21
ショッピングモールでの出来事をギルドに報告して、損害の補償をお願いする。
この動きを予想していたのか、受付に伝言が残されていた。
「21階層で待つ、と霧隠様から言伝を預かっております」
「……」
無言で立ち去り、その足でロッカーに向かう。
いつもの探索者の格好に着替えると、静かにダンジョンに向かう。
これから挑むのは格上の相手だが、その姿に気負いもなく、恐怖も無い。
あるのは、静かな怒りだけ。
ギルドを出ると雪が降り始めており、寒さが一段と厳しくなっていた。しかし、その程度で天音の怒りを覚ましてはくれず、ただただダンジョンにいるだろう霧隠を見据えていた。
ダンジョンに入ると、ポータルを使い20階に飛ぶ。
そこから21階まで移動すると、こっちだと魔力の残滓が残されていた。
誘導されたのは、次の階層までの道を知っていれば、誰も近付かないような場所。
そこに行くまでに、モンスターには襲われなかった。
いなかったわけではない。
モンスターは天音の静かな怒りを感じ取り、その身を隠したのだ。
目的地に到着すると、氷の檻に閉じ込められた榊原の姿があった。
「福斗さん!」
その前にある切り株には、霧隠が座っていた。
「……福斗、お前はこの状況を理解しているか?」
霧隠は立ち上がらずに、天音に話しかけて来る。
「ええ、榊原さんを誘拐して、僕を怒らせたいんだろう! 黒炎!」
爆発した怒りが黒い炎となり、背後に回っていた霧隠を襲う。
同時に切り株に座っていた霧隠は消え、黒炎に飲み込まれた霧隠も消えた。
そして、水蒸気が溢れ出し、辺りを霧が立ち込める。
塞がれた視界。
霧隠の魔力を感じ取ろうにも、霧にも魔力が宿っており、ジャミングのような機能を持っていた。
「分かっていないな、貴様は絶望的な状況にいる。本来なら、女を見捨てておくべきだった」
「ふざけるな! そんな選択出来るわけないだろう!」
天音は風の刃を生み出して、声のした方に向かって風の刃を放つ。
風の刃は突き進むが、当然ながら手応えは無く、霧の一部を吹き飛ばしただけだった。
「やはり理解していない。貴様はこの先、選択を迫られる。己の命と他人の命、どちらを取るのかをな。他者を切り捨てなければ、貴様は死に、結果として多くの命が死を迎える」
「さっきから、訳の分からないことをごちゃごちゃと!」
リセット魔法を広範囲に使い、霧の制御を解除して己の魔力で満たして行く。
その瞬間に感じ取るのは、疾走する存在。
接近して来たのは霧隠、ではなくて榊原だった。
「くっ⁉︎」
手元が鈍った。
「甘いな」
榊原から霧隠の声が聞こえて来る。
分かっていた。
目の前の榊原が、霧隠が幻を纏った姿だと分かっていた。
それでも、榊原に刃を向けられなくて、鉈を振り下ろさなかった。
「ぐっ⁉︎」
腹部に衝撃が走り、蹴り飛ばされたのだと理解する。
地面に片手を突き、体勢を立て直すと追撃に備えて鉈を構え直す。
しかし追撃はなく、霧隠の声が聞こえて来る。
「己の価値を正しく理解しろ。情に流されるな。有象無象の死などで心を動かされるな。その先でお前は、この国を救う役目を真っ当する」
「そこに、僕の守りたい物が無くてもですか?」
「そうだ」
「めちゃくちゃだ」
天音は支配下に置いた霧を操り、霧隠を狙う。
しかし、霧の範囲にいるはずなのに、霧隠の姿を捉えることが出来ない。
周囲に視線を巡らせる。
上空から何かを感じ取り、大きく後退すると、大量の岩が降って来ていた。
前と同じ戦法。
それに違和感を覚えるが、その答えは直ぐに分かった。
着弾した岩が爆発を巻き起こし、大きなクレーターを作り出したのだ。
「本当にめちゃくちゃだ!」
大量に降ってくる爆弾。
それを避けながら進み、霧隠の姿を探す。
隠れた位置から攻撃され続ければ、天音の魔力は尽きてしまう。たとえ大量の魔力を手に入れたとしても、無限に湧いてくる物ではないのだ。
だから霧隠を捉えることが急務だった。
だが、それよりも優先すべき物を見つけてしまう。
「榊原さん⁉︎」
爆弾の一つが榊原に向かって落下していたのだ。
「アクセル!」
全速力で向かい、氷の檻の上に乗る。
檻を破壊して助け出せたら良かったのだが、その時間が無い。
右腕を黒い装甲で覆うと、岩に向かって魔法を放つ。
