初めての仕事と王都からの旅
王都に移り住んでおよそ2ヶ月、イルムハートは9歳の誕生日を迎えた。
誕生パーティーは王都のアードレー屋敷で行われ、残念ながら両親の参加は無い。
いくら自前の飛空船を持っているからといって、そう簡単に領主があちこち移動するわけにもいかないからだ。
ならばイルムハートがラテスに戻ればいいのだが、それは2人の姉が許してくれなかった。
今回は学校を休むわけにはいかず、ラテスでパーティーを行われるとそれに参加するのが難しくなるからだ。
まあ、9歳と言う年齢は特に区切りの年でもないし、あと3ヶ月ほどすれば姉達の通う高等学院も中間休みを迎え帰省することになるので、両親を交えてのパーティーはその時になる予定だった。
パーティーには王都屋敷の面々に加え駐在官のアメリア、そして伯母であるクルーム侯爵夫人ディアンヌとその娘ミレーヌも駆けつけてくれた。
伯父のクルーム侯スチュアートと長男は公務のため不参加である。
パーティーは予想通り2人の姉によって仕切られた。
しかも今回は”自称”婚約者のミレーヌが加わったことで、イルムハートの自由な時間は皆無となった。
それでも皆が祝福してくれているのだと思えば不満は無い。
ただ……皆にミレーヌとの婚約が確定したかのような扱いをされるのには正直辟易させられた。
しかし、嬉しそうに笑うミレーヌを前に「違う」とも言えず、笑って受け流すしかないイルムハートだった。
所詮は6歳の子供。親同士が正式に取り決めたわけでもなく、2人の姉に吹き込まれたイメージに恋心を抱いているに過ぎない。
いずれ分別が付くようになれば恋愛ごっこからも醒めてくれるだろう。
今はそれを願うしかないイルムハートだった。
誕生パーティーから数日後、イルムハートはリックの宿泊する宿屋を訪ねていた。
イルムハートの初仕事が決まったので、その打ち合わせのためである。
「誕生日おめでとう、イルム君。」
顔を合わせると、すぐさまシャルロットがそう言葉を掛けてくる。
続けてリックとデイビッドも祝ってくれた。
「こうしてまたひとつ歳を取ってくわけだな……俺達も。」
祝いの言葉に続いてそう呟いたデイビッドは、シャルロットに睨みつけられ慌てて視線を逸らす。
一瞬、険悪な空気が流れたが、それを無視してリックとイルムハートが移動を始めたので、2人も急いで後を追う。
4人が移動した先は宿に併設されたレストランだった。
別に宿泊者専用というわけではないが、食事時ではないため他に客の姿は無い。
尤も、宿屋自体かなり高級な部類に入り値段もそこそこ張るので、食事時だからといって混雑するわけでもないのだが。
「さて、君の初仕事だが、依頼内容は薬草の採取だ。」
運ばれてきたお茶を一口飲んだ後、リックがそう告げる。
「薬草採取ですか?」
それを聞いたイルムハートは怪訝は表情を浮かべた。
薬草採取の仕事を軽んじているわけではない。だが、冒険者の仕事とも思えなかったのだ。
「確かに、普通は冒険者ギルドに薬草採取の依頼が来ることは無い。それは薬師ギルドの管轄だからね。」
薬草採取と言えば簡単な仕事のように聞こえるが、実際には薬草を見分ける知識と効能を損なわないように正しく採取し保管する技術が必要とされた。
そのため、通常は薬師ギルドの雇う専門職が行っており、俄か知識しかない冒険者がする仕事ではないのだ。
「だが、時々それに関連した依頼が入って来ることもある。採取者の護衛、あるいは薬草の知識を持つ冒険者への指名依頼だ。」
リックの話によれば、魔獣が出没する地域でしか採取されない薬草もあり、その作業に冒険者を護衛として付ける場合があるらしい。
また、特に危険度の高い地域へ行く必要がある場合は、薬草に詳しい冒険者を指名して採取を依頼することもあるとのこと。
戦闘スキルが乏しい採取者を連れて行くのはリスクが大きすぎるからだ。
「今回の依頼は後者だね。シャルロットを指名しての依頼というわけだ。」
まあ、採取者が同行できる程度の場所なら、わざわざBランク・パーティーに依頼などしないだろう。
