王都のギルドと冒険者の親玉 Ⅲ
アルテナのギルドは訓練場を別の施設として持っている。
だが、だからと言って本部建物には訓練する場所が無いというわけではない。建物の一角に訓練専用のスペースがある。
但し、それは本部勤務の者が体を鈍らせないように軽く運動出来る程度のもので、魔法対策等がされている本格的な訓練場とは違う簡素なものだった。
今そこにイルムハートとリックとロッド、そして手合わせの相手であるベフの4人が集まっていた。
ベフは身長こそ人並み程度だったが、その筋肉で覆われた身体の方は人並みを外れていた。
本人もそれは意識しているようで、肉体を強調するかのように身体にぴったりと張り付くような服を身に着けている。
しかし、残念ながらロッドと並ぶとまだ小振りに見えてしまうのだが、これは彼のせいではないだろう。ロッドの筋肉が異常すぎるのだ。
彼は、リックにに会えたことには感激していたのだが、手合わせの相手がイルムハートだと知ると、あからさまに不満げな表情を浮かべた。
「こんな子供の相手をさせるために呼んだんですか?
勘弁してくださいよ、ギルド長。子守するために冒険者になったわけじゃないんですから。」
どうやら聞かされていたのは手合わせをするということだけで、詳しい話は知らされていなかったらしい。
当然、イルムハートの身分についても知らないようで、平気でそんな台詞を口にした。
イルムハート自身はベフの言い分も尤もだと思い、さほど気にする様子は無かったが、リックはそれを聞いて不快な表情を浮かべた。
「まあ、そう言うな。こう見えてこいつはラテスのギルド長いち押しの新人なんだぜ。」
そんなリックに軽く目配せしながら、ロッドはそう言ってベフを宥めた。
どうやらイルムハートの身分を明かすつもりはないらしい。
確かに、イルムハートが辺境伯の息子だと知ればベフが委縮してしまう可能性はある。それではまともに手合わせも出来ないだろう。
「で、いくつなんです?そいつは。」
「8歳だ。確か、もうすぐ9歳だったか。」
「8歳!?」
イルムハートの年齢を聞いてベフは絶句する。それは、驚きと言うより怒りによるものが大きかった。
無理もない。
普通、一番下のFランクから一人前とされるDランクまで上がるには7~8年掛かると言われている。11歳から初めても20歳手前あたりでやっとDランクになれる計算だ。
16歳でそこに到達したベフは、かなりのスピード出世ということになる。
また、昇格する年齢にこだわらず気長に年数を重ねていけばいずれは上がれるのがDランクなのだが、Cランク以上はそうはいかない。
C以上のランクには高い資質が必要とされ、それを持つ者だけが昇っていける領域だった。
若くしてそのCランクへの昇格が確実視されている彼は、いわばエリートに分類される人間なのだ。
にも拘らず、10歳も年下の子供を相手に手合わせをさせられるのだから、それはプライドも傷つくだろう。
「この俺に弱いものいじめをしろと?」
ベフは憮然とした表情でロッドを、そしてイルムハートを睨みつけた。
(ちょっと自信過剰なんじゃないかな。)
そんなベフの反応を見て、イルムハートはそう感じた。
ベフが冒険者として優秀なのは確かなのだろう。それは昇格の速さが証明している。
だが、相手の見た目や年齢だけで決めつけてかかるのはいただけない。
まあ、この場合は相手があまりにも幼すぎるのでベフばかりを責めるのも酷な話ではあるのだが、少なくともギルド長がただの子供相手に手合わせを命じるはずがないことくらい冷静に考えれば解かりそうなものだ。
もしかすると、周りにもてはやされて少々天狗になっているのかもしれない。
だからプライドを傷つけるようなことには過剰に反応してしまうのだろう。
ふとリックを見ると、先ほどまでの不快な表情は消えて何やら複雑そうな顔をしていた。
おそらく彼も同じように感じているのだろうとイルムハートは思ったが、実のところリックはもう一段深く真実を読み解いていた。
(ギルド長もなかなか手厳しいことをする。)
ロッドはイルムハートと手合わせさせることでベフの自惚れを正そうとしているのだと、そうリックは理解した。
ラテス支部はイルムハートの実力をDランク上位として報告して来ている。