『愚者の一撃』
その一撃は、射線上だけでなく周囲にある岩にも影響を与え、一斉に爆発させた。
「恐ろしい力だ」
背後から霧隠の声が聞こえる。
即座に右腕を拳に変え、裏拳を放つ。
しかしそれは空を切り、代わりに側頭部に衝撃を受けてしまう。
体が傾き、そこに踵が落とされた。
「がっ⁉︎」
氷の檻に顔面を叩きつけられ、更に顔面を蹴り飛ばされてしまう。
視界が明滅しながら、地面を転がり止まった。
「守りたい物がなくてもと言ったな、それは有象無象の弱者の言葉だ。強者が語る言葉ではない。力があるのなら、己で守れ。でなければ死ね。それが貴様の限界だ」
霧隠の言葉を聞きながら、回復魔法で治療する。
はっきり言って、勝ち目が無い。
百々目との訓練で、それなりに成長しているつもりだったが、霧隠とは戦闘技術の面で隔絶した差が生まれていた。
「さっきからめちゃくちゃですよ。そんなの、僕の力なんて、霧隠さん達に比べたら有象無象でしょう」
とはいえ、諦める訳にもいかない。
謙遜した言葉を並べながらも、鉈を握り闘志を燃やしていた。
戦いは更に加速して行く。
◯
「僕が戦う理由は……何だろう?」
サクラとの会話中に答えを考えてみたが、結局出て来なかった。
「ごめん、思い浮かばないや。強いて言うなら、流されてかな……」
ここまで来れたのは、師匠の時雨がいてくれたからだ。
この国を守る為という目的は出来たが、それもまた流されて出て来たものに過ぎない。
自分で考えた明確な理由という物が出て来なかった。
「そうなのですか?」
「うん、僕に戦う理由は……」
そこまで言って、ある少女の顔が浮かぶ。
それは一人ではなくて、男子や女子の顔が浮かんで来る。他にも年上の男性や女性の顔が浮かび、言葉に詰まってしまう。
そうだな、これが僕の戦う理由なんだな。
そう理解して、前言を撤回する。
「ごめん、やっぱりあった」
「それは何です?」
「日常を守る為、僕は日常を守る為に戦うんだ」
「日常ですか?」
「うん、僕には心の底から守りたいと思える人はいないのかも知れない。でも、親しい人達はいる。その人達がいる世界が、僕は好きなんだ。だから僕は、日常を守りたい」
日常という漠然とした物。
一つの事故がきっかけで、明日にでも壊れて無くなってしまうかも知れない不確かで脆い物だ。
時間が流れたら、みんなとは離れ離れになるのも理解している。何かをきっかけに、人間関係が崩壊することも知っている。天音を嫌いになって、去って行く人がいるのも知っている。
でもそれは変化であって、崩壊ではない。
だから、破壊しようとする者がいるのなら、全力で戦おう。
そう心に決めた。
この決意は、一度全てを失った天音だからこその答えだったのだろう。
◯
全身が傷だらけで、骨が何箇所か折れている。
併用して使っている回復魔法では追い付けない速度で、新たな傷が増えて行く。
鉈が走り、霧隠の幻を切り裂く。
空振りに終わるが、それは想定内で、死角に向かって黒炎を放つ。
しかし、そこに霧隠はおらず正面に立っていた。
お返しとばかりに蹴りが飛んで来るが、天音はそれが幻だと理解している。
事実、幻で天音にダメージを与えられずにすり抜ける。しかし、続く同じ軌道の蹴りに反応が遅れて、顎を蹴り上げられる。
ガラ空きになった体に刃が走り、天音の肉体は切り裂かれる。
「かはっ⁉︎」
傷を負いながらも、風を操り己の身を逃すが、追って来た水の刃に肩を裂かれてしまった。
「福斗さん⁉︎」
天音を心配する声が聞こえる。
何とか踏ん張りながら榊原を見ると、泣きそうな顔で天音を見ていた。
「くっ、はあ、はあ、はあ……榊原さんを、解放して、下さい」
その言葉にイラついたのか、霧隠の言葉に怒気が宿る。
「黙れ。貴様は、俺の期待に応えられなかった。これには罰が必要だ。女にうつつを抜かして集中出来ないのなら、その根源を断つまでだ」
まったく敵わない。
霧隠の数多の技を見せられたが、その内に対処出来た技は数えられる程度。真似しようにも、力量に差があり過ぎて、酷く劣化した物にしかならなかった。
それだけの実力差があるのに、奇襲を受けても、それが命に関わるような物でなかったのは、単に天音のレベルに合わせていたからに過ぎない。
