黒い魔力と暴走する魔人 Ⅰ
翌朝、宿を発ったイルムハート達はその足で冒険者ギルドを訪れた。
セルジオに出立の挨拶をするためもあるが、ギルドから貸し出してもらうものがあったからだ。
借り受けるのは移動用の馬と魔力通信機。
馬はともかく、通信機の貸与は滅多に無いことなのだが、今回は依頼自体が特別なので例外的に貸し出しが行われたのだ。
「魔獣の動きに少しでもおかしなところがあれば、すぐに連絡してくれ。」
そう語るセルジオの表情は真剣そのものだった。
今、ギルドが最も恐れているのは魔獣の集団暴走、スタンピードなのだ。
通常、異なる種類の魔獣が一斉に同じ行動を取るなどということは有り得なかった。
自然災害でもあれば別だが、その場合でも決して統制が取れた動きをするわけではない。
だが、極まれに多数の魔獣がまるで何かに導かれるようにして暴走することがあった。
それをスタンピードと呼ぶ。
とは言え、原因は不明で起きる条件もはっきりしない。また、突発的に発生するために正確な記録も取られないことが多い。
そんなあやふやな情報しかないため、中にはスタンピードなど過剰に魔獣を恐れることで創り出された妄想だと言い切る人もいるほどだ。
しかし、冒険者ギルドはその事象の発生を疑ってはいなかった。
それはそうだろう。この世界で最も多くスタンピードの対処を請け負ってきた組織なのだから。
勿論、今回の件がスタンピードに繋がるという確証があるわけではない。
それでも、そんな最悪の事態を想定せざるを得ないほどに、今回の状況は異常なのだった。
セルジオへの挨拶を終えたイルムハート達一行は、一路タロレスの町を目指した。
タロレスまでは徒歩で2日の距離である。
馬を使えばもう少し時間を短縮できるものの、それでもその日の内に到着するのは無理なので、途中のオムイという村で一泊する予定だった。
オムイは単なる農村でしかないが、タロレスへ移動する者達が立ち寄ることもあっていちおう宿屋はあるらしい。
あまり上等な宿ではないとしても野宿に比べればずっとましである。
オムイまでの道は一言で言えば”荒野”であった。
砂漠とまではいかないが乾いた砂地が多く、植物もまばらにしか生えていない。
とは言え、街道が作られているだけあって、途中途中には湧き水の出るオアシスのような場所もあった。
オムイまであと少しと言うところにあるオアシスで、一行は最後の休憩を取る。
「お茶にしましょうか。」
そう言ってシャルロットは金属製のポットに水を汲んだ。
安全とは聞いていたが念のため分析魔法で毒素が無い事を調べ、それから魔法で湯を沸かし始めた。
シャルロットの魔法によりポットは薄っすらと光を放つ。
これは火魔法で熱しているのではなく、光魔法で温めているからだ。
光魔法は名前こそ”光”となっているが、別に物を光らせたりする魔法というわけではない。
実は温度を操作する魔法なのだ。
”光”は攻撃魔法に分類される属性としては異質で、他の属性のように生成によって光を創り出すわけではなかった。
光魔法の”生成”とは物質の持つ熱量を可視化させることを言う。
物の温度が光となって見えるようになるのだ。その現象こそが”光”魔法と呼ばれる理由である。
そして、それを操作することによって温度を上げたり下げたりするわけだ。
それだけを聞くと最強(凶)の魔法のように思えるかもしれない。
何しろ、相手の体液を沸騰させることが出来れば、どんなに守備力の強い敵でも難なく倒せてしまうからだ。
だが、残念ながらそう上手くはいかなかった。
熱操作は対象が自発的に熱量を調整出来ない場合にしか効果が発生しない。
つまり、生物のように自ら熱を創り出せる相手には効かないのだ。
そんな理由もあり光魔法は、攻撃魔法として単体で使用されることはあまりなく、他の属性と組み合わせて使われることが多かった。
例えば氷魔法。言うまでも無く水魔法との組み合わせである。
そして、雷魔法。
これは風魔法と水魔法、そして光魔法の組み合わせによって発動する魔法だった。
何やら科学的根拠のありそうな組み合わせではあるが、実のところあまり関係ない。
単に雷を”暴風雨の中で光輝くもの”としてイメージしているに過ぎなかった。
まあ、”魔法”とはそんなものなのである。
「光魔法って何で攻撃魔法扱いなんだ?覚えたは良いけどあまり使い道無いんだよな、湯を沸かすくらいしか。」
シャルロットに淹れてもらったお茶を見つめながら、デイビッドはそんなことを言い出した。
「組み合わせれば結構便利な魔法だってのは解るんだが、俺は初級までしか使えないしな。
単体でってなるとあまり使えねえんだ、これが。」
「剣に熱を持たせればいいんじゃない?鉄を溶かすくらいまで温度を上げた剣で切りつけるのはどう?」
「それだ!」
シャルロットの言葉にデイビッドは目を輝かせる。しかし、彼女の顔に浮かぶ悪戯っぽい笑みには気付いていないようだった。
「……それだと剣も熔けちゃいますよ。それ以前に熱くて持ってられないと思いますけど。」
イルムハートの指摘にハッとするデイビッド。
