謀略の予感と銀色の怪物 Ⅱ
(何故、こんな事になってしまったんだ……。)
薬師の森を遠目に見ながら、チャッド・ハスラムは既に何十回と繰り返したはずの問いを自分自身に投げかけた。
『リック・プレストンとその一味を亡き者とせよ』
ファウロ子爵にそう命じられたのはひと月ほどの前のことだ。
最初聞いた時は当然のことながら耳を疑った。
確かに、リック・プレストンという男に妬みは抱いていた。
チャッドは30の半ば近くにしてBランク冒険者という高みに到達することが出来た。
それは誰しもが辿り着けるものではなく、選ばれた者のみが手にすることの出来る栄誉だった。
勿論、チャッドは喜んだ。だが、同時に失望もした。
何故なら、これが自分の限界であることに気付いてしまったからだ。
なんとかBランクにはなれたものの己の力は徐々に衰え始めており、更なる高みは望めないことを知ってしまったのだ。
それに比べリックは、チャッドよりも若い身でありながら既にその高みに至っていた。
どうゆう気まぐれか昇格こそ辞退しているようだが、その実力がAランクに達していることは誰もが認めるところである。
そんなリックを妬ましく思ったとしても、それはそれで仕方ないことなのかもしれない。
だがその反面、チャッドはリックに対して敬意も抱いていた。その類まれな才能を称賛していたのだ。
そんな相手を殺せと命じられて驚かないはずがない。
思わず聞き返してしまったが、返ってきたのは同じ言葉だった。
チャッドにはそれを拒否することが出来なかった。例え道理を外れた命令であったとしても。
ファウロ子爵には、チャッドがまだCランク冒険者の頃から何かと目を掛けてもらっていた。
貴族の一部には、優秀な冒険者と懇意にすることをステータスとする風潮がある。
まあ、猛犬を手なずけ自慢する程度の感覚なのだろうが、それはチャッドにとってもメリットのあることだった。
おかげで子爵本人ばかりではなく、その知人からも直接依頼がかかるようになったからだ。
そしてチャッドがBランクに昇格し”ファミリー”を創設してからも、子爵は後援者として何かと援助をしてくれた。
チャッドの”ファミリー”は30人を超える大所帯ではあるが、その大半はE・Fランクの下位冒険者である。
正直、下位のランカーには大した仕事は回って来ず、ほんとんどの者は喰うのがやっとという状態だった。
そういった連中の面倒を見るには金が必要で、ファウロ子爵からの援助やその知人からの依頼は大きな助けとなったのだ。
そんな風に、最初は”ファミリー”のためにファウロ子爵との関係を維持してしたチャッドだったが、次第に上流社会へと溺れていく。
平民の決して豊かではなかった家の出であるチャッドにとって、貴族や大商人達の暮らす世界はあまりにも眩しすぎた。
もはやそこから離れることが出来なくなった彼は、いつしか自分自身のために貴族に取り入るようになっていった。
やがてチャッドは、彼等の歓心を買うために非合法な仕事にまで手を出してしまう。
もしそれがバレれば冒険者としての地位を失うだけではない。貴族の庇護無しでは犯罪者として投獄されることになるだろう。
そんな彼にとって、ファウロ子爵の命令は絶対である。
しかもファウロ子爵の口ぶりからすると、今回の件は彼の私怨ではなくもっと上の方から指示が出ている様子だった。
それを断ったりすれば、おそらくチャッド自身の命が危うくなるだろう。
もはや彼には後戻り出来る道は無くなっていたのである。
(全てはあの子供か……。)
チャッドはイルムハートの顔を思い浮かべる。
イルムハートの存在こそがチャッドにとって最大の誤算となってしまっているのだ。
先ず、子供を手に掛ける罪悪感とその子供が貴族の子であるという可能性がチャッドに迷いを生じさせた。
だが、それは良い。
例え貴族の子であろうと、ファウロ子爵に指示を出せるほどの後ろ盾が付いていればどうにでも揉み消せるだろう。
子供殺しの罪悪感などは今さらである。
既にいろいろな悪事に加担し手を汚してきたのだ。今頃になって善人ぶったところで過去が消えるわけでもない。
ただ、あの子供の力を見誤ったのは失敗だった。
チャッドとしても、先ほどの襲撃でリックを仕留められるとは思っていなかった。そんな簡単な相手ではないことくらい良く分かっている。
せめて1人、良くて2人数を減らせれば上出来だと考えていたのだ。
それがどうだ?
