古き龍と古代文明の遺産
今までの奴等とは”格”が違う。イルムハートは先ず最初にそう思った。
確かに、新しく姿を現したその龍族の体躯はビジャルーア達よりも二回りほど大きく魔力もそれに比して強大だった。
だが、そこではない。格というものは身体や魔力の大きさで決まるものではないのだ。
(これは……予想外の大物が出て来たみたいだな。)
イルムハートにそう感じさせる威厳というものをその龍族は身に纏っていた。
それに、ビジャルーアもその龍族の前では心なしか委縮しているようにも見える。それは正に格上の者に相対した時の態度だった。
『我等さえ凌ぐその力、その者達も十分思い知ったはずだ。』
第3の龍族はビジャルーア達を横目に見ながらイルムハートに話しかけてくる。
『最早、其方に牙を剥くことはないであろうし、それは私がさせない。
なので、どうであろう?もうこれで許してやってはくれないだろうか?』
その言葉使いは穏健でイルムハートを見下すような響きも無かった。
但し、それはイルムハートを恐れての事では勿論ない。イルムハートが申し出を拒絶すれば、おそらく全力を持ってそれを防ごうとするだろう。それが出来るだけの力を十分に感じさせた。
「なるほど、コイツ等の命乞いをしようと言うわけか。」
元より、イルムハートとしてもビジャルーア達の命まで取ろうなどとは思っていなかった。最終的には見逃してやるつもりではいた。
しかし、ここであっさり許すわけにもいかなかった。他種族を虫ケラ呼ばわりするような奴だ、このまま野放しにも出来ない。
「だが、コイツ等に殺された者達だって命乞いはしただろう。なのにそれを聞き入れず殺した。
いや、もしかしたら命乞いさえする間もなく問答無用で灰にされてしまったかもしれない。
そんな真似をしておきながら、何故自分達だけは命を救ってもらえると思うんだ?」
イルムハートはその龍族を真正面から見据えてそう言い放った。
命乞いより死んでいった者達に詫びるのが先だろう。そんな意味を込めての台詞だったのだが、龍族はイルムハートが想像もしていない答えを返してきた。
『其方の言うことも尤もだ。何の代償も無しに助命だけを乞うのは少々都合が良すぎるかもしれん。
ならば我の命をくれてやろう。その代わり、その者達は見逃してやってくれ。』
『シュリドラ様!?』
ビジャルーアが驚きの声を上げた。どうやら彼にとってもそれは予想外の台詞であったようだ。
そんなビジャルーアの首に光の刃を当てたままで、イルムハートはシュリドラと呼ばれた龍族をじっと見つめた。シュリドラもそれを真っ直ぐに見返す。
「アンタはそれなりに高い地位にあるようだが……こんな奴等のために命を捨てるのか?」
『”アンタ”だと!?シュリドラ様に向かってその口のききようは何だ!無礼者め!
この方は古龍であり、我が龍族長老のおひとりなのだぞ!』
イルムハートの態度にビジャルーアは己の置かれた状況も忘れて怒りの声を上げる。
「古龍!?」
それにはイルムハートも驚きを隠せなかった。
龍族の寿命はおよそ千年ほどで、それを越えて生きる者は老龍と呼ばれる。そして老龍の中でも更に長く生き、二千年以上の時を経た者は古龍と呼ばれていた。
古龍はほんの数えるほどしか存在しない。そんな貴重な古龍が、どう見ても若輩でしかないビジャルーア達のために命を投げ出すと言っているのだ。
『ビジャルーア、口を慎め。』
シュリドラはあくまでも穏やかな態度を崩さなかった。いきり立つビジャルーアをたしなめると、続けてイルムハートに語り掛ける。
『我はもう十分に長く生きた。後は消え去ってゆくだけの存在でしかない。
だが、その者達は違う。その者達はこれからの龍族を担う者達なのだ。
それを救うためならば我の命など惜しいとは思わん。』
シュリドラの目はとても穏やかな光を浮かべていた。そんな彼に対し、イルムハートは畏敬の念すら覚えた。
「そうまで言われては剣を納めるしかないな。」
イルムハートは光の刃を解除する。
すると、それを見てシュリドラが静かに言った。
『感謝する。神に選ばれし人族の子よ。』
『改めて名乗らせてもらおう。
我はシュリドラ。この者達はビジャルーアと、そしてガルガデフだ。』
その後、気を失っていたガルガデフの意識を多少強引に呼び戻してからシュリドラは全員の名をイルムハートに伝えた。
「僕の名前はイルムハート。見ての通りただの人族だ。」
それに対しイルムハートも名乗り返す。
