始りの言葉と魂の記憶
それは実に不思議な”言葉”だった。
この世界、古の文明を滅ぼしたとされる大災厄が起きる前は巨大な単一の国家であったと考えられていた。
その理由は言語である。
世界は広い。しかも人族だけでなく魔族や獣人族まで存在していた。
なのに使われている言語は全て同じなのだ。
勿論、長い年月の間に変化し独自の進化を遂げたケースもあるが、それでも多少”訛り”が強いと言った程度で基本は同じなのである。
これは、過去にはひとつの国として統治されていたためとしか考えられない。
確かに、聴き取り辛いとか独特な言い回しが良く解らないとか、そう言った意味で”知らない言葉”というものはある。
それでも、どこか一部には慣れ親しんだ言語が含まれているのが普通だった。
しかもカイルはその仕事柄様々な土地へ赴く事が多く、いろいろな地方の言葉を知っている。
そんな彼ですら信徒が口にした言葉の一片にすら聞き覚えが無かった。当然、理解も出来なかった。
だが、それ自体は不思議というほどでもない。
外部に秘密が漏れないよう教団が独自に創り出した暗号言語かもしれないのだ。
その”言葉”が本当に不思議なのは、聴いた者の記憶に残らないという点だった。
どんな見知らぬ言語であっても、その発音などは判別出来るし記憶にも残る。例え意味は理解出来ないとしてもだ。
イルムハート達は信徒の口から出た”言葉”を確かに聴いた。そしてそれが未知の言語であることを理解した。
にもかかわらずその”言葉”については発音も言い回しも、それどころかどの位の長さの言葉であったかすら全く記憶に残らないのだ。
それは異常なことである。全員が自分自身を疑った。
本当に聴いたのか?もしかすると幻聴ではなかったのか?
だが、『そうではない』という答えが自分の頭の中から……いやもっと奥深く、そうまるで魂の中から出てくるかのように帰って来る。
魂で理解する言語、”始りの言葉”。
一部の聡い者の脳裏にはその名が浮かぶ。
人はその魂の中に”始りの言葉”の記憶を持つとされる。
それはあくまでも仮説でしかないが、そう信じる者は多い。
何より、今自分の中で起きていることがそれを実証している。そんな風に感じられた。
そしてそれは、思いを抱いた者に底知れぬ畏れを与えた。
これがもし”再創教団”が自分達に向けて放った”始りの言葉”であるならば、間違いなく攻撃を意図するもであるだろうからだ。
直後に始まった大地の鳴動が嫌が上でもその思いを強めてしまう。
神の御業すら再現出来る言葉である。
これからどんな災厄が自分達に降りかかってくるのか。
それを想像した時、絶望にも近い感情が彼等を包み込むのだった。
(これはいったい何?どう言うこと?)
信徒が発した(おそらく)”始りの言葉”を聴いたイルムハートは大いに戸惑っていた。
彼もその言葉を知らなかったし、それに関する記憶が残っていないことも自覚していた。
だが、イルムハートを戸惑わせているのはそれではない。
勿論、異常な状況であることは理解していたが、それよりもっと有り得ないことが彼の中で起きていたのだ。
(何で意味が理解出来るの!?)
そう、イルムハートには言葉の意味が理解出来たのである。
確かに、言葉そのものについては全く記憶が無い。本当に口にしたのかどうかすら疑いたくなるほどだ。
なのにそれが何を意図したものなのか、何故かそれだけはハッキリと頭の中に残っていた。
信徒が発したのは”始りの言葉”なのではないか?という思いはイルムハートも抱いている。
決して論理的とは言えないにしても、この状況を説明するにはそう考えるしかなかったからだ。
しかし、仮にそうだとして何故自分にその意味が理解できるのか?