「シャル!てめえ、騙しやがったな!」
「普通はすぐ気が付くでしょ。騙される方がおかしいのよ。」
デイビッドに抗議されてもシャルロットはどこ吹く風である。
まあ確かに、そんな話を真に受ける方もどうかとは思うが。
「でも、シャルロットさんのアイディアはアリだと思いますよ。
剣を直接熱するのはさすがに無茶ですが、周りに熱の層をつくれば何とかなります。」
そう言ってイルムハートは剣を抜き、目の前で試してみせた。
実は以前に同じことを考え、既に実用化してあったのだ。
元ネタは言うまでも無く、映画やアニメに出てくるビーム・ソードである。
「高熱の層が剣に直接当たると熱くなってそれこそ火傷してしまいますから、最初に冷たい層を創るんです。
で、その上に高熱の層を重ねて……こんな感じですね。」
イルムハートが魔法を掛けると、剣は眩い光を発した。
そこからは激しい熱気が放出されていはいたが、剣自体はそれほど熱くはない。高熱の層を完全に隔離してあるからだ。
「今はそれ程温度を上げていませんが、もっと高温にすれば鉄も切れる……と言うか、溶かせると思いますよ。」
「すげえな、お前!」
それを見たデイビッドは感嘆の声を上げた。
「何でそんな使い方思いつくんだ?」
「イルム君って、ホント色々な魔法の使い方を考えるわよね。よっぽどの魔法好きじゃないとこうはいかないわ。」
シャルロットは感心して言っているのだろうが、イルムハートとしてはまるで魔法オタク扱いされているような気になってくる。
まあ、それはそれで間違ってはないのだが……。
「それ、俺にも出来るかな?」
「魔法としては単純ですが、2つの層を一度に作らなければいけないので慣れは必要になると思います。
でも、デイビッドさんなら出来ますよ。」
魔法に関しては器用なデイビッドなので、おそらく可能だろう。
と言うか、それだけ器用なのにも拘わらず何故複数の属性を組み合わせた魔法が使えないのか、むしろその方が不思議なくらいである。
イルムハートの読み通り、その後程なくしてデイビッドはこの魔法を使いこなせるようになるのだった。
そして、後に”閃光剣のデイビッド”と呼ばれることになる……かどうかは残念ながら不明である。
休憩を終えた一行が再びオムイへと馬を進めしばらくした時、不意に先頭のデイビッドが声を上げた。
「おい、あれ煙じゃねえか?」
そう言って彼が指さす方に目をやると、何やら空に向かって立ち昇る灰色の筋のようなものが見える。
「確かに、煙のようね。」
「あれは……オムイの辺りだな。」
シャルロットがそれを遠視魔法で確認し、方向と距離からリックはそれがオムイの村の辺りだと判断した。
その瞬間、一行に緊張が走る。”スタンピード”という言葉が脳裏を走ったのだ。
イルムハートとシャルロットは急いで魔法の探知エリアを広げる。
オムイまでの距離はまだかなりあったが、それでもなんとか探知することが出来た。
「どうだ?」
「遠くてはっきりとは分からないけど……何か巨大な魔力が村を包んでいる感じよ。」
リックの問い掛けにシャルロットは少し戸惑ったような答えを返す。
距離があり正確に探知出来ないせいもあったが、それ以上に感じ取った魔力の異常さが彼女を当惑させていたのだ。
「”スタンピード”なのか?」
「それは違うと思うわ。大量の魔獣という感じではないの。魔力自体はひとつなのよ。」
「ひとつの魔力?村全体を包み込むほどの?」
思わずリックは聞き返した。
それは単独で村を覆ってしまえるほどの魔力の持ち主が、今オムイにいるということを意味するのだ。
シャルロットの言葉を信用しないわけではないものの、にわかには信じがたいのも確かだろう。
「魔力で村を包み込んでいるわけではないです。
ひとつ巨大な魔力を持つ存在があって、そこから漏れ出た魔力が村中に広がっている……そんな感じです。」
イルムハートがそう補足すると、シャルロットも「そう、そんな感じ」と頷いた。
「かなり、まずいことになっていそうだな。」
リックが眉をひそめるのも無理はない。
例えイルムハートの言う通りだとしても、相手が巨大な魔力の持ち主であることに変わりはないのだ。
そして煙が上がっているということは、何かのトラブルが発生していることを意味していた。
どうにも危険な予感しかしないが、かと言って村を見捨てるわけにもいかない。
「周囲の警戒はデイビッドに任せて、シャルロットとイルムはオムイの探知を続けてくれ。
ここから先は少し飛ばすぞ。」
リックの言葉に頷き、一行は速度を上げる。
オムイの村が近付くにつれて状況は少しずつはっきりしてきた。
そしてそれは最悪の予想へとどんどん近付いてもゆく。
遠くから見た時には一本に見えた煙も、実は複数の煙が上空でひとつになっているのだと分かる。
つまり、村のあちらこちらで火が上がっているのだ。
そして、魔力探知においても中々に厄介な事実が判明する。
元凶となっている者の魔力は、実際それほど巨大でもなかった。
大きいには大きいのだが、本来なら村全体を覆いつくす程の量ではないはずなのだ。
なのに何故こんなことになっているのか?