「なので、決して”大いなる力”など持っていないし、”神に選ばれた者”でもないよ。」
その点は特に強調した。
しかし、それを聞いたシュリドラはゆっくりと首を横に振る。
『いや、そんなことはない。其方の力は既に人族を越えている。
それは力の大きさのみを言っているのではない。その根底にある大いなる”気”のことを言っているのだ。』
「大いなる”気”?」
『そうだ。敢えて例えるのであれば”神気”とでも言うべきか。』
”神気”。どこかで聞いたような言葉だった。
『我がまだ若輩でしかなかった頃の話だが、神獣のおひとりである天狼様とお会いしたことがある。まあ、言葉を交わしたわけでもないので正しくはお見掛けしたと言うべきかな。
その際、あの方の強大な魔力に圧倒されながらもそれとは別の何かを感じたのだ。”怖れ”ではなく”畏れ”を感じさせる何かをな。
後々長老のひとりに尋ねたところ、それは”神気”だと教えられた。神に遣わされた者のみが持つ神聖な気であると。
其方にはそれに近い気を感じる。それは決して”ただの”人族が持つものではない。』
何と、シュリドラは天狼と面識があったようだ。
龍族の里でだろうか?
しかし、天狼のあの様子からして自ら龍族と接触を持とうとするとも思えなかった。とは言え、あの性格だ。冷やかし半分で顔を出した可能性も否定は出来ない。
「……まあ、ヒマをつぶすために各地を回り歩いているみたいだから、それくらいはしそうだな。天狼なら。」
思わず漏らしてまったイルムハートのそんな呟きをシュリドラは聞き逃さなかった。
『その口ぶり……もしや其方、天狼様を知っておるのか?』
しまった、とイルムハートは後悔したが、今さら誤魔化すことも出来なかった。”神気”のこともある。多少は本当のことを話す必要があるだろう。
「ああ、知っている。幼い頃、ドラン大山脈にある彼の神殿で出会ったんだ。
彼は……そうだな、僕の友人でもあり魔法の師でもあるかな。」
天狼からは色々と教わった。魔法そのものを教授されたわけではなかったが、イルムハートの知らない様々な魔法の知識を天狼は教えてくれた。そう言う意味では”魔法の師”と呼んでも間違いではあるまい。
『何と!天狼様が魔法の師とな!』
これにはシュリドラだけでなくビジャルーアもガルガデフも驚いたようだった。
普通であれば戯れ言と聞き捨てるところだが、シュリドラはイルムハートの中に”神気”にも似た気配を感じ取っているのだ。その言葉を嘘と嗤うことは出来なかった。
「天狼とは少しの間だったけど一緒の時間を過ごしているからね。おそらく、貴方が”神気”とやらを感じたのはそのせいなんじゃないかな?」
さすがに転生の件まで話すわけにはいかないので、天狼の”神気”がまだ自分の周りに残っているのだということにした。
『なるほどな、天狼様の加護が其方に宿っているというわけか。』
「んー、そうなのかもしれない。」
『ならば其方のその力も納得がゆくというものだ。』
別に天狼から加護などもらってはいなかったが、シュリドラ達がそれで納得するのであれば敢えて否定するつもりもなかった。
それで彼等のイルムハートに対する態度が変わり、話がしやすくなるのであれば尚更である。
(まあ多少姑息ではあるけど、ここは天狼の名を利用させてもらうとしよう。)
これで今回の件が終わりと言うわけではないのだ。むしろ本題がまだ残っているのだから。
「あれは”龍の島”へ繋がっている転移ゲートなのかな?」
光の幕へと目を向けながらイルムハートが尋ねる。すると、シュリドラはゆっくりと頷いた。
『そうだ、あれはこの世界にいくつか存在する我々の島へと続く”道”なのだ。』
どうやら似たようなものは他にもいくつかあるようだった。
「龍族が作ったものなのかい?」
『そうではない。あの”道”とこの祠は古代文明人によって造られたものだ。』
「古代文明人ということは……大災厄前の人族ってこと?」
『人族だけではない。魔族も獣人族も含めた”人型種”だ。その頃は全ての種族が統一された国の中に交じり合って暮らしていたのだ。』
それ自体は驚く程のことでもない。既に言語の研究により過去この世界はひとつの大きな国家であったことが分かっていた。
だが、それに続くシュリドラの言葉はイルムハートを驚愕させるに十分だった。
『それと、古代文明とは大災厄で滅んだそれではない。もっと以前の文明のことだ。』
「もっと以前の?」
