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新しい街と新しい生活 Ⅱ

 イルムハートを乗せた馬車は敷地内の右側の建物、アードレー家の屋敷を目指して進んで行った。

 屋敷の入り口前では多くの人々が集まってイルムハートを出迎えた。駐在事務所の職員や屋敷の使用人達だ。

 イルムハートが馬車を降りると、人々の中央に立っていたひとりの女性が前に出る。

「イルムハート様、ようこそいらっしゃいました。我々一同、心よりお待ち申し上げておりました。」

 彼女の名はアメリア・グレンティ・コートラン。歳は31歳。フォルタナ領王都駐在官にしてコートラン子爵家当主である。

 身長は170くらいだろうか。ドレスではなくスーツ(のような男性用衣装)を着込んでいるが、通常の物よりは体のラインが強調されるように仕立ててあるようだ。

 職務上、スーツの方が何かと動きやすいとは言え、女性として美に対するこだわりまで捨てるわけにはいかないのだろう。

 そしてその姿は十分に魅力的であった。

 エマの赤銅色の髪よりは少し明るめの赤毛をショートにしてスっと立つその姿に、イルムハートは前世のとある女性だけの歌劇団を思い出す。

 まさにその歌劇団の男役スターを彷彿とさせる女性だった。

「お出迎え感謝致します、コートラン子爵アメリア様。本日よりこの屋敷で暮らす事となりました。今後ともよろしくお願い致します。」

 イルムハートとアメリア、その立場は少々複雑な関係にあった。

 父親は辺境伯であってもイルムハートはその息子でしかない。片やアメリアは辺境伯より下位の子爵とは言え当主である。

 この場合、当主であるアメリアのほうが当然格上となるのだが、その子爵の地位はウイルバートにより与えられたものだ。

 となれば、アメリアにとってイルムハートは主家の御曹司ということになるわけで、敬うべき存在となってしまう。

 別に二人共どちらが格上かなどどいうことに拘るつもりはないのだが、はっきりしないというのもそれはそれで気が休まらない。

 これが表面上の交わりだけで済む相手なら構わないが、この先長く共に暮らす相手だ。ぎこちない付き合い方はしたくなかった。

 なので……。

「長旅ご苦労様、イルム君。中でゆっくり休んでね。」

「ありがとう、アメリアさん。正直、ちょっと疲れました。」

 アメリアとイルムハートはそう言って笑い合った。これが2人の出した答えである。

 元々ウイルバートとの会議のため定期的にラテスを訪れていたアメリアは、イルムハートとも知らぬ仲ではない。

 しかも、ここ数か月はイルムハートの王都移転について打ち合わせるため何度か顔を合わせていた。

 その際、アメリアから「せめて屋敷の中ではお互いいらぬ気兼ねは無しにしませんか?」と申し出があったのだ。

 上下が決められないならいっそ失くしてしまえばいい。堅苦しい貴族社会においては少々変わった考え方ではあるが、彼女はそう考えた。

 おそらくそれは彼女の出自によるものなのだろう。

 アメリアは養子であり、元は平民の子である。

 23歳の時、次期王都駐在官候補としてグレンティ家の養子となった。その後先代の補佐官を務めながら職務や貴族社会を学び、29歳で駐在官の職と家督を同時に継いだのだった。

