初めての学友と新しい仲間 Ⅰ
「以上で今日の授業は終わります。次回は魔道具の歴史について勉強しましょう。」
教師は本を閉じると生徒達を見回してそう言った。
尤も、生徒”達”と言ってもその数は僅か3名だけだったが。
しかし、これでも専科の生徒としては多い方である。生徒数1名とか2名とかの専科がほとんどなのだ。
「今年の魔道具専科は実に人材豊富で、私はとても嬉しいですよ。」
初顔合わせの際、教師はそう言った。その目には薄っすらと涙まで浮かんでいたようにも見えた。
何でもここ数年は毎年1名のみしか志望者がいなかったようなのだ。それが一気に3名にまで増えたとなれば、感極まるのも無理ないことかもしれない。
イルムハートがアルテナ高等学院の学術科に入学しておよそひと月が過ぎようとしていた。
彼と同じように魔道具専科を選択したのは他に2名。エリオ・カルビンという男子生徒とサラ・コレットという女子生徒だ。
今まで家庭教師と1対1でしか授業を受けた事のないイルムハートにとっては、初めて共に勉強する友人ということになる。
最初、イルムハートと同じ専科だと知った彼等は言葉を失った。それは驚きが半分、畏れが半分といったところだろうか。
いずれも平民出身である彼等にとって、イルムハートは別世界の住人でしかない。どう接していいものやら、半ばパニックになりかけたのだった。
「普通に接してくれて構わないよ。」
とイルムハートに言われはしたが、「ハイ、そうですか」ともいかない。却っておどおどするばかりである。
ある程度予想はしていたものの、これにはイルムハートも困り果てた。
普通の貴族子女なら当然のこととさして気にもしないのだろうが、庶民だった前世の肌感覚が残るイルムハートにとっては居心地悪い事この上ない。
「そんな堅くなってばかりいては授業にも身が入らないだろう?
君たちの勉強に支障を出させてしまっては僕としても困るんだ。
だから、せめて学院では普通の友達として接してくれると嬉しいんだけどね。」
まあ、さすがに”普通の友達”というのは無理なようだったが、それでもなんとか畏まった物言いと”様”付けの呼び方だけは止めてもらった。
「イルムハートさんて、考え方があまり貴族らしくないですよね。」
「ホント、変わってるよな……いや、変わってますヨネ。」
とまあそんな感じで、まだどこかぎこちないがそれも仕方ないだろう。むしろ、ひと月でここまで打ち解けてくれれば上出来と言っても良い。
(次は”さん”付けを止めさせるのが目標だな。)
そんな彼等との距離を詰めることに、何やら俄然やりがいを感じ始めるイルムハートなのだった。
そんなある日、イルムハートに冒険者ギルドから呼び出しがあった。
当面は学業優先のため冒険者活動を休止する。そう伝えてあるので魔獣討伐関連の話ではないと思うのだが、どうにも嫌な予感がした。
「ギルド長は油断出来ないからな。」
冒険者ギルド・アルテナ本部のギルド長、ロッド・ボーンは決して悪い人間ではない。公正で部下思いの信頼できる人間ではある。
だが、それと同時にしたたかな男でもあった。
ここバーハイム王国における冒険者ギルドの代表として、王国の官僚達とも渡り合うような人間だ。
イルムハートも前世の知識を持っているため見た目とは異なり中身は十分大人なのだが、それでもロッドにはかなう気がしなかった。積み上げてきたキャリアが違うのだ。
そんなロッドがわざわざイルムハートを呼び出し話をするからには、また何か企んでいるのだと容易に想像がつく。
「ヘンなこと押し付けられないように、気を引き締めてかからないと。」
そんな風に思いながらやがて休息日を迎え、イルムハートは冒険者ギルド王都本部を訪ねた。
「まさかこんなにすぐギルドに来ることになるとは思ってなかったな。」
今のイルムハートは毎日学院へ通わなければならないのだ。仮に冒険者として活動するにしても学院が休みである休息日しか出来ないわけだが、それでは大した依頼も受けられない。せいぜいが王都の近くで弱い魔獣を倒し素材を集める程度である。
日々の生活がかかっているのならそれでも我慢するしかないのだろう。しかし、イルムハートにそんな生活の心配など無用だった。
他の冒険者には申し訳ないが、彼にとって冒険者活動はあくまでも”趣味”でしかないのだ。少なくとも学生である内は。
そのため、十分に時間が取れる学期間の長期休みに入るまでは冒険者としての活動を休むつもりでいた。
その間ギルドに来ることもないだろうと思っていたのだが……結局、前回からひと月ちょっとでまた訪れることになってしまった。
「いらっしゃい、イルム君……じゃなかった、イルムハート君。」
受付担当の女性、イリア・ラストが目ざとくイルムハートを見つけ声を掛けてきた。
「別にイルムで構いませんよ。」
「そう言うわけにはいかないわ。」
イルムハートの言葉にイリアは真面目な顔で返す。
イルムハートの場合まだ愛称で呼んでも失礼になるという歳でもないのだが、学院への入学を機にきちんとした呼び方をするようにしたのだそうだ。一人前として扱うために。
「じゃあ、あたしはイルム君って呼ばせてもらうわね。あたしだけは。」
そこへ割り込んで来たのは、同じく受付担当のルイズ・アノーだ。彼女とイリアはいいコンビである。……主に、掛け合い漫才の。
「何言ってんのよ。学院生になったらちゃんと名前で呼ぶって決めたでしょうが。」
「あら、それはあくまで仕事上の話でしょ?