『そうだ。実は大災厄以前にもこの世界は一度滅びかけている。
それにより古代文明はその大部分が失われ、そこから新たに世界を作り上げたのが大災厄で滅んだ文明なのだ。』
これは今までの常識をすっかり覆してしまうほどの爆弾発言だった。
「それって……。」
『我等龍族に代々伝わる話だ。』
世界は大災厄により前文明の記録を全て失ってしまった。勿論、生き延びた者達は以前の知識を持っていたはずだが、長い年月の内に風化したり誤って伝えられたりすることもあっただろう。
大災厄とそれよりも前に起きた文明の滅亡とが、いつしか同じものとして伝わってしまった可能性も無いとは言えない。
その点、千年以上生きる龍族ならば、より正しい歴史を後世に伝えることが出来る。
それは確かなのだが、しかしそのまま鵜呑みにするわけにもいかなかった。所詮はイルムハートも人間だ。自分が育ってきた世界の”常識”というヤツからはそう簡単に逃れることが出来ないのである。
『天狼様に聞かなかったのか?』
「聞いてない。復活した古の魔物と闘ったという話は聞いたけど……。」
『それだ。大災厄の際にその古の魔物は復活しなかった。世界を滅ぼしかけたのはその眷属達なのだよ。大災厄を生き抜いた古老本人から聞いたのだから間違いない。』
イルムハートは言葉を失った。これは世界を揺るがすほどの情報である。
しかし……イルムハートがそれを伝えたところでほとんどの者は信じないだろう。証拠が無いのだ。イルムハートがそうだったように龍族の言葉だけでそれを信じることなど出来ないはずだ。
それでもイルムハートの場合は天狼との出会いがある。彼との会話を思い起こせば龍族の言うことにもある程度納得いった。
だが、他の者はそうではない。納得できる確実な”何か”が無ければそう簡単に信じたりしないに違いない。これはそれ程に衝撃的な話なのだ。
(とりあえず、天狼から詳しい話を聞くまで他人には黙っていたほうがいいだろうな。)
ひとまずこの話は胸の奥にしまっておくことにした。今のイルムハートでは到底処理出来そうもない。
「ここが古代文明人によって造られたことは判った。で、どうして今は封印されてしまっているんだい?」
『大災厄を経て世界は変わってしまったのだ。人族もな。』
イルムハートの問い掛けにシュリドラは沈んだような声で答える。
『いつしか我等が棲む島には古代の秘宝が存在すると信じるようになり、宝目当てに島へ攻め入ろうとする者まで現れた。』
「それで封印したのか……。」
『そうだ。その頃はまだ我等に仕える者もいた。その者達にこの祠を封じるよう命じたのだ。』
なる程、いろいろと合点がいった。
「つまり、ここを訪れた調査隊が島への侵入を企んでいると判断して皆殺しにしたわけか。
貴方たちの言い分も解からないではない。だが、何も殺すことはなかっただろう。」
龍族には龍族なりに守らねばならないものがあるのは理解出来る。しかし、だからと言って調査隊が殺されて良い理由にはならない。
そんな怒気のこもったイルムハートの言葉に、シュリドラは意外な返事を返して来た。
『いや、殺したのはひとりだけのはずだ。だからと言って許されるわけではないだろうがな。』
「ひとりだけ?」
『そうだな、ガルガデフよ。』
シュリドラに促され、ガルガデフは気まずそうな声で話し始める。
『我等がここへ来た時には既にそのひとりを除き全員死んでいた。おそらく、その者が殺したのであろう。
その後、その者はこのゲートに潜り込もうとしたため我が焼き殺した。同胞を手に掛けるような奴だ、遠慮などする必要もあるまい。』
ガルガデフはそれだけ言うとプイと横を向いた。
それを聞いたイルムハートは唖然とする。
嘘を言っている可能性は……おそらく無いだろう。これが命を取られようとしている最中ならともかく、シュリドラによって救われた後ではその必要も無いはすだ。それに、この変にプライドの高い龍族の若者がこんなつまらない嘘をつくとも思えなかった。
「つまり、僕達をそいつの仲間だと思って攻撃してきたわけか。
何故それを言わなかった?」
『そんな言い訳じみたことなど言えるはずもなかろう。』
「そのせいで殺されていたかもしれないんだぞ?」
『それでもだ。』
イルムハートは呆れてものも言えなかった。
シュリドラはこれからの龍族を担う者達だと言った。だが、こんな歪んだプライドの塊では担うどころか龍族を滅亡させてしまうのではないか?
