”師匠”と押し掛け弟子 Ⅱ
「それじゃあ、先ずはジェイク”先輩”にお手本を見せてもらうとしようか。」
皆を集めた後、どこか含みのある笑みを浮かべながらイルムハートがそう言った。
「……何か嫌味な感じだな、それ。」
そうジェイクは愚痴を漏らしたがイルムハートにはスルーされる。
「少し離れた所にちょうど良い魔獣がいたからね、魔力を飛ばして挑発しておいた。
そろそろ姿を現すんじゃないかな?」
「確かに近付いて来てるわね。”ちょうど良い”ヤツが。」
「まあ、ジェイク”先輩”としては物足りない相手かもしれませんけどね。」
ライラとケビンも迫りくる魔獣の魔力を探知したようである。
「何だよお前ら……って、まさかアレか!?」
既にお目当ての魔獣はその姿を確認出来るほどまでに近付いて来ており、それに気付いたジェイクが思わず声を上げた。
「フレイム・リザード!?」
フレイム・リザードはその名の通り全身に炎を纏ったトカゲである。前世で言うサラマンダーに近いかもしれない。但しトカゲと言ってもその体躯は巨大で、尾も含めれば8メートル近くあった。
身体を覆う炎は魔法によるものなので魔法防御があれば防ぐことは可能であるものの、発生する熱にまでは対応出来ない。しかもその炎は戦闘態勢に入ることでより強く、そして高温となる。
「大型の魔獣を直に見るのは初めてですが……随分と大きいんですね。しかも、かなり熱そうです。あれじゃ近付くのも大変なんじゃないですか?」
「あのくらいはまだ可愛いほうよ。もっと大きなのがいくらでもいるわ。それに、あの熱も空気の層を間に造って遮断すれば特に問題無いわよ。」
フレイム・リザードを見て漏らしたセシリアの言葉に、ライラはどうということないと言った感じでそう応えた。
「もっともジェイクの場合、そこまで上手く魔法は使えないけど。」
「それってマズいんじゃないですか?」
「アイツなら大丈夫。それならそれで上手く闘うわよ。まあ、見てなさい。」
何だかんだ言いながらもライラはジェイクの実力を評価しているのだ。
で、当のジェイクはと言えば
「あんなに燃えまくってるってのに、よくもまあ自分の炎で丸焼けにならないもんだぜ。
……ところでアイツ、丸焼きにしたら美味いのかな?」
などど緊張感の欠片も無い様子でフレイム・リザードへと向かってゆく。
実のところジェイクとしては「大物の相手をさせる」と言われていたので、もっとヤバい魔獣との闘いを覚悟していた。だが、そこへ出てきたのが目の前のフレイム・リザードということで若干余裕が出てきたのだ。
勿論、フレイム・リザードも十分厄介な魔獣ではあるものの、確かに彼の実力からすれば決して倒せない相手ではない。……但し、油断しなければである。
「何か随分と余裕の表情ですね。また悪い癖が出なければいいんですが。」
ケビンが苦笑交じりにそう言った。そして、そんな懸念が現実となる。
不用意に近付いて行くジェイクに向かってフレイム・リザードは炎を吐き出したのだ。
「うわっ!」
ジェイクは慌ててそれを避ける。
いくら魔法で防御出来るとは言え、実際に迫る来る炎にはやはり恐怖を感じてしまうのも仕方あるまい。
なので、それは良い。だが、その後がマズかった。慌てたせいで思わず体勢を崩してしまったのだ。
そこへフレイム・リザードが突進して来る。ずんぐりした体の割に動きは速い。
「ひえっ!」
ジェイクは悲鳴にも似た声を上げながらも、何とかこれを避けた。が、それは”お手本”と言うにはあまりにもお粗末な姿だった。
「まったく、アイツときたら……。」
溜息交じりの声を漏らしながらライラは頭を抱えた。
「大丈夫なんですか?」
セシリアに至っては本気でジェイクの身を案じ始める。
「まあ、大丈夫なんじゃないかな。」
だが、イルムハートの答えはあっさりしたものだった。
「ああやって最初バタバタするのはいつものことだし。」
「そして、後でライラさんに怒鳴られるまでがお決まりのパターンですから。」
ケビンの言葉にも緊迫感は全く無い。
「そうなんですか?」
セシリアは呆気にとられたような表情を浮かべる。
確かに訓練で剣を交えた際、ジェイクはスロー・スターターなのだろうと感じてはいた。いつも最初は攻め込まれ受けに回ってしまう傾向があるのだ。
『ピンチから一転、起死回生の一手で勝利するのがヒーローの闘い方なんだそうよ。』
以前、呆れた口調のライラからそう教えてくもらったことがある。
その時はネタだと思い笑って聞き流したのだが、まさかこんな命のかかる場面でそれを実践するとは思わなかった。