 一風、変わった経歴のようにも見えるが、実はそうでも無い。彼女に限らずコートラン子爵グレンティ家の跡取りは全て養子であった。

 決して代々子に恵まれなかったということではない。先代にも子はいた。しかもアメリアよりも年上の子が。

 しかし、それでも養子を跡取りとするのは、”コートラン子爵”という爵位が血統ではなく職務に対して与えられたものだからだ。

 王都駐在官に対外的な箔をつけるための地位、それが”コートラン子爵”であり、実子だからといってそのまま継承出来るわけではないのだ。

 代々家督を継ぐ者はそれを承知の上で継承する。そして家督を譲り渡した後はまたフォルタナへと戻り、今度はウイルバートの元で行政官として働くことになる。

 他領の爵位持ち駐在官の場合も同じような形で家督を継承することが多く、彼等は職分貴族とも呼ばれていた。

 そんな貴族らしからぬアメリアからの提案を前世は(おそらく)庶民であった感覚から脱せないイルムハートが拒否するはずもない。

 当然のように2つ返事で受け入れたのだった。

 そしてその気安さはイルムハート以外にも発揮される。

「エマちゃんもご苦労様。」

 アメリアはそう言ってエマに笑いかけた。

 彼女はエマを”ちゃん”付けで呼ぶ。いくら他家の使用人とは言え、平民相手に貴族がする呼び方ではない。

 だがアメリアには一切気にする様子はなかった。

「疲れたでしょ。あなたも今日はゆっくりなさい。」

「ありがとうございます、コートラン子爵様。」

「ダメダメ、アメリアと呼びなさいと言ったでしょ?」

 アメリアはエマがお気に入りだった。他の使用人達に対しても気さくな態度を取るが、中でもエマは特別のようだった。

 彼女は未だ未婚だが恋人はいるらしいので別にそっちの趣味というわけではないだろうが、少々誤解を受けそうな程である。

「……はい、アメリア様。」

 男装の麗人に顔を近づけられ、エマほんのりと頬を染めた。

 そんな2人の姿を見て、イルムハートは急に不安な気持ちになってくる。

(んー、両刀って可能性もあるのか……気を付けたほうがいいかな。)