数多くの水の刃にが生み出され、榊原の方を向く。
「戦う理由か……それが覚悟になる、か」
天音の日常には、榊原が存在していた。
同級生で弟子で,天音の正体に気付いていないけど、心に深く関わっている存在。
榊原が狙われて、今、天音の日常が破壊されようとしていた。
「霧隠さん」
「?」
「準備はいいですか?」
「……何を言っている?」
「多分、僕は暴走すると思います。覚悟して下さい」
それだけ告げると、天音は全身に魔力を纏う。
肉体が拒絶反応を起こして、倒れそうになるが、我慢して黒い魔力の武装を纏う。
天音の視界が、ドス黒い色に染まってしまった。
◯
右腕にあった物と同じ物が左腕に出来、足も同様の装甲で覆われていき、下半身、腹部、上半身と覆って行く。
最後に頭部は涙を流したかのような面で覆われ、フードを被ったように見えて、それが噴出している濃密な魔力だと理解する。
「……恐ろしい力だ」
霧隠が呟くと、赤い目が向いた。
あまりにも強い暴力性と殺意に、初めて霧隠が焦りを見せる。
「理性は残っていなさそうだな、ならやりようはっ⁉︎」
天音を分析していると、突然姿が消えた。
膨大な魔力が霧隠のそばで収束する。
そちらに目を向けると、拳を構えた黒いモンスターがいた。
拳には、黒い魔力が収束しており、明らかに殺しに来ていた。
「ちっ⁉︎」
舌打ちをすると、霧隠はその場から離脱する。
『憤怒の一撃』
全てを破壊する拳は空を切り、地面を穿ち大爆発を発生させる。
榊原に向いていた水の刃が向きを変えて、隙だらけの天音に殺到する。
しかし、それを避ける素振りも見せず、ただ立ち尽くしていた。
ガガガッ‼︎ と激しい音と激しい衝撃が駆け抜ける。
「無傷か。装甲はユニークモンスター以上。金剛石に匹敵するか」
しかし、そこに立っている天音にダメージがあったようには見えなかった。
それも分析して、霧隠は天音を倒す算段を立てて行く。
この姿はいつまで待つ?
速さは?
攻撃手段は?
魔法の種類は?
暴れるだけか?
制御可能か?
毒は効くのか?
幻惑の魔法は効くのか?
人か、モンスターか?
様々な点を頭の中で整理しつつ、天音の動きに備え、勝ち筋を見出して行く。
霧隠は至って冷静だった。
最初こそその存在感に圧倒されたが、それだけで終わるほどの経験を積んではいなかった。
どのような絶望的状況でも、自らの能力を信じて突破して来た。
これは誰にでも出来ることではない。
特別な才能があり、相応の努力をし、チャンスを掴み取る運に恵まれた者だけがたどり着ける境地である。
稀に百々目という存在がいるが、あれは数に数えてはいけない。
あれがもしも努力していれば、時雨以上の存在になっていたのだから。
そんな才能の塊である百々目。
己に無い才能に当てられて、執着してしまった霧隠。
霧隠は、五指に数えられる探索者の中で、戦闘面に関して最も才能の無い探索者だ。
それこそ、榊原に毛の生えたレベルの才能しかない。
そんな霧隠が国内でもトップクラスの探索者になれたのは、その分析能力にあった。
どんな状況下でも敵の動作を観察し、見抜いて行く。
それに最適な動きを、防御を、攻撃を構築して、取れる手段を全て取り、最後に圧倒する。
それが、霧隠影実という男だった。
恐ろしい勢いで向かって来る黒いモンスター。
その腕に宿った魔力は、一撃でユニークモンスターを葬れるだけの力を持っており、ダンジョンのフィールドを蹂躙できるだけの威力を誇っていた。
しかし、それも当たればの話だ。
「ふん」
直線で向かって来た攻撃など怖くはなく、霧隠は簡単に避けて見せる。
直後に大爆発が巻き起こり、ダンジョンの地形を大きく変えてしまう。
そんな中でも、霧隠は天音に接近して小瓶を取り出し、ある魔法を使う。
それは直接的な威力は持たないが、決まれば数秒後に敵を戦闘不能にすることが出来た。
天音の周りに、空気の層が出来る。
その中に小瓶を入れ、破壊する。
中にあるのは毒。
以前にも使ったバジリスクの毒だ。
しかも、今回は魔力を含んでおり、その身を石化する能力を持っていた。
しかし、
「……効果無し」
何の成果も上げられなかった。
即座に次の行動に移り、天音に接近戦を仕掛ける。
ギッガガッ‼︎ と連続した衝突音が鳴り、戦闘を繰り広げて行く。
