黒い魔力と暴走する魔人 Ⅱ
魔人。
それは魔族の中でも特に人に近い姿をしている種族の呼び名だった。
彼等は魔力の高まりによりそれが物質化し角が生えたり皮膚が鱗状に変化したりする場合もあるが、通常時は人と変わらない姿形をしている。
但し、その眼だけは人と異なり、高い体内魔力の影響で赤く染まっているのが特徴だ。
今、オムイの村を襲っているのはまさしくその魔人だったのだ。
この世界、人族と魔族とは決して敵対しているわけではなかった。
国によっては魔族を敵視しているケースもあるが、ここバーハイム王国では融和的な政策が取られていた。
いくつかの魔族国家とも国交を結び相互に国民の移動も可能となっているし、王国内に居住している魔族もいる。
なので、イルムハート達も魔人を見るのが初めてというわけではない。
だが、彼等の知っている魔人は真面目に暮らしている普通の人々ばかりだった。
こうして猛り狂った魔人を見るのは初めてで、その迫力には正直圧倒されてしまっていた。
とは言え、ここは既に戦場なのだ。いつまでも呆けてはいられない。
イルムハート達は素早く馬を降りる。
そして剣を抜き身構えたその時、魔人が凄まじいスピードでイルムハートに迫って来た。そして、そのまま体当たりを食らわせたのだった。
これには完全に不意を突かれた。
魔法には十分警戒をしていたのだが、まさか体当たりというシンプル過ぎる攻撃をしてくるとは思っていなかったため、不覚にもまともに食らってしまった。
基本的に魔族は人族よりも体は頑丈で力も強い。身体能力では遥かに上なのだ。
それをさらに魔法で強化した上での体当たりである。
イルムハートの小さな体など、簡単に弾き飛ばされてしまった。
だが、イルムハートもしっかり身体強化はしてある。
ガードした腕には多少衝撃を感じたものの、大したダメージは無い。
それよりも……。
(やっぱり魔力が2つある。どういうことなんだ?)
宙を舞いながらイルムハートは考える。
魔力には波長というものがあり、通常それはひとりにひとつしかない。それは人族も魔族も変わらないはずだ。
なのに、目の前の魔人からは2つ魔力の波長が感じられるのだ。
大きな魔力と比較的小さな魔力。
どうやら魔法に使われているのは大きな魔力のほうで、しかもそれは黒いモヤのようなものを感じさせる魔力でもあった。
これは一体どういうことなのか?魔族は皆魔力を2つ持っているのか?それともこれは特殊なケースなのか?それにこの黒いモヤのようなものは一体何なのか?
次から次へと疑問が湧いてくる。
しかし、今のイルムハートの知識だけでは答は出せそうもない。
(そんなこと考えてる場合じゃないか。)
出せない回答を求めるよりも、今は魔人を何とかするのが先だった。
イルムハートは空中で体勢を整えると、無事両足で着地する。
長々と考えていたようにみえて、実際にはほんの一瞬のことだった。思考加速のおかげである。
着地してすぐイルムハートは次の攻撃を警戒し身構えたのだがその必要はなかった。
イルムハートが弾き飛ばされると同時に、リックとデイビッドが魔人に切り掛かり動きを封じていたからだ。
2人掛かりの攻撃により魔人はかなり劣勢に陥っているようだが、それでもその強大な魔力には気が抜けない。
(まずは、ヤツの魔法をなんとかしなきゃ。)
現状では攻撃に参加するよりも、相手の魔法への対処を考えるべきだろう。
そう判断したイルムハートは魔人に向けて全神経を集中させるのだった。
「こいつは……結構しんどいな。」
剣を振るいながら、デイビッドはついそう漏らしてしまう。
魔人は武器を持っていなかった。
それでも魔法で強化した腕は鉄の棒のように強固なので侮ることは出来ない。
だが、リックとデイビッド2人からの攻撃を受けているのだ。そう長くは持たないだろう、そう思われた。
しかし、これが意外にしぶとかった。
元々強固な肉体へ更に強化魔法を掛け、しかもその上防御魔法・防壁魔法を使われたのでは中々ダメージを通すことも出来ない。
しかも、与えたダメージは治癒魔法で瞬時に回復されてしまうのだ。
かと言って、そんな風に守りに徹するのかと思えば、時折、防御を無視して攻撃を仕掛けてきたりもする。
とにかく闘い方が無茶苦茶だった。
ただ無茶苦茶なだけならまだしも、それが強力な魔力に支えられたものなのだから厄介極まりない。