 軽い嫉妬で思考がおかしな方向に向かってしまっていた。

 とうに親離れしているイルムハートなのだが、どうやら”エマ離れ”出来るのはまだまだ先のようである。


 屋敷内に入るとイルムハートは先ずサロンに通された。

 アメリアはまだ執務中とのことで、「それじゃ、また夕食の時にいろいろお話ししましょう。」そう行って戻って行った。

 早々に着替えてメイドの業務に戻ろうとするエマを引き留め2人で屋敷のメイドが入れてくれたお茶を飲んでいると、やがて数人の男女が部屋に入って来る。

 そして、一人の中年女性が一歩前に出て深く頭を下げた後に口を開いた。

「お初にお目にかかります、イルムハート様。メイド長のハンナ・ダフと申します。」

 ”メイド”長という呼び名ではあるが、普段アードレー家の者が不在であるこの屋敷には執事長がいないため、実質的に彼女がこの屋敷を取り仕切っている立場だった。

「初めまして、ハンナ。これから世話になるよ。それから……彼女はエマ。僕の身の回りの世話をしてくれている。」

 イルムハートは少し後ろに首を回しながらそう答えた。

 人の気配を感じたエマは、すぐさま椅子から立ち上がりイルムハートの後ろに移動し控えていたからだ。

「エマ・クーデルと申します。よろしくお願いいたします。」

 エマの言葉に軽く頷いたハンナは、その後使用人の中の主だった者達を紹介した。

 一通り挨拶が終わると、ハンナは皆を連れて部屋を出て行く。そして、エマもそれに付いて行った。

 さすがにいつまでもお客様気分ではいられない。ハンナから屋敷内の事をいろいろ学ばねばならないのだ。

 ひとり取り残されたイルムハートの元へ、今度はニナがこれまた人数を率いて訪れてくる。

「イルムハート様、お時間よろしいでしょうか?」

「構いませんよ。」

 ニナは引き連れて来たメンバーを横一列に並ばせる。こちらもやはり挨拶のためである。

 初めての土地なので、これからしばらくは挨拶攻めになるのだろう。

 多少面倒ではあるが、こればかりは仕方のないことであった。

「この者達がイルムハート様とお姉さま方の警護を担当する事になります。」

 そう言って示されたのは男女2人ずつの計4人。

 30歳ほどから20歳くらいまでと年齢はまちまちだが、皆フォルタナの騎士団か魔法士団の制服を着ていた。その数も男女2人ずつ。

 彼らは子供たちを警護するため、騎士団・魔法士団から選抜されてここにいるのだった。

 勿論、この駐在官事務所にも騎士や魔法士はいる。

 だが、それはあくまでもアメリアに仕える者達であって、イルムハート達の直属というわけではない。

 そこで、2人の姉が王都に移り住む際に、直属の護衛団として選ばれたのが彼等である。

「お久しぶりでございます、イルムハート様。バート・ゲインです。今は王都警護のまとめ役を仰せつかっております。」

 一番年上らしい男性がまず口を開いた。彼とはかつて騎士団で何度も顔を合わせている。

「ジェシカ・オニールと申します。よろしくお願いいたします。」

 そう言って頭を下げた女性にも見覚えはあった。ただ、ラテスにいた頃はまだ騎士になりたてだったせいもあって口をきいたことはない。

「ようこそおいで下さいました。タマラ・ベイカーです。」

 彼女も顔見知りだ。彼女から魔法の授業を受けたこともある。

「お初にお目にかかります。エドモンド・クーパーと申します。」

 最後の彼には見覚えがなかった。聞けば魔法士見習いから昇格と同時に王都に派遣されたらしい。

「あともうひとり、今、お姉さま方のお迎えで出ているフランク・ドイルがこれに加わります。フランクのことはご存じかと思いますが。」

 フランクとはバートやニナのように親しく口をきいた事はないが、それでも何度か言葉を交わしたことがある。

「ところで、ニナさんはやはりラテスへ戻ってしまうのですか?」

「はい、残念ながら今年は入れ替えは無いとのことなので……。」

 イルムハートの問い掛けに、ニナは少し肩を落としながら答えた。

 王都組の面々は2人の姉が移り住むのに伴って派遣されているので、今年で3年目となる。そして、この先イルムハートが学園を卒業するまでは後7年。

 その間、ずっと同じ人物を王都勤務のままにしておくわけにもいかない。

 9年ものブランクがあっては、ラテスに戻ってから原隊復帰するのに支障が出てしまうからだ。

 そのため、定期的に人員の入れ替えを行うことになっているのだが、どうやら今回は現状維持ということらしい。

「でも、次の入れ替えには私も加えてもらうよう、団長に直談判しておきました。」

 そう言って、何故か胸を張るニナの姿にイルムハートは思わず苦笑する。

「それは嬉しいですけど、あまり団長を困らせないようにして下さいね。」

 歳は若いが、ニナは騎士団の中核メンバーである。王都組のリーダーであるバートよりも席次は上なのだ。

 そんな彼女が抜けるとなれば、騎士団長としても頭の痛い話だろう。

「可能な範囲において善処したく思います。」

「んー、ちょっとだけ団長が気の毒に思えてきました。」

 そう言って笑い合うイルムハートとニナを見て、新米組のジェシカとエドモンドが目を丸くする。

 いくら子供とは言え、相手は辺境伯の子息なのだ。なのに、こうも気安く会話を交わす2人に正直驚きを隠せないでいた。

 イルムハートをよく知るバートは、そんな新米2人を見て苦笑するしかなかった。ふと見れば、タマラも同じような笑みを浮かべている。

 確かに、イルムハートのように気安く話しかけてくる貴族など普通は居ない。だが居ないだけで、あり得ないわけでもないのだ。

 騎士団員や魔法師団員というのは、ある意味特別な地位を与えられた存在である。例え平民の出であろうと、貴族に対して直接話しかけることが許される立場にあるのだ。

 普通、平民である使用人は職務上必要な場合を除き、貴族に対し自分から話しかけることは禁忌とされていた。ましてや、気安く言葉を交わすなど以ての外である。

 これは、いくら貴族の側がそれを容認しようとも社会通念上許されないことなのだった。

 そのため、イルムハートも(エマ以外の)使用人たちにはあまり気安く接しない様にしている。彼等の方が責められることにもなりかねないからだ。

 アメリアがエマを”ちゃん”付けで呼ぶのも、実はギリギリである。いちおう他家の家人であり、しかもアメリアが強引にそう呼んでいるだけなので、何とか認められている状態なのだ。