あたしとイルム君は単なるビジネス・パートナーを越えた仲だから別に良いのよ。」
「そんなわけないでしょ。何寝ぼけてるの、このおバカ女は?
胸ばっか育ったせいで、脳ミソに栄養が回ってないんじゃない?」
「あら、胸にも栄養が回らなかった可哀想なオンナに言われたくはないわよ。」
「何ですって!?」
「何よ!?」
始まってしまった。
2人は決して仲が悪いわけではない。むしろプライベートでも一緒に過ごすことの多い、いわば親友といった間柄だった。
しかしイルムハートが絡んでくると、たまにこうしてバトルを繰り広げてしまうのだ。
だがそれも自分をダシにしてじゃれ合っているだけなのだと分かってきたので、イルムハートも最近はあまり取り合わないようにしていた。
そんな2人を放っておいてイルムハートが別の男性職員に目をやると、彼は軽く頷きながら奥の方を指さした。ギルド長が待っていると言う合図だ。
イルムハートは男性職員に笑顔を返すと、そのまま受付の脇を抜けて奥へと入ってゆく。
(ここでは皆が気さくに接してくれるから居心地は悪く無いんだけど……ちょっと騒々しいかな。)
思わず苦笑するイルムハートの背後では、まだイリアとルイズの口論が終わることなく続いていた。
「ようイルムハート、よく来たな。まあ座れ。」
イルムハートが執務室に入ると、ギルド長のロッド・ボーンが立ち上がって彼を迎えた。相変わらず筋骨隆々で威圧感の塊といった感じだ。
「はい、それでは失礼します。」
「ひさしぶりだな。最近は顔も出さずつれねえじゃねえか。」
ロッドはそんなことを言いながら執務デスクからソファへと移動しイルムハートの向いに腰を下ろす。
「リックさんの送別会でお会いしたじゃないですか。あれからまだひと月ちょっとしか経っていませんよ。」
リックとはつい最近までイルムハートの後見人を務めていた冒険者リック・プレストンのことである。イルムハートにとって彼は冒険者としての師とも言える存在だった。
その彼がAランク試験とギルド長研修のために冒険者ギルド総本部のあるアンスガルドへと旅立ったのが5月の末。
ロッドとはその送別会で顔を合わせているので、まだそれからひと月ほどしか経っていないのだ。
「ひと月も間が空いてりゃ十分だろうが。依頼を受ける受けないにかかわらずギルドにはまめに顔を出しておけ。でねえと世の中の流れに乗り遅れるぞ。」
冒険者というもの、何も考えずただ依頼を受けそれをこなせばいいというものではない。魔獣発生状況から果ては土地土地の治安状態まで、様々な最新の情報を仕入れておく必要があるのだ。
でなければ冒険者として仕事が出来ないというわけでもないのだが、少なくとも上のランクを目指す者にとってそれは必要なことだった。そして何よりも長生きするために。
なので、ロッドの言うことも正論ではある。あるのだが……どうしても何か企んでる雰囲気を感じてしまうのだった。
「ご忠告ありがとうございます。……それで?今日は何の御用ですか?」
思わず気持ちが声に出てしまったのだろう。そんなイルムハートの言葉にロッドは苦笑を浮かべた。
「相変わらず用心深いな、お前は。」
「……ギルド長が相手ですからね。」
ロッドが悪人でないことは分かっていた。決して無理難題を押し付けて部下を困らせるような人間ではないことも。
だが、予想外の話を不意打ちのように投げ付けてくる人間でもあった。そのことも身に染みて理解しているのだ。
「随分と警戒されたもんだな。まあ、それはいいとしてだ……。」
案の定、何か企んでる顔でロッドはニヤリと笑った。
「お前、パーティーを作ってみちゃくれないか?」
「はあ?パーティーを作る?誰かのパーティーに入るとかじゃなくて、自分で作るんですか?」
十分に用心していたつもりだったがやはり不意を突かれてしまい、イルムハートは間の抜けた声で問い返す。
そして、何を言ってるんだこの人は?といった表情でロッドを見つめた。
そんな反応を見て、ロッドはまたほくそ笑む。上手く相手を驚かせたことに満足しているのだ。要するに確信犯なのである。
「そうだ、お前のパーティーを作るんだ。」
「でも僕は学院があるので当分冒険者の活動は出来ませんよ?それなのにパーティーを作ってどうするんです?」
「休息日で授業が休みの時にすりゃいいじゃねえか。」
「1日しかないんじゃ大した依頼は受けられませんよ。しかも、毎週というわけにもいきませんからせいぜい月に1度か2度くらいです。
そんな中途半端な活動しかしないパーティーに入ろうなんて考える人がいるとは思えませんけど。」
「いや、メンバーはもう決めてある。」
「……。」
