回想と新たなる物語
第1章最終話です
その日、イルムハートは久しぶりにドラン大山脈の例の場所に来ていた。天狼の神殿がある山中の開けた場所だ。
天狼が姿を消した後、しばらくの間は魔法の試し打ちにここへ通っていたのだが、領内学習が始まって以降は足が遠のいていた。
何かと忙しかったせいもあるが、何よりも魔法の確認があらかた終わっていたからだ。
では何故、今日再びここを訪れたかと言えば、それはやはり確認のためである。
但し、魔法のではなく身体能力の確認だ。
剣術の訓練においてイルムハートは、身体強化魔法を制限することで本来の力を出さないようにしていた。
そのせいで、全力を出した際の自分の実力が正確に把握できているとは言えない状況なのだ。
自分の本当の力を把握する、それが今日の目的だった。
あと3か月程でイルムハートは王都へと移り住む事となる。そして、そこでは冒険者として活動するが許されていた。
それを聞かされた時、イルムハートは思わず耳を疑ったが聞き違いではなかった。
複雑そうな表情の父といつも通りの笑顔を浮かべた母は、高ランク冒険者を後見人とする事を条件としてイルムハートの冒険者活動を許可してくれたのだ。
「確かに高ランクの冒険者が同行すれば安心なんだろうけど・・・いいのかな?」
それはイルムハートにとって願っても無い事ではあるのだが、こうも簡単に許可が出ると逆に不安になる。
特異種討伐やGランク試験の時もそうだった。
普通、親であれば子供が危険な目に遭うのを容認する事は出来ないだろう。例えほんの少しの可能性であっても。
それを説得するにはかなりの労力を要するはずなのだが、これがあっさりと許されてしまう。
「前世と同じ価値観で考えるのは間違いだって事は解かるよ。でも、ここまで違うものなのかなぁ・・・。」
当然、イルムハートは”予言の子”の話を知らない。
そのため、自分に対する扱いを一般的なものだと勘違いしてしまっていたのだ。
そして、それを自身と世の中との常識のギャップとして受け止めていた。
「いつまでも前世の感覚でいると非常識扱いされてしまうな・・・気を付けないと。」
彼が”非常識”なのは確かなのだが、自覚する点がまるっきりズレてしまっているイルムハートなのだった。
そんなわけでイルムハートは、冒険者として活動するからには自分の力を把握する必要があると判断した。
訓練で相手となる騎士団員と違って、魔獣は手加減などしてはくれない。
場合によっては強化魔法を制限している余裕が無くなる可能性も十分ある。
その際、自分にどれだけの事が出来るのかを知らなければ、正しく対応することが出来ないだろう。
力を過大評価すれば自分の身を危険に晒す事になり、また過小評価すれば周囲を巻き込み被害を与えてしまう可能性もある。
そんな時の為に己の限界と出来る事・出来ない事を確認しておく必要を感じたのだ。
それが8歳児の思考ではないという事はイルムハートも解っている。
だが、そう感じる事こそが前世の常識に囚われてしまっている証拠なのだと、さらに勘違いを重ねてしまっていた。
イルムハート自身は自分を”普通の転生者”と考えている。
そもそも転生者自体が既に”普通”ではないのだが、それでも度を越した異常な存在ではないと思っていた。いや、思いたかった。
だからこそ慎重に周囲の反応を見極めながら動いているつもりでいた。
しかし、周りの大人たちが彼を普通の子として扱っていない事には全く気付いていない。
最初から”特別な子”として育てられているにもかかわらず、それが普通だと思い込んで能力を伸ばし続けている。
結果として、イルムハートの能力は転生者という点を差し引いても異常なほど高くなってしまっていた。
そして今、目の前に横たわっているモノがそれを如実に表していた。
「まさか、こんなのが棲み付いているとはねぇ。一体、何処からやってきたんだろう?」
イルムハートの言う”こんなの”とは地竜系のランド・ドラゴンと呼ばれる魔獣の事だった。
ドラゴンと名は付いているものの実際には竜種ではなく爬虫類、つまりトカゲの魔獣である。
と言ってもそれはトカゲと呼ぶには桁外れの大きさで、大きいのもでは全長が30メートルを超えるとされている。
むしろ恐竜と呼んだ方がいいのかもしれない。
イルムハートの目の前に横たわっているのはやや小ぶりではあるが、それでも全長は20メートル程はあった筈だ。
”筈だ”と想像で言わねばならないのは、そのランド・ドラゴンの首から上が無くなってしまっているため正確な大きさが把握できないからだ。
