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親離れと子離れ Ⅰ

 夕食後、屋敷内のとあるサロンにアードレー家の5人が集まっていた。

 このサロンは内々で使用される部屋であるため、かなり質素な造りとなっていた。とは言っても来客用に比べればという話で、質の高い調度品が揃えられた上に家族で使うには充分過ぎる広さを持つ部屋だ。

 部屋の中央に置かれたソファ・セットの上座には、当主であるウイルバートが座っている。

 彼から見て右側の1人掛けソファには母親のセレスティア、左側の長ソファにはマリアレーナ、アンナローサ、そしてイルムハートが並ぶ。

 今、この部屋は何とも言えないピリピリした雰囲気に包まれていた。

 原因は父親と2人の姉の間に漂う剣呑な空気のせいである。

 尤も、正確には姉たちが父親をにらみつけ、その視線に父親が困ったような顔をしているという一方的な形ではあるが。

 2人の姉は夕食の時からすでに不機嫌な様子であった。おそらく家族会議が開かれる理由に関係しているのだろう。

 最初は家族会議とはただ事ではないと感じたが、母親のセレスティアだけはいつも通りニコニコと微笑んでいるので、イルムハートも単なる父娘ゲンカだろうと冷静に事態を見守っていた。

「お父様。まさかお父様は2年前のお話をお忘れになったわけではありませんよね?」

 上の姉のマリアレーナが口火を切った。

「私とアンナが王都へ行く話です。」

 この話はイルムハートも聞いていた。

 今年で11歳になるマリアレーナは王都アルテナにある王立アルテナ高等学院へ通うため、その間王都に移り住むことになっていた。

 高等学院は初等教育を終えた者がより高い教育を受けるための学校で、ここ領都ラテスにもある。

 だが、アルテナ学院は学力・規模・講師陣等が他に比べて遥かにレベルの高い学校だった。

 とは言え、その卒業生という肩書が欲しいためだけにマリアレーナがわざわざ遠い王都に移り住むわけではない。

 それには理由があった。

 貴族、特に上級貴族の子女にはアルテナ学院に入学することがほぼ義務付けられているからだ。

 これは一見貴族優遇のようにも見えるが、実はそういうわけでもなかった。

 基本的に高等学院は必要とする者が自発的に入学する学校であり、初等教育の学校とは違い無償ではない。

 特に成績が優秀な者には学費が免除されることもあるが、ほとんどの者は決して安くはない授業料を払って通うことになる。

 これはラテスにある学院も王都にある一般的な学院も変わりはない。

 しかし、アルテナ学院だけは違っていた。

 将来王国を支える優秀な人材を育てるという目的により、貧しい者でも高等教育が受けられるよう全てが無償とされているのだ。

 もちろん(まともに入学するためには)高倍率の試験を通る必要があるため、誰でもとはいかないが。

 そうなると、学院運営に必要な金は誰が出すのか?という話になる。

 当然、王国から多額の補助金は出ているのだが、それだけでは広大な敷地に充実した施設を有し、高名な学者や剣術家や魔法士を講師として雇っているアルテナ学院を運営するにはとても足りなかった。

 それを補っているのが子女を入学させた貴族の寄付金である。

 つまりは、寄付金を取るために子供を学院に入学させるよう義務付けているのだ。

 貴族と一括りで言っても中には決して裕福でない家もある。

 家の財政事情によっては免除される場合もあるが、辺境伯という最上級に分類される貴族でもあり、また大穀倉地帯フォルタナの領主として王国内でも有数の財力を誇るアードレー家としてはその責務を果たさないわけにはいかなかった。

 そのため今年はマリアレーナが、そして来年はアンナローサが学院に入学することになっている。

 当然、数年後にはイルムハートも入学する予定だ。

 今、マリアレーナが話しているのはその事だ。

 さずがにマリアレーナひとりでは寂しいだろうと、翌年入学するアンナローサも共に王都へ赴き一緒に暮らすことになっているのだが、どうやらその件に関して何か不満があるらしい。

