騎士科の席次1位と学術科の1年生 Ⅰ
ロードリックに対し試合を申し込んだその翌日、ダウリン家の使いがイルムハートの元へ手紙を届けに来た。
内容は試合に関してだ。
日時は2日後、その週最終日の放課後で場所は学院内の闘技場。
アルテナ高等学院には日々訓練を行う練習場とは別に、観覧席を備えた闘技場が設けられていた。
そこでは騎士科の展観演武や席次戦だけでなく、魔法士科の実技披露会などが行われる。
どうやらロードリックはその闘技場の使用許可を取ったらしい。
と言っても、イルムハートとの試合を公開することが目的ではない。むしろ、その逆だ。
他の生徒も一緒に訓練を行っている練習場ではどうしても注目を浴びてしまうことになる。それを避けるため闘技場という隔離された空間を選んだのだ。
本来なら公衆の面前においてマリアレーナの条件を満たして見せるほうがロードリックにとっては望ましい形であるだろう。
しかし、それよりも彼は余計な雑音の無い状況でイルムハートと闘うことを望んだのだ。そのことは、イルムハートとの試合にかけるロードリックの意気込みを感じさせた。
一方イルムハートと言えば、自分がしようとしていることに対し今更ではあるが少なくない罪悪感を感じていた。
そもそもは姉マリアレーナの出した条件が原因だとしても、今回ロードリックを巻き込むことについては完全にイルムハートの身勝手でしかない。
アンベール達他の挑戦者にしても決して彼等に非があるわけではなく、ましてやロードリックに至っては責められるべき点などこれぽちも無いのだ。
にも拘らず、イルムハートは彼を他の挑戦者に対する防波堤として利用しようと企んでいる。彼が敗北した時の、その不名誉を考慮せずにだ。
イルムハートは自分が負けるなどとは思っていない。それは決して自惚れではなく、彼の実力を知る者ならば皆がそう考えるはずである。
それだけに試合の結果を思う時、どうしても申し訳ない気分に襲われるのだった。
いっそ、勝ちを譲ってしまおうか……などどいう考えもチラリと浮かぶ。
ロードリックは中々に良い人物のようだ。ジェイクから聞いた話によれば、平民に対しても決して見下すような態度は取らず、周りからの信頼も厚い好青年とのことらしい。
それは直接対面した際にイルムハートも感じた。
そんなロードリックならばマリアレーナの交際相手として何の不満も無い……はずなのだが、どうにもモヤモヤしてしまうイルムハートだった。
「でも姉さんと付き合いたいのなら、やっぱり実力で勝ち取ってもらわないとなぁ。」
と、尤もらしいことを口にするが、本音としては姉を取られたくないという思いが根底にある。
姉達の過度な愛情表現に辟易しているようでいて、実のところは極度のお姉ちゃん子なのだ。勿論、全く自覚はしていないが。
「それに、手を抜いたりしたらダウリン先輩にも失礼だしね。
うん、そうだ。やっぱり本気で闘うべきなんだ。」
イルムハートはまるで自分自身に言い聞かせるかのようにそう呟き、後ろ暗い思いをこっそり封印するのだった。
そして、試合の当日を迎える。
「こんなところで何してるんだ?」
授業を終えていよいよ闘技場へと向かうイルムハートだったが、その道すがらにはジェイク・ライラ・ケビンの3人が待ち受けていた。
「もしかして、闘技場まで付いて来るつもり?」
「もちろん、当たり前でしょ。」
イルムハートの問い掛けに対し、平然と答えるライラ。
「うちのリーダーが闘うんだから、アタシ達が見届けるのは当然じゃない。」
「別にパーティーとは関係ないだろ。これは僕とダウリン先輩との試合なんだし。」
「そうつれないこと言うなよ。こんな面白いもの見逃す手はないからな。」
「イルムハート君の実力を知ったダウリン先輩はいったいどんな顔をするのでしょうね?
驚き?後悔?それとも絶望でしょうか?