 しかし、騎士団員や魔法師団員は違う。彼等には特別な技能を持った選ばれし者として相応の敬意が払われる。

 それにより、彼等は自分から貴族に話しかけることが許されるし、相手がそれを許せば多少砕けた物言いをしても責められることはないのだ。

 尤も、イルムハートの場合はそれが極端すぎるきらいはあるのだが。

 基本的にアードレー家は使用人に対して鷹揚な貴族ではある。

 平民を人とも思わない横暴な貴族はそう多くはないものの、それでも身分の差による対応があからさまな家が多い中、アードレー家の人間は決して使用人に対し無下な扱いをすることはない。

 ウイルバートもセレスティアも、そして2人の娘も優しく接してくれる。

 だが、イルムハートはそれを遥かに超えていた。まるで友人と話すかのようなその気安さには、バートもタマラも最初は面食らったものだった。

(君達も、いずれ慣れるさ。)

 バートはかつての自分を思い出し、心の中で2人の新米にエールを送った。

 そうこうしていると何やら廊下の方が騒がしくなってくる。

 何事かと身構える新米2人に、バートはまた新たな驚愕が彼等を襲うだろうことを予感した。

「やっと来たわね、イルム。」

「イルムくーん、待ってたよー。」

 ドアが開くなりそう言いながら飛び込んできたのは2人の姉、学院から帰って来たマリアレーナとアンナローサだった。

 その呼吸は少し乱れている。1秒でも早くイルムハートに会いたくて廊下を小走りでやって来たせいだ。

 はしたないからと、それを止めようとしたメイド達とのやりとりが先ほどの騒ぎの原因だったようである。

「お帰りなさい、マリア姉さん、アンナ姉さん。別に、そんなに慌てなくてもいいでしょう。今日から一緒に住むのですから。」

 相変わらずの姉2人にはイルムハートも苦笑するしかない。

「だって、ずっと待ってたのよ。」

「そうだよー。」

 だが、それで2人の姉が大人しくなるはずもなく、1人用のソファに腰を下ろしていたイルムハートを長ソファに座り直させると、両脇に陣取り手を握って来る。

「ずっとって……まだ半月しか経ってないじゃないですか。」

「「半月も、よ。」」

 2人の声が強くハモった瞬間、イルムハートは反論するのをあきらめた。

 イルムハートを置いて先に王都へ戻って来くるのがどれだけ辛かったかを滔々と語る2人の姉に挟まれたまま、半ば思考停止状態になりながらだた笑顔を浮かべて聞いているしかなかった。

 そして、それとは違った意味で思考停止状態になってる人物が2人いた。ジェシカとエドモンドである。

 件の新米2人組は目の前の光景が信じられないかのように、呆然とした表情で姉弟のやり取りを見つめていた。

 無理もない。

 彼等は立派なレディとして成長した2人しか知らない。

 上品で淑やか、それでいて立ち居振舞いの凛とした、これぞ貴族令嬢といった姿しか見たことがなかったのだ。

 勿論、姉弟仲が良いことは知っていた。だが、まさか2人がイルムハートをここまで溺愛しているとは思わなかったのだ。

 ブラコン……という言葉が頭に浮かぶが、そんな不敬な考え方をしてはいけないと慌ててそれを打ち消した。

(仲がおよろしいのだ。……普通より、少しだけ。)

 必死にそう思い込もうとする新米2人組。そして、それを同情のこもった眼差しで見守るバートとタマラ。

 遅れて部屋に入って来た王都護衛チーム最後のひとりであるフランクは、挨拶するタイミングを逃し困った顔をしていたが、ニナが肩をすくめるのを見てやれやれと頭を掻くしかなかった。

 そんな彼等を、そしてイルムハートすら置き去りにして、2人の姉の話は途切れることなく続いていく。

 こうして幕を開けた新しい街での新しい生活の始まりは……実に平和であった。

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