『まあ、さすがに本気でヤバい相手の場合は真面目に闘うけどね。』
とのことらしいが、フレイム・リザードだってそれなりに危険な相手のはずだ。にも拘わらず(ちょっと斜め上ではあるが)己のスタイルを貫くとは余程の大物なのか、或いは……。
「……バカなんですかね?」
思わずそう呟いてしまったセシリアに皆の視線が集まる。
しまった!と後悔するセシリアだったが誰ひとりとして彼女を咎めたりはせず、むしろ全員がその言葉に深く頷いたのだった。
最初こそ醜態を晒しはしたものの、その後の闘いはジェイクの実力に見合ったものであった。ヒット・アンド・アウェイ戦法で相手の体力を確実に削ってゆく。
これにはフレイム・リザードが発する熱から受けるダメージを極力減らす目的もあったが、そもそも大型魔獣と闘う場合のセオリーでもあるのだ。
本来、ジェイクは正面から力技での闘いを得意としている。だが、相手によって闘い方を変えるだけの柔軟性も十分に持っていた。例の”悪い癖”さえ出なければフレイム・リザードとて本来苦戦するような相手では無い。
「まったく、なんで最初からこれが出来ないのかしら。」
ライラが少しだけイラついたような声を漏らす。
それを聞いたイルムハートとケビンは、ジェイクにはフレイム・リザードよりもずっと手強い敵を相手にしなければならない恐ろしい未来が待ち構えていることを確信した。
やがてジェイクの攻撃によるダメージの蓄積でフレイム・リザードの動きが徐々に鈍り始める。身に纏う炎も大分弱まり、体力も限界に近いことを伺わせた。
「とどめだ!」
そう声を上げながらジェイクは、ついに動きの止まったフレイム・リザードの首へと剣を振り下ろした。その首は剣の長さを越える太さを持っていたが、”飛ぶ斬撃”を伴った攻撃により一刀で切り落とされてしまう。
フレイム・リザードは首を失いながらもしばらくの間動き続けた後、やがて崩れ落ちる様に倒れ息絶えた。
「よっしゃー!」
ジェイクは雄叫びを上げながら剣を天にかざす。
だが、残念ながら称賛の声を受けることは叶わなかった。
「よっしゃじゃないわよ、さんざんヒヤヒヤさせといて。」
「あちこち火傷も負ってるみたいじゃないですか。油断し過ぎですよ。」
ライラとケビンがダメ出ししながらジェイクの側へと歩み寄る。
「まあ何とかフレイム・リザードは倒したけど、”お手本”としては合格点を取れそうもないかな。」
イルムハートもそう言って苦笑いを浮かべたが、傍らでそれを見るセシリアの感想は少し違うようだった。
「でも、やっぱり倒せたのは凄いですよ。
そりゃ最初は苦戦してましたけど、あの大きさの魔獣をひとりで倒すなんて、正直凄いと思います。」
今まで人間相手にしか戦ったことの無いセシリアにとってフレイム・リザードの巨躯は脅威を感じるに十分だったようである。
気持ちは分からないでもなかった。大型の魔獣と初めて相対すればその巨体に圧倒されるのも当然の反応と言える。
だが、だからと言って無闇に恐れる必要も無い。
「戦いにおいて多くの場合、身体の大きさが優位に働くことは確かだろう。けど、それが勝負の決め手になるわけじゃない。
体格差があるならあるで、それに合った闘い方をすればいいんだ。後は純粋に個人の実力が勝敗を決めることになる。
必要なのは自分の実力を知る事。相手と自分の力の差を見極め、どう闘えば勝てるのかを考える。その判断力を身に着けることこそが大事なんだ。」
勿論、それが口で言うほど簡単ではないことくらいイルムハートにも分かってはいる。だが、セシリアなら可能だろうとも思っていた。
「ジェイク先輩はそれが出来ている。だからフレイム・リザードを倒せた、ということですね。凄いです。」
技術だけでは埋められない経験の差というものを目の当たりにしたセシリアは心の底から感心しているようだった。
「まあ一応は先輩だし、それなりに実戦経験を積んでいるからね。」
「”先輩”ですか……。」
その言葉にふと何か思いついたような顔でセシリアはイルムハートを見る。
「そう言えば、師匠は何故”先輩”なんですかね?」
セシリアは時々意味不明の問い掛けをしてくることがある。実際にはちゃんと筋の通った質問なのだが、いかんせん言葉足らずな部分があるのだ。
この質問もそれと同じで、いつものごとくイルムハートを困惑させた。
「それは……もちろん、僕の方が年上だからだろ?」
「いえ、そういうことではなくてですね……師匠と私は同じ”事故”に巻き込まれて死んじゃったわけじゃないですか?