ランド・ドラゴンを首なしの骸にしてしまったのは、勿論イルムハートである。
ランド・ドラゴンは火魔法による火炎弾を吐き、その炎は岩をも溶かしてしまう。
また、強化魔法によりその皮膚は鋼程の強度を持ち、加えて巨体に似合わぬ俊敏な動きをする。
もし人里近くに現れれば軍が出動する様な、脅威度は上位にランクされる程の魔獣だった。
だが、イルムハートはそれをあっさりと倒してしまった。
別に、最初から魔獣を狩るつもりでここに来たわけではない。
魔法の試し打ちと同じく、剣を使って闘う際にどれだけの威力が出せるか未知数だったため、人気の無いこの場所で試すことを選んだのだ。
ただ予想外だったのは、ランド・ドラゴンがこの場所をねぐらにしていた事だった。
ここが魔力の濃い場所であり、脅威度の高い大型魔獣が多く生息していることは身をもって分かっている。
しかし、まさかこれ程に巨大な魔獣がいるとは予想していなかった。
ドラン大山脈は険しい場所である。確かに今いる所は平坦で開けているが、そんな場所はほとんど無い。
大部分が切り立った崖で成り立っているこの山中に、まさかこれ程の巨体を持つ魔獣がうろついているとは思わなかったのだ。
飛行能力を持つ飛竜系の魔獣ならまだしも、ランド・ドラゴンは空を飛べない。
とすれば、この巨体で崖を昇り降りしながらこの場所に辿り着いたと言う事になる。
「いくら異世界だからって、さすがにこれは設定に無理があるんじゃないかな?」
最初はその状況に戸惑いを感じたものの、いざランド・ドラゴンと対峙してみるとその認識が間違いである事に気付く。
ゲートを開いた際にランド・ドラゴンの存在を感知したイルムハートはその場への転移を避け、50メートル程離れた場所に再転移した。十分な距離を確保するためである。
だが、イルムハートの存在に気付いたランド・ドラゴンは瞬時にしてその距離を詰めて来たのだった。
それは思考加速と身体強化を行ったイルムハートにとって容易に回避出来る攻撃ではある。
しかし、予想を超えるその素早さには正直驚きを隠せなかった。
巨体に似合わぬ敏捷性を持っている事は知識として持っていたが、まさかこれ程とは思っていなかったのだ。
何度か攻撃を躱しつつ分析してみると、ランド・ドラゴンは魔法で重力操作を行っている事に気付く。
重力操作で自重を軽くしているからこそ可能な素早い動きだったのだ。
つまり、空を飛べるほどでは無いが飛行魔法と同じ原理の魔法を使っていることになる。
飛行魔法が使えるのは竜種と亜竜種だけだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「これなら崖を越えて来るのも不可能じゃないか・・・。」
それは理解した。となれば、後はどう対処するかだ。
「逃げてくれればそれに越したことは無いんだけど・・・そんな様子じゃないか。」
イルムハートは戦闘マニアではない。例え魔獣であっても、害が無ければ闘うつもりは無かった。
しかし相手は、縄張りを荒らされたからだろうか?闘う気満々のようである。
ならば話は別だ。戦意を持つ者には容赦する必要を感じなかった。
「それじゃ悪いけど、練習台になってもらおうかな。やってみたい事があるんだ。」
イルムハートは大きく跳躍すると、今一度距離を取る。
ランド・ドラゴンはその素早い動きでまたしても間合いを詰めてくるかと思われたのだが、今度は違った。
火炎弾を放ってきたのだ。
火炎弾とは目標の直前で破裂し高温の炎を拡散させる魔法攻撃のことである。
そのため防御魔法で防いだとしても、広がった炎により一時的に視界が遮られてしまうのだ。
もし、その隙を狙われると少々厄介なことになる。
それを嫌ったイルムハートは、防御魔法ではなく防壁魔法で対応することを選択した。
防御魔法と防壁魔法。同じもののようにも聞こえるが、実は全く異なるものである。
イルムハートも最初はその2つを同じものだと思っていた。所謂”バリアのようなもの”で自身を護るものなのだろうと。
だが実際の防御魔法とは自分の周りに膜を作り、そこを通過する魔法の威力や物体の運動エネルギーを減衰させる魔法だった。
対して防壁魔法はまさに”バリアのようなもの”を創りだす魔法だ。
こちらは魔法であれ武器であれ相手の攻撃を弾き返すことも可能なのだが、要するに魔法で創り出した盾を持って防御しているようなものなので、衝撃はまともに喰らってしまうという難点があった。
