣いていたのを黒猫は知っていました。


本当は、あずきは自分やシゲさんと一緒じゃなくて、アキちゃんのところへ戻りたいと思ってる・・・というのを黒猫は知っていました。


しかし、あずきはそんなことは一言も口にしませんでした。


あずきは、アキちゃんのことは忘れようとしているようだったので、黒猫もそのことには触れないようにしていました。




そんな、あずきが、シゲさんとまでお別れしなくてはいけない・・・なんて耐えられるはずがない。と黒猫は思いました。


もしも、あずきが、シゲさんの車を追いかけられなくなっても、自分が絶対に見つけ出して、また一緒に暮らせるようにしてやる。自分の体がどうなってでも、走りつづけて必ずシゲさんの車を見つけてやる。

と、黒猫は考えていました。



黒猫の前を走っているあずきは、もう体力の限界でした。

それでも、あずきは走るのをやめませんでした。


そして、フラフラになりながら、力なく走りつづけるあずきに黒猫が追いつきました。


「もういい! やめろ! 俺が絶対に見つけてやる!」

黒猫は、あずきにそう声をかけると、そのままあずきのことを追い越して曲がり角を勢いよく曲がりました。


あずきの視界から黒猫の姿が消えました。


その瞬間、あずきはついに走るのをやめました。



走るのをやめたのではなく、走れなくなってしまいました。

そして、あずきは、そのままフラフラと道端の草むらの中に倒れ込んでしまいました。




「どこだ! どこへ行っちまったんだ!」

シゲさんの車を必死に探しながら、黒猫は走り続けました。


そして、黒猫は小さな川沿いの道に飛び出しました。


川沿いの小さな道端には、何本かの木が立っていました。

黒猫は、サッとその木の上によじ登り辺りを見渡しました。



黒猫の目に小さな川の流れが見えました。


その小さな川は、日の光を浴びてキラキラと光っていました。


木の上からシゲさんの車を探している黒猫の目に、その川面の光が飛び込んできました。

黒猫は、眩しくて一瞬何も見えなくなり目を閉じました。


そして、ゆっくりと目を開いた黒猫は、その小さな川の向こう側の道に大きな荷物をいっぱいに積み込んだ一台のトラックが走っているのを見つけました。


「あれは!」

黒猫が、そのトラックの後ろの方に目をやりました。


そして、ついにシゲさんの車を見つけました。


シゲさんの赤い車は、荷物を積み込んだトラックの何台か後ろをゆっくりと走っていました。



シゲさんの車は、黒猫がまっすぐ走っていけば、すぐに追いつけそうな距離でした。

しかし、黒猫とシゲさんの車の間には、小さな川が流れていて、黒猫はすぐに追いつけそうにありませんでした。

黒猫は、今いる木のもっと上のほうへよじ登り、辺りを見渡しました。


すると、小川の少し下流に橋がかかっているのが見えました。

どうやら、シゲさんの車はその橋を渡って向こう側へ渡ったようでした。


「あそこだ!」

黒猫は、そう叫ぶと同時に高い木の上から思いっきりジャンプしました。


黒猫は、地面に着地するとそのまま橋の方へ向かって走り出しました。








草むらの中に倒れこんだあずきは、そのまま気を失ってしまいました。

そして、あずきは夢を見ていました。



「アキちゃん・・・アキちゃん・・・アキおねえちゃん・・・」



必死でシゲさんの車を追いかけ続けたあずきの足は、もう一歩も歩くことができなくなっていました。

足の裏の小さな肉球は、すり切れて血がにじんでいました。




黒猫は、ようやく橋にたどり着きました。そして、そのままの勢いで黒猫は橋の欄干に飛び乗って川を渡りました。


橋を渡りきった黒猫は、また川沿いの道を駆け出しました。

黒猫の体力ももう限界でした。意識が遠のいてまっすぐに走ることも難しくなっていました。それでも、黒猫は走るのをやめようとしませんでした。あずきのために、必死でシゲさんの車を追いかけました。




