薬師の森と猿の軍団 Ⅱ
”薬師の森”の樹々は、幸いなことにそれほど密集して生えているわけではなかった。
樹と樹の間隔はそれなりにあるため剣を振るうのに支障は無いし、何よりも見通しが良いのは有難い。
「この辺りには、あんまり魔獣はいないみたいだな。」
森に入ってしばらく歩いたところで、先頭を歩くデイビッドが口を開く。
「薬草の採取で頻繁に人が出入りするからだろう。警戒して近付かないんじゃないかな。」
と、最後尾を歩くリックがそれに答えた。
まだそれ程強い魔獣は出てこないので、薬師ギルドの採取者を伴ったグループが良く作業するような場所である。
彼等と運悪く出くわした魔獣は即座に排除されてしまうため、それを学習し人の気配を察知すると逃げてしまうのだ。
実際、その後も何体かの魔獣を発見したが、皆逃げるか遠巻きにこちらを観察するかで、近付いてくる者は皆無だった。
しかし、そんな雰囲気もやがて消える。明らかに魔力の濃度が高まって来たのだ。
「そろそろヤツ等が出て来そうだぜ。」
デイビッドはそう言って剣を鞘に納めて別の武器を取り出した。
それは強力なゴムの力で弾を発射する、所謂スリングショットというやつである。
遠距離攻撃の手段としては弓のほうが飛距離もあり優れてはいるものの、何分そちらは矢の数に制限がある。
一方、スリングショットは通常小さな鉄の玉を弾丸としているのだが、その辺りの小石でも代用が可能なので弾切れはあまり心配する必要が無い。
そのため、冒険者にはこちらを好んで使う者が多かった。
ちなみに、デイビッドは攻撃魔法も使えるのだが、いかんせん初級レベルでは強い魔獣に対してあまり効果を期待できない。
魔獣の中には魔法に対する耐性を持っているものも少なくないのだ。
それよりも物理攻撃の方が効果を期待できると判断しての選択なのだろう。
デイビッドの持つスリングショットはゴムの替わりに、より剛性・弾力性に富んだ蜘蛛の魔獣の吐き出す糸が使われていた。
その威力は魔法で強化された魔獣の身体すら貫くほどであり、土魔法による無限弾丸作成と合わせれば凶悪な武器と化すのだった。
尚、武器を持ち換えたのはデイビッドだけである。
リックは剣に纏った魔力を相手に向けて放つことが出来た。”飛ぶ剣撃”である。
なので、遠距離用の武器を必要としない。
シャルロットに至っては上級魔法まで使用できるため、そもそも武器すら必要なかった。
尚、イルムハートの場合は”飛ぶ剣撃”も上位の魔法もどちらも使えるのだが、剣撃には苦い経験があるのでここは魔法で対応することにした。
「来たわ。数は7匹ってとこかしら?とりあえず偵察部隊って感じね。」
シャルロットが魔力で探知した結果を報告する。
偵察部隊と言ったのは、その後方には更に多くの数が確認出来たからだ。
「出来るだけ数を減らしておいたほうが良さそうだな。こちらから仕掛けて行くぞ。」
リック達の実力からすれば、トループ・エイプなどそれ程恐れる必要のない相手である。
だが、数で来られると手を焼くことになるので、各個に討伐しておいたほうがやり易い。
「来たぞ!あそこだ!」
最初に敵を目視したデイビッドがそう叫びながらスリングショットで弾を放つ。
トループ・エイプは樹上で生活するだけあって、それ程大きな魔獣ではない。人間の大人より少し大きい程度だ。
但し、その両腕は異常な程に発達していて、太さは子供の胴回りくらいあり、一撃で熊を殴り殺すだけの力を持っているとされる。
また、長く伸びた毛は強化魔法を使うことで弾力性が増し、攻撃のダメージを和らげるクッションの役目をしていた。
ある意味、物理攻撃においては固い皮膚を持つ魔獣よりも厄介な相手ではあるのだが、そこは熟練の冒険者である。
デイビッドは毛の生えていない画面を狙った。
「ギャッ!」という叫び声と共に、1匹のトループ・エイプが樹から落ちてゆく。