他の者もそうなのかと辺りを見回してみるが、どうも違うようだった。
皆、鳴動する大地を気にしながらも落ち着かない様子で四方の空を見やっている。
どこからか、魔法による攻撃が襲ってくるのを警戒しているのだ。
まあ、当然の反応だろう。但し、信徒が口にした言葉の意味を理解していなけければだが。
しかし、イルムハートは知っていた。
この大地の鳴動こそが既に敵の攻撃なのだと。
『大地を司る者よ、その怒り持て全てを焼き尽くし給え』
信徒はそう言葉を発した。
”大地”、”怒り”、”焼き尽くす”。そして、その言葉に合わせて起きた異常。
(これはマズいかもしれない……。)
何故自分には意味が理解出来るのか、それは大きな疑問ではあったが、それどころではないのだと気を取り直す。
疑問の解明は後回しだ。早急に避難しなければ大変なことになる。
そう判断しイルムハートが警告を発しようとしたその時だった。
窪地の東側の斜面で大爆発が起こる。
「シャル、お前か!?」
「そんなわけないでしょ!」
デイビッドがそう口にしてしまうのも仕方のないことだった。
その爆発は部隊の突入時にシャルロットが起こしたそれと規模も威力もそっくりだったからだ。
それよりは多少黒味がかった雲は天を突き、立っているのがやっとな程の振動と凄まじい爆風が全員を襲う。
その恐ろしさに皆は冷や汗をかいたが、同時に安堵もしていた。
狙いが外れた。そう考えたのだ。
だが、爆発そのものが攻撃ではなかった。
よく見ると黒い雲の中に赤く光る点が舞っているのが判る。
そしてすぐに、それが何なのか身を持って知ることになった。
「火山弾です!気を付けてください!」
それはシャルロットが起こした疑似的な噴火とは違う、正しく火山噴火による爆発だったのだ。
イルムハートがそう警告を発したが、盾を構えるのが間に合わず数人の兵士が直撃を受けてしまう。
即座にイルムハートとシャルロットが防御魔法を展開を発動させたものの、被害を押さえることは出来なかった。
物理防御の魔法で火山弾の威力は弱めることが可能だ。運動エネルギーを減衰させるのである。
なので直撃しても身体強化を掛けてさえいれば大事には至らない。
しかし、それが持つ熱までは消し去ることが出来ないのだ。
何故ならその熱は大地が持つ自然のエネルギーであって、魔法によって産み出されたものではないからだ。
それでは魔法防御も全く効果が無い。
おそらく数百度はあるであろう物体が直撃すれば、いくら威力が落ちていようとその熱で大きくダメージを負ってしまう。
光魔法による熱操作も火山弾のあまりの数の多さに到底追いつかない。
すぐさま防壁魔法も展開しはしたが、何分その場の人数が多すぎた。
50人ほどの人間をイルムハートとシャルロットの2人でカバーするのはかなり難しい作業だった。
しかも、捕虜の中にはパニックになり逃げだそうとする者までおり、更に困難を極める。
とりあえず兵士は盾を持っているので、皆無ではないにしろ何とか自力でダメージを防ぐことは可能だった。
だが、逃げ出した捕虜までは手が回らず、火山弾を受け服が燃え上がる者も続出した。
「このままでは不味い!向こうへ避難しましょう!」
そう叫びながらカイルは反対側へと皆を誘導しようとした。
だが……”大地の怒り”はそれで収まらなかった。
何と、避難しようとした西側の斜面でも爆発が起こったのだ。
それだけではない。立て続けに北側・南側でも爆発が起こる。
「マジかよ!?ヤバ過ぎるだろ、これ!」
口にこそ出さないものの、誰もがデイビッドと同じ思いだった。
四方から雨あられと飛んでくる火山弾。
それだけでも危険極まりないのに、もしこれが火山噴火であるならば更に厄介な事態が襲いかかってくるはずだった。
「……おいおい、ホントに出て来ちまったぞ。」
再度の爆発が起こり火口が吹き飛ぶと、そこからは蒸気を上げながらオレンジ色の固体とも液体ともつかぬものが流れ出して来る。
それは、熱く煮えたぎった溶岩だった。
地脈とは地中を流れる魔力の”河”が地表近くまで上昇してきている場所のことで、地質とは無関係である。
勿論、火山地帯に存在する地脈もあるが、そのほとんどは平坦な普通の土地である場合が多い。
そしてここ第4地脈も、森と平原がその大部分を占める火山とは縁遠い場所のはずだった。
そんなところで起きた突然の火山噴火。
常識的には起こり得ないことではあるが、”始りの言葉”の前では有り得ないことなど有り得ないのだ。
事ここに至っては、信徒が口にした言葉が”始りの言葉”であることを疑う者はいなかった。
それ以外にこの状況を説明する理由が思いつかなかったからだ。
