8:畏怖と距離
『精霊の愛し子ってだけでも話しかけにくいじゃない』
女子寮の食堂での女子学生の言葉が真実だと物語るように、その日からリーリエはよく話し掛けられるようになった。
精霊の愛し子には話しかけにくい、か…………。
話し掛けられて聞かれることといえば、アイヴァンのこと。
直接的に聞く人もいれば間接的にアイヴァンのことを聞いてくる人がいた。
間接的に聞いてくる人は、アイヴァンの名前こそ出さないけれど、遠回しに聞いてきてアイヴァンのことをリーリエに話させようしてくる。
リーリエは周りの視線に学術部の図書館で一人。頭を抱えていた。
はぁ……。
これだと静かに勉強することもできない。
人見知りのリーリエは色々な意味で疲れていた。
アイヴァンのことは気になるけれど、本人には直接聞けない。
リーリエに聞いてくることに対して、リーリエは迷惑だということより精霊の愛し子という名が、畏怖を与えている事実をはじめて実感した。
アイヴァンは本当の精霊の愛し子ではない。
事実。アイヴァンが精霊の愛し子という力を発揮したと言われているのは、かなり前のこと。
精霊の愛し子という力を発揮するアイヴァンを目にしたことがないのに、アイヴァンと他の生徒の間では明らかな壁があった。
精霊の愛し子というものが、こんなにも人に畏怖と距離を与えているなんて知らなかった。
私が本当の精霊の愛し子だと言った時、みんなはどんな反応をするんだろう。
嘘つきだと糾弾する?白い目で見て何も言わず距離を取る?
ジャスミンとジェレミーも本当のことを知ればそう思うのかな……。
二人に白い目で見られているのを想像したリーリエは身体をぶるりと震わせる。
「大丈夫。二人は私のことをそんな目で見たりしない」
リーリエは自分に言い聞かせるように、小さな声で呟くと逃げるように学術部の図書館を後にした。
ここ数週間。学園はアイヴァンの話題で持ちきりだ。
もちろん、悪い意味で……。
アイヴァンは剣術学部の生徒に重傷を負わせただけではなく、他にも何かと問題を起こしているらしい。
アイヴァンと関係を終わらせる話をしたが、実はリーリエはいまだアイヴァンの婚約者だった。
お父様にはアイヴァンと婚約破棄がしたいと手紙を書いたけれど、正式にはアイヴァンと婚約破棄をしていない。
お父様と直接会って婚約破棄の話をしようと思っていたのに……。
こんなことになるなら、はやく婚約破棄をすすめておけば良かった。
視線が気になって学術部の図書館に居づらくなったリーリエは、逃げるように魔法学部に来ていた。
友人もいるし学術部よりはマシだと思っていたリーリエだが……。
「いやはや。剣術学部の先生たちは大変ですな」
「元々素行が良い生徒ではなかったようですが、精霊の愛し子という名に特別待遇をしていると、責め立てる声も上がっているようです」
精霊の愛し子。
アイヴァンの話をしている魔法学部の先生たちにリーリエは足を止める。
「彼が魔法学部ではなくて良かったと、これ程思ったことはない。剣術ならまだしも魔法を使われたらひとたまりもない」
「私もですよ。入学した時は剣術学部が羨ましく思ったが、彼には魔法学部は相応しくない」
「剣術学部の先生たちがどう処理するのか、高みの見物といきましょう」
「そうですな」
笑い声を上げて先生たちが去って行っても、リーリエは動けないでいた。
魔法学部の廊下でリーリエが思い詰めた顔で立っていると。
「リーリエ?ここで何をしているんだ?今日は約束の日じゃないだろう?」
振り返るといつもと変わらないローブを羽織ったジェレミーが不思議そうにリーリエを見ている。
その姿にリーリエはなぜか泣きたくなった。