その彼の相手にDランク中位の人間を選んだ時点で多少違和感は感じていた。イルムハートが勝つことを前提とした人選だからだ。
イルムハートの実力を確かめながら、それと同時に世の中上には上があることをベフに教え込む。それが狙いなのだろう。
(手厳しくて……それでいて、何と老獪なことか。)
呆れていいのか感心していいのか、そんな何とも言えない感情がリックの心を満たしていたのだった。
ロッドはどうにかベフをなだめすかして、やっと手合わせすることを了解させた。
「ケガしたって、俺は知りませんからね。」
不承不承ながら、ベフは準備を始める。
それに合わせてイルムハートも装備を着けていると、そこへリックが近付いて来てそっと語り掛けた。
「彼はDランクでそれなりに実績もあるが、まだCランクに手が届くレベルではないね。君が本気を出して闘うほどの相手ではないよ。」
それを聞いてイルムハートは少し驚いた。手を抜けと言っているように聞こえたからだ。
が、それも一瞬のことで、すぐにリックがギルド長に言った言葉を思い出す。
『冒険者は手の内を曝さない、探らない』
例え力を示すのが目的だとしても、馬鹿正直に全てを曝け出して見せる必要は無い。切り札は隠しておくほうがいい。
リックはそう言っているのだとイルムハートは理解した。
「解りました。」
そう言って頷くと、リックは満足そうに微笑んでイルムハートの肩をポンと叩く。
「さあ、行ってきなさい。」
イルムハートはもう一度頷くと、ベフの前へと歩み出た。
「ここには防御魔法の魔道具が置いて無いんでな、攻撃魔法は使用禁止だ。それ以外の魔法は使っても構わんが、相手に直接効力を及ぼすようなものは出来るだけ使わない様にしてくれ。こいつは剣の勝負だからな。」
試合に先立ち、審判を務めるロッドがイルムハートとベフに向かってそう言った。
これは一見、2人に対して語り掛けているように見えるが、実際にはイルムハートに向けてのものであった。
ベフは剣士系であまり魔法は得意ではない。
だが、イルムハートは魔法においても剣術と同じくDランク上位の実力を持っているとの報告を受けている。
もしイルムハートが剣だけでなく魔法まで使ってしまったら勝負にすらならないかもしれない。
ロッドはそうなることを心配していたのだ。
「(攻撃)魔法なんか必要ないさ。」
「解りました。」
2人がそう答えると、ロッドはベフにちらりと目をやり軽く肩をすくめて見せる。
「勝負は相手の胴体に先に一太刀入れた方の勝ちだ。手足はノーカウント。尚、頭は避けるように。」
頭についてはあくまでも安全のためだが、手足はノーカウントと言うのは実戦を踏まえてのルールだった。
実際の闘いは手や足の1本や2本無くなったところで終わるものではない。どちらかが動けなくなるまで続く。
故に、相手を確実に仕留めるための打撃のみを有効打とする、そういうルールなのである。
多少荒っぽい気もするが、常に死と隣り合わせでいる者達にとっては当然の心構えなのだ。
「それでは、始め!」
ロッドの掛け声により試合が始まったが、2人ともすぐには動かなかった。
イルムハートが相手の出方待ちなのは予想通りだとしても、ベフが動かなかったのは正直意外だった。
先ほどまでの様子から、一気に攻めかかってくるものと皆思っていたのだ。
やや自信過剰の傾向はあるが、闘いに際しての冷静さは無くさないようだ。さすがにこの歳でCランクを狙うだけのことはある。
(あの体格通り、力には自信があるみたいだな。)
イルムハートはベフを観察しながらそう思った。
ベフはロングソードを頭の脇に立てる、所謂八双の構えを取っていた。
この世界ではこれがスタンダードな構えなのだが、騎士と冒険者では剣の位置が若干異なった。
騎士は相手と正面から対峙するのを前提としているため、剣を高く構える。振り下ろすことで威力が増す攻撃優先の構えなのだ。
一方、冒険者の場合は魔獣との闘いに比重を置いているため、剣はあまり高く掲げずに腰の辺りまで下げて持つ。
不意を突いて襲い掛かって来る相手にも対処出来るよう、剣をコントロールし易い位置に構えるのだ。
だが、ベフの場合は騎士のように剣をかなり高い位置に構えていた。
