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ホームルームが始まる前に、教師が新しい机と椅子を持ってやって来た。
天音の隣の席の高倉君に、「ここから下がってくれ」と席を一つずらされて、新品の机と椅子が置かれる。
その行動に、どうしたんだろうとクラス全員が首を傾げるが、何の説明もなく教師は出て行った。
更に変わったことは続く。
クラスの担任教師が変わったのだ。
冬休み前までは、中年の数学の教師だったのだが、チャイムと同時に若い女性教師が入って来たのだ。
クラスのみんなが ? を浮かべながらも、そんなのは知らんと女性教師は自己紹介を始めた。
「本日から一年B組の担任になる花塚マヒルだ、よろしく。担当科目は数学だ。分からないことがあれば聞いてほしい。……はい、そこの磯部」
「な、名前覚えてるんだ……」
「教師になる以上、覚えているのは当然だ。質問はそれだけか?」
「違います! 荒牧先生はどうしたんですか? もしかしてやめたんですか?」
荒牧先生とは、前の担任の名前である。
四十代後半の教師で、ハキハキとした良い先生だった。そんな教師が辞めたとしたら、それはとても寂しいのだ。
「いや、荒牧先生は産休に入った」
「産休? 荒牧先生は男ですけど。それに、子供は成人していたはずじゃ……」
「新たに作ったそうだ。それに、男性が育休を取るのは別に珍しいことではないぞ。他に質問は? じゃあそこの……太った男子」
「名前覚えてないんかい⁉︎ 先生は何歳ですか? 彼氏いますか?」
次に指されたのはぷっちょだった。
花塚はぷっちょを見て名前を思い出そうとするが、出て来なかった。
周りはそれを可哀想に思うかというと、そんなことはない。
まあ、ぷっちょだから仕方ない。
みんな、そう理解していた。
そして、質問の内容を聞いて、やっぱりぷっちょだよなぁとなった。
「今年で二十五だ。彼氏はいない、好きなタイプは渋めの強い男だ。真田◯之似の知り合いがいたら、紹介してほしい。フリーがいいが、強いのならば既婚者でも構わない」
「……あっはい、ありがとうございます」
思った以上に若い年齢に、一時はテンションの上がったぷっちょだが、既婚者のワードが出て来て、こいつぁやべー奴かもしんないと警戒することに決めた。
「他には……無いな。突然だが、皆に報告がある。本日よりこのクラスに新しい仲間が加わる。では、入って来て下さい」
どうして敬語? みんなが疑問に思う中、クラスの扉が開いて、桜色の髪の生徒が入って来た。
クラスが静まり返る。
女子さえも呼吸するのを忘れて、その女子に見惚れてしまった。
歩く一挙手一投足を見入ってしまう。
それは歩き方からして、育ちの良さが伺えるというのもあるが、単純に美しかったのだ。
その女子は、クラスメイトになる人達をチラッと見て恥ずかしそうにする。そのちょっとした仕草が可愛らしくて、動悸を覚える男子が現れてしまう。
その女子は、教壇の隣に立つと静かに待った。
「転校生の神楽坂サクラ様だ。年齢はお前達の一つ下になるが、仲良くしてくれ」
「神楽坂サクラです。皆様、よろしくお願いします」
おずおずと頭を下げるサクラは、緊張したように見えて庇護欲を掻き立てる。それは、歳が一つ下というのもあるのだろう。
「席は天音の隣に用意しておりますので、そちらに行かれて下さい」
「はい」
皆がサクラを目で追ってしまう。
椅子を引いて座ると、隣に座る天音を見て笑みを浮かべた。
「天音様、よろしくお願いします」
「…………よろしくお願いします」
天音は、声を掛けられて反応するのが遅れてしまった。
教師が探索者だというのは、一目見ただけで理解出来た。
それは別にいい。
探索者を引退して、別の仕事に就くのはよくあることだ。
だけど、隣の彼女はどういうことだと頭を悩ませる。
彼女とは一度だけ会っている。
それはギルドの祝勝会の時で、未来を見るという特殊な能力を持っていたはずだ。
明らかに、国の重要人物。
そんな人が、どうして地方の高校に来るのか理解出来なかった。
あの、百々目を動かせるほどの人物だというのにだ。
「では、これから全校集会がある。体育館に移動するように。ああ、天音とサクラ様は、全校集会が終わったら職員室に来るように」
