教団の抵抗と呪詛の魔法
闘いの趨勢は圧倒的に突入側の有利で進んだ。
アジトを警備している連中も多少の訓練は受けているのだろうが、兵士達と比べればその練度が圧倒的に低かったせいもある。
だが一番の要因は、突入側が最も警戒していた人造の魔人も異形の魔獣も全く姿を現さなかったからだ。
後で判ったことだが、既にこの時点であらかた撤退作業が済んでしまっていたのがその理由だった。
そのため、アジトには後始末を行う下働きが十数名とそれを統率するひとりの信徒のみしか残っていなかったのだ。
どうやら教団が撤退を決めたのは昨日ではなく、暴走した人造魔人がオムイの村を襲った時点で決断された模様である。
魔人を暴れさせ人々を不安にさせるのも目的のひとつとは言え、それには場所もタイミングも上手くなかった。
しかもあの結末である。
人造魔人は倒され、尚且つ証拠となりうる魔石まで敵に与えてしまったのだ。
そんな状況でまだ作戦を続行出来ると思うほど甘い考えを持った連中ではないのだろう。
その引き際の潔さは敵ながら称賛に値すると言えた。
正体が露見する危険を冒してまでタロレスの軍施設を襲ったのも、今にして思えば既に撤退が決まっていたからに違いない。
おそらくこの場所を突き止められるのも想定内なのだろう。
ただ、教団がひとつ読み違えたのは王国軍の動きの素早さであった。
襲撃を行った昨日の今日で、まさか逆襲を受けるとは思ってもみなかったのだ。
場所を特定し、討伐軍を編成するのには急いでも数日はかかるだろうと予測していた。
まあ、それも仕方のないことではある。
もしカイルという王国から強権を与えられた人物とイルムハートという並外れた魔法力を持った子供、この2人がいなければおそらく教団の予想通りになっていたはずなのだ。
そんな状況では教団側に王国軍を撃退するだけの力などあるわけがない。万が一の勝利すら望めないだろう。
しかし、それでも教団側は抵抗を止めなかった。
王国軍としては敵の命までは取らぬよう加減していたのだが、それを知ってか知らずか玉砕覚悟の闘いを仕掛けてくるのだった。
これにはイルムハート達も辟易する。
どう考えても勝ち目など無いことぐらい分かろうものだが、それでも闘い続けようとする。まるで命など要らないかのように。
彼等の全てが狂信者なのであればそれも納得はいく。
だが、カイルの話によれば下働きには貧民の出が多く、食うために仕方なく教団に身を置いている者も少なくないとのことだった。
そんな連中が教義のために命を捨てるようなまねをするだろうか?
無理やり闘わされているのだとしても、この状況で高い戦意を維持できるとは思えない。
イルムハートは何か嫌な予感がして、彼等に魔法探知を掛けた。
すると、彼等自身のものとは別の魔力が体を取り巻いているのが判る。
(呪詛魔法だ!)
呪詛魔法とは相手の精神や肉体を支配してしまう魔法だった。
催眠術のように暗示を掛ける使い方が一般的だったが、高度な技術を持った魔法士ならば魔法を掛けた対象を離れた所から遠隔操作することすら出来る。
まあ、この場合はそこまでの必要も無い。
単純に『死ぬまで闘え』と暗示を掛けさえすればいいのだ。
ふと辺りを見回すと、少し離れた場所で数人の下働き達に守られたこの場でただひとりの信徒がしきりに檄を飛ばしていた。
これは決して闘う者達を鼓舞しているわけではない。
呪詛魔法が掛けられているのを知った上で、言葉でその効果を上乗せしようとしているのだ。
(こいつは……信徒達は生かしておいちゃいけなんじゃないか?)