向かわせたCランクとDランクの者が立て続けに、しかもあっさりとあの子供にやられてしまった。
おかげで相手に手傷すら負わせること無いまま退却せざるを得ない状況に追い込まれたのだった。
「最初から俺達に任せておけば良かったんだよ。所詮、冒険者は冒険者なんだからな。人殺しには向いてないのさ。」
チャッドの失敗を聞いた時、傭兵達のリーダーであるザンガは嘲笑うかのようにそう言った。
元々ザンガは森の中で奇襲を掛けることに反対していた。
森から出てきたところを一斉に取り囲んで攻撃した方が確実だと考えていたからだ。
だが、それではチャッドの立場が無い。このままでは功績を全てザンガ達に取られてしまうと考えたのだ。
そうさせないための奇襲だったのだが、結果としてザンガの発言力を強めただけに終わってしまった。
傭兵のリーダー、ザンガ。それが苗字なのか名前なのかは分からない。
ザンガに限らず傭兵達は皆同じようにひとつの名しか名乗らなかったし、しかもそれらが本名かどうかすら怪しかった。
彼等はベテランの傭兵らしく、これから人を殺そうとしてるとは思えない程にリラックスした様子でいる。
その姿を見るだけでも、彼等が自分達とは違う人種なのだとチャッドには感じられた。
ここしばらくの間大きな戦争が起きていないとは言え、それはあくまでも多国間紛争レベルでの話である。
国と国との小競り合い程度は、常にどこかで起きているのが現状だった。
そういった戦場を渡り歩いてきたザンガ達にとって、人の命を奪う事はもはや単なる作業のひとつでしかないのだろう。
おそらく、自分たちが魔獣を狩るのと同じ目をしながら彼等は人を殺すに違いない。
そんな場面を想像したチャッドは、背筋に何か冷たいものを感じて思わず身震いするのだった。
「中々出てこないところを見ると、やはり待ち伏せはバレてるみたいだな。」
森を見つめながらザンガがそうチャッドに語りかける。
その口調にはあきらかに咎めるような響きがあった。
「余計な事をするから、警戒させてしまったんじゃないのか?」
チャッド達が森で奇襲を掛けた件について、暗に非難しているようだった。
「ここでこうして待っている限り、森を出る前にどのみち気付かれたさ。熟練の冒険者は常に周りの警戒を怠らないんだよ。」
チャッドがそう言い返すと、ザンガは「そういうもんかね」と笑いながら肩をすくめた。
「他の場所から森を出て逃げた、なんてことはないだろうな?」
「うちの者に一帯を見張らせている。発見すれば合図があるはずだ。
逃げるにしても奴らは徒歩で移動するしかないから馬で追えばすぐに追いつく。
プレストンも馬鹿じゃない。それくらいは分かってるだろう。
結局、奴等には闘って切り抜ける以外に取れる策はないんだよ。」
「それならいい。」
ザンガはそこでいったん言葉を区切った後、今までより強い口調で言葉を続けた。
「いざ戦闘になったらお前たちには下がっていてもらう。魔法の支援も必要ない。はっきり言って邪魔だからな。」
それはチャッドにとって屈辱的な台詞であったが、それでも反論は出来ない。
元々、増援を依頼したのはチャッドの方だった。
リックとその仲間の実力を知っている彼は、ファミリーのメンバーだけでは戦力的に不十分だと感じたのだ。
こちらから要請して急遽集めてもらった要員でもあるし、その上チャッドは先の奇襲で失態を犯している。
もはや戦闘に関しての主導権はザンガにあり、チャッドはそれに従うしかなかったのだ。
「言っておくが、リック・プレストンという男を甘く見るな。そうでないと痛い目をみることになるぞ。」
チャッドは吐き捨てるように言う。
ただの捨て台詞にしか聞こえなかったかもしれないが、それはチャッドの本音であった。
ザンガがそれに何か言い返そうとしたその時
「来ました!もうすぐ出て来ます!」
森を魔法で探知していたチャッドの部下がそう叫んだ。
「やっと来たか。」
