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祝福と寂寞

 月日はあっと言う間に過ぎ、アルテナ高等学院は学年末を迎える。

 それは姉マリアレーナの卒業を意味した。

 学院の国政科を首席で終えた彼女には、いよいよ次期辺境伯として本格的な教育が行われることになるわけだ。

 と言っても、すぐに故郷ラテスへ戻るわけではなかった。2年ほどの間、フォルタナ領王都駐在官であるコートラン子爵アメリアに付いて王都における政務を勉強することになっているのだ。

 王国政府との交渉術を学ぶと同時に人脈を創り上げるのが目的である。

 学院において将来の政府要人(になるはずの人間)とのつながりは既に出来上がってはいる。しかし、彼等が王国の中枢で腕を振るうのはまだしばらく先のこととなるだろう。

 なので、それとは別に”現在の”要人達とも顔をつなげておくことが必要だった。

 尤も、王国最上級貴族・十候のひとりフォルタナ辺境伯を継ぐマリアレーナの場合、黙っていても向こうの方から誼を結ぼうと近寄って来るので、挨拶回りをすると言うより挨拶を受けて回るといった感じではあるのだが。

「まあマリアレーナ様の場合、人脈作りと言っても今さらなのだけれどね。何しろ大臣クラスは大方既に顔見知りの仲なのだから。」

 とはアメリアの弁。

 王国の最重要ポストは十候の中から任命される。既に国の頂点として存在する彼等には政争などする必要も無いので、家同士の仲も決して悪くは無く互いに交流も持っていた。そのため、当然マリアレーナとの面識もある。

 それを考えればアメリアの”今さら”という言葉にも納得はいくだろう。

 では、今さら何のための人脈作りかと言えば、まあぶっちゃけ婿探しの下準備といった側面がある。

 フォルタナ辺境伯の婿ともなればそれなりの地位にある者でなければならない。しかし、ラテスに戻ってしまえばそのような者と親交を深める機会など滅多に無くなってしまうだろう。

 そこで王都にいる内に目ぼしい相手(家)に見当を付けておこうというのがその裏にある思惑だった。

 マリアレーナとしてはあまり乗り気ではないのだが、将来のことを考えれば必要なことなのかもしれない。

 結局、彼女はアルテナ高等学院在学中に交際相手候補を選ぶことはなかった。彼女の出した条件をクリア出来る者がいなかったからだ。

「イルムくんが強過ぎてしまったものね。」

 アンナローサはそう言って笑うが、イルムハートからしてみれば不本意な台詞である。

 本人に断りも無く勝手に利用された上に、相手が決まらなかったのは自分のせいのように言われたのではたまったものではない。

「そもそも僕より強い男性などと言う良く分からない条件を出す時点で、真面目に相手を決めるつもりでいたとは思えませんけどね。

 無理やり相手をさせられる僕の身にもなってもらいたいですよ。」

 まあ、姉を取られるような気がしてつい本気で闘ってしまったイルムハートなのだが、それは絶対口には出さない。焼餅を焼いたなどど言えるはずもなかった。

 しかし……。

「そんなこと言って、本当はお姉様を渡したくなかったのでしょ?

 私も同じ条件を出せば良かったわ。そうすればイルムくんに嫉妬してもらえたのに。」

 全てお見通しのようである。

 挙句、「そんなに私達のことが大好きなのね」と抱き着かれてしまう。

 図星を突かれてしまったイルムハートはアンナローサの抱擁を拒否することも出来ず、ただその腕の中で苦い顔をするしかなかった。


 マリアレーナの交際相手候補と言えばロードリック・ダウリン・ルベルテ。

 結局、彼はイルムハートに敗れその資格を得ることは叶わなかったが、その後は潔く他の挑戦者に対する防波堤として務めてくれた。

 尤も、訓練をつけてもらうことをその引き換え条件としてイルムハートに受け入れさせたので、ロードリックにとってはむしろ有益な敗北だったとも言える。

 彼は騎士科で席次第1位の地位を得た後しばらく伸び悩んでいたのだが、イルムハート相手に訓練を重ねることでそのスランプから脱却することが出来た。

 元々”10年にひとりの逸材”と言われていたほどの人間である。きっかけさえ掴めばその後の成長は目を見張るものであった。

 まあ、最後までイルムハートに追いつくことは出来なかったものの、その実力はどこの騎士団でも一線級として通用する程までになっていた。

 そんな彼には王国騎士団から声が掛かり、卒業後の入団が決定している。見習い期間も無しに即配属されるとのことで、王国騎士団が彼を高く買っていることが窺われた。

 戦闘とは無縁である学術科の、しかも1年生に試合で負けたという不名誉もどうやら彼の評価に影響することは無かったようである。

「全ては君のお陰だよ、イルムハート。感謝している。」

 卒業前、最後の訓練の際にロードリックはイルムハートに謝意を告げた。

「いえ、僕は大したことしていませんよ。先輩の実力あればこそです。」

 確かにスランプ脱出には一役買ったかもしれないが、その後の成長はロードリック自身の努力によるものだ。礼を言われるほどのことではない。イルムハートはそう応える。

「俺だって少しは役に立ったと思いますよ?