天音の動きが一瞬立ち止まった以外は、霧隠は圧倒されてしまう。
攻撃力では圧倒的に負けており、速さでも上を行かれている。
天音の動きに技術が無いおかげで、霧隠の攻撃は当たるが、その装甲を突破出来なかったのだ。
幻惑魔法は通じる。
その全てに反応して、対応しようとする。
だから、いくらでも攻略手段があると思っていた。
幻惑で己を生み出し、空間に溶け込むように姿を消す。
これで一旦距離を取り、最大の攻撃を仕掛けようと企んだ。
だが、企んだだけで終わってしまった。
「なっ⁉︎」
幻惑を倒した天音は、正確に霧隠の位置を補足して攻撃を仕掛けて来たのだ。
『愚者の一撃』
黒い閃光が霧隠を穿つ。
防御は不可能。
避けるしかないが、その隙を狙われたら確実に攻撃を食らう。
迷う必要は無かった。
ただ、それをどう活用するのかを導き出すだけに注力する。
霧隠はある方角に大きく移動して、黒い閃光を避ける。
予想通りそこに天音が迫って来ており、その拳を見舞って来た。
これが、あの凶悪な一撃なら霧隠は死んでいた。
しかし、この方角では使わないというのも理解していた。
だから、軍配は霧隠に上がる。
天音の拳を短刀で防御しつつ、大きく跳躍する。
衝撃で短刀は砕かれ、霧隠の右腕も折られてしまうが、ある場所までたどり着くことが出来た。
「福斗さん……まさか、正体って……」
それは、氷の檻に閉じ込められた榊原の下。
ここが、霧隠の勝ち筋の行き着く到達点だった。
檻の中に入り、何かぶつぶつ言っている榊原を掴んで立たせると、前に出して盾にする。
恐ろしい速度で、一直線に向かって来る天音。
拳は握られており、魔力が収束していた。
これを受けたら、霧隠どころか榊原も死を免れない。
しかし、榊原を認めた瞬間に魔力は霧散して、その威力は大きく減退した。
更に動きにも影響が出ており、精細さを欠いていた。
だから、右腕を犠牲にしてその拳を受け止められた。
グチャと肉が潰れる音が聞こえる。
霧隠はそれが自分の腕から鳴ったというのに、気にした素振りを見せずに天音に告げる。
「知っているか? 魔力が最も通る物体は、己の血液というのを」
吹き出した血は、天音の体に纏わり付き、その動きを縛って行く。
ギギギッ⁉︎ と軋む音が鳴り、激しく抵抗しているのが分かる。
たとえ強力な拘束の魔法でも、あと数秒で解かれてしまうだろう。
それを理解している霧隠は、幻惑の魔法を使う。
見せる幻惑は、攻撃に見せるものではなく、もしかしたらの幻だ。
榊原という女性を愛し、受け入れて一生を送るという幻惑を、その脳みそに叩き込んで行く。
それも、高い魔法耐性の前ではほとんど機能していなかったが、天音にわずかな理性を取り戻させるのに成功した。
「榊……ばら、さん?」
天音が声を発した瞬間に、全ての装甲が取り外され、魔力となって霧散してしまう。
元の姿に戻った天音。
その側頭部に蹴りを見舞って、意識を刈り取る。
「福斗さん⁉︎ くっ……」
ついでに、暴れようとした榊原を気絶させて、この戦いは終わりを迎えた。
「まったく、恐ろしい力だ。才能だけでも詩心に匹敵するというのに、その身に宿った力はユニークモンスターすら簡単に葬れる。後に続く奴らは、どんな指導をするのか見ものだな」
霧隠の天音への指導は、不意の戦闘の心構えと多様な攻撃手段を見せることだった。
最初は期待していなかった。
恵まれた才能を持っていても、恵まれた環境にいても、若く経験が浅いというのは大きなハンデだ。
多彩な攻撃手段に付いてこれず、対処出来ていなかった。
魔力を感じない攻撃に反応出来ず、無様に這いつくばっていた。
年齢を考えれば、それも仕方ないことだが、その仕方ないで天音は死ぬ。
そうならない為にも、霧隠は動いていた。
しかしそれは、天音の為ではない。
仕事としてだ。
人質に取った榊原も、天音が無様なら殺してしまうつもりだった。
それは、怒りが大きく人を成長させるのを知っているからだ。
「なあ福斗、この世界に守る価値は無いぞ」
柄にもなく哀れみの目を天音に向ける。
霧隠はこの世界に興味はない。
百々目がいるから、ここにこうしているに過ぎない。
そんな霧隠でも、うんざりするような闇が世界には潜んでいた。