新人への課題とその解答
その丘は遠くから見る分には緩やかな見た目だったが、実際にはところどころ岩場が顔をのぞかせるそんな場所だった。
「どうやら、丘の上をスカル・ハウンドがうろついてる可能性は少ないみたいだな。」
そう言ってイルムハートは満足げに頷いた。
当初は緩衝域の外れと思われていた地点にある丘。だが今は魔獣の棲息域と言って差支えない程の魔力が漂っている。
「どうだい、ライラ?向こう側の様子は掴めるかい?」
イルムハートは傍らのライラに問い掛ける。
今、2人はこの丘の向こうにいると思われるスカル・ハウンドの群れを調査しに来ているのだった。
「うーん、近づいた分だけ魔力は強く感じられるようにはなったわ。
でも、魔力にバラつきがあって、いまいちハッキリしないのよね。」
「どうやらスカル・ハウンド以外の魔獣も多少いるみたいだね。それが原因かもしれない。
丘の上から目視して確認してみよう。」
そうイルムハートに促され、ライラは彼と共に丘を登り始める。
実のところわざわざ丘になど登らずとも、イルムハートは既にこの時点で向こう側の状況を正確に把握出来ていた。
スカル・ハウンドとそれ以外の魔獣、それらの数とおおよその強さをハッキリ捉えていたのだ。
なのでこのまま戻っても問題は無かったのだが、しかしそれではライラを連れてきた意味が無い。彼女に経験を積ませるのも目的のひとつなのだから。
2人は隠蔽魔法で自分の魔力を消しながら、ところどころ露出した岩を避けゆっくりと丘を登る。
「体の匂いが向こうへ行かないように、風魔法で飛ばした方がいいかしら?」
相手は野生の生き物だ。人間なんかより遥かに優れた嗅覚を持っている。ライラの台詞はそれを警戒してものものだった。
「そういう用心は当然必要だけど、風魔法を使うわけだからその際の魔力を隠せるかどうかにもよるかな。魔獣の場合は匂いよりも魔力反応に敏感なケースが多いからね。
まあ、風向きを考えて近付くとかあまり接近し過ぎないとか、相手に気付かれないよう注意すれば魔法を使うまででも無いと思うよ。」
「なるほど、そういうものなのね。」
イルムハートの言葉にライラは感心したように頷いた。
そうこうしている内に2人は丘の上へと辿り着く。
そこには大人2人が腕を廻して抱え込んでもまだ余るほどの幹を持つ大樹が1本そびえ立っていた。
「樹の陰から覗いてごらん。そして探知した魔力と目で見たものを比べ合わせてみるんだ。最初の内はその繰り返しだね。
慣れてくると魔力探知だけでも目で見るのと同じくらいにハッキリしたイメージが掴めるようになるよ。」
「遠視の魔法は使っても大丈夫なの?」
「遠視魔法は自分自身に掛ける魔法だからね。相手が魔法探知の結界を張ってさえいなければ気付かれる心配は無いよ。」
「わかった。」
ライラは樹の陰から顔だけを出し、丘の下に広がる草原に目をやった。
そこにはスカル・ハウンドの群れと思われる集団がいくつか見受けられる。どうやら10数匹単位のグループになって固まっているようだ。
「なるほど、こうやって一度目で確認してからだと、スカル・ハウンドとそれ以外の魔獣の魔力がハッキリと区別できるようになるわ。」
そう言いながらライラは草原の隅々まで見渡してみる。
「結構な数の魔獣がいるわね。やっぱり、もうこの辺りは魔獣の棲息域になってしまってるみたい。
中でも一番多いのがスカル・ハウンドで、その数は……50、いや60くらいかしら?
