夢見の力と予言の子 Ⅰ
年の瀬を迎え、領都ラテスでは暑い日が続いていた。
南半球にあるトラバール王国は今が夏真っ盛りであり、いくら年間を通して気候が穏やかなフォルタナ領であってもその真夏の日差しから逃れる事は出来ないのだ。
そんなある日。フォルテール城の一室に5人の男女が顔を揃えていた。
空気が魔道具で冷やされているため外の暑さが嘘のように快適な居心地のその部屋は、高級幹部用の会議室であった。
部屋の中央には楕円形の重厚な会議卓が設置され、上座には当然ウイルバートが位置取っている。
その右側には妻のセレスティアと騎士団長のアイバーンが並ぶ。
向かって左側、ウイルバートに近い席に座ってるのはフォルタナ魔法士団で団長を務めるバリー・ギャレルである。
彼は先々代から仕えているアードレー家の重鎮で、その齢は既に70歳を超えていた。
長い白髪と白髭が、いかにも老齢の魔法使いといった印象を与える。
それでいながらその魔力量と魔法技術は全く衰える事が無く、今だ王国の3大魔法士のひとりとして数えられる程の人物だった。
その実力は若い頃から抜きんでており、かつては王国魔法士団から団長の座をオファーされたこともあるくらいだ。
しかし、彼にはアードレー家以外に仕える気など毛頭なく、その話をあっさり断ってしまった。
「あいつが変わり者なのは知っていたが、これ程とは思わなかった。」
話を聞いた先代辺境伯は残ってくれた事を喜ぶよりも先に、出世話をあっさり蹴った事に呆れてそう言ったとされている。
先代が ”変わり者” と評したその性格はいまだ変わっていないらしく、自由奔放な言動には魔法士団員も手を焼いているようである。
そして最後の一人、バリーの隣に座っているのがここにいる男性の中では一番若いマーク・ステイン。
彼はウイルバートの筆頭補佐官で、フォルタナ領の政務全般の責任者である。
正式な名前はマーク・ベクタル・タイラック。タイラック伯ベクタル家の第6子なのだが、今はその名を名乗っていない。
そもそも彼は平民へのお手付きで出来た子であるために、大っぴらにタイラックの名を名乗ることは許されていなかった。
きちんと養育費も出してくれるなど決して扱いが悪かったわけではないが、かと言ってその名に愛着があるわけでも無い。
そのためマークは成人した際、父親に貴族籍の抹消を願い出て、以後は母方のステイン姓を名乗っている。
今の地位に就くきっかけとなったのは、アルテナ高等学院でのウイルバートとの出会いであった。
マークはウイルバートの2学年下で、同じ研究会に所属していた。クラブの先輩後輩のようなものである。
元々、常に学年の主席を取っていたマークにはウイルバートも一目置いていたが、実は彼が伯爵家の息子であり、それでいながら父親の力を借りずに自力で学園に入学したことを知ってすっかり気に入ってしまい、卒業後は自分の補佐官となるよう勧誘したのだ。
アイバーンの時とは違い、この話はすんなりと受け入れられた。
母を伴って王都を離れ、父親に頼らず自分達で生きてゆく事を望んでいたからだ。
現在は母親と2人でラテスに居を構えている。
30を過ぎて未だ妻は娶っておらず、その事がマークを弟の様に思っているウイルバートを心配させていた。
身体は華奢だが整った顔立ちをしている上、穏やかな性格であるため女性からの人気は高いので相手困っているわけではない。
本人にその気が無いのだ。
いろいろと見合いの話も勧めてはいるのだが、一向に乗り気にはなってくれない。
「いずれ良い方が現れますわ。余計なお節介は逆にマークさんのご迷惑になりますよ。」
セレスティアにそう釘を刺されながら、それでもウイルバートは気を揉まずにはいられないのだった。
以上が、今回の会議の出席者である。フォルタナ領各部門の最高責任者が勢揃いしたわけだ。
本来ならこれに領軍総司令官が加わるのだが、生憎と彼は病に臥して職務を離れていた。
その代理を務める副司令官は、残念ながらまだ今回の会議に加わることが出来ない。
彼の能力に問題があるわけではない。それどころか、トップ不在の領軍を見事にまとめ上げる事の出来る優秀な人物である。
ただ、彼はまだアードレー家に”家族”として受け入れられるまでには至っていない。
そう、ここに集まっている面々はフォルタナの最高幹部であると同時に、アードレー家から家族同然の扱いを受けている者達なのだ。