強い攻撃を受ければ吹き飛ばされることもある、そんな使い勝手が微妙な魔法なのだ。
しかし、確かに防御においては微妙な魔法かもしれないが、これはこれで使い道があった。
なにも攻撃を真正面から受ける必要は無い。角度を付けた壁を作って攻撃の向きを変えてやる、そんな使い方も出来る。と言うか、むしろそのためにあるような魔法であった。
イルムハートが防壁魔法を使ったのもそれが目的である。
魔法の壁を創り出して火炎弾の向きを変え、明後日の方向へと弾き飛ばしたのだった。これで視界は保たれる。
イルムハートが危惧した通り、ランド・ドラゴンは火炎弾の発射と同時にその素早い動きで突進を掛けて来た。
火炎弾の爆散による目潰し効果を理解しての行動なのだろうか?だとすれば、かなり高い知能を持っている事になる。
しかし、それでも火炎弾を逸らして対処する事までは予想出来るわけも無く、待ち構えるイルムハートに向かって真直ぐに突き進んで来る形になってしまった。
そんなランド・ドラゴンを視界に捉えながら、イルムハートは剣を構えると魔力を流し込む。
そして敵が眼前に迫った時、一気に連撃を繰り出した。その数、3。
次の瞬間、ランド・ドラゴンの首元から上は跡形も無く消え去っていた。
「んー、やっぱり団長みたいにはいかないか。」
そう、イルムハートはホーン・ベアの特異種を討伐した際に見たアイバーンの連撃を真似してみたのだ。
だが、結果は見ての通り。
ただ剣を繰り出すだけならば5連撃であろうと6連撃であろうと、それは可能だった。
また、剣に魔力を纏わせて破壊力を増す技も既に習得している。
しかし、両方を同時に行おうとすると3連撃が精一杯で、まだまだ技術ではアイバーンに及ばない様だった。
「まあ、初めてでこれだけ出来れば良しとするかな。それより・・・。」
アイバーンと同じ技が出せなかった事にはそれほど気落ちしていないイルムハートだったが、目の前のランド・ドラゴンの骸を改めて見直すと急に顔をしかめて頭を掻きだした。
「この威力は予想外だったなぁ。」
イルムハートとしては頭半分吹き飛ばすくらいのイメージでいたのだ。
アイバーンの連撃の威力を基準とすれば、今の自分に出来るのはその程度だと考えていた。
何しろ、相手は鋼のように硬い身体を持つとされるランド・ドラゴンなのだから。
ところが、結果として首元から上全てを吹き飛ばしてしまった。
ランド・ドラゴンはその体長のほとんどが胴体と尾で占められており、首はあまり長くはない。まさにトカゲの姿そのものだった。
とは言え、その巨体からすれば首元から上の部分でも大型の熊程度の大きさにはなる。
それを全て吹き飛ばしてしまう威力と言うのは、剣士としては良いだろうが冒険者としてはいささか問題があった。
素材が取れなくなってしまうからだ。
冒険者は、依頼達成による報酬と倒した魔獣から取れた素材の売却益を収入としている。
その内の片方が無くなってしまうのはかなり痛かった。
ランド・ドラゴンのような巨体であればそれでもかなりの部分が残るのだろうが、そんな大型魔獣とそうそう出くわすわけではない。
「この技は・・・封印だな。」
勿論、この後も鍛錬は続ける。しかし、使いどころはあまり無さそうだなと、イルムハートはちょっぴり残念に思った。
続いてイルムハートは今一度、魔力を纏わせた剣の威力を確認してみた。
連撃ではなく一撃に集中させて技を出した際、どの程度の威力が出るかを確認するためだ。
本来、今日の目的はこちらのほうだった。連撃はランド・ドラゴンと闘う事になり、なりゆきで試してみただけなのだ。
剣に纏わせた魔力は相手に触れた瞬間に破壊の力となるのだが、別の方法としてその破壊力を”剣撃”として放つ事も出来る。
それを身に付ければ、攻撃魔法を使わなくとも遠距離攻撃が可能となるわけだ。
魔力を纏わせるところまでは城でも試すことは可能だし、実際に習得することも出来た。
だが、さすがに剣撃まで試すわけにはいかない。どれだけの威力が出るか、それが分からないからだ。
まさか建物を破壊する程の威力は無いだろうとは思ったが、万一の事を考えてここに来たのだった。
そして、イルムハートはその用心が決して無駄では無かった事を知る。
彼の放った剣撃は地面を抉りながら飛んで行き、通り過ぎた後の大地には延々と深い亀裂を生じさせた。
その距離は・・・イルムハートが意図的に目を逸らしてしまったので定かではない。