そんなイルムハートの気持ちを察したのだろう。シュリドラは苦笑交じりに『まだまだ未熟なのでね』とそう語りかけて来た。
その言葉にイルムハートは小さく肩をすくめる。まあ、これは龍族の問題だ。イルムハートがどうこう言うべきことではないのだろう。
「で、他の者達は?」
『我が焼いた。屍をそのままにしてくわけにもいかぬのでな。』
これにはビジャルーアが答えた。死者を弔うためか、それとも単に衛生上の問題なのかは知らないが、結果として荼毘に付された形になる。無残な姿を曝し続けるよりは幾分ましだろう。
「まあ、いちおう礼は言っておくよ。」
ビジャルーアは何も言わず黙ったままだったが、既にイルムハートの意識は他を向いていた。調査隊を殺したのは誰なのか?そのことを考えていたのである。
真っ先に思い浮かぶのは調査隊へ強引にねじ込まれた男、マノロ・ベルガドだ。
だが、彼は学者であるはずだ。調査隊には護衛として冒険者が3人付いていた。いくら低ランクとは言え、その3人の冒険者も含めた全員を殺せる力がただの学者にあるとは思えない。
とすると、冒険者の内の誰かが犯人なのだろうか?いや、そもそもマノロは本当にただの学者だったのか?
いろいろ考えてはみるが結論は出なかった。情報が少なすぎるのだ。ガルガデフに聞いてみたところでその者の名など知るはずも無いだろうし、この件は王都に帰ってから整理するしかないだろう。
それよりも……。
「今後、このゲートはどうするつもりなんだい?」
『どうする、とは?』
イルムハートの問い掛けにシュリドラは首を傾げた。
「このまま残しておくつもりなのか?ってことさ。
壊してしまったほうが良いと僕は思うけどね。」
『壊す?古代文明人が遺し、先人達により代々護り続けられて来たものを壊せと言うのか?』
シュリドラは思わず声を荒げた。イルムハートにもその気持ちは解かる。しかし、このゲートを残したままではいずれまたトラブルの元ともなりかねないのだ。
「今回の件を僕は報告しなければならない。つまり、このゲートのことが国に知られることになるんだ。
今の国王陛下なら龍の島へ攻め入るような真似はしないと思うけど、この先どうなるかは誰にも分らない。代々の国王が皆平和的な考え方をするとは限らないからね。
また、王国が平和を望んでも他の誰かがこれを悪用しようと考える可能性だってある。
このゲートが存在する限り、常にそんな危険が付きまとうことになるんじゃないかな?」
イルムハートの言い分にシュリドラは返す言葉を失った。彼にもそれは良く解かっているのだろう。ただどうしても決心がつかない、そんな感じだった。
やがてしばらくの沈黙の後、シュリドラは重い口を開く。
『そうだな、其方の言う通りかもしれん。解かった、これは破壊するとしよう。』
「僕が壊そうか?」
あまりにも辛そうなシュリドラの様子にイルムハートがそう声を掛ける。が、シュリドラは静かに首を振った。
『いや、其方の手を煩わせるわけにもいかん。島へ戻り次第、我の手で破壊する。
それに、そもそも其方がこれを壊してしまったのでは後で責めを負うことになるのではないか?』
確かにそうだ。どんな事情があるにしても王国の判断を待たずに破壊してしまえば何らかの処罰を受ける可能性がある。
「それもそうか。」
そう言って思わず頭を掻くイルムハートを見てシュリドラは少し笑ったようにも見えた。
それからいくつかの会話を挟んだ後、シュリドラ達は島へと帰ることになった。
『其方には色々と面倒を掛けた。この者達を助けてくれた件も合わせ、深く礼を言う。』
「まあ、こちらにも問題はあったみたいだからね、お互い様と言うところかな。
ただ、次からはもう少し相手の話を聞くようにしてもらいたいね。」
『解かった、良く言い聞かせておこう。では、これにてお別れだ。』
そう言い残し、シュリドラ達は光の幕の中へと姿を消した。そしてしばらくすると転移ゲートは徐々に光を失い初め、やがて完全に停止したのだった。