「それ程危険な場所なのですか?」
イルムハートはリックにそう問いかける。
怖気付いたわけではないが、危険度は正確に知っておいたほうが良いからだ。
「我々も初めての場所なんだが、ギルドからの情報ではそれほど強力な魔獣がいるわけではないようだ。
ただ、トループ・エイプと言う木の上から群れで襲ってくる奴らが棲む森のようなので、慣れない者には少し厳しいかもしれないな。」
確かに、群れで襲ってくるだけでも厄介なのに、上からの攻撃に対処しなければならないとなれば戦闘の素人を連れて行くのは難しいだろう。足手纏いになってしまう。
「そうなんですか。それにしても、指名で依頼が来るなんてシャルロットさんは凄いんですね。」
薬草に詳しいという話は聞いていたものの、まさか薬師ギルドから直接指名が掛かるほどとは思ってもみなかった。
その事に感心するイルムハートだったが、当のシャルロットは何故か当惑した表情を浮かべていた。
「んー、でも王都では薬師ギルドがらみの依頼は受けたこと無いのよね。なのに名指しで指名が来るとは正直思わなかったわ。」
どうやら、実績の無い相手に指名依頼を掛けて来たことを不思議に思っているようだった。
「他の町のギルドから聞いたのかもしれないだろ。薬師ギルドにも横の繋がりは有るだろうし。」
薬師ギルドは冒険者ギルドと違って地方単位の同業者組合でしかない。
それでも各地のギルド同士での交流もあるだろうから、名前を伝え聞いていたとしても不思議はないだろう。
「そうかもね。」
リックの言葉にそう頷いたシャルロットだったが、無理やり自分を納得させようとしている感じに見えた。
「シャルは細かい事、気にし過ぎなんだよ。」
そう言って笑うデイビッドだったが、「あんたみたいに考え無しのほうが問題よ」と返されて黙り込むはめとなった。
「目的地に向かう前に、まずは手前の町で1泊する。王都の西にあるキトレという町だ。」
続いて話は移動スケジュールに移る。
「キトレから目的の森までは半日程だが、当日は森の近くで野営して翌朝から行動する。森の中で日が暮れるのは避けたいからね。
上手くいけば午前中で作業は完了し、当日中にはキトレに戻れるだろう。
そこでまた1泊してから王都に帰って来る4日間の行程だが、天候次第では1日2日増えるかもしれない。」
これはイルムハートに対しての説明だった。
リックを含め他のメンバーにとって、スケジュールはそれ程重要でもない。
いい加減で構わないということではなく、その都度臨機応変に対応すれば良いだけのことだからだ。
だが、イルムハートの場合はそうもいかない。
屋敷で彼の帰りを待っている者がいる以上、スケジュールは正確に伝えておく必要があった。
「馬を含め旅に必要な物はこちらで用意する。君は自分の装備だけ持って来てもらえばいい。」
馬に乗れるか?とか装備は揃えてあるか?などど無用な質問はしない。
「イルムは収納魔法が使えるから楽でいいよな。」
荷物の話になるとデイビッドが羨ましそうな声を出した。
「デイビッドさんは使えないんですか?魔法も得意そうですけど。」
「得意ったって使えるのは単純な魔法だけだしな。収納魔法みたいな難しいのはムリだわ。」
目に見えたり思い描けたりするものは比較的魔法として習得し易い。
だが、収納魔法のように目に見えない異空間にスペースを創り物を出し入れするというのは、イルムハートが思っている以上に難易度が高い魔法なのだ。
「リックは魔道具を持ってるからいいが、俺はシャルの収納魔法に頼るしかないんだよ。」
今や収納魔法の魔道具は市販されるレベルにまでなってはいるが、だからと言って安価というわけでもない。
Cランク冒険者と言えど、そう簡単に手に入れられる代物ではないのだった。
「私の魔道具だってせいぜい大き目の衣装箱3つ分くらいしか入らないよ。シャルロットがいなければ、馬車が必要になるところさ。」
リックにそう言われシャルロットが「そうよ、感謝しなさい」と勝ち誇った顔をデイビッドに向ける。
「はいはい、感謝してますよ。」