おそらく、重い剣でも素早く自在に操る自信があってのことなのだろう。
対するイルムハートは正面の相手に剣先を向ける中段、あるいは正眼と呼ばれる構えを取っていた。
剣を動かし易く攻防両面に適した型ではあるのだが、実戦的ではないとされており使う者は少ない。
理由は単純で、前方に重心が掛かるこの剣の持ち方では腕が疲れてしまうからだ。
実戦とはどれだけの時間闘えば良いというものではないし、何人倒せば終わるという保証も無い。
なので、その間は出来るだけ腕の負担を少なくするのが常識とされていた。
結果、イルムハートのような構えを取る者は、実戦を知らない素人として軽んじられる傾向にあった。
案の定、ベフもそう思ったようで、「ふん」と嘲りの笑みをこぼす。
勿論、イルムハートもそのことは知っている。
それでも敢えてこの構えを取るのは、別に相手を油断させようと狙ってのことではない。
元は(おそらく)日本人だったせいか妙にこの構えがしっくりくることもあるのだが、一番の理由は現状に最も適していると判断したからだ。
本来、訓練というのは常に実戦を想定して行う。試合において勝手が良いからと言って、構えや動きを変えたりはしない。
それは、咄嗟の際でも反射的にいつも通りの動きが出来るよう、反復行動で体に覚え込ませるためである。
だが、思考加速という反則技を持つイルムハートにはその必要が無い。
常人の数百倍という速さで物事を考え、そして判断出来る彼は、そんなものに頼らずとも瞬時に最良の方法を選択して行動することが可能なのだ。
であれば、何もひとつの手段にこだわる必要は無い。これが実戦ではなく単なる試合なのであれば、それに適した構えを取れば良い。そう考えてのことだった。
(まあ、要するにズルしてるわけなんだよなぁ。)
イルムハートは内心でそう自嘲した……つもりだったのだが、どうも表情に出てしまったらしい。
ベフの目つきが急に険しくなる。どうやら自分のことを笑ったのだと勘違いしたようだった。
今まではどこか気乗りしない雰囲気を漂わせていたのだが、一転して凄まじい殺気を発し始めた。
イルムハートは自分の軽率さを後悔したものの既に遅い。次の瞬間、気合を込めた叫びと共にベフが襲いかかって来た。
ベフは上段から剣を力強く振り下ろしてきたが、イルムハートはそれをまともに受けるようなまねはせず、相手の剣の腹に自分の剣を当てて少しだけ力を込めて押す。
すると、軌道を変えられたベフの剣はイルムハートに当たることなく横に逸れ空を切った。
が、流石と言うべきかベフは即座に切り返し、切り上げる形で剣を振るう。
しかし、今度は浅い角度で当てられたイルムハートの剣の刃がレールのようにベフの剣をあらぬ方向へ誘導し、これまた空を切ることになる。
そんなやり取りが何度か続いた後、状況を立て直すためにベフは飛び退ってイルムハートから距離を取り再度剣を構え直した。
その表情には微かだが驚愕の色が浮かぶ。まさかこんな子供相手にここまで手を焼くとは思ってもみなかったのだ。
いや、手を焼くというなどと言うレベルではない。軽くあしらわれていると言う表現が正しいだろう。
尤も、イルムハートにしてみればそんなつもりはない。
ただ、彼自身も思っていなかったほどに実力差がありすぎて、まともに打ち合うことを躊躇わせているのだった。
(騎士団の見習いくらいのレベルかと思ってたけど、それ程でもないみたいだな。)
ラテスでGランク試験を受けた際、相手をしたCランク冒険者は騎士団の下位団員に並ぶ程度の腕前を持っていた。
Cランクで下位団員程度なら、Dランクは見習いくらいだろうと勝手に思い込んでいたのだが、どうやら違ったらしい。
まあそもそもの話、数十万人いるとされる冒険者の実力を僅か6つのランクで評価すること自体に無理がある。
実際は同じランクでも昇格したての者と次のランクを目前にしている者とでは、その実力には雲泥の差があるのだ。
リックが言った『本気で闘うほどの相手ではない』という言葉は、手の内を見せるなという意味もあったのだろうが、何よりもベフの実力を的確に示してくれていたのだとイルムハートは改めて理解した。
イルムハートがベフの実力を理解したのと同様に、ベフもまたイルムハートの力を思い知った。