 まあ、主に先輩のストレス発散役でしたけど。」

「ははは、そうだな。皆にも感謝している。」

 と、そこへ割り込んで来たジェイクのおどけた台詞にロードリックは笑って答えた。

 ロードリックの訓練参加は他のメンバーにも良い影響を与えたようである。

 特にジェイクの場合、半分はイルムハートに勝てない鬱憤晴らしであったとしても、ロードリックにみっちり鍛えられたことでかなり腕を上げた。もし席次戦に出れば、今なら上位も狙えるだろう。

 尤も、ロードリックには相変わらず歯が立たない。ジェイクが伸びた分、ロードリックも成長しているからだ。そのため、何度やっても毎回叩きのめされる始末だった。

「ホント大変でしたよ。何せイルムハートに勝てなくてイラついてる先輩の相手をするわけですからね。」

「ふむ、では最後にもう一度私の憂さ晴らしに付き合ってもらおうかな。これで闘い納めだ、思う存分やらせてもらうぞ。」

「えっ!?」

 そしてジェイクは余計なひと言で自ら墓穴を掘り蒼白になる、これもいつものことであった。

「全くアンタは……馬鹿なの?少しは学習しなさいよ。」

 呆れた声でライラが呟く。

「アルテナ学院に入学出来たくらいなんですから頭は悪くないはずですけど、何せお調子者ですからね。仕方ないですよ。」

 いつもながらケビンの言葉は辛辣だ。

 そんな彼等を笑いながら眺めるイルムハート。が、そこには僅かではあるがどこか寂しそうな翳があった。

 それは、せっかく親しくなったロードリックが卒業していくことに対する感傷なのかもしれない。

 出会いがあれば別れもある。それが当然のことなのはイルムハートも身を持って良く分かってはいる。分かってはいるが……だからと言ってそれに慣れるわけでもない。しかし、人は皆それを乗り越えることで成長してゆくのだろう。

 今は遠くにいる自分を”友”と呼んでくれた人達の顔を思い浮かべながら、イルムハートはそんなことを考えるのだった。


 マリアレーナやロードリックが卒業し、イルムハートは2年生へと進級する。

 その年はイルムハートにとっていろいろなことがあった年だった。

 学院生活や冒険者活動に関してではない。あくまでプライベートにおいてである。

 まず一番大きな出来事はマリアレーナの成人だ。

 その年の10月、マリアレーナは16歳となり成人を迎え王都のアードレー屋敷で大規模なお披露目の式典が行われた。

 次期辺境伯の成人式ともなるとその来賓の数はすさまじいもので、王国貴族のほぼ全ての家から本人または代理の者が屋敷を訪れる。

 下級貴族の中には挨拶と祝いの品を渡すだけで帰ってゆく者も少なくなかったのだが、それでも屋敷のホールでは収まりきらない人数であったため庭にも会場が設けられた。

 美しく着飾った主役のマリアレーナはその美貌で会場の男性たちを虜にした。ダンスが始まるとその相手を希望する者達で長蛇の列が出来たほどだ。

 それを見て父親のウイルバートは苦い顔をする。

 娘が人気を集めること自体悪い気はしない。しかし”超”が付く程の子煩悩で子離れの出来ていないウイルバートにしてみれば、どこの馬の骨とも知れない(決してそんなわけはないのだが)男とダンスを踊るマリアレーナの姿を見るのは正直心中穏やかではないのだ。

 相手がマリアレーナと必要以上に密着しようものならそれこそ睨み殺さんばかりの表情を浮かべ、妻のセレスティアに肘で突かれ我に返るといった光景が何度も見受けられた。

 式では前年の立太子礼で名実共に王太子となった第1王子が国王の名代として祝いの言葉を述べ、その後に家族が揃っているところへと歩み寄り言葉を掛ける。

 イルムハートが王族と対面するのはこれが初めてだった。王国の式典の際、遠巻きに姿を見たことはあったが間近で顔を見るのはこれが初となる。

 会話をしたのは主役のマリアレーナと父母だけで、イルムハート自信は直接言葉を交わしたわけではない。だが、その存在感には思わず圧倒されてしまった。

 王太子は容姿だけを見れば見目麗しい普通の青年である。しかしその威厳と言うか尊厳さと言うか、とにかく発するオーラが尋常ではない。さすがは幼少より次の王として育てられただけのことはある、そう感心するイルムハートだった。