こればかりはデイビッドも反論出来ず、不承不承ながらそう返すしかなかった。
「ところで、イルムの収納魔法ってどのくらい入れられるんだ?」
「んー、多分ですけど馬車1台くらいですかね。」
魔法士団の平均的ラインがその位だったので、とりあえずそう答えた。
実際にはドラン大山脈で倒した大型魔獣の死骸を何体か入れてもまだかなりの余裕があるので、おそらく大きな倉庫1棟分は軽くあるだろうが、勿論それを正直に言う訳にはいかない。
「じゃあ、シャルと同じくらいか。すげえな。」
イルムハートの答えにデイビッドは驚きの声を上げる。
過少に申告はしたが、馬車1台と言うのはそれでも十分過ぎる容量なのだ。
「シャルの分と合わせれば、大物を何体か仕留めても余裕で運んで来られるな。」
「言っておくが今回はその予定は無いからな。あくまでも薬草の採取が目的だ。」
ややテンションの上がったデイビッドにリックがそう言って釘を刺す。
リック達はイルムハートが既に何度も魔獣と闘っていることを知らない。今回が初めての経験になるだろうと考えている。
なので、極力危険な魔獣とは遭遇しないようにするつもりだった。
そのために魔獣の討伐ではなく薬草の採取をイルムハートの初仕事として選んだのだ。
「分かってるって。先々の話だよ。」
デイビッドはそう答えたが、リックもシャルロットも訝し気な表情を浮かべている。
まあ確かに、デイビッドには害の有る無しにかかわらず、魔獣を見つけ次第突撃して行きそうなノリはある。と言うか、実際にあったらしい。
そこをシャルロットが突っ込むことで、またしても2人の口喧嘩が始まった。
いつもならリックも放っておくところだが、今やられては話が進まなくなるので強制的に終了させる手段に出た。
2人の脳天にげんこつを喰らわせたのだ。
頭を抱えて悶絶する2人を尻目に、リックは実に良い笑顔でイルムハートに声を掛ける。
「さあ、話を続けようか。」
その後、ひと通り話が終わるまでの間、シャルロットとデイビッドは痛む頭をずっとさすり続けるはめになったのだった。
出発当日の朝、イルムハートは東門近くにある冒険者ギルドの別館でリック達と落ち合った。
宿屋ではなくこちらに集合した理由は、移動用の馬が預けられているからだ。
王都は馬車で移動する分には便利なのだが、馬でとなるといろいろ不便な点があった。馬を繋げる場所が少ないのだ。
これは都市計画の不備と言うよりも、むしろ狙ってそうなっている。
馬車よりもスピードの出る馬に街中を好き勝手に走り回られては、色々とトラブルの原因となるからだ。
王都には乗合馬車があるので、そちらを使えということなのだろう。
そのためリック達も街中では馬を使わず、この東門別館に預けてあるのだった。
「いよいよ初仕事だな。張り切って行こうぜ。」
イルムハートを見つけたデイビッドがそう声を掛けて来た。
そのあまりの気安さに、リックと挨拶を交わしていた護衛のバート・ゲインは一瞬眉をひそめ何かを言いかけたが、笑ってそれに応えるイルムハートを見て言葉を飲み込む。
「礼儀の出来ていない奴で申し訳ない。」
その上、リックにそう言って頭を下げられてはバートも面と向かって抗議するわけにはいかなかった。
そんなやり取りの後、バートに見送られながらイルムハート達は出発する。
目的地のキトレは王都から西の方向にある町だが、一行は先ず東門へと向かった。
だが、東門から外に出ることはなく、城壁沿いに広がる更地を通り西門へと向かう。
そこは幅こそ広いが通路として整備されているわけではないので使用する者も少なく、速度を上げて馬を走らせることが出来るからだ。
更地を馬で走りしばらくすると、前方に王都の西門が見えてきた。
西門と東門は作りが同じで、正門をやや小ぶりにした感じである。
やはり大門とその両脇に小さな門が2つ。それぞれの用途も正門と同じだ。
王都に入る時に比べて、出る際のチェックはそれほど厳しくはない。身元が確かな者であれば、荷物を改められることも無くすんなり通ることが出来る。