そんな彼等が一堂に会して話し合う話題は限られてくるだろう。
「イルムハートについて、皆の意見を聞きたい。」
参加者全員をゆっくりと見回しながら、ウイルバートは静かな声で会議の口火を切った。
「では、先ず私から。家庭教師達と個別に話をしましたので、その報告をさせてい頂きます。」
最初に話し始めたのはマークだった。
「イルムハート様が家庭教師につき勉強を始められて3年弱、現時点で既に初等教育5年分のカリキュラムをほとんど修了されているとのことです。
中にはもう教える事が無くなり、高等教育で教わる内容へと移っている科目もあるようです。」
「ほう、ずいぶんと優秀じゃのう、イルム坊ちゃんは。」
バリーが感心したように声を発したが、話の腰を折られてもマークは特に表情は変えない。
悪気があっての事ではないと知っているからだ。
「それでもポツポツと授業に休みが出るようになっており、イルムハート様はその時間をだいたい図書室で過ごされているようですね。」
「英雄譚でも読んでおられるのかの。冒険者を目指しておるようだし、子供らしくて良い事ではないか。」
「もちろん英雄譚も呼んでおられるでしょうが、ここのところ読んでおられるのは学術書のようです。」
バリーの言葉に、今度はマークも反応する。少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「それも学者や研究者が読むような高度な内容の本を。」
「ん・・・まあ、そうゆう小難しい本も読んでみたくはなるじゃろうな。理解出来るかどうかは別として。」
「司書の話では、少なくとも借り出す本の順番からは内容を理解している様に見えるとの事でした。
それぞれの本の内容がちゃんと繋がるような借り方をしているようです。」
バリーは驚いたようにマークを見つめた後、次いで天井を見上げ何かを思い出すように話し始める。
「・・・そう言えば、うちのベンサムの所にもちょくちょく顔を出されてるようじゃ。魔獣の事を教わりにな。」
魔法士団のジェフリー・ベンサムは、魔獣の研究者としても高名な魔法士であった。
「イルム坊ちゃんに教えるのは骨が折れると言うとったので、てっきり何でもかんでも聞いてくるからだと思っておったが、そう言う意味ではないのかもしれんな。」
「おそらく、まだ本になっていないような最新の知識を求められるからではないですかね。
家庭教師の中にも同じ様な事を言っている者がいました。」
「それは、また、何と言うか・・・もはや優秀とかそう言う次元の話ではないのお。」
バリーのは白いあご鬚をさすりながら、感嘆とも呆れともつかない声を出した。
「授業に関してだけではありません。その言動も到底8歳の子供とは思えないような、大人びたものであるというのが全員の感想です。
それは皆さまも同意見ではないかと思いますが。」
「確かにな。」
会議卓の上で掌を組みながら、ウイルバートが口を開く。
「まだ幼げなところもあるが、時折大人びた事を言い出す時がある。いや、”大人びた” と言うのは少し違うかもしれんな。
あれは完全に大人の発言だ。背伸びしての物言いではなく、物事の考え方が既に子供のそれではない。」
「はい、私も領地経営に関して尋ねられた事がありますが、正直驚きました。
政務には裏側の面もあるという事までちゃんと理解されておられます。むしろ、こちらが答えに詰まってしまう程でした。」
マークはあえて具体的な例は上げなかったが、この場にいる面々にはその必要はなかった。
政治とは綺麗事だけで行えるものではないという事を皆理解しているからだ。
いくら善政を布いているからと言っても、王国やフォルタナ領は楽園ではない。暗い部分は確かに存在する。
子供の感性でそれを理解し受け入れるのは困難であるはずが、イルムハートは必要悪と割り切っているのだ。
「人格、知識、言動のどれを取っても、イルムハート様は既に十分大人でいらっしゃいます。
最早、我々が心配などする必要などない程に。」
マークはそう言いって話を終える。
それはイルムハートに対する賛辞であるにもかかわらず、何故かその場には少し微妙な空気が流れた。
「では、次は儂から話させてもらおう。よいかの、アイバーン。」
そんな沈黙を嫌ったのか、バリーがアイバーンを見ながらそう言葉を発した。