と言うことは、死んだのはほぼ同時ということになりませんか?
なのに、どうして師匠のほうがひとつ年上なんでしょう?
死んだのが一緒なら転生するのも一緒のはずではないですか?」
「ああ、そういうことか。」
補足を受けることでイルムハートはセシリアの言わんとするところを理解する。
それと同じことはイルムハートも思わないわけではない。しかしその疑問自体、意味の無いものだとも考えていた。
「まあ、不思議に思うのも当然だとは思うよ。
でも、考えても仕方ないことなんじゃないかな。」
「どうしてですか?」
「僕達は死んだ後に神々の世界へと招かれただろう?
多分、そこへ足を踏み入れた時点で僕達は現実世界から切り離されてしまったんだと思う。当然、”時間”からもね。」
「そのせいで転生の時期に差が出てしまったというわけですか?」
「それだけじゃない、一致しないのは場所もだよ。
僕達は同じ場所で”事故”に遭ったはずだ。なのに、転生したのは王都とフォルタナ領だろ?」
「そう言われてみるとそうですね。時間ばかり気にしてましたが、考えてみれば場所だって別々です。
つまり、神様からするとこの程度の違いは誤差の範囲内でしかないと言うことなんでしょうか?」
「うーん、”誤”差という言い方は違うと思うな。
僕達は”普通に”この世界へと生まれてきたんだ。少なくとも僕はそう考えている。」
異世界からの転生者である自分は一体この世界においてどんな存在なのか?
それは常々イルムハートが抱いてきた疑問である。
自分がこの世界の異分子である可能性に恐れを抱き続けながらも、やがて辿り着いた結論がそれだった。
「前世の知識や記憶を持ってるせいでちょっと勘違いしてしまうけど、そもそも僕達は元の世界からそのままここへ来たわけじゃなくて一度死んで魂……生命エネルギーに戻り、そこからまた新たな命として生を受けたんだ。
つまり、元の自分とは全く別の存在ということなんだよ。だから、前世において何時・何処で死を迎えたかなんてことは一切関係無いのさ。常識的に考えればそれが普通だろ?」
「確かに、言われみればそうかもしれません。
別の人間として生まれ変わるわけですから、いつ、どこで誰の子として生まれて来るか、それ全て神様の意思のままということになりますものね。
……と言うことは、もしかしたら師匠と私は全く違う時代に生まれていた可能性だってあったんですよね。」
そう言いながらセシリアは不安と安堵の入り混じった複雑な表情を浮べた。
「そうだね、僕達と同じ”事故”で死んだ人間が他にいたとして、その中の誰かは既に10年以上も前にこの世界へ来ているのかもしれないし、100年後に生まれて来る者だっているかもしれない。
そう考えると僕達が同じ時代に生まれ、こうして出会えたのはほぼ奇跡に近いと言えるんじゃないかな。」
「奇跡の出会い……師匠と私はやはり運命の糸で結ばれていたんですね。」
イルムハートの漏らした言葉にセシリアは敏感に反応した。つい先ほどまでのしんみりした雰囲気はどこへやら、例によって頬を染めなが身悶えし始める。いつもの事とは言え、その切り替えの早さには驚くばかりだ。
「おーい、セシリアー。聞こえてるかー?」
こうなってしまったセシリアは中々現実世界へと帰って来ない。
どうにかイルムハートの声が届き彼女がやっと正気取り戻すまでには、その後しばらくの時間を要したのだった。
その後行われたセシリアとスパイク・ゴートとの戦いは、結果から言うとセシリアの圧勝に終わった。まあ、彼女の実力からすれば当然とも言える。
しかし、全く危なげなかったというわけでもない。時々、攻撃の手が鈍る場面も何度かあったのだ。
だが、それも仕方あるまい。何しろ彼女は初めて他者の命を奪うことになったのだから。
セシリアはいつも通り彼女の得意な戦法、つまり手数で相手を圧倒する闘い方をした。
別にそれ自体は問題無い。彼女とスパイク・ゴートとの体格差を考えれば、それは決して悪い選択ではなかった。
ただ、誤算……というか想定の甘さがあったとすれば、手数が増える分だけ相手に血を流させる回数も増えるのだということを失念していた点だろう。