「お父様は私たちが寂しくないように何でも希望を叶えてくださるおっしゃいましたよね?」

 10歳かそこらの子が親元を離れて暮らすのはそれは寂しかろうと思うかもしれないが、貴族の子女は親離れが早い。

(ある程度裕福な貴族に限られてはいるが)乳離れすればすぐに乳母に預けられ、ものごころがついてからは一人部屋があてがわれてお付きのメイドが身の回りの世話をしてくれるため、育児という点で親子の接点は少ない。それ故、早くして自立心が養われ親への依存心はそれ程持たずに成長する。

 決して愛情が薄いというわけではない。それが貴族の子育ての仕方なのだ。

 だが、そうだと解っていても父親としてはやはり娘が心配であり、ウイルバートは出来るだけのことをしてやりたいと思っていた。

 しかし・・・。

「もちろん、君たちの望みは何でも叶えてあげたいと思っているよ。でもねマリア。イルムはまだ6歳なんだ。さすがに連れて行くのはどうかと思うのだけれど。」

(えっ!?僕?)

 突然、自分の名前が出てきたことに驚くイルムハートを置き去りにして、父娘の会話は進んでゆく。

「だからです、お父様!小さいイルムをひとり残して私たちだけ王都に行くわけにはいきません!」

「イルムくんが可哀そうだわ、お父様!」

 マリアレーナに続き、アンナローサも声を荒げる。

「いや、私もセレスティアもいるのだし・・・。」

 ウイルバートは娘たちの勢いに気おされながらもなんとか反論しようとしたが、形勢を変えることは出来なかった。

「でも、お父様とお母様はお揃いでお出かけになることもあるではありませんか。」

 確かに、簡単な領内の視察程度であればウイルバートひとりで回るのだが、公式な訪問ともなれば例え領内であっても夫婦で訪れることになるし、他にも王都や他領へ招かれることも少なくはない。

 そうなると数日、場合によっては十日ほど夫婦で城を留守にすることがあった。

「お父様はともかくお母様までお出かけになってしまった時、私たちがいなければイルムがひとりきりになってしまいます。イルムには私たちが必要なのです!」

「私は ”ともかく” って・・・。」

 マリアレーナの言葉に自分の存在意義を完全否定されたウイルバートは、ガックリとソファに崩れ落ちた。

 そんな父親を横目に見ながら、イルムハートは何故家族会議が開かれたのかをやっと理解した。

 要するに王都へ移り住むマリアレーナとアンナローサがイルムハートを連れて行くことを要求し、娘2人を送り出すだけでも身を切られる思いなのに、最後の望みであるイルムハートまで連れていかれてはたまらんとする ”親馬鹿” ウイルバートがそれに抵抗しているという図式のようだった。

(まあ、王都に興味が無いわけではないんだけど・・・。)

 イルムハートとてこの国最大の都市である王都アルテナに移り住むことに異存はない。だが、それは今ではないとも思う。

 まだここラテスの街の事も良く知らないのに一足飛びに王都というのも何か違うような気がした。

 が、それを言ったところで2人の姉の決意が変わるとも思えなかった。

 彼女たちは(自分たちがイルムハートと一緒にいたいということもあるが)それが何よりもイルムハートのためと信じて疑いもしない。もしそれが叶わないのであれば、王都行きそのものを拒否しそうな程の勢いである。

 最早、ウイルバートにもイルムハートにも彼女たちを説得することは不可能だった。

 もし、それが可能な人間がいるとすれば・・・。


「あなた達の言いたいことは解りました。」

 ウイルバートのすがる様な視線を受け、母親のセレスティアが初めて口を開いた。

「マリアもアンナも本当にイルムが大好きなのですね。私としてもその優しい気持ちに応えてあげたいと思っています。」

 予想外の言葉にギョッとした顔でウイルバートはセレスティアを見つめた。「ブルータス、お前もか。」といった心情なのであろう。

「それでは、お母様・・・。」

 自分たちの要求が認められたと思ったマリアレーナは、嬉しそうに笑って口を開きかけた。

 が、それは続くセレスティアの言葉で遮られる。

「でも、今はまだ早すぎます。イルムにはまだ勉強しなければいけないことがあるのですよ。」

 今度は2人の姉の表情が険しくなり、逆にウイルバートは満面の笑みを浮かべる。

「勉強なら王都でも出来るのではありませんか?」

「そうですよ、お母様。王都で家庭教師を雇えばいいではないですか。」

 2人は必死で抵抗するがセレスティアの鉄壁の笑顔を崩すことは出来ない。

「そうですね、家庭教師に教えられる勉強であればそれでもよいでしょう。ですが、ここでしか学べない事もあるのです。」

 その言葉に2人の姉は思い当るところがあったのか、「あ・・・。」とだけ言って黙り込んだ。

「2人には解りますね。”アードレー家の教え” です。」

 そう言ってセレスティアはイルムハートの方を向いた。

「イルムにはまだ話していませんでしたが、アードレー家に生まれた者はここフォルタナについて学ばねばならなりません。どのような土地にどのような人々がどんな暮らしをしているのかを。