その他はそれほど強い魔獣でもないし、数も少ないわね。」
「餌を探しに出ている連中もいるだろうから、あと10~20は増えるかもしれない。」
ライラはの答えに満足しながら、イルムハートはそう付け足す。
「少なくても70匹はいるってこと?随分な数よね……。」
「ああ、この広さの草原にしては多すぎる数だよ。」
あきらかに生態系のバランスがおかしい。おそらく魔力分布の変化によるものなのだろう。
急激な環境の変化はその場所に棲む生物だけでなく、周囲にも好ましくない影響を与えてしまう恐れがある。イルムハートにはそれが気懸りだった。
「そろそろ戻るとしようか。このことは早めに知らせた方が良さそうだからね。
……ああ、あと言い忘れたけど、魔獣だけじゃなくて辺りの地形もしっかり頭に入れておくように。
もしスカル・ハウンドを討伐することになったっ場合、その情報が必要になるからね。」
「どんな様子だった?」
イルムハートとライラが皆の元へ戻ると、さっそくベフが状況を聞いてくる。
が、イルムハートは自分では答えず、目でライラに報告するよう促した。
「……丘の向こうはもう魔獣棲息域になっていると判断して間違いないと思います。魔力も強いですし、スカル・ハウンド以外の魔獣も確認出来ました。」
突然の振りにすこし戸惑った様子を見せたライラだったが、すぐさま気を取り直すとベフに向かって偵察の結果を報告し始める。
「スカル・ハウンドの数は確認出来ただけでおよそ60匹。
イルムハートの見立てでは、餌を探しに出てる者も合わせればあと10か20は増えるだろうとのことです。」
「最低でも70匹か。かなり多いな……。」
「なんでそんなにいるのかしら?
ガストンさんの話を聞く限るでは、そこまで大きな草原でもなさそうなんだけど。」
ライラの言葉にベフとマヌエラが困惑した表情を浮かべた。
「おそらく魔力の変化が急だったせいではないですかね。」
そんな2人の疑問に答えてミゲルが口を開く。
「まだ棲息域になってそれほど時間が経っていないため生態系がちゃんと出来上がっていないんだと思います。」
「生態系?」
「はい。本来ならスカル・ハウンドより強い敵もいるため自然と数は抑えられるのですが、今はまだそんな敵がいないのでしょう。」
そんなミゲルの言葉にライラも頷く。
「確かに、草原にはスカル・ハウンド以外にも魔獣はいましたが、みな弱い魔獣ばかりでした。
いまのところスカル・ハウンドより強力な魔獣はまだ棲み付いていないようです。」
「つまり強敵がいない分、繁殖し放題ってことね。」
そう言ってマヌエラは顔をしかめる。
「じゃあ、この先も増え続けるってわけ?」
「いずれ他の魔獣もどんどん増えていくでしょうから、いつまでも増え続けるということはないはずです。
ただ、すぐにともいかないでしょうね。それまではしばらくの間この状態が続くのではないかと。」
「それまで待つしかないのね……。」
マヌエラはうんざりした声を上げる。
が、実際のところそんな悠長なことを言ってられる状態でもなかった。スカル・ハウンドが増え続けた場合、もっと厄介な問題を引き起こす可能性があるのだ。
「いえ、それを待っている余裕は無いかもしれません。」
それを危惧したイルムハートが難しい顔で会話に割り込んでくる。
「どうゆうこと?」
「まだまだ魔獣の数が少ない場所でスカル・ハウンドだけが大量に数を増やしたらどうなりますか?