そう言ってザンガは凄みのある笑みを浮かべると、左手を差し上げて部下達に合図を送った。
それに合わせて部下たちは一斉に剣を構え、森の出口をじっと見つめる。
「……なんだ、あれは?」
ほどなくして森からひとつの人影が姿を現したのだが、それを見てその場の全員が唖然とする。
その視線の先には、銀色に輝くプレート・アーマーに身を包み大剣を手にした人物の姿があった。
おそらく、いや間違いなくリック・プレストンだろう。
「ちっ、あんなものを持っていたのか。」
ザンガは思わず舌打ちをする。とは言え、それほど厄介だと感じたわけでもなかった。
確かにプレート・アーマーを着込まれては、普通に切りつけてもダメージを与えることが出来ない。
だが、それならそれで闘い方はある。
多少手数は掛かるだろうが、問題になるほどではないと考えていた。
一方、チャッドはリックのその姿に、ある噂を思い出していた。
「……プレストンには元騎士だという噂がある。それも、王国騎士団のだ。」
チャッドがそれを伝えると、ザンガは苦い顔をする。
「騎士か……それはまた面倒だな。」
ザンガも騎士が卓越した戦闘能力を有した存在であることは知っている。
それ故に”面倒な相手”だと考えたのだが、実際のところその認識はまだ甘いと言えた。
ザンガ達傭兵は軍と行動を共にすることはあっても、騎士や騎士団と関わることはない。
なので、実際に闘うところをその目で見たことはなく、騎士の本当の強さを正確には理解していなかったのだ。
兵士の中にも優れた力を持つ者はいる。
それよりも少しばかり強い、それが騎士の実力だと考えていた。
「とは言え、こっちは10人だ。いくら元騎士様でもどうにもなるまい。」
(だと良いがな……。)
あくまでも強気なザンガの言葉を聞きながら、チャッドは嫌な予感に襲われる。
そして、その予感は現実のものとなるのだった。
戦闘が開始されて僅か数分。
ザンガは自分の認識が甘かったことを思い知ることになる。
最初、部下3人が関節部の隙間に剣を突き立てようとしてリックを取り囲んだ。
どれほど堅固な鎧であっても、各パーツに分かれている以上それらの間にはどうしても隙間が生まれる。
プレート・アーマーを着込んだ敵を相手にする場合、そこを攻撃するのが最良の方法なのだ。
重量のある鎧を着ているため動きも鈍くなり、取り囲まれてしまえば防ぎようがない。
そう考えての行動だったのだが、その結果は全くの想定外だった。
取り囲まれるよりも早く、リックは先ず正面の相手に向かって剣を振り下ろした。
リックほど重装備ではないが、傭兵達も上半身を覆うチェイン・メイルと手足に小手を付けている。
振り下ろした剣は敵の肩口に当ったため、それに弾き返されるかと思われた。
だが、リックの剣は金属で編まれているはずの鎧を易々と切り裂き、腹まで達する傷を負わせる。
続いて突き刺さった剣を引き抜く勢いのまま、左側に回っていた男の腰の当たりを薙ぎ払う。
運の悪い事に、傭兵達の鎧は動きを重視するために腰までの長さしかなかった。
そのせいで脚の付け根が無防備な状態になっており、簡単に切り落とされてしまう。
足を失って倒れた男に対し、リックは背中から心臓めがけて剣を突き刺した。
一見、非情な行為にも見えるがこの世界には魔法というものがあり、それは手足を失っても使用が可能だ。
魔法による反撃を封じるためには完全に意識を奪うか、あるいはとどめを刺すかしかないのだ。
そのあまりにも圧倒的なリックの攻撃に、3人目は思わず動きを止めてしまった。
その一瞬の空白がその者の命運を絶つことになる。
リックはガントレットに仕込んである隠し爪を出して喉を切り裂いた。
あっという間に3人もの仲間を倒されて呆然とする傭兵達。
リックはその隙を見逃さず、剣を引き抜くとそのまま近くにいた別の男に駆け寄り首を狙って振り抜く。
男は慌てて避けようとしたが間に合わず、首と胴とが永遠の別れを告げることになった。
(なんだこいつは!?バケモノか!?)