その原因は放出魔力量の異常さにあった。
人であれ魔獣であれ、本来魔力にはその総量と放出する際の制御限界量というものがある。
水を貯め込んだタンクとその蛇口から流れ出す水量のようなものだ。
そして通常、魔法を使う場合には放出量を調整しながらその蛇口をこまめに開閉して魔力を取り出す。でないと早々に魔力が枯渇してしまうからだ。
だが、村を蹂躙している魔力は違っていた。
魔法に変換されるされないに拘わらず、常に最大量を放出し続けているような感じなのだ。
これは、使用者が既に魔力のコントロールを失っていることを意味した。完全な暴走状態である。
そんな相手が村の中で暴れ回っているのだからたまったものではない。
こんな使い方をしていればじきに魔力も枯渇してしまうはずだが、村にはまだ住民の気配も残っている。
悠長に相手の魔力切れを待っているわけにもいかない。
「急いで排除するぞ!」
イルムハートとシャルロットの報告を聞いた上で、それでもリックはそう決断した。
皆もリックならそう言うはずだと解っているので黙ったまま頷いた。
4人は更に速度を上げ、やがてオムイの村へと到着する。
オムイは村と言っても近隣にガレアニやタロレスといった街町を抱え、その食料供給地のひとつになっているだけあって寒村というイメージは無い。
農村としては大きな方だ。
その村が今、燃え盛る炎に包まれていた。
人々が逃げ惑い、倒れている者が何人もいる。
「シャルロット、彼等の治療を!魔法の対処はイルムにやらせる!」
その状況を見てリックが叫んだ。
出来れば全員で敵にあたることが望ましいのだが、負傷者を放っておくわけにもいかない。
魔法に関してはともかく、近接戦闘においてはイルムハートのほうが上なので救助はシャルロットに任せることにしたのだ。
「分かったわ。気を付けてね。」
シャルロットもそんなリックの意図は理解している。
その場で馬を降りると負傷者の手当へと向かった。
シャルロットをその場に残し、イルムハート達は村の中央へと馬を走らせた。
そこでイルムハートは何やら不思議な感覚を覚えた。
”敵”の魔力の中に黒いモヤのようなものを感じたのだ。こんな感覚は初めてだった。
(何だろう、普通の魔力とは違う感じがする……。)
そして、それとはまた別の違和感が彼を襲う。
(魔力が……2つある?)
そう、今までひとつの魔力だと思っていたのだが、近付いてみるとその中に僅かだが別の魔力が混じっていることに気が付いたのだ。
そのため”敵”は2体なのかと思ったのだが、やがて目視出来るようになった相手は”一人”でしかなかった。
「人間?」
イルムハートは思わず声を上げた。そして、驚きのせいで違和感のことも忘れてしまう。
「おいおい、魔獣じゃねえのかよ。」
デイビッドもまた驚いて目を見張った。
てっきり魔獣が暴れていると思っていたのだ。
しかし、”敵”は人……少なくとも人の形をしていた。
その事実に驚くイルムハート達をよそに、”敵”は民家に向かって攻撃魔法を打ち込もうとする。
まだ家の中には人の気配があった。
「危ない!」
イルムハートは咄嗟にそう叫ぶと”敵”に向けて風の爆裂魔法を打ち込んだ。
それは指向性を持たせてあるので味方には影響ないが、相手には十分ダメージがあるはずだった。
だが、魔法の発動こそ止められたものの、相手は全くダメージを受けた様子が無い。防御魔法と身体強化のせいだろう。
攻撃を受けた”敵”は、何事も無かったかのようにゆっくりとこちらを向く。
「!」
その姿を見てイルムハート達は言葉を失う。
その姿は人であって人ではなかった。
額に一本の短角を持つその顔の色は灰色で、首から下は鱗のようなもので覆われている。
そして、赤く光りながらも冷たさを感じさせる眼がイルムハート達を睨みつけていた。
皆が驚き戸惑う中、やっとのことでリックが言葉を絞り出す。
「……魔人だと?」
そう、そこに立っていたのは魔人と呼ばれる存在だった。