幕引き
夢を見る。
その夢は甘くて、優しくて、とても幸福なものだった。
「あなた」
そう愛しい人が呼ぶ。
振り返ってその姿を見ると、天音に姓を変えた天音レナが椅子に座っている。
お腹は大きくなっており、そこには誰かとの愛の結晶が宿っていた。
「ごめん、ぼうとしてた」
天音は謝罪すると、リビングのソファに座る妻に寄り添う。
隣にある体温は本物で、とても暖かくて心地良かった。
お腹の命がトン、トンと蹴って来るのもまた嬉しい。
「名前は決めたの?」
そう妻が尋ねて来る。
天音は「ん〜……」と悩んで、「榊原さんは何がいい?」と尋ねる。
「また言った。もう榊原じゃなくて、天音レナ。間違えないでよもう」
「ごめん、昔の名残で……」
そんな会話をしながら、穏やかな日常を過ごして行く。
ずっと、こんな幸せが続けば良いなぁと思いながら、天音は目を覚ました。
◯
喧騒の中で目を覚ます。
そこは見慣れた場所で、自分がベンチに座って寝ていたのだと理解する。
「……どうして、ギルドのベンチに座っているんだっけ?」
頭が働かない。
今何時だろうかとスマホを取り出そうとして、自分の格好がボロボロなのだと気付く。
そして、隣に温かい感触があり、そちらに目を向けると、スヤスヤと眠る榊原の姿があった。
「……榊原さん?」
そう呼び掛けても反応はなく、ただ眠り続けている。
動こうにも、この状態だと動きにくい。
直ぐに起こしてもよかったのだが、夢のせいか、このままでもいいかなと思ってしまった。
とりあえず、この状態で何があったのかを思い出して行く。
学校が終わって、榊原さんとの待ち合わせに……っ⁉︎
そこまで思い出して立ち上がる。
もたれ掛かっていた榊原がボフッと倒れるが、気にしている場合じゃない。
辺りを見回して警戒する。
また霧隠が襲って来るのではないかと警戒する。
だが、周囲にそのような気配はなく、逆に天音の存在を見て驚いているようだった。
その反応に、天音は混乱する。
どうしてそんな反応をされるのか、分からなかったからだ。
「福斗君⁉︎ どうしたのその格好?」
そんな天音を心配したのか、受付のお姉さんが駆け寄って来た。
「えっ? ああ、霧隠さんにやられました」
そう返して、周囲の驚いている理由を理解した。
駄目だな、頭が回っていない。
そう、こめかみを抑えながら反省する。
このベンチにいつから座っていたのか不明だが、これまで気付かれなかったのは、霧隠の魔法による物だろうと推測する。
「霧隠って、霧隠影実よね? 私、文句言って来るわ!」
「やめて下さい、お姉さんが殺されます」
受付のお姉さんとしては、この数年、天音の成長を見て来ており、弟のように思っていた。付き合っているハクロとも仲が良いので、その感情は余計に強くなっていたりする。
そんな気持ちなんて知らない天音だが、とにかく殺されに行こうとするお姉さんを引き留めた。
「何でよもう!」と抗議するお姉さんだが、天音の背中に紙が貼ってあるのに気付いて、「福斗君、イタズラされてるよ」と教えてあげた。
天音は背中に手を回して紙を取ると、そこには霧隠からの伝言が記されていた。
『俺はこれで終わりだ。次を待て』
それを読んだ瞬間、天音は全身の力が抜けてベンチにもたれ掛かる。
ようやく終わった。
日々狙われて、神経がすり減っていた。
寝ている時に襲われなかったのは幸いだが、もしもを考えてしまい、最初の数日は寝不足気味だったのだ。
「やっと解放された……」
そう安堵すると、隣で動く気配があった。
榊原が目覚めて、辺りを見回していたのだ。
それから天音に目が止まり、ジッと見つめていた。
「……榊原さん、巻き込んでしまってごめっ⁉︎」
危険な目に合わせてしまって、謝罪を口にしようとしたのだが、いきなり抱き締められて最後まで言えなかった。
「榊原さん?」
突然の行動に困惑して名前を呼ぶが、反応は無い。
ただただ、ギュッと抱き締められていた。
それで気付いたのは、榊原の体が震えているというものだった。
あれだけの目に遭ったのだ。
心に恐怖が植え付けられていても、おかしくはなかった。
だから、もう大丈夫だよと言おうとすると、榊原が先に言葉を発した。
「ごめんなさい、福斗さん。私、あなたのこと、何も考えてなかった。大変なことになっているのに、気付いてあげられなかった」
いつもと違う様子の榊原に戸惑ってしまう。
それでも、心配してくれているのは伝わって来て、少しだけ心が温かくなった。
「福斗さんが、正体を隠す理由も分かりました。私に出来ることがあったら、何でも言って下さい。私は、私だけは福斗さんの味方ですから!」
「榊原さん……」
この子は何か勘違いしてないだろうか?
