22:許し
目の前の紙に視線を走らせるアイヴァンの顔は、だんだん曇っていく。
アイヴァンは怒りを滲ませた瞳をリーリエに向ける。
憎しみと怒りが宿った瞳。
この瞳に懐かしさを感じるなんて思ってもみなかった。
以前なら萎縮していたリーリエだが、今はもう違う。真っ直ぐと視線を逸らすことなく見つめ返す。
「久しぶりに会ってこんな物を見せるなんて、あんまりじゃないか?俺はただ、リーリエを心配しているだけなのに」
「心配?何を心配しているの?」
「それは……」
言い淀むアイヴァンに、リーリエは冷たい視線を送る。
エヴァ・ガルソンの日記を見たテイラーは、こう言っていた。
学術部で何か事件を起こして、弱っているリーリエをアイヴァンが優しく懐柔して気を引くつもりだと。
だから、アイヴァンが接触してきても心を許さず、騙されないで。そうテイラーは言っていた。
そして、アイヴァンはテイラーの言う通り、接触してきてリーリエを懐柔しようとしている。
アイヴァンは私を馬鹿にしている。
こんなことで私が婚約破棄を破棄して、アイヴァンを受け入れると思っているなんて。
街灯を反射してメガネの奥の瞳が、燃え盛る炎のようにユラユラと輝いている。
「学術部で図書館の照明が割れたと聞いた。図書館でよく勉強しているリーリエが、ガラスの破片で怪我をしたらと心配するのはおかしいことか?」
「白々しい……」ボソッと呟かれた言葉は、アイヴァンに届くことなく、夜風にかき消される。
「ご心配ありがとう。この通り私に怪我はないわ」
「それを聞いて安心した」
まるで恋人を労るような優しい言葉と口調。欲望を孕むアイヴァンの視線は、リーリエに絡みつき舐め回すような不快感を感じさせる。
普通の婚約者同士なら、言葉通りに受け取って喜ぶところだが、リーリエは嫌悪感で身体を震わせた。
こんな風にアイヴァンに優しくされるのはいつぶりだろう?
幼い頃の自分なら喜んだかもしれない。けれど、今の私にとってそれは、不快感を感じさせて何か裏があるとしか思えない。
「アイヴァン。あなたに残された選択肢は二つだけよ。一つ、大人しくサインをする。二つ、全てを公にして自分の過ちを認める。おすすめは前者よ。サインをしてくれたら、あなたが今後、何をしようが私は関知しない。私たちはただの他人になる」
「過ちを認める?過ちなんて犯していないのに何を認めろというんだ?」
ハッと吐き捨てるようにアイヴァンは言った。
女子寮の前で会った時の穏やかな表情が嘘かのように、リーリエを馬鹿にしたような表情で見る。
アイヴァンは顎をクイッと上げると、リーリエを刃のように冷え切った鋭い視線で見下ろした。
「俺はサインしない。婚約破棄もしない。お前は俺の婚約者だ。リーリエ」
「それが、あなたの答えなのね」
「そうだ」
「分かったわ。この手はあまり使いたくなかったのだけれど、仕方ないわね」
アイヴァンが大人しくサインをしてくれるとは思ってはいなかったけれど、この手を使いたくなかったのは本当だ。
私は今まで自分の責任から目を逸らしてきた。
けれど、それはもう終わりだ。自分の過去の行動に責任を取る時がきた。
余裕を見せるリーリエの言葉に、アイヴァンは眉間にシワを寄せる。
「何をするつもりだ?親にでも頼るつもりか?婚約破棄をするには双方の同意が必要なのに。今、お前が頼るべきなのは俺だ。親じゃない。俺に許しを乞え。身の程知らずにも、婚約破棄をしようとしてしまったと」
「私があなたに許しを?なぜ?身の程知らずはあなたよ。私が助けを求めるのはもっと上のお方よ」
「上?神にでも祈るつもりか?」
「いいえ。私が助けを求めるのは、皇帝陛下よ」