陣形を立て直すためにリックから距離を取りながら、ザンガは己の失策を痛感していた。
多少面倒だがいつも通り闘えば倒せる相手。
そんな風に考えていた自分を殴り付けてやりたい気分だった。
尤も、ザンガにも同情すべき点はある。
もしこれが普通の装備であれば、いかにリックとは言えこれほど圧倒的な闘いは出来なかっただろう。
しかし、彼が身に着けているのは王国騎士団の鎧、しかもその中でも最強の装備であるプレート・アーマーなのだ。
様々な魔法が付与されることで使用者の戦闘力と防御力、そして機動性までを格段に引き上げる代物だ。
勿論、この鎧が無ければ闘えないというわけでもない。
実のところリックには、鎧の効果に頼らずとも傭兵達を全滅させるだけの実力はある。
だがその場合、数的に劣性な状態では体力の温存を考えた慎重な行動を取らざるを得なかっただろう。
そうすれば傭兵達も、もう少し余裕のある闘いが出来たであろうが……それは今さらの話である。
そもそも、一介の傭兵でしかないザンガがそんな騎士団の鎧の秘密など知るはずもないのだ。
単に防御を固めただけの相手。見た目でそう判断したとしても仕方ないことだろう。
だが、だからと言ってザンガが救われるわけでもない。
今さら過ちを悟ったところでやり直せるわけではないのだ。
(どうする?どうすればコイツを倒せる?)
ザンガは戦況を逆転させるための方法を考える。
だが、眼前に立つ返り血を浴び所々赤みを帯びた銀色のバケモノを倒すイメージがどうしても浮かばない。
(ならば、逃げるか……。)
傭兵は金で動いているだけに過ぎず、忠誠心を持っているわけでは無い。
雇い主に対する義務はあるが、命と引き換えにしてまでそれを果たそうとは思っていなかった。
名声も報酬も生き延びてこそなのだ。死んでしまっては全て無意味になる。
なので、逃げるということに抵抗は持っていないのだ。
そんなザンガの弱気が部下たちにも伝わったのだろう。
皆、どこか腰が引けた状態になる。
”逃げる”。その選択肢を思い浮かべた時点で、ザンガ達はすぐさまそれを実行すべきだった。
その一瞬の躊躇をリックが見逃すはずはないからだ。
リックは一足飛びに距離を縮めると、ザンガの隣に立っていた男に向けて剣を振るう。
男はかろうじてそれを剣で受けたが、圧倒的なリックのパワーの前ではあまりにも無力だった。
嘘のように簡単に剣は折れる。
だがおかげで剣速はにぶり、鎧がそれを受け止めてくれて男は命を拾う。
それでも衝撃をまともに受けてしまったせいで、かなりの距離を吹き飛ばされて意識を失ってしまった。
それを見たザンガはリックの喉元を狙って剣を突き出す。がら空きに見えたからだ。
尤も、それはザンガの意思とは異なる動きだった。
本当は逃げるタイミングを計ろうとしていたのだが、敵の隙を目の前にして反射的に体が動いてしまったのだ。
しかし、ザンガが隙だと感じたのはリックの罠だった。
身体を捻ったリックに肩当で剣を逸らされたせいで体勢が崩れてしまい、今度はザンガの方が無防備な状態になってしまう。
(しまった!)
と後悔したが遅かった。リックの剣が横薙ぎにザンガの銅を捉える。
だが、ザンガも歴戦の戦士だ。
あえて後ろに避けようとはせず、そのまま突っ込んでリックへと体当たりを仕掛ける。
距離を詰めたせいで、ザンガには剣の根元しか当たらなかった。
おかげで威力は弱まり、激痛が走ったものの胴体はまだ繋がっている。
ザンガは勢いのまま倒れ込み、地面を転がってリックから距離を取ろうとした。
どんなに無様でも構わない。とりあえずこの攻撃を凌げば部下が助勢してくれる。
そう期待を込めるザンガの目に映ったのは……逃げてゆく部下たちの後ろ姿だった。
すでに半数を倒され、しかもリーダーであるザンガですら手も足も出ない。
そんな状況で闘いを続ける義理など彼等には無いのだ。
(……正しい判断だ。)
ザンガにも彼等を責める気は無かった。同じ立場なら自分もそうしたかもしれないからだ。
次いでザンガの目に映ったのは、剣を構えてゆっくりと近付いてくるリックの姿だった。
もはや起き上がる力すら失ったザンガには、次の攻撃を防ぐ手段などありはしない。
(俺も終わりか……。まあ、傭兵の最後なんて、こんなもんさ。)
死を目前にしていながら、ザンガの心は不思議な程に穏やかだった。
剣を手放し横たわった彼は、苦笑めいた表情を浮かべながらゆっくりと目を閉じたのだった。