イルムハートはこの世界に生を受けてから、これほど他人に対して強い殺意を抱いたことはなかった。
”再創教団”が世界の滅亡を目論んでいると聞いても、実のところそれほど怒りを感じたわけでもない。
そもそも狂信者とはそんなものである。常人には理解出来ない世界に生きる者達なのだ。
それをこちら側の価値観で断罪しようとしても無駄なだけだろう。
滅びたければ自分達だけ勝手に滅びればいい。それを止めるつもりなどなかった。
しかし、自分の意思で死を願うわけではない者達まで巻き込む考え方は到底受け入れられない。
今この場で闘っている下働きの者達だってそうだ。
呪詛魔法を掛けるということは、彼等には必ずしも教団のために命を捨てる覚悟があるわけではないことを意味する。
怯えて逃げ出すことの無いように魔法を掛けているに違いないのだ。
そんな、人間を使い捨ての駒としか見ないような連中にイルムハートは激しい怒りを感じた。
別に人道主義に目覚めたわけではない。
この世には生かすべき命もあれば奪われても仕方のない命もある、今もそう考えている。
だが、目の前で闘っている者達は決して後者ではなかった。
その命を己にために使い捨てようとする者に対して、単純でしかし純粋な怒りを感じたのだ。
もしカイルに止められていなければ、イルムハートは信徒に切り掛かっていったかもしれない。
いや、それがあってすら殺意の衝動を抑えるのは難しかった。
そんな彼をかろうじて押し止めたのは、カイル率いる別動隊の参戦だった。
アジトへの突入は2段構えで行う作戦だった。
魔法で敵の注意を引き付ける。それはそれで有効な手段ではあるが、かと言って多くの時間を稼げるとも思っていない。
それでもまだ十分に迎撃態勢を整えるだけの余裕が敵にもあるはずだった。
なので、魔法に加え最初に突入する部隊で更に敵の注意を引き付け、そこへ別動隊が横腹から追撃を掛ける。そう決まったのだ。
戦力を分散させてしまうことになるが、奇襲効果を考えればそれを補って余りあるだろう。
それに、相手が魔法で迎撃してくる可能性も考えれば逆に密集しないほうが得策とも言えた。
とまあ、色々考えての作戦だったのだが……結果的にはその必要はなかったわけだ。
主戦力のほぼ全てを欠き、人数的にも劣勢な集団が相手であれば強引な力押しでも十分だったかもしれない。
尤も、そこまで判っていたわけではない以上、慎重に事を進めるのは当然ではあるのだが。
死すら恐れぬ教団側の闘いでそれまでなんとか保たれていた均衡も、別動隊の参加によって崩壊する。
王国軍側が人数で圧倒的に有利となったからだ。
その上、更にリックとシャルロットも合流する。
突入部隊の兵士達は、斬るのではなく殴り付ける闘い方で相手を倒していった。
いくら暗示を掛けられていても意識を削り取られてしまえば意味は無い。
ひとり、またひとりと敵の数は減ってゆく。
そんな中、いまだヒステリックに叫び続ける信徒の前にカイルが立ちはだかった。
そこにはイルムハートの知る、温和で飄々とした彼の姿は無い。
ぞくりと寒気を感じさせるほどに研ぎ澄まされた殺気を放つ見知らぬ男と化していた。
どちらが本当の彼なのかなどという疑問は無意味である。
単純にスイッチがオンとオフになっているだけの違いでしかなく、どちらも彼本来の姿なのだ。
そんなことは百も承知なのだが、それでもイルムハートはその落差に驚きを隠せなかった。
正しくプロフェッショナルなのだと、そう感じさせられた。
そんなイルムハートの視線を背中に受けながら、カイルは静かに信徒へと近付いて行くかのような素振りを見せた。
が、これは見せかけの動きである。
その動きに惑わされた信徒は、即座に攻撃へと移らずに思わずひと呼吸ついてしまった。
瞬間、目にも止まらぬ速さでカイルは一気に距離を詰める。
虚を突かれた信徒は慌てて攻撃魔法を発動するが、焦りからか魔力制御がおぼつかず著しく威力が落ちてしまう。
カイルもリック同様、闘気に体内魔力を融合させることで防御魔法に似た効果を作り出すことが出来た。
そんな彼に不発の魔法など効きはしないし、そもそも苦し紛れの技など当たるはずもない。
それを軽く躱したカイルは、手に持った何か大きめの釘のようなものを信徒の肩に突き刺した。