花塚はそれだけ言うと、教室から出て行った。
それを合図にしたかのように、わっとサクラの周りに人が集まる。
「ねえねえ、サクラちゃんって何処から来たの? 東京? 大阪? もしかして海外? 帰国子女ってやつ?」
「めちゃくちゃ可愛い! どうしてこの高校に来たの? 」
「一つ下って言ってたけど、どうして中学じゃなかったの? もしかして飛び級ってやつ?」
「え? あ? その、えっと……」
質問攻めを受けて、おろおろとしたサクラは、唯一の知り合いである天音を見て助けを求める。
明らかに何かあるこの転校生に関わりたくないのだが、職員室に呼ばれた時点でもう諦めるしかない。
諦めのため息を吐くと、天音はサクラを助けることにした。
「あの、神楽坂さんも困っているみたいだから、その辺にしといた方が……、全校集会もあるし移動しないと……」
「男子は黙ってくんない!」
「サクラちゃんに関わりたいからって声かけてくんな!」
「なに、カッコつけているつもりなの?」
「もっとはきはき喋ってよ、聞き取れないんだけど」
「あっち行けインキャ!」
ダメだった。
助けようと思ったけど、女子の言葉の刃が鋭利過ぎて立ち向かえない。
一つ言えば、五倍になって返って来る。
女子とはこんなにも怖い生き物なのだと、天音は改めて実感した。
しかし、そんな女子に立ち向かえる男子が一人だけいた。
「おいおい、サクラちゃんが困ってんだ。有象無象は離れな」
男の中の男、そこそこイケてる容姿。と本人はそう思っているだけの太った男。
欲望の塊であるぷっちょである。
「げっ、ぷっちょ」
「しゃしゃり出ないでよ」
「有象無象ってあんたでしょ」
「高倉君見習って少しは痩せなよ」
「もっとカッコよくなってから出直して来い」
「それイタイって気付きなよ。あと話かけて来ないで」
女子からの攻撃に、ぷっちょは何でもないように立っている。
「ふぐぅ⁉︎」
なんて事はなく、女子の言葉に大ダメージを受けていた。
日頃は気にしないふりをしていても、女子に面と向かって言われると辛いものがある。
陰口ならまだいい。
聞かなければいいのだから。
又聞きなので、本当に言われたのかも定かではないと誤魔化すことも出来た。
しかし、正面から言われると、これまで聞いた陰口も全て言われていたのではないかと錯覚してしまい、瀕死に追い込まれてしまうのだ。
「ぷっちょ……」
はあはあ、と息を切らして膝をつくぷっちょを見て、少しだけ同情をする天音。
こういう時は近付かない方が良いのだ。
それを天音とぷっちょは学んだ。
女子の集団に、男子が立ち向かえるはずがないのだ。
そんな集団をどうにか出来るのは、同じ女子しかいない。
「みんな、サクラちゃん困ってるからその辺にしとこうよ。全校集会もあるからさ」
「古城さん……」
そう、このクラスの女子の中でもトップ層に君臨する人物である。
「真希」
「まあ、真希が言うなら」
「そろそろ行かないと、遅れそうだしね」
「うんそうだね。サクラちゃんも一緒に行こう」
「男子は近付くな!」
古城の一声により、女子達は移動して行く。
その中心にはサクラがおり、古城に付き添われていた。
サクラが天音をチラチラと見て来るが、残念ながら天音にはどうすることも出来ない。
あれに手を出せば、火傷だけでは済まないのだ。
天音は、膝をついて項垂れているぷっちょに声を掛ける。
「ぷっちょ、大丈夫?」
「俺はもうダメかも知れん。サクラちゃんに、俺の悪い印象を与えてしまった……」
「へ?」
こいつは何を言っているんだろう。
ぷっちょの言動が理解不能なのは、今に始まった事ではないので気にしてはいけない。それに、悪い印象もなにも、これまで通りだったじゃないかと思ってしまう。
「大丈夫だよ、いつものぷっちょだったから」
「本当か? 俺、おかしくなかったか?」
「うん、いつもの(おかしな)ぷっちょだったよ」
「そっか、俺にはまだ、希望が残っているんだな……」
何の希望かは知らないので、天音は何も答えられなかった。
高倉君に「早く体育館行こう」と言われて、何とかこの場は誤魔化すことが出来た。
いろいろと不安だなぁと思いながら、高校一年の新学期が幕を開けた。