「お先にどうぞ。老師。」
席次で言えばバリーの方が上なのだが、本人が望むのであれば異論はない。アイバーンはバリーに発言を譲った。
「うむ。では先に結論から言ってしまうと、イルム坊ちゃんの魔法の能力は既に特級魔法士レベルですな。」
「!!!」
いきなりの特級魔法士宣言に、皆は驚いてバリーを見つめる。
だが、唯一人アイバーンだけは何かを思いながら目を瞑っていた。
「今、特級魔法士と言ったのか?」
「はい、そう申しました。ウイルバート様。」
「いや、いくら何でもそれは・・・。」
バリーの自信たっぷりの表情に、ウイルバートは言葉を失う。
彼もイルムハートが魔法の才に恵まれていると言う評価は聞いていた。しかし、特級魔法士とはいくら何でも評価し過ぎではないかと感じたのだ。
「いえ、間違いはありません。坊ちゃんが魔法を使うところを何度か拝見させてもらいましたが、あれは制御魔力量のほんの一部しか使っておりませんな。
本人は隠そうとなさっているようですが、儂の目は誤魔化せませんぞ。」
「魔力量を測ると言うのは聞いたことがありますが、制御魔力の量と言うのも判るものなのですか?」
「勿論じゃ。
例えばここに水差しがあるとして、それに入る水が人の持つ魔力と仮定すれば、注ぎ口から出てくるのが魔法として使うことの出来る量ということになる。
その場合、注ぎ口の大きさを見ることで、おおよその制御魔力量を測る事が出来るわけだ。
まあ、単純に魔力量を調べるのに比べれば遥かに難しいものの、出来ないわけではない。」
マークの問いに答えたバリーの言葉を疑う者は誰もいない。
何しろ、特級魔法士をさらに超えた ”超級”魔法士の称号を持つ者の台詞なのだ。
「尤も、魔力だけ大きくともレベルが高い事にはならんのですが、坊ちゃんの場合は魔力の制御もかなりの腕前と考えてよろしいでしょう。」
「その根拠は?」
「制御魔力の量を自在にコントロール出来るだけでも十分な根拠と言えます。しかし、決定的なのはトラバールの一件ですな。」
バリーの言葉に皆はトラバールでの事件を思い出す。
地回りに襲われたイルムハート達は風系爆裂魔法で敵を撃退した。だがしかし、魔法を使ったのはイルムハートではない。
「エマ・クーデル。彼女の風系爆裂魔法は、威力だけならうちの上位魔法士連中と比べても遜色ないでしょうな。
但し、魔法制御が出来ておらん。素人故にそれは仕方のない事なのじゃが、制御が不安定な状態で威力の強い魔法を放ったらどうなりますかな?
高い確率で暴走します。ましてや閉じた空間で使用すれば、これは暴走してくれと言っているようなもんです。」
確かに、路地と言う閉じられた空間で使用された魔法は、地回り達を瀕死の状態にまで追い込む程の威力を発揮した。
だが、イルムハート達は・・・。
「なのに坊ちゃん達だけはかすり傷ひとつ負う事はなかった。エマ・クーデルには攻撃対象を絞り込むだけの細かい制御が出来ないにも拘わらずです。
それは何故か?答えはひとつ、イルム坊ちゃんが防御魔法を使ったからに他なりません。
あれだけの強力な魔法を完全に防御し、しかも自分だけならともかく離れたところにおった他の3人まで守るように結界を張ったのですぞ。それも即座に。
うちの連中の中でもそんな器用なマネが出来る者は、そう多くはないでしょうな。」
嬉々とした表情でそう語るバリーとは対照的に、ウイルバートの心中は複雑だった。
「・・・図書室には魔法の教本もあるな。」
ウイルバートが何を考えているのかを察したマークが、主の代わりにその想いを口にする。
「当然、それらにも目を通されているでしょう。もしかすると、授業で教わっていないような魔法も既に習得されているかもしれませんね。」
そして、そこへバリーがとどめを刺した。
「もしかしなくとも、そうであろうな。全てとはいかんかもしれんが、大抵の魔法は使えるようになっておったとしても、儂は驚かんよ。」
予測を遥かに上回る事実を聞かされたウイルバートは、疲れた様な表情でそれでもなんとか声を絞り出した。
「つまりイルムハートは、我々の知らない間に自らの力で特級魔法士レベルの能力を身に着けてしまっていると言う事か。」
「左様。尤もトラバールの件以降、うちの幹部連中もイルム坊ちゃんの実力に薄々気付き始めてるようですがな。」
最後にもうひとつ爆弾を放り投げて、バリーは話を終えた。