そうツッコミたかったが、力強く真っ直ぐな目を見て、何も言えなくなってしまった。
きっと、決定的に何かを間違えている。
でも、今はいいかと、抱き付いた榊原の体温を感じていた。
◯
またいつものように学校が始まる。
今月末には一年生最後のテストがあるので、最後は最高得点を出したいところだ。
だから、ダンジョン探索を一時諦めて……いや、週末だけ諦めて、勉強に打ち込もうと考えていた。
まあそれは、少し先のことなので、今はサクラにお礼を言おうとしている。
「なに? 用があるんならはっきりと言いなさいよ」
「ちょっと馴れ馴れしくない?」
「サクラちゃんにばっかり構ってないで、少しは真希と喋りなさいよ」
「ちょっ⁉︎ いきなり何言ってんのかなー⁉︎」
急に話を振られて焦った古城は、どうぞと天音にサクラを差し出した。
「あの、いかがいたしました? 場所変えた方がいいですか?」
「いや大丈夫、お礼を言いに来ただけだから」
「お礼ですか?」
「うん、サクラさんの助言のおかげで覚悟が出来た。ありがとう」
頭を下げてお礼を言うと、サクラは微笑んでいた。
「いいえ、天音様ならば、私の言葉がなくても乗り越えられましたよ」
「そんなことない。そうだとしても、きっと手遅れだった。僕は何も出来なかったと思う」
あの時、躊躇していれば、覚悟がなければ、力を使わなければ、榊原は死んでいた。
そうなると、天音は立ち直れなかっただろう。
一度ならず二度までも、大切に思った人達を失ってしまうのだから。
サクラにお礼を言うと、自分の席に戻る。
そこには、当たり前のように額に血管を浮かべたぷっちょがいた。
◯
霧隠が去り、当たり前の日常が過ぎて行く。
榊原との訓練も再開しており、以前に比べて更にやる気に満ちていた。
相変わらず、僕は同級生の天音ですよ、とは伝えれていない。
というより、もう諦めた。
天音の口から伝えるのは、全部終わってからでいいやと諦めた。
伝えようとする度に、何かしら邪魔が入るので、トラブルに巻き込まれるくらいなら黙っていようと思ったのだ。
トラブルはしばらくは勘弁してほしい。
全部終わって、落ち着いてからにしようと思っている。
なので、今は目の前のことに集中しよう。
「キャー! 神坂さんこっち向いてー‼︎‼︎」
「福斗さん! 福斗さん! 私にも指導してぇ!」
「サイン下さい! こっちの用紙にもサインして!」
「今度、孫が生まれるんだけど、福斗って名前付けようと思うんだけど、どう思う?」
「おめでとう御座います」
などの黄色い声援を受けつつ、白刃の船団主催の交流会に参加していた。
天音と雷鳴の船団の一部は、一般人の指導が主な役割となっており、今も防具の身に付け方や武器の持ち方を指導していた。
白刃の船団の人気と、昨年のユニークモンスターの一件で、この地域の探索者の人気はうなぎのぼりとなっていた。おかげで、老若男女問わず多くの人達が参加していた。
「福斗さん、ここはどうやって付けるんですか?」
「福斗君、胸がきついんだけど、ちょっと見てくれない?」
だけど、何故か天音の所には女性しか集まって来なかった。
いや、一応最初の方は男性もいた。
だけど、女性陣が集まって来て、追いやられてしまったのだ。
「ねえ、今晩空いてない?」
「食事に行かない? 二人っきりで個室で」
この人達は何しに来たんだろう? そんな疑問が、天音の中で浮かんでは浮かんで、浮かんでは浮かんで、ひたすらに浮かびっぱなしだった。
女性に囲まれて身動きが取れない中、助け舟がやって来る。
「やあやあお嬢さん方! 俺は雷鳴の船団の鳴上雷太ってぇもんだ! これから活躍する新進気鋭の有望株‼︎ 雷鳴の船団! 以後お見知り置き下せー‼︎」
会場中に響きそうな大きな声で登場した雷太。
その余りのインパクトに、女性達はさっと身を引いてしまう。
わずかに天音までの道が出来ると、すかさず雷太は告げる。
「福斗、お前さんは休憩だ。あとは俺達、雷鳴の船団が相手をする」
親指で控室を指して、早く逃げろと合図してくれる。
「助かりました」とすれ違いざまに感謝すると、「今度飯奢れよ」と言われてしまった。
正直、勢いが凄い雷太には苦手意識を持っていた。
でも、こういう気を配れる行為が、人を引きつけ、リーダーとして必要な資質なのかも知れないと思った。
休憩所には、ケータリングが置いてあり、お弁当からお菓子やジュースが置かれていた。
適当にお茶だけを取って一息ついていると、ハクロがやって来た。
「どうだ、順調か?」
「順調に見えますか?」
「まあ、楽しそうには見えるな」
そう言われて、イラッとした天音はハクロを睨む。
「冗談だ。まあ、この交流会にゲストで福斗が来るって通知してしまったからな。お前の周りにいるのは、みんなお前のファンなんだよ」
