平穏な日々と危険な休日
イルムハートがアルテナ高等学院に入学し、既に3ヶ月ほどが経とうとしていた。
その間、学院での勉強に加え自身の鍛錬や新しく組んだパーティー・メンバーの訓練等で何かと忙しい時間を送っている。
とは言っても、字面で見る程殺人的なスケジュールというわけでもない。それでも結構、余裕はあった。
理由は学院の授業プログラムがかなり緩いものだったからだ。
だいたいは午前に3科目、午後に1・2科目程度でその日の授業は終わる。なので、時間的には十分な余裕があるのだ。
尚、この少ない授業時間にはそれなりの理由があった。生徒がアルバイトをする時間を確保するためである。
学院にはイルムハートのような貴族の子女だけでなく、平民の子供も多く通っていた。しかも、地方出身者もいる。
そんな彼等が学院に通う際、最も大きな問題となるのがやはり”金”だった。
学費はタダだし地方出身者のために寮もある。だが、無償なのはそこまでだ。
日々生活するための金まで出してくれるわけではないので、その辺りは自分で捻出しなければならない。例え王都に住んでいる者であってもそれは同じだ。
これが貴族や裕福な家であれば何の問題も無いのだが、一般的な平民の家庭では経済的に中々難しいだろう。
そのため、平民出の生徒達はアルバイトをして金を稼ぐ必要があり、学院もそれを考慮して授業を組んでいるのだった。
最初イルムハートはいくら高等教育とは言え何故5年もかかるのかその長い期間を疑問に思ったものだが、その辺りの事情を知って納得した。
幸いにも学院生の場合、仕事に困ることはなかった。何しろアルテナ学院の生徒と言うだけで身元も能力も保証されているようなものなのだから当然である。
イルムハートの同級生であるエリオとサラもアルバイト組だ。
尤も、2人とも王都在住の上に平民の中では比較的裕福な部類に入るらしく、それほど経済的に差し迫った状況にあるわけでもない。
まあ家計への助け半分、小遣い稼ぎ半分と言ったところだろうか。
「どうだいサラ、仕事には慣れたかい?」
「はい、おかげさまで。商会の皆さんにも良くしてもらっています。」
サラのバイト先はクーデル商会、かつてイルムハートのお付きメイドをしていたエマ・クーデルの実家が営む商会である。
エマはお付きメイドを辞めた後、故郷ラテスには戻らずこの王都の支店で家業の勉強をしていた。それは、少しでも長くイルムハートの近くにいたいと言う彼女の希望によるものだった。
で、そのクーデル商会にイルムハートがサラを紹介したわけだ。
サラは計算も得意で今は経理の手伝いをしているとのこと。
何でもさっそく担当者に気に入られたようで、「魔道具の研究者になるのは考え直して、ウチに入ってくれないか?」と誘われるほどらしい。
「エマお嬢さんも優しい方で、イルムハートさんのことを色々教えてくれるんですよ。小さい頃の話とか。」
そんなサラの言葉にイルムハートはつい子供の頃の恥ずかしい記憶を思い出してしまう。姉2人に愛玩人形として扱われた黒歴史を……。
「えーと、それはどんな話かな?」
「よくお姉さま方と遊んでいたとか、そんな話です。」
「出来ればそれは聞かなかったことにしてほしい。」
「えっ?どうしてですか?」
「あ、いや、何と言うかまあ、やっぱり子供の頃の話ってちょっと気恥ずかしいだろ?」
イルムハートは思わず漏らしてしまった心の声を慌てて取り繕った。
聞かれて困るようなことをエマが言うはずはない。それはイルムハートも分かっているのだが……。
(けど、念のため口止めしといたほうがいいかもしれないな。)
などと、そんなことを考えた。
「いいよなサラは、良いバイト先に恵まれてさ。」
とそこにエリオが会話へと入り込んでくる。
「エリオなんか自分の家の工房なんだから、サラよりもずっと楽だろう?」
エリオの実家は中規模の魔道具工房を営んでいた。
本来なら彼もまた魔道具技師としての道を歩むつもりでいたらしいのだが、次期工房長である彼の兄が「これからはただ既存の技術に頼ってばかりではダメだ。自分達でも新しい魔道具の開発が出来るようにならなくては」と言い出したため学院へと進学することになったらしい。
現在は学院に通いながら実家の手伝いをしている状態だ。
「それがそうでもないですよ。むしろ身内だからってこれでもかというほどコキ使われるんです。」
イルムハートの言葉にエリオはうんざりした表情を浮かべる。
「雑用させられながら同時に魔道具作成の技術も教え込まれるし……もういっぱいいっぱいですよ。