 家督を継ぐのはマリアですがそれは関係ありません。いかなる立場であろうとも、アードレーの人間はフォルタナの民と共にあるのです。それが ”アードレー家の教え” なのですよ。」

 その事をすっかり忘れていた姉2人が苦虫を噛み潰したような表情になるのはいいとしても、ウイルバートが今さらながらに思い出したという表情を浮かべるのはいかがなものか・・・。

 そんな目でセレスティアに見つめられ、ウイルバートはあわてて目をそらした。

「いずれあなたはお父様と一緒に領内を廻ることになります。そして、いろいろなことを学んでいくのですよ。」

 再びイルムハートに顔を向けると、セレスティアはそう語り掛けた。

 そう言えば、時々ウイルバートは領内視察にマリアレーナやアンナローサを連れて行くことがあった。娘たちに領内を見せてやりたいからだろうと思っていたが、そういう深い意味があったのかと気付く。

 確かに、それではまだ王都へと移り住むわけにはいかないだろう。

 ガックリと肩を落とす2人の姉と、そんな2人の様子を気に掛けながらそれでも喜びを隠しきれないウイルバート。

 この件はこれで決着がついたかのように見えた・・・のだが。

「2年だけお待ちなさい。マリア、アンナ。」

 続くセレスティアの言葉に、他の4人はポカンとした表情になる。

「本当ならもう少し大きくなってからにしようと思っていましたが、イルムならもう大丈夫でしょう。物事を覚える力も理解する力も年齢以上のものを持っていると、家庭教師の先生方からもお墨付きを頂いていますし。

 イルムには今年から少しずつ領内を見て廻ってもらおうと手配していたところです。」

 どうやらセレスティアはこうなることを予想していろいろと手回しをしていたようである。

 いつの間に?と言う顔でセレスティアを見つめるウイルバート。

 領主として政務を執る際のウイルバートは切れ者で隙が無いと評価されるほどの有能さを発揮するのだが、こと子供のことが絡むとまるで別人のように劣化してしまうのだった。

 まあ、それも彼の人間的な魅力であると周りは好意的に捉えてはいるのだが。

 「2年です。これからイルムには、2年かけてフォルタナの事を学んでもらいます。そして、無事それが終わったら王都へ移り住むことを許可しようと思います。」

 セレスティアの言葉にウイルバートと2人の姉は、喜んでいいのか落胆していいのか微妙な表情を浮かべていた。

 とは言え、自分の要望が半分取り入れられているのだから文句をつけるわけにもいかない。

(絶妙な落としどころ・・・って感じかな。)

 自分の身の振り方を巡っての議論ではあったが、イルムハートは何処か他人事にようにそう思った。

 尤も、まだ親の庇護の元でしか生きられない年齢なのだから、どのみち口を挟む余地はないのだが。

「どうですか?マリア、アンナ。」

「分かりました、お母様。2年待ちます。」

「待ってるからねー、イルムくん。」

 セレスティアの問いかけに気持ちを切り替えた様子で2人の姉はそう答えた。

 ヘタをすればイルムハートが学院に入学するまで待たなければいけなかったところを2年待てば一緒に暮らせるのなら、むしろ喜ぶべきことだとポジティブに受け止めることにしたらしい。

「あなたも、それでよろしいですよね?」

 一方、今だ煮え切らない表情を浮かべるウイルバートに対し、セレスティアはいつもより笑みを深めながらそう問いかける。

 セレスティアの案に異議を唱えたそうな顔をしていたウイルバートだったが、結局は何も言い返すことが出来なかった。

「・・・はい。」

 一言、そう答えるとガックリと肩を落とす。

 既に親離れしつつある子供たちとは違い、まだまだ子離れの出来ないウイルバートであった。


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