そのとき黒猫の耳に誰かの声が聞こえてきたような気がしました。


「あら、黒猫さん。お久しぶりね・・・ 何をそんなに一生懸命走っているの?」


黒猫が、走りながらうつろな目で声のする方を見てみると、その声の主は一羽の小鳥でした。


「どうしたの? いったい」

懸命に走っている黒猫の上空をくるくると飛び回りながら小鳥がまた声をかけました。



黒猫は、そんな小鳥の言葉を無視して走り続けました。


小鳥は、しばらく黒猫の上をパタパタと飛び回っていましたが、黒猫が相手にしてくれそうもなかったので、諦めて高い空の上へ飛び立とうとしました。




そのとき




「おい!」



黒猫が、かすれるような声で叫びました。



小鳥は、びっくりして再び急降下して黒猫の真上へ近付きました。


「おい! あいつに伝えてくれ! あの白い子猫だ・・・憶えてるだろ。 この川の向こう側にいるはずだ!」




黒猫は、小鳥にそれだけ伝えると、川沿いの道から小さな路地へ方向を変えました。


そして路地を曲がった黒猫は、ついにシゲさんの車をはっきりと目にしました。


「もう少しだ! もう少しで追いつくぞ!」

黒猫は、もう体の感覚がなくなっていました。

ふしぎと、疲れや苦しさはまったく感じませんでした。

ただ、今は、目の前にあるシゲさんの車に追いつくこと、それだけしか考えられませんでした。


そして、あと少しというところで、すぐ目の前を走っていたシゲさんの車がまた曲がり角を曲がり、黒猫の前から姿を消しました。



「え・・・!?」


目の前から、シゲさんの車の姿が見えなくなったとたん、黒猫は全身に電気が走ったような気がしました。今まで何も感じなかった全身の感覚が突然何十倍もの力になって襲いかかってきたようでした。そして次の瞬間、黒猫は自分の体がアスファルトの上に叩きつけられ、ゴロゴロと転がっていることに気がつきました。