続いて、樹上からパーティーの側面に回ろうとした敵をリックの剣撃が捉える。
こちらは胴体で攻撃を受けたのだが、その体を覆う毛も剣撃が当たった瞬間に発生する爆発的な破壊力までは吸収できず、吹き飛ばされ地面へと落ちていった。
残った敵にはシャルロットとイルムハートの魔法が襲いかかる。
シャルロットは”空気弾”と呼ばれる風の中級魔法を使った。圧縮した空気を相手にぶつけ、そこで一気に開放する魔法だ。
風の爆裂魔法に似ているが、向こうは効果が四方へと分散するのに対し、こちらはそのエネルギーを一点に集中させて開放する。
ピンポイントで打ち込まれるその威力は絶大で、熟練の術者であれば岩すら砕くことが出来た。
しかも、極限まで圧縮した小さな空気の弾のため、トループ・エイプの体毛の中に潜り込ませた後で発動することが可能だった。
そんなものを受けたのではひとたまりもない。あっと言う間に2匹のトループ・エイプが沈んだ。
片やイルムハートはと言えば、こちらは土魔法と風魔法を応用した魔法を使う。
土魔法で先端の尖った石を創り、さらに風魔法でドリルのように回転させて飛ばすのだ。
一応、これは魔法の教本に載っていないイルムハートのオリジナル魔法で、彼は”回転弾”と呼んでいた。
実は最初、”ドリル・ミサイル”という名が浮かんだのだが、さすがにちょっと気恥ずかしくなって”回転弾”に変えたのだった。
あえて石を細長く創り出したおかげで体毛に絡め捕られることもなく、イルムハートは1匹のトループ・エイプを倒すことが出来た。
「面白い使い方をするわね。後で教えてくれる?」
イルムハートの魔法を見たシャルロットが、そう語りかけて来た。
オリジナル魔法と言ったところでそれは教本に載っていないだけであって、魔法そのものが特別だということではない。
上級・中級の魔法は応用の魔法である。操作法を変えてみたり他の魔法と組み合わせてみたり、その可能性は無限にある。
イルムハートが今使った魔法も、単に彼が最初に思いついたというだけで、真似すれば誰にでも使える程度のものでしかないのだ。
いや、それどころかイルムハートが知らないだけで、既に他の者が先に思いついている可能性だってある。
なので、魔法の使い方を聞くのも教えるのもそれ程珍しいことではなかったし、イルムハートとしても異存は無い。
だが、それに対し抗議の言葉を発する者が約1名。
「そーゆーのは、終わってからにしてくんねえかな。」
もう1匹、トループ・エイプを仕留めながらデイビッドが不満を漏らす。魔法談義は後にしろということらしい。
しかし、シャルロットは悪びれることなく言い返した。
「あら、もう終わってるんですけど何か?」
その言葉と同時に、最後の1匹が叫び声と共に落下する。シャルロットが魔法で仕留めたのだ。
それに対しデイビッドはあからさまに苦い顔をして見せたが、それでも言い返しはしなかった。
魔力探知によると、まだ今の倍以上の敵が残っている。さすがに口喧嘩をしていられる状況ではないのだ。
4人は次の襲撃に備えるべく、森の奥へと神経を集中させた。
「今度は上と下に群れを分けて襲ってくるつもりみたいね。」
探査による敵の動きをシャルロットが報告する。
イルムハートもそれに同意して頷いた。
確かにトループ・エイプ達は、樹の上を渡って来るグループと地上から近づいてくるグループの2つに分かれて迫って来ているようだった。
「地上部隊で遠距離攻撃の邪魔しようってわけか。中々賢いマネすんじゃねえか。」
恐らくデイビッド推測通りであろうとイルムハートも思う。
樹の上というのは位置的には有利でも、足場が限られてしまうという難点があった。
それに樹から樹へと飛び移る際には完全に無防備な状態になってしまう。そこを狙われて先発の部隊は全滅したのだ。