「・・・さてと、身体強化の最終チェックをして今日は終わりにしようかな。」
と言うか、無かった事にされた。
連撃だけでなく剣に魔力を纏わせる事自体封印しようと心に決めながら、イルムハートは自らが作り出した大地の裂け目に背を向けるのだった。
「そろそろ切り上げるとしよう。」
その後、一通り強化魔法を使っての動きを確認し終わると、まだ帰りの時間までには多少余裕はあったが、あらかた目的も果たしたので城へと戻ることにした。
が、その前にやる事がある。地面に出来た亀裂の修復だ。
「天狼に文句を言われたくないしね。」
こんな場所なので誰に迷惑を掛けるわけではないが、しかしここには天狼の神殿がある。
このままにして置いては、いずれ戻って来た天狼に小言を言われるかもしれない。
「大雑把なようで割と細かいとこに拘る性格だからなぁ。」
ちなみに、ランド・ドラゴンの死骸は既に収納魔法で異空間に放り込んである。
ランド・ドラゴンだけではない。今までにこの場所で倒した魔獣の死骸も全て収納してあった。
後々、素材として売却するためである。
確かに、今のイルムハートには金の心配をする必要が無い。
何にでも自由に使えるというわけではないが、少なくとも生きていく上で不自由することはない。
しかし、いずれ冒険者として独立すればそうもいかないだろう。いつまでも親を当てにする事は出来ない。
ウイルバートなら喜んで援助してくれるだろうが、おそらく、いや確実に親の望む将来とは異なる道を選ぼうとしているイルムハートとしてはそれに甘えるわけにもいかないのだ。
これら魔獣の死骸は冒険者となって活動するその時のために保管してあるのだった。
幸いにも収納魔法で創り上げた空間の内部では、時間の経過が外の世界に比べて遥かに遅かった。まるで時間が止まっているかのように。
1年も前に倒した魔獣の死骸が腐りもせず、血が滴る程に新鮮な状態で保管されている。
これは、まだ素材を取るための解体技術を身に着けていないイルムハートにとっては実に有難いことだった。
「いざとなったらこのまま丸ごと売っちゃえばいいかな。これでも少しは足しになるだろうし。」
今までイルムハートが倒してきたのは、少しどころではなく実際にはかなりの金額になる程レアな魔獣ばかりなのだが、相場を知らない彼がそれを知るわけも無かった。
そんな”小金”のためにマメに死骸を保管している自分をやはり根は庶民なのだと苦笑するくらいである。
もしそんな感覚で気軽に売却しようとすればギルドの窓口は騒然となったであろうが、やがてイルムハートも相場を知ることになったため幸いなことにそのような事態にはならずに済んだ。
勿論、それを知った際にイルムハートが冷や汗をかくことになったのは言うまでもない。
「これでよし、と。」
土魔法で亀裂を修復したイルムハートは満足そうに辺りを見渡した。
無理やり亀裂を閉じただけのかなり荒い状態ではあるが、元々真っ平だったわけでもないのでこれで十分だろう。
それにしても・・・と、ここでの出来事を思い出しながら、イルムハートは感慨深いものを感じていた。
最初は魔法の試し打ちが目的で訪れただけのこの場所で、神獣である天狼と出会うことになった。
最初はその強大な魔力に恐怖すら感じたが、次第に気の置けない友となっていった。
神の加護を理由に同類扱いしてくるのには辟易させられたが、それ以上に色々な事を天狼に教わった。
イルムハートの魔法は本から知識を得たもので、誰かに教わることもなくその習得はあくまでも自己流でしかない。
もし天狼のレクチャーが無ければ、火力はあるものの細かい応用の出来ない中途半端な魔法しか使えなかっただろう。
偶然か必然か、イルムハートはこの場所で最高の師を得た事になる。
まあ、神獣が師なのだからその弟子が規格外に育ってしまうのも当然と言えるが、それを天狼のせいにするほどイルムハートも恩知らずではない。
「今頃、どこをうろついてるのかな?」
イルムハートは見上げたこの空に続く何処かを旅しているはずの天狼を思った。
単に世界を周るだけであれば、神獣たる天狼ならそれ程時間を必要としないはずだ。
しかし彼は、自ら曰く”物見遊山”に出かけているのだ。
何処かで何か面白いものを見つければ、数か月、あるいは数年そこに留まるかもしれない。
おそらくは人の歴史よりも更に長い時を生き続けている天狼からすれば、それでも僅かなひと時でしかないのだろう。
いずれ成人となり冒険者として独立したイルムハートとの再会を来週の予定でも話すかのように語るくらいなのだから。