四方から迫る来る溶岩に対し一同は成す術も無い。
土魔法で防壁を造り出しはしたがそれとて万全ではない。
いずれそれすら乗り越えてくるだろう。
いやそれ以前に例え直接溶岩に触れなくとも、その高温に周囲を取り囲まれてしまってはそれだけで命が危険に晒されることになる。
その圧倒的な熱量の前には、光魔法も氷魔法も正に焼け石に水だった。
幸運、と言っていいかどうかは分からないが、押し寄せて来た溶岩は先ず坑道へと流れ込んでいく。
そのせいで少しばかり時間の猶予が出来たわけだ。
おそらく坑道の中に残っていたであろう教団の痕跡はそれでふいになってしまうだろうが、そのことに不平を漏らす者はないかった。
だが、その猶予も一時的なものでしかない。
そう長くは無い時間の後に、坑道からすら溢れ出した溶岩は彼等を襲って来るはずだ。
誰もがこの状況を回避するための策を必死で考えたが、何一つ妙案は浮かばなかった。
イルムハートもまた同じである。
最初、飛行魔法での離脱を考えたが、この人数全員を飛ばすのは難しい。
そもそも、火山弾の飛び交う中をふらふらと飛び上がるなど自殺行為である。
となると、残った手段は転移魔法しかないのだが……それはイルムハートに対し酷く苦しい決断を迫るものだった。
転移魔法なら安全にこの場から避難することが出来る。それは間違いない。
しかし問題はそんなことが可能かどうかだった。
とりあえず溶岩から離れればいいだけなので、それほど距離は必要としない。窪地の外側までで十分だろう。
であれば50人という人数もイルムハートの魔法力を持ってすればさして問題にはならなかった。
但し、それは普通の状態ならばである。
転移魔法にはかなりの魔力を必要とするし、何よりも精密な制御が必要だった。
この四方から降り注ぐ火山弾を防ぎながらそれが出来るだろうか?
答えはイエスでもありノーでもあった。
ゲートを開くことは可能だ。だが、それを維持できる時間は極めて短い。
50人もの人間が移動するほどの時間、ゲートを開き続けるのは不可能だった。しかも、開けるのはおそらく一回限り。
他の者を見捨てさえすれば、自分とあと数人だけは助かることが出来る。つまりはそういうことなのだ。
一度自分だけ転移して安全な場所から再度ゲートを繋ぎ直す方法も考えたが、今ですらイルムハートとシャルロットの2人がかりの魔法で何とか凌いでいるのだ。
更に量を増す火山弾と溶岩を前に、もしイルムハートが抜ければとても防ぎ切れはしないだろう。
結局は皆を見捨てることになりかねない。
仮に、もしイルムハートが自らの安全のみを考えた行動を取ったとしても、少なくとも面と向かって彼を非難出来る者はいないはずだ。
それが出来るのはこの状況で全員を助け出せるだけの力を持った者だけだが、むしろその困難さを理解出来る分、その者は同情こそすれ責めたりはしないだろう。
イルムハートもそれは解っている。どうしようもない事なのだ。
しかし、だからと言って簡単に割り切る事は出来ない。
リック達パーティーの面々は当然ながら、今回行動を共にしている兵士達も既に彼にとっては大切な仲間なのだ。
その内の誰かを切り捨てるなど、そんなことは出来なかった。したくなかった。
どうすればいいのか、その答えが出せずにイルムハートは己の無力さを呪った。
自分は並外れた魔法の能力を持っている。今までイルムハートはそう考えていた。
それは決して自惚れではなく、誰もが認めることだった。
しかし、それがどうだ?
今ここには仲間を助けることも出来ずに泣き言を言うしかない自分がいる。
常識外れの能力がバレないように加減する?
何という自惚れか。本当にそんな力があるのなら、今すぐにでも皆を助けられるはずだ。
他人の目など気にせず、もっと努力して魔法を極めておけば良かったのだ。
今さら後悔しても仕方のないことではあったが、そう考えずにはいられなかった。
深い悔恨と絶望の念に苛まれたイルムハートは、そのせいで逆に精神が内に向かって研ぎ澄まされてゆく。
まあ、悪く言えば現実逃避とも言える。
その思考は奥へ奥へと、どんどん深い処へと潜って行った。
そして一番深いところまで辿りつたその時、彼は”それ”を見つけた。
”それ”はある言葉だった。
無意識の内に小さくその”言葉”を口にする。
その”言葉”もやはりイルムハートの知らないものであった。
それどころか信徒の発した言葉同様、何ひとつ記憶にすら残らない。
それでもその”言葉”が意味するところは理解出来た。
『大地よ、平穏なれ』
たったそれだけだった。
それだけだったが……大地はその言葉に答えるように静けさを取り戻したのだった。