研究職になれって言ったのは兄貴なのに、カルビン工房の子なら技術も憶えなきゃダメだなんて言い出すんです。
そこまで言うなら兄貴が学院に入れば良かったのに。」
「でも、研究職だってある程度は技術に精通していないといけないから、むしろ良い勉強になるんじゃないかい?」
「そんな、他人事だと思って……。」
エリオは口を尖らせながら恨めし気な目でイルムハートを見つめる。これにはイルムハートもサラも笑ってしまった。
「そう言えば、イルムハートさんのほうはどうなんです?新しいパーティーには慣れましたか?」
サラとエリオにはイルムハートが冒険者として活動していることを教えてあった。
最初は2人とも驚いた様子だったが、既にイルムハートが貴族としては規格外であることを理解していたためすぐにその事実を受け入れた。
「まあ、それぞれ騎士科や魔法士科の生徒だから実力には問題無いんだけど……ただ、皆かなりクセが強くてね。」
イルムハートは新しくパーティーを組んだ3人のメンバーを思い浮かべ、思わず苦笑いを浮かべた。
それを見たエリオが先ほどのお返しとばかりにニヤリと笑う。
「いやでもそういったクセのある人間をまとめてこそ、将来高ランクになった時のための”良い勉強”になるんじゃないですかね?」
「……他人事だと思って。」
そう言って口を尖らせて見せるとサラとエリオは楽しそうに笑い、イルムハートもまたつられるように笑顔を浮かべるのだった。
「今日はこの辺りにしておこうか。」
そうイルムハートはパーティー・メンバーの3人に声を掛けた。
場所は王都から少し離れた森。今日は休息日を利用して実戦訓練を行うためここを訪れていた。
と言っても、王都近くのこの森には魔獣などほとんどいない。軍が定期的に討伐を行っているからだ。
そのため、普通の獣以外には多少腕が立てば一般人でもなんとか倒せそうな弱い魔獣程度しか棲んでおらず、素材収集くらいは出来ても実戦訓練にはあまり向いていない場所である。
それでもイルムハートがこの森での訓練を選んだのは、何よりも魔獣を”殺す”経験を積ませるためだった。
確かにパーティー・メンバー達はアルテナ高等学院に入学出来るだけの高い資質を持ってはいる。
だがそれでも本物の”実戦”を経験しているわけではない。実際に自分の手で相手を害したことが無いのだ。
事実、ジェイクもライラも魔獣どころか動物すらその手に掛けた経験など無く、血や屍には慣れていない。
これは実戦にあたりひとつの不安要素になり得る。いざと言う時に怖気付かないよう、言い方は悪いが相手を”殺す”ことにも慣れておく必要があった。
なので、まずはそれを経験してもらうというのが今回の目的というわけだ。
ちなみに、ジェイクとライラには「生き物を殺したことがあるか?」と直接尋ねたイルムハートだが、ケビンにだけはどうしても聞けなかった。何か怖い答えが返って来そうな、そんな悪い予感がしたからだ。
実際、今回の訓練を見る限りにおいて、その予感は間違っていなかったと思うイルムハートだった。
やがて全員が集まったところでイルムハートは皆を見渡した。魔獣の命を奪ったことで彼等に何らかの精神的な異変が出ていないか確認するためだが、どうやらその辺りは大丈夫のようである。
そして次に、それぞれの闘い方に関しての評価を伝える。
彼等の実力はギルドの訓練場で既に確認済ではあったが実戦形式での訓練はこれが初めてであり、アドバイスすべき点はそれなりにあった。
「先ずはジェイク。君は少し前に出過ぎだよ。
君が前衛として前に出るのは当然だし、自分の実力をきちんと把握して闘っていることも解ってる。
でも、パーティーは集団で行動するものなんだ。
だから、他のメンバーとの連携も考えもう少し周りに合わせた動きをしたほうがいいな。」
「連携か……解ってはいるんだけど、どうも上手く合わせられないんだよな。」
イルムハートの言葉にジェイクは頭を掻く。
「こればかりは経験を積んでいくしかないけど、解らないからといって自分のペースだけで動いているといつまで経っても身に付かないよ。
とりあえず前に出るタイミングを合わせてみるとか、そんな単純なことからやっていけばいいんじゃないかな。
尤もこれはジェイクだけじゃなく、僕達全員がお互いに心がける事ではあるけどね。」
その言葉にジェイクが頷くのを見たイルムハートは、次にライラへと顔を向ける。
「ライラはせっかく魔法が使えるんだから、近接戦闘の際には魔法も併用してみたらいいと思うよ。」
「でも、ガチで闘ってる最中に注意を逸らすのは危険じゃない?