冒険者カードを持つ4人も当然その中に入るため、特に問題なく門をくぐることが出来た。
門からは西北西に向けて大きな街道が真っすぐに延びており、しばらくの間はその道沿いに馬を進め、2時間ほど走ったところで休憩することになった。
そこでリックはイルムハートにこの先のルートを説明する。
「ここから先は街道を外れて緩衝域を通って行くことになる。」
この世界、魔獣が存在してはいるものの、そこかしこに棲息しているというわけでもない。
土地の魔力の強さや自然環境、その他諸々の条件によって魔獣の活動する領域はある程度限定されていた。
そして、人はその領域を避けて自らの生活圏を創り上げている。
その魔獣の活動領域と人間の生活圏との境目を人々は緩衝域と呼んでいた。そこを越えなければ魔獣の脅威は少ないという線引きである。
尤も、そこが塀や柵で区切られているわけではない以上、緩衝域を越えて迷い出てくる魔獣も少なからずいる。
そんな魔獣が発見された時、軍や冒険者による討伐が行われることになるのだ。
「近道、ということですか?」
そうイルムハートが問い返すとリックは「そうだ」と言って頷いた。
通常、街道は魔獣の活動領域を遠く迂回して通されている。万一の場合の被害を最小限に抑えるためだ。
王都からキトレまでの道もそれに違わず、かなり遠回りなコースになっていた。このまま街道を往けば、おそらく今日中に到着するのは難しいだろう。
そこで、緩衝域を通ることにより時間を短縮しようということらしい。
普通の旅人であれば自殺行為にも等しいことではあったが、冒険者にとっては決して常識外のことでもない。
活動領域に深く入り込んでしまうのなら別だが、緩衝域程度ならそれほど恐れることもないのだ。勿論、初心者でなければだが。
その後、4人は街道を外れキトレまでの直線コースを取った。
途中、緩衝域の手前でもう一度休憩を取り、軽い昼食を取る。
緩衝域と言っても別にその部分の風景が他と異なるわけでもなく、何か目印があるわけでもない。
あくまでも地図上のものであり、しかも明確な線引の無い”おおよそこの辺り”と言った感じのものでしかなかった。
だが、魔力感知に長けた者には、あきらかにその内と外で魔力の質が違うのが分かる。
「あの向こうが魔獣の活動領域なのですね?」
「そうよ。さすがイルム君、緩衝域が感知出来るのね。」
イルムハートがそう問い掛けるとシャルロットが笑顔を浮かべながら答えてくれた。
「俺だって分かるぞ。」
デイビッドもそう口を挟んできたが、それは当然のようにスルーされた。
「向こうに森が見えるでしょ。あの辺りが魔獣の生息地なの。」
シャルロットは緩衝域の向こうにある森を指さした。小さく見えるがそれは距離があるからで、実際にはかなり大きな森である。
「普通ならこの位近付くと、そう遠くないところで魔獣がうろついてたりするんだけど、この辺は大丈夫。
王都の近くだから軍が定期的に討伐を行ってるの。
魔獣もそれが分かってるからあまり近付いてこないのよ。」
主要な街や街道では、軍が定期的に巡回し魔獣の討伐を行っていた。
その際には例え魔獣の目撃報告が無くとも、あえて緩衝域を越える辺りまで隊を進め討伐を行うこともあった。魔獣に警戒心を与えるためだ。
そして、人の生活圏に近づくことの危険性を学習した魔獣は、活動領域の奥深くから出てこなくなるというわけである。
まあ、そのような対応がなされているのは極めて限定的な場所でしかないのだが。
昼休憩を終えると、4人は再び移動を開始した。
今度は魔獣の活動領域スレスレを通ることになるので、広範囲の魔力探知が出来るシャルロットが先頭に立った。
同じく探知が得意なデイビッドは最後尾を走る。
一応、イルムハートも探知は出来るのだが、今回は予備要員とされた。
だがそれはイルムハートの能力を疑ってのことではなく、単純にいつもの隊形を取っただけである。
馬を休めるためにもう一度休憩をはさみながら走り続けることおよそ4時間。
そろそろ陽も暮れかかった頃、一行は目的地キトレの町に無事到着した。