剣技においては遥かに上を行っている。それは認めざるを得ない。
だが、だからと言って負けを認めるつもりも無かった。
技術で劣っていたとしても、体格では圧倒的に有利なのだ。ならばそれを生かした闘い方をすればいい。
そう判断したベフは、剣を頭の脇ではなく利き腕側である右胸の前に立てて構えると、左肩を突き出しやや前傾姿勢を取る。
そして大きく一呼吸すると、そのままイルムハートへと向かって突進した。体当たり覚悟の突撃である。
全体重を掛けた剣の一撃ならばそう簡単に捌くことは出来ないだろうし、体格で劣るイルムハートがそれをまともに受ければかなりの衝撃を食らうことになる。
初撃でイルムハートの体制を崩し、次の手で勝負を決める。それがベフの狙いだった。
現状においてそれは最善の選択ではあるのだが、同時に予測され易い作戦でもあった。
当然、イルムハートも見抜いている。
イルムハートはベフの突進をギリギリまで引き付けた後、素早くそれを躱す。
その際、あえてベフが剣を出しやすい利き腕側に回り込み、わざと身を曝した。
それに釣られたベフは反射的に剣を振ったのだが、前傾の状態から無理に右後方へと剣を出してしまったため片手持ちとなり、しかも体勢を崩してしまう。
イルムハートはそれを見逃さない。
今回も相変わらず防御にしか強化魔法を使っていなかったのだが、そこで少しだけ腕力の強化を行いベフの剣の根元を思い切り叩く。
”少しだけ”と言っても、常人離れしたイルムハートの魔法力を持ってすれば、それは凄まじい強化となる。叩きつけられた方はたまったものではない。
ガランという鈍い金属音を立ててベフの剣が床に落ちた。
ベフは打撃の衝撃で麻痺した右手を左手で抑えながら、呆然とした表情で床に転がる自分の剣を見つめる。
「……参った。俺の負けだ。」
少し間を置いた後、ベフは力無い声でそう言った。
実際にはまだ剣を取り落としただけで攻撃を食らったわけではない。形勢は圧倒的に不利だが、格闘戦に持ち込んで挽回することも不可能ではないはずだ。
しかし、ベフは負けを認めた。イルムハートがそんな甘い相手ではないと覚ったからだ。
少しでも反撃の気配を見せれば、即座に止めを差しに来るだろう。そして、それを凌ぐだけの力は自分には無いと理解したのだ。
「では、それまで。この勝負、イルムの勝ちだな。」
審判役のロッドがそう宣言した。
有効打が入ったわけではないものの、ベフが負けを認めたのであれば是非もない。イルムハートの勝利である。
「さっきは失礼な事を言ってすまなかった。許してくれ。」
まだ痺れている右手をさすりながら、ベフはそう言って頭を下げた。どうやら、それほど傲慢な男でもないようだ。
「別に気にしてませんから。それに、いきなり僕みたいな子供の相手をしろと言われれば、愚痴のひとつも言いたくなる気持ちも解ります。」
実際、ベフの言葉を不快に思ったりはしていなかった。結果としてロッドに嵌められた形になったベフには、むしろ同情していた。
ベフにも嵌められたという自覚があるのだろう。イルムハートの言葉に苦笑して見せる。
ベフを嵌めた張本人はといえば、こちらは打って変わって満足そうな笑みを浮かべていた。
「どうですか、ギルド長。これで満足ですか?」
リックはロッドに歩み寄ると、そう問い掛けた。
その声には多少皮肉めいた響きがあったが、ロッドは敢えてそれには気付かない振りをした。
リックの言いたいことも解かっていたが、ベフの件はアルテナ本部の問題なのだ。
有望な若者が慢心により道を誤ってしまってはギルドにとって大きな損失となる。そうなる前に正してやる必要があった。
しかし、手取り足取り導いてやるつもりはない。ギルドは母親ではないのだから。
きっかけは与える。そこから何かを学べれば良し。
もし何も学べなければ、それはギルドにとって有用な存在ではないということになるのだ。
「まだまだ本気じゃあねえみたいだが、まあ今回はこんなもんだろう。とりあえず、大した奴だってことは分かったしな。」
ロッドはそう言ってリックに向かい笑ってみせた。
その笑みにはイルムハートの力を見られたことへの満足感と同時に、ベフの反応に対しての安堵も含まれていたのだった。