それが分かっているから強く出れないのだ。
向けられているのは、悪意ではなく好意だ。
去年からそういう感情を向けられるようになって来たが、どうにもその対処の仕方が分からないのだ。
「分かっていますけど、それでも人数多くないですか? このイベントって、人数制限してなかったんですか?」
「してない。何せ初めての試みだからなぁ、ここまで人が集まるなんて思いもしなかった」
「因みに、何人くらい来ているんですか?」
「探索者が三百人に、一般人が三千人だ。はっきり言ってキャパオーバーだな」
本当に予想外の人数だったのだろう、ハクロは「ははっ」と遠い目をして笑っていた。
探索者が動くことを想定して会場をレンタルしたので、狭いわけではない。
おかげで、三千人は入れているが、探索者が動けるスペースが無くなっているという。だから、一部はダンジョンに移動して交流会をやっているのだ。
「これ、あと何時間くらいやるんですか?」
「予定通り十五時までやる……。あと五時間、頑張ろうぜ」
大きなデジタル時計は、まだ十時を回ったところだった。
休憩も終わり、気合いを入れて会場に向かおうと扉を開く。
「うおっ⁉︎」
すると、扉の前を通っていた太った男子を驚かせてしまった。
申し訳ないと思いながら、その男子に謝ろうとして言葉に詰まった。
「あれ? 榊原さんの彼ピじゃん」
そこにいたのは、クラスメイトで小太りな友人のぷっちょだった。
「おーい、ぷっちょ何してんだ?」
そうぷっちょの名前を呼んで現れたのは、佐藤だった。
「悪い佐藤、榊原さんの彼ピ、じゃなくて神坂さんがいた」
「えっ、あまっ⁉︎ じゃなくて神坂福斗が⁉︎」
「おい、今甘いって言ったのか? 何食ってんだ? 人が真剣に取り組もうってのに、何一人だけ美味しい物食ってんだ⁉︎」
「ちっ⁉︎ 違う! 誤解だって! うおっ⁉︎ 何だこの力! これが本当にあのぷっちょなのか⁉︎⁉︎」
いつの間にこの二人仲良くなったんだ?
そんな疑問が浮かぶが、それは今はどうでもいい。
それよりも、どうしてここにぷっちょがいるのかという点だ。
佐藤は分かる。
一応、探索者をやっているし、何か勉強に来ていると言われたら信じられる。
でも、ぷっちょは違う。
ぷっちょは体を動かすのが苦手な奴だ。
そんな奴が、全力で運動をしないといけないような、探索者に興味があるとは思えなかった。
「……どうして、ぷっちょはここに来ているの?」
だから聞いてみる。
今だに、佐藤の胸ぐらを掴んで離さないぷっちょに声を掛けると、突然動きが止まった。
「どうして俺の名前を知っているんだ?」
そりゃ、君の友人だからね。なんて言えるはずもなく、「さっき、そこの人が呼んでたでしょ?」と言って誤魔化した。
「それもそっか……。というか、ここに来る理由って一つしかなくない?」
「えっと、誰かのファンとか?」
「違うわい! 探索者だよ探索者! 俺は探索者になりに来たんだよ!」
「…………は?」
天音の頭が、理解するのを拒否してしまった。
ぷっちょの言葉を、なんとか咀嚼して無理矢理理解すると、膨大な疑問が湧いて来た。
「どうして、探索者になりたいの? かなり危険だけど……」
「……別にいいだろう、俺の自由じゃん」
「そうだけど、何か目的があるんなら、僕も力になれるかなって思ったんだ」
そう告げると、ぷっちょは黙って天音の顔を見る。
そして、次に出た言葉は意外なものだった。
「…………自分を変える為だよ」
「自分を、変える?」
「ああそうだよ! 俺はな、俺を変える為にここに来たんだ! 見てみろよ、この体。太ってんだろ? 俺は、あんたらと違って、カッコよくない。その上、強くもなければ体力も無い。あるのは、この優しい内面だけだ」
ぷっちょの独白を聞いて天音は衝撃を受けた。
ちゃんと自覚しているのかと、そして、肝心な部分を自覚してねーじゃねーかと衝撃を受けた。
そこじゃない、そこじゃないよぷっちょ!
そう、内心でツッコミながら、力になると言った自分を後悔した。
「……そっか、だから変わりたいんだね」
「ああ、そうじゃなきゃ好きな人に告白もできねーよ」
「そっちが本音?」
「そうだよ。ここでやらなきゃ、俺に待っているのはフラれる未来だ」
決意に満ちた表情のぷっちょ。
その顔がとてもカッコよく見えた。
だから、力になってあげたいと、本気で思ってしまった。
「……分かった。この時間だけだけど、ぷっちょに出来る限りのことを教えて上げるよ」
「マジか⁉︎ 俺もあんたみたいになれるのか⁉︎」
「それは無理」
残酷に切り捨てると、「じゃあ移動しようか」とぷっちょと佐藤を連れて行く。
この日の天音は、ぷっちょの為に頑張った。
頑張ったおかげで、ぷっちょは「ごめん、やっぱ無理」と探索者を辞める決意をしてしまったのは言うまでもない。