イルムハートは無言のまま、少しだけ恨めし気な目をロッドに向けた。
どうやら全てお膳立て済みということらしい。後はイルムハートの答えを聞くだけで、そのために今日ここへ呼び出したのだろう。
尤も、”答えを聞く”と言ったところで、イルムハートにノーと答える権利が認められていないのは明白だった。
「……説明してもらえますか?いろいろと。」
イルムハートは早々に観念した。とりあえず話だけは聞こう、と。
「それもそうだな。何の説明も無しにパーティーを作れと言われても、意味分かんねえだろうしな。」
そんなロッドの台詞にイルムハートは「だったら最初からそうすればいいのに」と思ったが口に出しはしなかった。恨み言を口にしたところで、ロッドを楽しませるだけだからだ。
「実はアルテナ学院の新入生が3人、冒険者登録をしに来たんだ。」
「学院の生徒が?」
これには軽い驚きを感じた。
アルテナ学院の生徒と言えば、いわばこの国の将来を背負って立つエリートである。それを何が悲しくて冒険者なんぞに、と誰でもそう思うだろう。
「随分と物好きな人間がいるんですね。」
「お前がそれを言うかね。」
イルムハートが思わず漏らした言葉にロッドは苦笑する。
ロッドからしてみれば辺境伯の息子という恵まれた環境にありながら現在進行形で冒険者ギルドに籍を置くイルムハートこそ、物好きの最たるものとしか思えなかったのだ。
「それもそうですね。」
それにはイルムハートも苦笑で返すしかなかった。
「実を言うと毎年何人かはいるんだよ、そんな”物好き”が。
まあ、宮仕えなんかと違って自分の腕一本で成り上がれる職業だから、そういった単純明快なところがいいのかもしれん。
冒険者だって高ランクになってくると腕っぷしだけじゃなくて学も必要になるんだ。
学院を出た連中はその点でも有利だしな。」
「なるほど、そうなんですか。」
「で、そうやってせっかく入って来た連中なんだが……残念ながら学生という身分が足枷になっちまうんだ。
最初はFランクから始まるため誰か他の冒険者と組まなきゃ依頼を受けることが出来ないことになる。」
冒険者として登録すると、まず6段階あるランクの内一番下のFランクから始めることになる。
Fランクにはいろいろと制限が付いており、その中のひとつにFランクだけでは依頼を受けることが出来ないというルールがあった。
不慣れな新人が危険な目に会わないようにするため、上のランクの冒険者と共に行動することが義務付けられているのだ。
「だが、お前の言ったように学院生は学院優先になるので、活動出来る時間にどうしても制限がかかっちまう。
そうなると中々他の冒険者とスケジュールが合わせ辛くなるからな。そこが問題になるんだ。」
その点を考慮して、慣れるまではギルドが他の冒険者との仲介もしているらしい。
まあアルテナ学院の生徒はいわば金の卵のような存在なのである程度サポートしたくなるのも分かるが、他の新人たちとの扱いが違うののもそれはそれで問題だろう。
ロッドもその辺りには頭を悩ませているようだった。
「あからさまな真似をして、学院生だけを優遇してると思われても困るしな。
それでいろいろ苦労してたんだが、どうやら今年はその必要もなさそうだ。
何たってお前がいるからな。」
なるほど、そういう事かとイルムハートは納得した。要するにロッドはイルムハートに付き添い冒険者役をやらせようとしているのだ。
「Eランクのお前なら依頼も受けられるし、何より同じ学院生だからスケジュールも合わせやすいだろ?
どうだ?そう言うわけなんで、そいつ等をまとめてお前のパーティーを作っちゃくれないか?」
「んー、僕なんかにリーダーが務まりますかね?」
「大丈夫、お前はあのリック・プレストンが認めた男なんだからな。
お前になら安心してあのひよっこ共を任せられるってもんさ。」
やはりロッドは喰えない男だとイルムハートは思った。
リックの名を出されては無下に断るわけにもいかなくなる。そこを分かって言っているのだ。
「……相変わらずズルいですね、ギルド長は。」
「おう?何がだ?」
イルムハートは少しだけ非難めいた目を向けるが、ロッドはどこ吹く風でしらを切る。
「いいですよ、分かりました。
とりあえずその人達と話をしてから決めたいと思いますが、それでよろしいですか?」
「勿論だ。連中にも呼び出しを掛けてあるので、そろそろ下の会議室に集まってる頃だろう。存分に話を聞いて来てくれ。」
そう言ってロッドは満足そうに笑った。
結局、全てはロッドの段取り通りということなのだろう。
(やっぱりこの人には敵わないや。)
そう思いながらイルムハートは少しだけ肩をすくめ、心の中で溜息をつくのだった。