自由に動き回れる地上にも戦力を振り分けることで樹上の仲間が攻撃されるリスクを減らす。トループ・エイプの動きにはそんな意図があるようにも見えた。
今の闘いでそれを学習したのであれば、かなり高い知能を持っていることになる。
がしかし、それが逆に彼等を死地へと追い込んでしまうことになるのだから皮肉な話だ。
「そう来るのであれば、私とデイビッドが前衛に立つ。シャルロットとイルムは上の敵を頼む。」
そう言ってリックは後衛から前衛へとポジションを入れ替えた。
リックも遠距離攻撃こそ他の2人に一歩譲りはしたが、近接戦闘においては圧倒的な力を持っているのだ。
そんな彼に地上戦を仕掛けるなど、トループ・エイプにとってはまさに自殺行為である。
樹上からの攻撃に徹した方が、まだましだったであろう。と言っても、多少時間を稼げる程度でしかないのだが。
「来たぞ!」
だが、そんなことに気付くはずもないトループ・エイプ達は、真っすぐにリックに向かい突進してくる。
それと同時に風魔法による突風を叩きつけてきたが、リックは微動だにしない。
魔力と同化した闘気が防御魔法と同じ効果で彼を護っているからだ。
結果として無防備に姿を曝すことになったトループ・エイプは、恰好の餌食となった。
リックが魔力を込めた剣を振るうと、トループ・エイプが2匹同時に頭を吹き飛ばされて地面に転がる。
剣に纏わせた魔力は敵に当たる瞬間凄まじい破壊力に変換され、体毛による物理攻撃軽減の効果すら無効化してしまうのだ。
本来ならトループ・エイプの上半身を軽く吹き飛ばせる程の威力があるのだが、そこは冒険者である。
素材を無駄にしないように頭だけを狙って攻撃しているのだった。
リックが続いてもう1匹を始末すると、少し離れたところでデイビッドが小さく愚痴をこぼした。
「相変わらず力の差ってヤツを見せつけてくれるよなぁ。」
彼はちょうど1匹目の敵を倒したところだった。
リックほどの威力が出せないデイビッドは、切りつけるのではなく突き刺す形での闘い方を選択していた。
体毛による防御を考慮してのことだが、同時に相手の体内で攻撃魔法を発動させる狙いもある。
突き刺した剣を通し体の中で発動させれば、例え初級レベルの魔法であっても大ダメージを与えることが可能なのだ。
それは剣技だけでなく魔法にも長けた者でなければ出来ない芸当ではあるのだが、リックの無双ぶりに比べるとどこか色褪せてしまうのも仕方あるまい。
「ホント、自信無くしちゃうよ……。いや、俺だってやれば出来る子のはずだ……たぶん。」
そんなことをぶつぶつと呟きながら、それでも1匹また1匹と倒してゆくデイビッドだった。
イルムハート達魔法組はと言えば、地上の敵を気にしないで済むため、こちらもほぼ無双状態である。
トループ・エイプの中には、風魔法の効果で体を吹き飛ばし空中での攻撃を避けようとする者もいた。
だが、さすがにデイビッドが言ったような樹に激突する間抜けはいなかったものの、強引に軌道を逸らしただけなのでどうしても体勢が崩れてしまい、むしろ狙い易いだけの的になってしまうのだった。
結局20匹近い群れも、それ程時間を掛けることなく撃退することが出来た。圧勝である。
まあ、そもそも薬草採取者を護衛する必要さえなければ、トループ・エイプの群れ自体はC+Dランクのパーティーでも十分対応出来る相手だった。
それをB+C、いや実質A+Bランクのパーティーで行えば手こずるほうがおかしいのだ。
「怪我は……無いな。」
リックはそう言いながら一同を見回したが、本気で心配しているわけでもなかった。型通りの確認といった感じだ。
皆もそれが分かっているので、いちいち返答はしない。ただ笑いながら頷いて見せる。
今回の仕事の中で一番厄介とされていたはずのトループ・エイプ討伐は、こうして実にあっさりと完了したのだった。