* * *


黒猫の頭に、数ヶ月前の悪夢がよみがえりました。


また、あの野良犬に襲われたに違いない・・・そう思っていました。


しかし、今回はもう抵抗する力は黒猫にはありませんでした。


黒猫は、アスファルトの上に倒れこんだまま、目を開けることもできませんでした。


そして

「やるならやれ!」

黒猫は、覚悟を決めました。


しかし、黒猫の体にはそのまま何もおきませんでした。


ゆっくりと目を開いた黒猫は、やっとの思いで頭を上げて辺りを見回しました。

そこには、野良犬の姿などどこにもありませんでした。


黒猫は、野良犬に襲われて倒れたわけではありませんでした。

黒猫の体は疲れと絶望のせいで、このアスファルトのように硬くなり、ぴくりとも動けなくなっていました。



「よかった・・・」

黒猫は、ほっとして再び頭を下げ静かに目を閉じました。


しばらくの間、目を閉じていた黒猫は、だんだんと意識が遠くなっていきました。




どれくらいの時間、眠っていたのかわかりませんでしたが、黒猫は聞き覚えのある声で目を覚ましました。



その声は、さっきシゲさんの車が姿を消した曲がり角の向こう側から聞こえたような気がしました。



その聞き覚えのある声は、まちがいなくシゲさんの声でした。


「アキ! 大きくなったな~!」


シゲさんは、車から飛び降りて叫ぶと、玄関の前で何時間も待っていたアキちゃんのそばへ駆け寄りました。

そして、シゲさんは、腰を低くして大きく両手を広げて言いました。


「アキ! ただいま!」



「パパ~!」

アキちゃんも、そんなシゲさんの所へ駆け寄りました。

そして、両手を広げたシゲさんの胸の中へ思い切って抱き付きました。


「アキ・・・今までごめんな。もうどこにも行かないからな・・・ずっと一緒に暮らそうな…」

シゲさんは、思いっきりアキちゃんのことを抱き締めました。


「パパ・・・おかえりなさい。」

アキちゃんは、シゲさんの胸の中に顔を埋めながらつぶやきました。



そんな、アキちゃんとシゲさんのことを見守っていたママが、ハンカチで目を押さえながら二人の元へ近付いてきました。


「あなた・・・おかえりなさい・・・」

ママは、それだけ言うと、シゲさんに抱え上げられたアキちゃんを包み込むようにしてシゲさんに抱き付きました。


「カオル・・・今まで苦労かけてごめんな・・・これからは、三人で頑張って幸せになろう・・・」

シゲさんの目にも、うっすらと涙がにじんでいました。






「あの~・・・お取り込み中、申し訳ないんですけど~」


声をかけたのは、トラックの荷台で家族三人のやりとりを、見て見ないフリをしていたヒロシでした。


「あ、ああ・・・ヒロシ、いたのか・・・すまん。もう少しだけ待っててくれ・・・」

と、シゲさんは、アキちゃんのほっぺに自分の頬をすり寄せて、久しぶりのアキちゃんのやわらかいほっぺの感触を懐かしんでいるようでした。



「いや、そうじゃないんですよ!」

ヒロシは、トラックの荷台の上に立ちアキちゃんとママと抱き合っているシゲさんの背中に向かって大きな声をあげました。



「なんだよ・・・いったい・・・」

シゲさんが、面倒臭そうにヒロシの方を振り返りました。


「シゲさん! これから一緒に暮らすのは、どうやら三人だけじゃなさそうですよ・・・ほら!」

ヒロシは、にっこりしながらトラックの荷台から通りの先の方を指差しました。



「は?」

シゲさんは、ヒロシの言っている意味が良く分かりませんでしたが、ヒロシの指差す方を見ようと、アキちゃんを抱きかかえながらトラックの横へ、まるでカニの様に体を移動しました。


そして、シゲさんは、すぐにヒロシの言っている意味がわかりました。




黒猫でした・・・




遠くから、ゆっくりとこっちへ近付いて来るその黒い猫は、間違いなくついさっき、自分が別れを告げたはずのクロでした。



気を失っていた黒猫は、遠くにシゲさんの声を聞いて、最後の力を振り絞って、その声のする方へ重い体を引きずるようにして歩いて来たのでした。


「クロ! お前・・・何やってんだよ!」


シゲさんは、アキちゃんをそっと地面に下ろすと、そのまま黒猫の元へ駆け寄りました。


「ニャ~オ・・」

黒猫は、足を引きずりながら、太い声でシゲさんに向かって鳴き声をあげました。


そして、駆け寄ってきたシゲさんは、黒猫のことを抱き上げました。

「お前、追いかけてきたのか!? シロはどうした? お前だけなのか?」

シゲさんは、黒猫が歩いてきた方向へ一瞬だけ目をやりましたが、そこには何もいませんでした。


「どうやら、お前だけのようだな・・・まったく・・・」


シゲさんに抱きかかえられた黒猫は、あずきのことを教えなくちゃ・・・と思っていましたが、シゲさんに抱きあげられた途端、ゆっくりと意識が遠くなって再び深い眠りについてしまいました。



「ねえ、あなた・・・もしかして、その子・・・あなたが飼ってた猫?」

ママが、シゲさんの後ろから声をかけました。

そのママの、横には目を丸くして黒猫とシゲさんの顔を交互に見ているアキちゃんがいました。


「あ、ああ・・・大家さんに預けてきたはずなんだけど・・・追いかけてきたみたいだ・・・参ったな・・・」

シゲさんは、腕の中でぐったりしてしまった黒猫に目をやりながら苦笑いしました。そして、ママの横でじっと見つめているアキちゃんに目をやると、アキちゃんはしばらくの間、うなだれている黒猫を見たあと、一歩だけシゲさんのそばへ近付いて口を開きました。