肉を切る感触が手に残り、傷口から噴き出す血液が体を濡らす。セシリアはそれを何度も繰り返すことになったわけだ。
命のやり取りをするにおいてそれは当たり前のことではあるのだが、初めて体験する者にとってはいささか刺激が強過ぎるかもしれない。
彼女がもし元の世界の感性を持ったままであれば、おそらく途中で投げ出していたことだろう。
だが、そうはならなかった。セシリアは紛れもなくこの世界の人間なのだから。
ここは元の世界とは違う弱肉強食の世界だ。
勿論、まがりなりにも法というものがある以上、無差別に殺し合いが起きるわけではない。しかし相手が人であれ魔獣であれ、危険な敵は元の世界と比べものにならないほど多いのも確かなのだ。
そんな世界で培われた価値観は、ここで退くよりも闘い続けることを彼女に選択させた。壁を乗り越えたのである。
セシリアはもう数回ほど切りつけスパイク・ゴートを弱らせた後、素早く懐へと飛び込み顎の下から剣を上へと突き上げた。刃は顎を突き抜け脳天へと達する。
それが致命傷となり、スパイク・ゴートは大きな音と共に崩れ落ちるとそのまま息絶えた。
こうしてセシリアは勝利したのだった。
「よくやったわね、セシリア。大丈夫?怪我はない?」
闘いを終え、肩で息するセシリアへライラが声を掛ける。
「はい、大丈夫です。……まあ、途中ちょっと大丈夫じゃなくなりそうにもなりましたけど。」
セシリアは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「いや、初めて命の取り合いをしたんだからそれも当然のことさ。君は十分に良くやったよ。」
「ありがとうございます!師匠!」
イルムハートの言葉でセシリアの笑みから曇りが取り払われた。
「ホント凄えよ、お前。初めての戦闘でスパイク・ゴートを倒しちまうんだからな。俺なんか最下級の弱っちい魔獣でもやっとだったんだぜ。」
ジェイクも素直に称賛の言葉を贈る。
普段は何かと張り合ってばかりいる2人だが、お互いその実力は認めているのだ。
「いえ、私なんかまだまだです。今の私じゃフレイム・リザードの相手なんか出来そうもありませんもの。
経験を積むことがいかに大事か、先輩の闘いを見ていてそれが良く解りました。ホント凄かったです、先輩。」
「お、おう、そうか。」
そう言いながら向けられるセシリアの熱い視線に、ジェイクはまんざらでもなさそうな表情を浮かべた。
「まあ、これからもお互い腕を上げられるよう頑張って行こうぜ。良いライバルとしてな。」
「はい、よろしくお願いします、先輩!」
2人は熱い握手を交わす。
「何とも、素晴らしいコンビが誕生しましたね。これは先々が楽しみです。」
それを見たケビンは何やら含みのある笑みを浮かべながらそう言った。
「アンタ、ぜったい面白がってるでしょ?」
すかざずライラが突っ込みを入れる。そしてさらに、その矛先はイルムハートにも向いた。
「アナタも黙って見てないで止めなさいよ、師匠なんでしょ?このままじゃセシリアがジェイクみたいになっちゃうかもしれないわよ?」
そう言われはしたものの、当のイルムハートは苦笑を浮かべただけだった。
「セシリアも案外お調子者なところがあるからなぁ……。
でも、まあ大丈夫だろう。彼女は極めてマイペースな人間だからね。
今はノリと勢いであんなこと言ってるけど、どうせすぐ元に戻るよ。」
「全く、誉めてるんだかけなしてるんだか……。
それにしても、うちの男どもときたらどうしてみんなこうもお気楽なのかしらね。」
大きなため息をついてライラは首を振った。
その向こうではジェイクとセシリアが「頑張るぞ!オーッ!」と気勢を上げている。
「まあ、平和でいられるならそれが一番さ。」
こうして気の置けない仲間たちと過ごす時間はイルムハートにとってかけがえのないものだった。
元の世界と比べれば多くの危険に囲まれ、生きてゆくこと自体が遥かに難しいこの世界。
それでもこうして心穏やかな時間を過ごすことが出来る。それは何と幸福な事か。
ライラのため息がより一層深くなってゆくのを笑顔で眺めながら、ひとりそんなことを考えるイルムハートなのだった。