何処でどんな形の再会を果たすのか、今ではイルムハートもそれを楽しみにしていた。
尤も、人である彼にとってはまだまだ長い年月を経たその先の事になるのだろうが。
そんな風にイルムハートが思いにふけっていたその時、彼の魔力探知は接近してくる強い魔力を捉えた。
「ウイング・ドラゴンかな?・・・いや、スカイ・ドラゴンか。」
どちらも飛竜系と呼ばれる亜竜種であるが、二足竜と四足竜との違いがある。
二足竜がウイング・ドラゴン。前世の世界で言うワイバーンに似た姿をしていた。
こちらは前肢が翼と化しているため地上での活動が不得手で、地面にはあまり降りてこない。なので、身を隠してしまえばやり過ごす事も可能な魔獣だ。
一方、四足竜のスカイ・ドラゴンは地上でも行動出来るため、見つかると中々厄介である。
ランド・ドラゴンがいなくなったのでその縄張りを横取りしようとしているのか、それともイルムハートの魔力に引き寄せられたのか。
いずれにしろ、このままではじき相対することになってしまいそうだ。
「やれやれ、思い出に浸ってるヒマもないってことか。」
イルムハートにはもう魔獣と闘うつもりなど無かった。ランド・ドラゴンだけで十分である。
さっさとこの場を離れるべく、転移用ゲートを開く。
そして、いざゲートに身を投じようとしたその時、イルムハートはふとある事に気付いた。
「そう言えば天狼が姿を現す前は、魔物に襲われることなんて無かったな。」
天狼がいた頃はその強大な魔力に恐れをなして近寄ってこなかった魔獣達だが、彼がいなくなった事で歯止めを失い襲ってくるようになった。
何となくそんな風に捉えていたものの、よくよく考えてみれば最初からそうだったわけでもない。
イルムハートがこの場所を初めて訪れ、そして天狼と出会うまではひと月ほどの間があった。
その間は天狼もおらず、辺りの魔獣が恐れる要素は無かったはずなのに、何故か一度も魔獣には遭遇していない。
僅かひと月とは言え、今現在の魔獣に遭遇する頻度から考えれば、一度や二度はそんな場面があってもおかしくなかったはずだ。
天狼に出会う前と後で、いったい何が違うと言うのか?
「あっ!隠蔽魔法!」
最初、イルムハートは天狼が眠る神殿の存在に気が付かなかった。幻影魔法とその魔力を探知不能にする隠蔽魔法がかけられていたためだ。
その隠蔽魔法は、当時のイルムハートには存在すら気付くことが出来ない程に高度で、しかも強力なものだった。
もしその隠蔽魔法の影響が神殿の周りだけに限らず、もっと広範囲に及んでいたとすれば・・・。
「あの時は、知らないうちに僕の魔力も外から判らない様に隠されていたのかもしれない。」
しかし天狼はここを去る際、神殿を隠すこともせずそのまま旅立ってしまった。
当然、隠蔽魔法も解除したままで。
「それで魔物に目を付けられるようになったってことか・・・。」
イルムハートは言いようの無い脱力感に囚われた。
何故、今までその事に思い至らなかったのか?魔獣に襲われ、意味なく闘うはめになった時間はいったい何だったのか?
結果的に魔獣との戦闘経験が自分のためになってはいるとしても、どこか釈然としない。
自分の迂闊さもそうなのだが、何より天狼に対して一言愚痴を言わずにはいられない気分だった。
「戸締りくらい、ちゃんとして行けよ!」
思わずそう叫んでしまったその声は意外に大きく、ドラン大山脈の山々にこだましてゆく。
まあ、いろいろ思うところはあったが、大声を出したら少しスッキリした。単純なものだ。
そんな自分に苦笑しながら、イルムハートはゲートを通り家路についたのだった。
そして月日は過ぎ、イルムハートは王都へと旅立つことになる。
見習い扱いとはい言え、冒険者としての活動が始まるのだ。
そこでどんな物語が紡がれるのか。
彼としては不本意な言われ様だろうが、おそらく色々とヤラかしてくれるに違いない。
自称”普通の転生者”の物語は、まだ始まったばかりである。
今話で第1章は終了となります。
元々チュートリアル的な位置付けのつもりではいたものの、想定以上に冗長で盛り上がりに欠ける内容になってしまいました。
そんな稚拙な文章にもかかわらず、気長にお付き合い下さった皆さんには感謝の言葉しかありません。
次章以降はもう少し読み応えのあるものに仕上げられるよう努力したいと思っています。
尚、第2章は少し間が空きますが、8月からの更新を予定しています。
その際には、またここを訪れてもらえれば嬉しいです。