デイビッドが愚痴を漏らすのも仕方のないことだろう。
「しんどいどころではないぞ。どうやら魔力だけでなく、精神のほうも暴走しかけているようだ。」
そんなデイビッドに追い打ちを掛けるかのような言葉をリックが発した。
確かに、時折見せる防御を無視するかのような行動は、まともな精神状態ではないようにも見える。
「”狂戦士”モードみたいなもんか?マジかよ……。
こうなったら、アレを使ったほうがいんじゃね?」
”アレ”とはリックが持つ王国騎士団の鎧のことだ。
数々の魔法が付与されたその鎧は使用者の能力を格段に引き上げてくれる、まさに奥の手と言っても良い代物だった。
「いや、その必要はないかな。」
しかし、リックはそれを使おうとはしなかった。
鎧に付与された魔法が使用者の能力を引き上げるのは確かなのだが、魔法による強化にも限界点はあり、無限に引き上げてくれるわけではない。
それは使用者の能力に拘わらずある一定のレベルまで強化してくれるに過ぎず、それ以上の力を持った者にはそれほど意味は無い。
実のところリックは、鎧に付与された魔法に頼らなくともそれと同等以上の能力を発揮することが出来るのだ。
なので、現状のメリットは鎧自体の物理的防御力とスタミナの温存という点にしか無かった。
勿論、それはそれで使い道がある。
鎧の魔法を使うことにより自分自身の魔力が温存出来れば、多数の敵と闘う場合に有利となる。スタミナ切れを心配する必要が無いからだ。
だが、今相手にしているのはたった一人だけだ。
長期戦になる心配をせずに全力を持って闘うことが出来るのだ。
ならば鎧に頼る必要は無い。それがリックの判断だった。
「マジか!?」
デイビッドはリックの闘気が急激に上昇するのを感じ、慌ててその場を離れる。
闘気と魔力との相乗効果で、周囲には嵐のような激しい風が吹き荒れることを知っていたからだ。
こうなると、最早デイビッドの出番は無い。
本気を出したリックとでは実力が違い過ぎるのだ。
今の彼に出来るのはリックの邪魔にならないこと、ただそれだけだった。
己の非力さを悔しく思うデイビッドだったが、その反面で心躍る高揚感も味わっていた。
憧れであり目標でもあるリックが、未だそれに値する実力を持ち続けていることに喜びを感じてしまうのだ。
(……ホントは喜んでる場合じゃねえんだけどな。)
本来ならリックとの差が縮まらないことを悔しがるべきなのだろうが、どうしても嬉しさが先に立ってしまう。
結局、リック・プレストンという男に惚れこんでいるのは何もシャルロットだけではないのだと、改めてそう思った。
(つっても、俺にそっちの趣味はないけどな!)
と、こんな時でも話にオチを付けようとするところは、デイビッドらしいと言えばらしかった。
本気を出したリックの攻撃の威力は、それは凄まじいものだった。
剣に纏わせた魔力がまるで爆発でもしたかのように魔人を弾き飛ばした。
だが、今回はそれが裏目に出てしまう。
精神的にも不安定で無駄に魔力を垂れ流していたはずの魔人が、リックの闘気を感じると同時にその全てを防御の魔法へとつぎ込んできたのだ。
暴走しかけていたとは思えない程に、それは完璧に制御された魔法での防御だった。
おそらくリックに対する恐怖から、防衛本能が錯乱した精神を抑えて魔人の魔力をコントロールし始めたのだろう。
「これは……少し手間が掛かるか。」
だが、それでもダメージは通っている。さすがに攻撃の全てを防ぐことはできないようである。
魔力を防御にほぼ全振りしているせいで回復も追いついていなかった。
多少時間はかかるだろうが、倒せない相手ではない。
そうリックが持久戦の覚悟をした時、不意にイルムハートの声が響く。
「リックさん、相手の防御魔法を消去しますので、次で決めてください!」
魔法の消去。
それは言葉通り、発動した魔法を消し去ってしまうことだ。
実のところ、それ自体は特に難しいことではない。単純に魔法が消えてしまうことをイメージすれば良いのだから。
但し、それは自分が発動させた魔法の場合に限られた。
例えば同じ”消す”にしても、火魔法を水魔法で”相殺”することならそれが誰の魔法であっても可能だ。
だが、魔法の”消去”とは発動のプロセスに対してキャンセル命令を割り込ませるようなものである。
同じ波長を持った魔力でしかそれを行うことは出来ないのだ。