当然、餌不足になります。
そうなれば彼等は餌を求めて他の場所を襲うことになるでしょう。」
そんなイルムハートの言葉に、ミゲルを除くその場の全員がはっとする。
「イルムハート君の言う通りです。
増えすぎて餌が無くなったスカル・ハウンド達は縄張りである草原の外へと狩りに出ることになります。
それが魔獣棲息域内であれば良いのですが、必ずしもそうとは限りません。人里へ向かう可能性だって十分にあるんです。」
「まさか、プルーバの近くにスカル・ハウンドが出没するようになったのも……。」
苦々しい表情でベフが呟くと、ミゲルは真剣な顔つきでひとつ頷いてからそれに答えた。
「ええ、迷い込んだのではなく餌を探しに来ていると考えるべきでしょう。」
事態は考えていた以上に深刻な様だった。
魔力分布が変わり緩衝域が移動し魔獣棲息域が町に近付く。
それだけでも十分問題なのだが、その上そこでは急激な餌不足になりかけているのだ。いや、既にそうなっているのかもしれない。
「今のところはプルーバ周辺の獣を狩っているだけなのでしょうが、いずれそれでも足りなくなるのは明らかですからね。
そうなると町の人間を襲いだす可能性も十分にあります。」
最悪の事態を予想するミゲルの言葉にベフは呻くような声を上げる。
「つまりスカル・ハウンドを討伐しないと町が危機に晒される、そういうことだな。」
「全滅とまでは言いませんが、少なくとも餌不足にならない程度までには数を減らしておく必要はあるでしょう。」
「それじゃあ、早く討伐隊を出してもらわなきゃいけないわね。」
マヌエラの発言は正しい。これだけの数の魔獣を討伐する場合は冒険者ではなく軍で対応するのが普通なのだ。
だが、それに応えるベフの言葉にはどこかためらいのようなものが感じられた。
「とは言っても、軍を動かすにはそれなりの準備なり手続きなりが必要だからな。早くても半月はかかるだろう。
それまでプルーバが無事である保証があるかどうか……。」
「俺達でスカル・ハウンドを討伐しましょう!」
そんな中、不意に声を上げる者がいた。ジェイクだ。
「そんな半月以上も町の人たちを危険なまま放ってはおけません。ここは俺達で何とかすべきです。」
そう語るジェイクの表情はひどく真剣だった。そこにはいつものお茶らけた雰囲気など微塵も無い。
ヒーローになる。
その発言はよくネタにされてはいるものの、魔獣から人々を護りたいと言う彼の想いは本物なのだ。
そんなジェイクの目を見て、ベフもその覚悟を知る。そしてその想いに応えてやりたいとも思った。
しかし、ベフの口から出たのはそれとは真逆な台詞だった。
「その心意気は誉めてやる。
だが、相手はスカル・ハウンドとは言え70匹もの大群なんだぞ?どうやって倒すつもりだ?
気持ちだけでどうこう出来るほど簡単な話ではないんだぞ。」
実のところベフも、いくら70匹の群れとは言え、自分のパーティーとイルムハートがいれば討伐するのもさほど難しくないとは思っていた。
だが、それでは駄目なのだ。
他者に任せきりのまま成し得たところで、その成功体験はジェイクにとって何の意味もなさない。むしろマイナスになる可能性だってある。
少なくともその成功の一端を彼自身が担うことが出来る、そんな方法を見つけなければならないのだ。しかも、彼自信で。
ベフの言葉はそれを考えさせるためのものだったのである。
(俺も随分と丸くなったものだな。)
ベフは内心で苦笑する。
イルムハートと出会う前は、自分より実力が劣ると感じた相手は例え先輩冒険者であっても見下すような態度を取っていた。
何故、こんなヤツに俺が足を引っ張られなければいけないのか?そんな気持ちを隠しもしない、そんな人間だった。
そんな風だから当然、右も左も分からぬ新人冒険者など関わるのもゴメンだと思っていた。
それが今はどうだ?
まるで教師のように新人を導こうとしている。そんな自分の変化が妙に照れくさく、そして可笑しかった。
ふと見ると、マヌエラが生温かい視線でこちらを見ていることに気が付く。
何だか自分の心の声を聴かれたような気になったベフは、どこか気まずそうにその視線を外すのだった。
「上級の広域魔法で一気に殲滅するというのはどうでしょうか?」
ベフの問い掛けに答えあぐねるジェイクへと助け舟を出すかのように、今度はケビンがそう発言した。
だが、それはミゲルによって否定されてしまう。
「ただ倒すことだけが目的ならそれもいいだろうけどね。
でも、それだと他の魔獣も一緒に倒してしまうことになるから、生き残ったスカル・ハウンドが餌不足のままなのは変わらない。
仮に全てのスカル・ハウンドを倒してしまったとしても、これからやってくる魔獣が餌不足になるのは同じだよ。」
「結局、直接スカル・ハウンドだけを倒さなきゃいけないのか……。」
ジェイクは思わず頭を抱えた。
それを見たイルムハートが誰に言うでもなく、ぽつりと声を漏らす。
「確かに大群の中へ無理に突っ込むのはリスクが大きいけど、上手く分断出来れば何とかなりそうな気もするけどな。
例えば、地形を利用するとか……。」
「地形……。そうよ!丘よ!」
すると、その言葉にライラが何かを思い出したように声を上げた。
「あの丘は見た目よりずっと岩場が多いんです。
確か、スカル・ハウンドは岩場が苦手なんですよね?