 日が変わり、前日の疲れも癒えぬまま今度は家族皆でラテスへと戻る。翌日に今度は領内の有力者達を集めてのお披露目が行われるのだ。

 王都と違い参加する面々は見知った者がほとんどなので、イルムハートにしてみればかなり気が楽になる。

 城内が明日の式典準備で慌しい中、特にすることの無いイルムハートはのんびりと庭を散策していた。すると、そんな彼に声を掛けてくる者がいた。

「イルムハート様!」

 振り向くと騎士団の正装に身を包んだニナ・フンベルが駆け寄ってくる。

「お久しぶりですね、ニナさん。そう言えば今度小隊長に昇格するそうじゃないですか。おめでとうございます。」

 イルムハートはニナが年明けには第4小隊の隊長になることを思い出して祝いの言葉を述べた。が、彼女の表情はあまり嬉しそうには見えない。

「また団長にヤラれました。今度こそ王都に派遣してくれるよう頼みこんだら、何故か小隊長にされてしまいました。」

「まだ諦めてなかったんですか……。」

 あからさまに不服気なニナの顔を見て、イルムハートは苦笑する。

 彼女はイルムハートの護衛役として王都屋敷への派遣を希望しているのだが、団長であるアイバーンから許可をもらえないため怒っているようだ。

 まあ、アイバーンとしてはそれだけニナのことを団に必要な人間だと認めているわけなのだが、当の本人は希望が通らないことに不満を募らせているのだった。

 尤も、「イルムハートといると面白そうだから」と言うのが王都派遣を希望する理由なので、アイバーンもまともに取り合うつもりは無いのかもしれない。

「団長もズルいです。小隊長なんかになったら、もう王都勤務なんて無理じゃないですか。完全にハメられました。」

「ハメられたって……でも、小隊長ですよ?名誉な事じゃないですか?」

「確かに昇進自体は有難いのですが、その反面自由に動けなくなってしまいますから……。

 いっそイルムハート様と一緒に冒険者をしたほうが楽しいかな、なんてそんなことを考えてみたりもするんですよ。」

 これが普通の相手なら単なる冗談と笑い飛ばすところではあるが相手はニナである。彼女ならやりかねない、そんな気がした。

「ええと……ところでニナさん、もしかして今は明日のリハーサル中なのでは?」

 イルムハートは何とか話を胡麻化そうと、ニナの正装を見てそう指摘する。

「あっ!そう言えばそうでした!」

「こんなところで油売っているとマルコ副団長に叱られますよ。」

「うっ、それはマズいです。マルコ副団長ときたら、最近どうにも私への風当たりが強いんですよね。何かあったのでしょうか?」

 それはおそらく貴女のせいですよ、とはさすがに言えない。

(副団長も、相変わらずニナさんには苦労させられてるみたいだな……。)

 別れの挨拶もそこそこに走り去ってゆくニナの後姿を見送ったイルムハートは、マルコの心労に対し心の底から同情せずにはいられなかった。


 マリアレーナの成人式典が無事終わりその年も暮れかかった頃、もうひとつの出来事があった。

 それは世間的に見ればマリアレーナの成人と比ぶべくもない、極めて些細な出来事ではある。しかし、イルムハートにとっては今まで生きてきた中で一番と言っても過言ではないほどに衝撃的な事だった。

 エマ・クーデルが婚約したことを知らされたのである。

 エマはイルムハートがアルテナ高等学院に入学するまでお付きのメイドを務めていた女性で、彼にとっては主従の関係を越えた実の姉にも等しい存在だった。いや、等しいどころかそれ以上と言っても過言ではないかもしれない。

 そのエマの婚約を聞いてイルムハートがショックを受けないはずがない。

 相手は王都にある大商会の次男坊らしく、実家が営む商会の王都支店で働くエマとは何度か商談を重ねるうちに親しくなったようである。

 人伝に聞いた話によると真面目で人当たりも良く中々の好青年とのことだ。良縁と言っていいだろう。

 彼女も既に23歳となり結婚するにしても早過ぎるという年齢ではない。周りの誰からも祝福される、そんな婚約だった。

 イルムハートだってエマには幸せになってもらいたいと思っているし、親離れならぬ”エマ離れ”しなければいけないことも分っている。

 しかし、理性と感情は別物だ。

 頭では喜ぶべきことなのだと解ってはいても、どうにも気分が滅入ってしまう。まるで魂の抜け殻のように気の抜けた日々を送るイルムハートだった。

「貴方がエマを慕っているのは分かるけれど、ここは素直に喜んであげるべきよ。そうしないとエマが心配するでしょ?」

 見かねたマリアレーナがそんなイルムハートを叱る。

「……別に、喜んでいないわけではないですよ。」

 イルムハートはそう言い返したが、やはりその声にはどこか不満そうな響きが隠せなかった。

 それを見たアンナローサが可笑しそうに笑う。

「いつかは私達も結婚することになるのよ。でも、イルムくんがそんなんじゃ安心して結婚なんか出来そうもないわね。

 厄介なのはお父様だけかと思っていたのだけれど、まさかイルムくんもだったとはねぇ。」

「いや、さすがにお父様と一緒にされるのは……。」

 いくら何でもウイルバートの親馬鹿よりはマシだろうと反論するイルムハートだったが、姉達から見れば五十歩百歩、さして変わりは無かった。

「全く、しっかりしているようでそんな所はまだまだ子供ね、イルムは。」

 異世界からの転生者であり、元の世界での知識もそのまま引き継いだイルムハートの精神は外見よりも遥かに大人である。だが、こういった情緒的な部分はどうしてもまだ実際の年齢に強く影響されてしまうのだ。

 マリアレーナの言葉に改めてそれを自覚せざるを得ないイルムハートなのだった。


 こうしてその年も暮れ、また新たな年が始まる。

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