「ねえ、パパ・・・その子、パパの猫なの?」


「あ、ああ・・・うん。実は、そうなんだ・・・でも、もう他の人に貰ってもらったんだけどね・・・」

シゲさんは、複雑な表情でアキちゃんの顔色をうかがうように答えました。


すると、アキちゃんは、さらにもう一歩近付いて言いました。

「ねえ、アキに抱っこさせて!」



アキちゃんのその言葉に、シゲさんは驚いてママと目を合わせました。

ママも、ビックリしたような表情でシゲさんの顔を見ていました。



「抱っこさせて! ねえ、いいでしょ?」

アキちゃんは、両手を差し出してもう一度シゲさんに言いました。


「あ、ああ・・・もちろん、いいよ! 」

シゲさんは、そう言うと、眠っている黒猫のことを起こさないようにそっとしゃがみこんで、アキちゃんの小さな両腕の中に黒猫を手渡しました。



「アキ・・・こいつの名前は、クロっていうんだ・・・重いだろ?」

大きな黒猫をやっと抱きかかえたアキちゃんに向かって、シゲさんは言いました。


「うん・・・おっきいね。この子・・・でも可愛い!」

黒猫を抱いたアキちゃんの体は、大きな黒猫の体にすっかり隠れてシゲさんからは、ほとんど見えないほどでした。


そして、しばらく黒猫の寝顔を見ていたアキちゃんは、顔をあげて言いました。



「ねえ、ママ! この子、うちで飼ってもいいでしょ?」



ママは、アキちゃんの質問にすぐに答えることができませんでした。そして、助けを求めるようにシゲさんと目を合わせました。


シゲさんは、何も言わずママの目を見ながら小さくうなずきました。




「アキ・・・アキは、猫・・・飼っても平気なの?」


今度は、ママが、アキちゃんに聞きました。



「うん! だって、この子パパのこと大好きなんだって! お別れさせたら可愛そうだもの・・・」

アキちゃんは、にっこり微笑んで答えました。


「そう・・・そうね! そうしましょ! みんなで可愛がってあげようね・・・」

ママも、にっこりしながらアキちゃんに答えました。そして、シゲさんの顔を見ると、シゲさんもニッコリと微笑んでいました。


そして

「さ~って! じゃあ、頑張って荷物下ろすか~! ヒロシ、頼む!」

シゲさんは、腕まくりをして大きな声で言いました。


「・・・はい! シゲさん、良かったですね! 本当に良かったっす! ・・・おれ・・・」

そう答えたヒロシは、荷台の上で涙ぐんで頭に巻いていたタオルで鼻をかみました。


「ばかやろう! なんでお前が泣いてんだよ!」

荷台の上に飛び乗ってきたシゲさんは、照れくさそうにヒロシの頭を小突きました。





「さ、アキ! じゃあ、この子のこと、おうちの中へ入れてあげようか・・・ゆっくり休ませてあげなくちゃ・・・」

涙を拭いたハンカチをポケットに押し込んだママが、アキちゃんに言いました。



「うん!」

アキちゃんは、ニコニコしながら元気よく答えました。


そして、大きな黒猫を重たそうに抱きかかえながら玄関に向かって歩き出しました。




「さ、入って・・・」

ママが、両手をふさがれたアキちゃんが入れるように、玄関のドアを開けました。



「は~い・・・」

大きな黒猫を抱いたアキちゃんが、黒猫を起こさないように慎重に家の中に入ろうとしたその時でした。






「どうしたの? アキ・・・」

ママが、アキちゃんに聞きました。



アキちゃんは、玄関をくぐろうとしたその時、黒猫を抱いたまま、その場に立ちすくんでいました。



「アキ? どうしたの?」

ママが、心配そうな顔でもう一度アキちゃんに声をかけました。



すると、アキちゃんは、真剣な表情でママのことを見上げて言いました。

「ママ! この子、もってて・・・」

アキちゃんは、そう言うと抱いていた黒猫をママの胸元に押しあてて無理矢理手渡しました。


「ど、どうしたの? 急に・・・」

いきなり黒猫を手渡されたママは、驚いて目を丸くしました。

その拍子に黒猫は、ゆっくりと目を開きました。



アキちゃんは、ママに黒猫を預けると、再び道路へ飛び出しました。


そして、ついさっき黒猫が歩いてきた方を見つめながら小さな声でつぶやきました。





「あずき・・・」



* * *


「アキ・・・どうした?」