では、他人の魔法を消去するのは不可能なのか?と言えば、実はそうでもない。
完全に消去することは出来なくとも、魔法の発動が不完全な状態にすることは可能だった。
それは、相手の魔力波長に合わせた”偽の魔力”を使って行う。
”偽の魔力”による命令で魔法の発動を阻害し、本来の効果が出せないようにするのだ。
しかも、”偽の魔力”の波長が近ければ近いほど、その効果は上がる。
とは言え、それには高い魔法の技術が必要とされた。
相手の魔力を分析し、己の魔力をそれに近い波長に変換して発動しなければならないのだ。
並みの魔法士では到底不可能な行為であり、イルムハートですらその調整にはかなり時間を費やしてしまったほどだ。
「出来るのか?」
イルムハートの能力を信じているリックであっても思わず問い返してしまうくらいに、それは高度な技なのである。
「身体強化までは無理ですが、防御と防壁なら”半分”は。」
イルムハートが”半減”ではなく”半分”という言葉を使ったことにリックは少し違和感を覚えたが、今はそれを気にしている場合ではない。
「分かった、頼む!」
リックは再び剣に魔力を纏わせると、魔人に向かって突進した。
魔人もまた腕を交差させ防御の体制を取りながら、さらに魔法を強化してゆく。
そこへリックの剣が叩き込まれる。
それと同時に、イルムハートは魔法の”消去”を発動させた。
「!?」
リックには魔人が驚いたような表情を浮かべるのが見えた。
だが、それも一瞬のこと。
次の瞬間、爆発的な剣の威力にまたしても魔人は弾き飛ばされてしまう。
しかし、それでも魔人は倒れない。多少体勢は崩したものの、しっかりと両足で立った状態のままだった。
それは、つい先ほどまでの光景をリプレイしているかのようであったが、ひとつだけ決定的な違いがあった。
リックの攻撃により、魔人の両腕は肘の辺りから粉砕され無くなってしまっていたのだ。
溢れ出続けていた強大な魔力も徐々に弱まり始める。
これで決着が着いた。誰もがそう思ったのだった。
(それにしても……魔人とはこれほど強固な肉体を持っているのか?)
両腕を失い立ち尽くす魔人の姿をイルムハートは少なからずの驚きをもって見つめた。
魔法による物理防御と防御壁は、完全にではないもののその大部分を消去することが出来た。
イルムハートがリックに告げた”半分”という言葉は、半分だけ消すという意味ではない。
魔人が持つ2つの魔力の内、魔法を発動させている方を消去の対象としたための表現だったのだ。
なので、魔人の魔法防御は無に等しい状態となった。
さすがに体内魔力と直結して発動する身体強化までは消去出来なかったが、それでもその防御力はそれこそ半減したはずだ。
そこにリックの全力を込めた攻撃を食らったのだ。普通なら上半身くらい吹き飛ばされてもおかしくはない。
だが、魔人は両腕を失っただけで、弱体化してはいるがまだ生きてそこに立っている。
それは、まさに驚くべきことなのだ。
まあ、イルムハートに知る術は無かったが、実はこの異常な耐久力は暴走のおかげであった。
身体強化魔法とは諸刃の剣でもある。
魔法により己の肉体と生理機能を強化させるわけで、言ってみれば一種のドーピングだ。
限界を超えた強化は逆に身体にダメージを与える事にもなりかねないのだ。
そのため、無意識の内に強化レベルの制限が行われてしまう。
しかし、魔人は魔力も精神も暴走状態にあった。
加えてリックの攻撃に対する恐怖からその制限が外れてしまったのだ。
肉体の限界を超えた最大強化。そのおかげで魔人は命を拾ったのである。
だが、そのツケは大きかった。
過度な強化魔法の反動でその体には大きなダメージが残っている。
その上両腕まで失ってしまい、魔人は肉体も精神も既に限界に達しようとしていた。
徐々に弱まっていく魔力。
これで終わる……そう思ったその時、イルムハートは魔人の魔力が再び増大し始めるのを感じた。
例の黒いモヤを纏った魔力のほうだ。
しかも、その”黒い魔力”は魔人の体内で何らかの魔法へと変換されつつある。
(まさか!)
イルムハートはそこにひどく危険な匂いを感じ取った。
暴走した魔力が体内で魔法に変換されたとしたら、予想されるその結末は……。
「魔人は自爆するつもりです!みんな伏せて!」
イルムハートがそう叫んだ直後、轟音と共に魔人の身体からは激しい火柱が上がったのだった。