だがその程度のものが刺さったところで、人の動きを止められるものではない。
信徒は痛みに顔を歪めながらも、今度は正しく魔法を発動させカイルを攻撃した……つもりだった。
しかし魔法は発動せず、信徒の顔が今度は驚きで歪む。
実はカイルが突き刺したものは魔石が仕込んである”くさび”だったのだ。
魔法を発動させるには体内の魔力を正しく制御する必要があった。
その際、自分のものとは異なる魔力が体内に存在すると、制御が乱されて一時的に魔法が使えなくなってしまうのである。
まあ、時間が経てばそれにも慣れて再び魔法が使えるようにはなるのだが、今の彼にそんな猶予は与えられていない。
そのことに気付いた彼は必至で引き抜こうともがいたが、くさびには返しが付いておりそう簡単に抜けるものではなかった。
もがけばもがくほど悪戯に痛みが増すばかりで、信徒は焦りと苦痛で半狂乱状態になる。
カイルはそんな彼を冷たい目で見つめながら、今度は本当にゆっくりと歩を進め近付いて行く。
そして、信徒の顎の辺りを軽く撫でるような仕草をした。
すると途端に信徒は意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。
これは魔法ではない。顎を殴ることで頭蓋を揺さぶり、脳震盪を起こさせたのだ。
傍目には軽く撫でたようにしか見えなかったが、最も揺り幅が大きくなるポイントを的確に突いていたのだった。
それは人体の構造を熟知した上での高度な技である。
剣を振るうのとは別の形で対人戦闘を極めているのが、王立情報院第3局工作員カイル・マクマーンという人間なのだ。
信徒が気を失ったことで、僅かに残っていた抵抗も収まった。
おそらく、信徒の言葉によって暗示が強まるよう仕込んであったのだろう。
その、いわば”司令塔”が意識を失い横たわっている今、下働き達を囚えていた呪詛魔法も効果が薄れてきてしまったのだ。
味方を超える数の敵が剣を構えて取り囲んでいることに、今さらながらに気付いた彼等は一気に戦意を失っていった。
まだ武器を捨てようとしない者も数名いたが、それはあくまでも身を護ろうとする本能的なものであって、あえて抵抗する様子はない。
王国軍側が剣を降ろすことで、やっと彼等も投降する。
勝敗はそこで決した。作戦終了である。
兵士達は意識のある者、無い者にかかわらず、下働き達を縛り上げてゆく。
通常ならここで相手の魔法を封じるために魔石の欠片を埋め込むのだが、今回はその必要も無さそうだった。
信徒を除く誰ひとりとして闘いの中で魔法を使う素振りをみせなかったからだ。
理由はそれだけではない。
そもそも一定レベル以上の魔法が使えるのであれば下働きなどしてはいないだろう。
有効な戦力として信徒に格上げされているはずである。
つまりは、さしたる技術も持たず身体を張ることしか出来ない人間が下働きとして酷使されているのだ。
唯一、魔法が使える信徒にはカイルが魔石付きのくさびを打ち込んである。それで十分と判断された。
信徒はカイル自身が縛り上げる。
その際、口をこじ開け中を確認した。毒を仕込んでいないかどうか調べるためである。
どうやら大丈夫のようで、カイルは信徒の頬を殴り付け意識を取り戻させる。
「お前達の負けだよ。」
目を覚ました信徒に向かいそう語り掛けるカイルの口調は穏やかだったが、その目は冷酷な光を宿していた。
「素直にそれを認めて洗いざらい話してくれると助かるんだがね。
あんたも辛い目には会いたくないだろ?」
「不信心者め!神の怒りを畏れぬか!」
だが簡単に口を割るはずもない。
信徒は血走った目でカイルを睨み、ありったけの呪詛の言葉を吐き捨てた。
まあ、それも想定内である。
カイルとて素直に喋ってくれるとは思っていない。
あくまでもこれは、相手の心に恐怖を芽生えさせるための手順のひとつでしかなかった。
ついには意味不明な言葉まで喚き散らし始めた信徒の横面をカイルは無言で殴り飛ばす。
今度は意識を奪いはしない。苦痛だけを与える殴り方だった。
「神の怒り?
その前にお前達は、我々の怒りを畏れるべきだろう。」
カイルの静かな、それでいてこの上なく冷たい口調に信徒は思わず黙り込む。
「滅びを迎えたいのだろう、お前達は?