トラックから荷物を下ろしていたシゲさんが、道路に戻ってきて遠くを見つめているアキちゃんの顔を覗き込むように言いました。





しかし、アキちゃんには、シゲさんの言葉は聞こえていないようでした。




そして、じっと遠くを見つめながら


「あずき・・・」


と、また一言つぶやきました。



「あずき?」

シゲさんは、アキちゃんがつぶやいたその名前に驚いて、アキちゃんがじっと見つめている通りの奥に目をやりました。




シゲさんは、アキちゃんの後ろに立ってアキちゃんの両肩に手を置いて、一緒に通りの奥を見つめましたが、そこには何もありませんでした。



しかし、アキちゃんは、何も言わずにじっと一点を見つめて立ちつくしていました。



「アキ? どうした?」

シゲさんが、心配になって恐る恐るアキちゃんの顔を覗き込んで聞きました。


「どうしたの?」

ママも、黒猫のことを抱きかかえながらシゲさんの隣にやって来ました。

「・・・さあ? あずき・・・って言ってるんだけど・・・」

シゲさんは、小声でママに言いました。




「え? あずき?」

ママの表情が、一瞬こわばりました。



アキちゃんは、相変わらず通りの奥を見つめていました。





そのまましばらくの間、アキちゃんとシゲさん、そして黒猫を抱いたママの三人は何も言わずじっと通りの奥を見つめていました。


トラックで荷台で荷物を下ろしていたヒロシも、そんなアキちゃん達の様子を不思議そうに眺めていました。







そのとき






みんなが見つめていた通りの奥の、曲がり角から一羽の小鳥がパタパタと姿を現しました。


曲がり角から姿を現したその小鳥は、道路すれすれの高さからすぅ~っと、はるか彼方の上空へ飛び立っていきました。



アキちゃんたちは、空高く飛び立ったその小鳥のことを目で追いました。

そして、再び小鳥が現れたその通りの奥の方へ目を戻した時でした。





ブロック塀の角から、一匹の猫がふらっと姿を現しました。




それは、細くて小さな体が雪のように真っ白な小さな小さな猫でした・・・




その小さな白い猫は、アキちゃんたちのいる方へ、ゆっくりと近付いてきました。





「あずき・・・」

アキちゃんは、小さな声でつぶやきました。そして、そのあとすぐに


「あずき!!」

と叫ぶと同時に駆け出しました。




自分の方へ走り寄って来るアキちゃんの元へ、今すぐ走っていきたいあずきでしたが、あずきの体は、歩くだけで精一杯でした。いえ、立っているだけでも精一杯でした。それでも、あずきは、一秒でも早くアキちゃんの元へたどり着けるように一生懸命、一歩ずつ足を前に出しました。


走れないかわりに、あずきは一生懸命にアキちゃんを呼び続けました。


「ニャー! ニャー! アキちゃん! アキちゃん! ・・・アキおねえちゃん!」



そして、ついにアキちゃんは、あずきに手が届く距離までたどり着きました。


「あずき・・・あずき・・・」

アキちゃんは、それ以上何も言えず、あずきのことをそっとやさしく抱き上げました。




「アキちゃん・・・やっぱり逢えた・・・きっと、逢えると思ってた・・・だから、頑張ってシゲさんのこと追いかけたの・・・アキちゃん・・・・アキちゃん・・・」


あずきは、アキちゃんのほっぺを力なく舐めました。



「アキちゃん・・・」


「あずき・・・」


「勝手に家を出ちゃってごめんなさい・・・」


「ううん・・・いいの。アキの方こそ探してあげられなくてごめんね・・・」


「アキちゃん・・・ずっと逢いたかったの・・・ずっと・・・」


「アキもだよ・・・もう会えないかと思ってた・・・」


「アキちゃん、心配かけてごめんなさい・・・本当にごめんなさい。怒ってない?」


「ううん・・・怒ってないよ!だって、あずき・・・パパのことも連れて来てくれたんだもん!」


「あたしね、見たの・・・シゲさんの部屋で・・・アキちゃんの写真・・・それで・・・」


「うん・・・あずき、帰ってきてくれてありがと・・・」



「アキちゃん・・・ただいま」




あずき・・・おかえり。


                                 おしまい


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