実に楽しみです。」
ジェイクはぶっちゃけ過ぎだし、ケビンに至っては嗜虐性丸出しでちょっと怖い。
「君達は……。」
イルムハートは頭を抱えた。
見世物じゃないと突っぱねたいところではあるが、その程度で引き下がるような連中ではないことぐらいイルムハートが一番良く分かっている。
試合の日時なんか教えるんじゃなかった、そう後悔してももう遅い。
「くれぐれも邪魔はするなよ。……あと、ケビンはもう少し本音を隠すように。」
疲れ果てたような声でそう言うと、イルムハートは3人を連れて闘技場へと向かった。
闘技場は騎士科の校舎から少し離れた場所にある石造りの建物で、外見は小振りなコロセウムという感じだ。
イルムハート自身入ってみたことは無かったが、内部の造りもそれに似たものらしい。
特別な行事にのみ使用されるためいつもなら固く閉ざされている闘技場の扉も、ロードリックが使用許可を取ってくれたおかげでその日は開け放たれていた。
「個人で闘技場の使用許可が取れるなんて、やっぱり席次1位は違うわね。」
ライラの言う通り、普通であれば個人に対し使用許可を出すことなど有り得ない。席次第1位であるロードリックだからこそ申請が通ったのである。
「でも……何かヘンじゃない?」
目の前の闘技場を見つめ、ライラは首を傾げた。そして、イルムハートもそれに同意する。
「ああ、そうだね。随分と大勢の人間がいるみたいだ。」
中にいるのはロードリックだけのはずなのだが、何故かそれ以外の魔力を多数感じたのだ。
「何か他のイベントでもやってるのかしら?」
「いや、騎士科じゃ闘技場を使うような行事は無かったはずだけど……。」
「魔法士科でもそんな予定は無いはずですよ。」
全員、状況が分からず困惑する。
「ホントにここで合ってるの?日にちを間違えたりとかしてない?」
「多分、合ってるはずなんだけど……。」
ライラにそう言われると、イルムハートも少し自信が無くなって来た。
「まあ、ここで考えていても仕方ない。とりあえず入ってみよう。」
そう覚悟を決め入り口から闘技場の中に入ると、そこは広いホールだった。正面にはバーハイム王国の国章が刻まれた大きなレリーフが飾られている。
そして、それを真ん中にして両側には上へと昇る階段が設けられていた。おそらく、観覧席に続いている階段なのだろう。
「闘技場への通路はこっちだ。」
ジェイクに案内され、イルムハート達は闘技場に繋がる通路を歩く。
ここまで来るともう魔力を探知するまでもなく、明らかに気配だけで多くの人間がここにいることが分かるほどだった。
「おっ、先輩だ。」
通路の先にロードリックを見つけジェイクが声を上げた。
「でも、何か様子がおかしくないか?」
確かに、闘技場の端辺りに佇むロードリックは下を向き、何故か溜息をついている。
「ダウリン先……。」
そんなロードリックに声を掛けながら歩み寄ろうとしてイルムハートが闘技場に足を踏み入れた瞬間、城内には大きなどよめきが巻き起こった。
驚いて辺りを見渡すと、観覧席に陣取る大勢の生徒の姿が目に入って来る。
「先輩、いったいこれは?」
予想外の事態に驚くイルムハートに対しロードリックは実に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ああ、アードレーか。すまん、どうやら試合をする話が漏れてしまったらしいんだ。」
その言葉を聞いたイルムハートが鋭い目つきでジェイク達を睨みつけると、3人は慌ててブンブンと首を横に振る。
「いや、彼等ではないよ。」
危うく濡れ衣を着せられそうになったジェイク達だったが、幸いにもロードリックがそれを否定してくれた。
「私も試合のことは一部の友人に話していたのだが、どうもそこから漏れたみたいなんだ。
この件をあちこち吹聴して回ったらしく、おかげでこのザマさ。
本当にすまない。」
そう言って頭を下げられたのでは、イルムハートとしてもロードリックを責めるわけにはいかない。
「どうします、中止にしますか?」
「そうしたいところだが……そうもいかないだろうな。」
「……ですよね。」
観覧席では多くの生徒が今か今かと試合の開始を待っていた。
別に彼等の期待に応えてやる義務などイルムハート達には全く無い。しかし、もはや引っ込みがつかない状況にあるのも確かだった。
先ほど観覧席を見廻した時、そこにマリアレーナとアンナローサの姿を見つけたのだ。
どうしてこうなった?
互いに釈然としない気持ちを抱えながらも、イルムハートとロードリックは試合を開始すべく闘技場の中央へと歩き始めるのだった。
「少しばかり予定とは違ってしまったが、やるからには本気で行かせてもらう。君も全力で来たまえ。」
「はい、先輩を失望させないよう頑張ります。」
状況は想定外のものとなってしまったが、いざ試合を始めるからには雑音など気にしてはいられない。イルムハートとロードリックは互いの存在のみに集中する。観覧席のあちこちで上がる歓声も、もはや2人の耳には届かなかった。
ロードリックは頭の横に剣を立てた、いわゆる八相の構えを取る。初撃に力を籠める騎士らしい構えだ。
一方のイルムハートと言えばこれもまた八相の構えに近いのだが、剣の位置は低く腰上の辺りまで下げてあった。こちらは剣の威力よりも制御を重視した冒険者ならではの構えである。
そんなイルムハートの姿を見てロードリックは一瞬戸惑った。騎士団に剣を習ったはずのイルムハートが取る構えとしては少々異質だと感じたのだ。
(小柄な身体では力負けしてしまうため、威力よりも取り回しを重視しているのか?それとも、何か他に考えがあるのだろうか?)