魔法を使うとなると、どうしてもそっちに意識が行ってしまうのよね。」
ライラの言ってることも尤もではある。肉弾戦のさなかに相手から意識を逸らしてしまうのは致命的なミスにも繋がりかねない。
「まあこれも慣れなんだけど、そう難しいことは考えずに最初は簡単な魔法でいいんだ。相手の気を逸らすとか目くらましとかそんな感じで。
慣れてくればもっと高度な魔法も使えるようになるよ。」
「うーん、上手く出来るかなぁ?」
「ライラなら大丈夫。何なら最初の内は詠唱を使ってみたらどうだい?」
この世界での魔法は頭の中で思い描いたイメージを魔力に反映させることにより発動するため、実際には詠唱を必要としない。
ただ、その行為は口で言うほど簡単ではなく、特に初心者の場合はイメージを固めるのにかなり手こずることになる。
そのため、最初は詠唱しながら魔法を発動させるやり方で教えられることが多かった。それを何度も繰り返すことによりルーティン化させるのである。
要するに”詠唱”という特定のキーワードを唱えることで特に意識せずとも勝手にイメージが固まるよう自己暗示を掛けてしまうわけだ。
ほとんどの魔法士はその方法で最初の魔法を覚えるため、ベテラン魔法士の場合上級・中級の魔法は無詠唱なのにもかかわらず、初級の魔法には詠唱を使うといった一見不思議な現象が起きることも珍しくなかった。詠唱が体に染み付いてしまっており、つい唱えてしまうのだ。
イルムハートはその”詠唱”を使えば相手から注意を逸らすことなく魔法が使えるはずだとアドバイスした。
「なるほど、詠唱ね。それなら闘いながらでも出来そうだわ。
一度魔法を覚えてしまったら、もう詠唱なんか必要ないと思ってたけど……そんな使い方もあるのね。」
ライラは妙に感心した表情を浮かべる。おそらく、そんなやり方は今まで教わったことがなかったのだろう。
まあ、彼女のように魔法より近接戦闘を好む魔法士など滅多にいないので、わざわざそんなことを教える者などいなかったのかもしれない。
「あとはケビン……。」
最後にイルムハートはケビンの顔を見た。彼は相変わらず清々しい笑顔を浮かべており、それがイルムハートの強張った笑いを誘う。
「あれだけ高確率で毒や呪詛の魔法を成功させるのは正直凄いと思う。」
毒や呪詛のような相手の肉体や精神の内側に直接危害を与える魔法というのは、実のところ使うのがかなり難しい魔法だった。
魔法の発動自体はそれほど難易度が高いわけではない。ただ、相手に対してその効果を付与するのが難しかった。
実力に圧倒的な違いがあるのならともかく、普通は身体強化や気力で容易に抵抗されてしまうのだ。
そのため他の魔法を併用して相手を攪乱し、その一瞬の隙を上手く突くことで魔法を成功させるのが一般的な使い方とされている。
ケビンはその難易度の高い魔法をかなりの確率で成功させることが出来ていた。これは、高い魔法の技術を持っていることの証でもある。
それは確かに凄いことなのだが……。
「でもそれだけじゃなく、一撃で相手を倒す魔法も使ってみたほうがいいんじゃないかと思うんだけど……。」
毒で苦しみ、呪詛により同士討ちをする姿を見ていると、いくら相手が魔獣とは言え正直ちょっと可哀想な気になってくる。
しかしそれをハッキリ言う訳にもいかず、イルムハートの言葉はどこか奥歯に物が挟まったような表現になってしまう。
するとケビンはそのイルムハートの言葉を盛大に誤解した。いや、誤解というより彼独自のフィルターを通して”理解”したと言った方がいいのかもしれない。
「一撃ですか……分かりました。
ずるずると時間を掛けるのではなく、一瞬の内に最大の苦痛と絶望を与えるわけですね。
ちょうどそんな魔法に心当たりがありますので、次からはそちらも使うようにしてみます。」
ケビンは珍しく表情を崩して笑いながらそう言った。どうやら、その”心当たりのある”魔法とやらを使えるのがよほど嬉しいらしい。
それはどんな魔法なのか?もしかすると禁術ではないのか?
イルムハートだけでなく他の2人もそんな疑問を抱いたのだが、答えが怖くて誰もそれを口にすることが出来ない。
3人は背筋に何かうすら寒いものを感じながら、強張った表情でただケビンを見つめるだけだった。