ならばその望みを叶えてやろう。
肉体が、精神が、滅びるという事はどうゆうことか、じっくりと味わうことになるだろうな。」
その言葉を聞き、怒りで紅潮していた信徒の顔がみるみると蒼白く変わってゆく。
目の前の男が発する気配に、それが決して脅しやハッタリでないことを悟ったのだ。
「そんな言葉で私の信仰が揺らぐとでも思うか!」
狂信者と言えど人の子である。与えられる苦痛の予感に恐怖を感じないはずはない。
しかし彼の場合は信仰心がそれを遥かに上回っていた。
肉体的・精神的苦痛すらも神が己に与え給うた試練なのだと、そう信じ込んでいる。……少なくとも今の時点では。
「そうかね。まあ、時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり考える時間がね。」
そう言ってカイルは酷薄な笑みを浮かべた。
焦るつもりはない。言った通り時間はたっぷりあった。
信徒は強がってこそいるが確実に恐怖を感じている。それは確かだ。
それは小さな芽でしかないないが、今はそれで十分だった。
時間を掛けてその小さな芽を育ててゆけば、いずれ信仰心よりも大きくなり彼の心も折れるだろう。
カイルはそう確信していた。
とりあえず、そのための第一段階は終了である。
再び顎を殴り信徒の意識を奪うと、もはや興味を失ったかのようにカイルはいつもの表情に戻った。
そして彼を連行するよう兵士に指示を出そうとしたその時
「残念ながらそんな時間などありはしないのだよ。」
気を失ったはずの信徒がそう言って口を開いた。
驚き振り返って彼を見つめたカイルは、その様子を見て更に驚愕する。
最初のそれは、意識を奪うのに失敗したことへの軽い驚き。
そして次の驚きは、はやり失敗などしていなかったのだと判ったことによるものだった。
そう、信徒は完全に意識を失っていた。
気絶したフリではない。
全身の筋肉は弛緩した状態にあり、見る者が見ればそれが演技ではないと判る。
なのに言葉を発したのだ!
有り得ない事態にカイルを含め、その場の誰もが驚きを隠せずにいた。
「諸君等の働きは実に見事だと言える。称賛に値すると認めよう。
だが、この男を生きたまま引き渡すわけにはいかないのだよ。」
”この男”とは誰のことだ?自分のことをそう呼んだのか?
信徒の言葉に皆が違和感を感じたその時、イルムハートが声を上げる。
「呪詛魔法です!その男は誰かに操られています!」
これにはイルムハートもカイル達以上に驚いていた。
何故なら、つい先ほどまでは呪詛魔法の気配など微塵も感じなかったからだ。
下働き達に呪詛魔法が掛けられていると感じたイルムハートは、念のため信徒にも魔法の探知を行っていた。
その際には、信徒自身以外の魔力を全く感じ取れなかったのだ。
よほど高度な技術を持っているのか、あるいは自分が知る呪詛魔法とは掛け方が根本的に異なるものなのか。
イルムハートは”再創教団”の恐ろしさを改めて理解した気がした。
「どこから操っているか分かるか?」
リックがそう問い掛けたが、イルムハートもシャルロットも力無く首を振る。
元々、呪詛による遠隔操作は追跡が困難なのだ。と言うか、ほぼ不可能と言っていい。
転移魔法のごとく対象者の体内に魔力の”ゲート”を開いておいて、そこから操作すると言われている。
これはイルムハートもまだ使ったことは無い。
術を掛けた魔法士が近くにいればその魔力を追うことも可能だろうが、これほど見事な魔法を使いこなすような相手である。
そんな初歩的なミスは犯さないだろう。
おそらく探知可能なエリアの外から操作しているに違いない。
それは前もって”ゲート”を繋いでおきさえすれば、物体を移動させる転移魔法よりはるかに遠距離からでも行使可能なのだ。
「貴様は何者だ?
どこからこの男を操っている?」
「その問いに答えると思うかね?」
カイルの言葉に信徒は、いや信徒を操っている者は揶揄するような口調で答えた。
「それに、死にゆく者がそれを知ったところで意味はあるまい。」
そしてそう言い放った。
その言葉はその場にいる全員を戦慄させた。
極めて高い能力を持った魔法士が今、自分達を攻撃しようとしている。
例え目の前にはいなくとも、その威圧感は凄まじいものだった。
そんな風に皆が身構える中、信徒の口から誰も聞いたことすらない言葉が発せられた。
そしてその直後、イルムハート達の立つ大地は不気味に鳴動を始めたのだった。