あの丘に誘い込めば群れを分断出来るんじゃないですか?」
「そうか、丘に登るには岩場を避けなきゃないからそのルートは限られてくる。
丘の上で待ち構えていて、そこから登ってくるヤツだけ相手にすればいいわけだ。
それなら周りを囲まれる心配も無くなるな。」
「登って来る途中を個別に魔法で攻撃してもいいですしね。
それならスカル・ハウンドだけを狙って倒すことが出来ますし。」
新人3人組のテンションが一気に上がる。
「で?具体的な作戦としては?」
そうイルムハートが問い掛けると、ジェイクは頭の中で段取りを考えながらそれを言葉にしてゆく。
「先ずは隠蔽魔法を使い、スカル・ハウンドに気付かれないようにあの丘に登るんだ。そして、てっぺんの樹を囲むように陣を取ったら魔法で攻撃を仕掛ける。
別に大魔法でなくていいんだ。連中の注意を引き、おびき寄せられればそれでいい。
で、俺達に気付いたスカル・ハウンドは丘めがけて押し寄せてくるだろうが、生憎岩場があるせいで登って来るルートが制限されてしまう。
なので、そこを待ち構えて1匹ずつ倒していけばかなり楽に討伐出来るんじゃないかな。」
そんなジェイクの作戦にライラとケビンも同意するかのように大きく頷いてみせた。
「……という事ですが、どうですか?」
イルムハートはベフに最終的な判断を仰ぐ。
まあ、イルムハート自身妥当な作戦だと思ってはいたが、ベフからのお墨付きをもらうことが新人達にとって大事なのだ。
「悪く無いな。よし、その作戦で行こう。」
ベフの言葉にジェイク達は嬉しそうに声を上げる。
そんな彼等の姿を視界にとらえながら、ベフはイルムハートへ近付き小さな声で話し掛けてきた。
「最初から考えていたのか?」
「まあ、あの丘を見た時点で討伐するならその方法が一番だろうなとは思ってました。」
「お前は教育係としても優秀なようだな。」
「いえ、僕はちょっとしたヒントを与えただけですよ。そこから考え出したのは彼等です。
それに、ベフさんが考えるきっかけを彼等に与えてくれたからこそでもありますし。」
そんなイルムハートの台詞に、ベフは笑顔だけを返し背中をぽんと叩く。
それから改めて皆に向けて話し掛けた。
「ジェイクの作戦でスカル・ハウンドを討伐する、それは決定だ。
だが、そろそろ陽も傾き始める頃なので決行は明日とする。闘いの最中に日が暮れてしまっては危険だからな。
今日のところはいったんプルーバに戻り、明日再度来ることにしよう。」
それは至極常識的な判断だったので、ジェイクも異を唱えることはなかった。
しかし、それとは別に体が何かを訴え始めた。まあ、ぶっちゃけて言うと、気が緩んだせいで腹の虫が鳴いたのである。
それを聞いたベフが可笑しそうに口を開く。
「すまない、そう言えば昼飯がまだだったな。」
緩衝域の移動と言う不測の事態よって、昼食を取るヒマがなかったのだ。
「……まったく、恥ずかしったらありゃしない。」
「仕方ないだろ。人間なんだから腹も減るさ。」
ライラに突っ込まれてジェイクは口を尖らせた。
しかし、おかげでどこか張りつめていたその場の空気が一気に和やかなものに変わり、皆穏やかな笑顔を浮かべ始める。
緊張感を持つことは大事だ。だが、それだけでは精神が疲弊してしまう。どこかで一息つくことは大事なことなのである。
その点から見てもこの新人パーティーは悪く無い。まあ、無意識でしているのだろうがちゃんとメリハリが付いている。これは先々が楽しみな連中だ。
そんなことを考えながら、ベフは思わず口元をほころばせた。
「ヘンに委縮してしまうよりそのほうがマシさ。腹が座ってる証拠だからな。
それじゃあ、戻る前に軽く昼食でも取って行くとするか。」