ロードリックはイルムハートが冒険者をしていることなど知らない。なので、そんな風に深読みしてしまったのだが、イルムハートとしては普段の癖でその構えを取っているに過ぎなかった。
尚、後でそのことを知ったロードリックは渋い顔をすることになる。
2人は剣を構えたまま無言で対峙した。
試合開始の合図を出す者はいないが、そもそもそんなものは必要無かった。両者が構えたその瞬間に試合は始まるのだ。
先ず、先に動いたのはロードリック。
この場合、情報戦ではロードリックのほうが不利だと言えた。
イルムハートにすれば実際にロードリックが闘うところを見たわけでは無いにしても、席次第1位という点からある程度相手の力量を測ることは可能だろう。
対して、ロードリックにはイルムハートの情報がほとんど無かった。騎士団から剣の教えを受けたと言う話だけでは、その実力をどう推測して良いか分からないのである。
勿論、相手の出方を見て判断するというやり方もないわけではない。
しかし、イルムハートがもし駆け引きにも長けているとしたら、力を抜いてわざと誤った情報を与えてくる可能性だってある。
なので、そこは自ら試してみることにしたのだ。
ロードリックは8割ほどの力で剣を打ち込んでみる。それにどう対応するかでイルムハートの闘い方を見定めようとした。
そして、その結果はロードリックを十分に驚かせるものだった。
剣の取り回しを重視した構えを取っていることから、てっきりロードリックの剣を受け流しにくるものだとばかり思ってたのだが、何とイルムハートはそれを真正面から受け止めたのだ。
いくら全力ではなかったにしても頭ひとつほど体格に違いのある子供が、まさか真っ向から剣を受け止めてくるとは思ってもみなかったのである。
出だしから想定を覆されたロードリックではあったが、すぐさま気持ちを切り替えて後ろへ飛び退き仕切り直しを図る。そのあたりの判断はさすがと言えた。
(魔力も人並み以上とは聞いていたが……たいした身体強化だ。)
イルムハートが剣を受け止めることが出来たのは強化魔法のおかげなのだと、ロードリックはそう考えていた。まあ、常識的な思考である。
しかし、イルムハートは強化魔法など使ってはいなかった。全く使っていないわけでもないのだが、それは防御を上げているだけに過ぎず、力や素早さは素のままの状態である。
ロードリックにとっては酷な話であるが、そのくらいのハンデが無いとおそらく試合にすらならないだろう。
もはやその時点で勝負の行方は明白だった。だが、ロードリックはそれを知らない。
勿論、イルムハートもそんな素振りは微塵も見せはしなかった。強化魔法を制限し、あくまでもギリギリで勝ったように見せる。それがイルムハートの狙いなのだから。
(これは……かなりマズいな。)
その後しばらく打ち合う内にロードリックは徐々に焦りを感じ始める。イルムハートの強さが想像以上だったからだ。
彼の攻撃の全てをイルムハートは受け切ってしまう。
一見、間一髪凌いでいるかのようにも見えるが、実のところそうではないことをロードリックは理解していた。
確かに剣を合わせてくるのはギリギリのタイミングではあるものの、イルムハートの目は既にその前からロードリックの剣の軌道をしっかりと捉えているようなのだ。つまり剣筋を見切り、余裕を持って対処しているということになる。
片やロードリックはと言えば、これもまたイルムハートの攻撃を全て受けきってはいた。但し、かろうじてだ。
イルムハートの剣は想像以上に重く速かった。剣筋が素直なおかげで何とか対応出来てはいるが、少しでも変則的な攻撃をされたらそれに対処出来るかどうか分からない。ギリギリなのはむしろロードリックのほうだったのだ。
恐るべき実力を秘めた子供である。いや、もう”子供”などと呼んでいい相手ではない。剣においては確実にロードリックよりも格上の存在なのだから。
(このままでは負ける。やはり、連撃を使うしかないか。)
もはや、ロードリックとしては一発逆転に賭けるより他に道は無かった。
剣術には様々な流派がある。だが、そのいずれもが元はひとつの流派から分岐し生まれたものと言われていた。そのため、ほぼ全ての流派に共通した”奥義”のようなものがあった。
そして、その中でも騎士が最も好んで使う技、それが連撃である。
強化魔法で運動能力を最大限まで上げ、素早く、まるで何本もの剣が同時に突き出されているかのような攻撃を仕掛けるのだ。
完璧に繰り出されればそれを躱すことなどほぼ不可能とされ、正に切り札とも言える技だった。
本来はさらに魔力を剣へと乗せることで爆発的な破壊力を生み出すのだが、さすがに試合ではそこまでしない。しかし、それでも十分に強力な一手となるだろう。
通常、連撃の最適数は5回と言われている。それ以下では少なすぎるが、だからと言って多ければ良いというものでもないのだ。
だが、残念ながら今のロードリックに出せる連撃は3回が限度だった。とは言え、それでもロードリックの出せる最強の技であることは確かであり、劣勢を覆すにはそれに賭けるしかない。
(いくぞ!)
意を決したロードリックは、剣を強く握り直すと己の魔力を一気に上昇させた。