聖域への再訪と訓練の始り Ⅱ
とりあえず宇宙の話は後でゆっくりするとして、その場は先ずこれから1カ月以上の間滞在することになる家へと皆で向かった。
家は少々小振りではあるが3人で過ごすには十分の広さを持っている上、家財道具まで全て揃っている。正に言うこと無しだ。
しかも、何と風呂まで用意されており、それが女性陣を歓喜させた。
「素晴らしいですね。これならいつまででも滞在出来そうです。」
「特にお風呂ですよ、お風呂!
やっぱり訓練で汗を流した後はお風呂に入りたいですもんね。」
満足そうで何よりである。
それから3人は2階へと上がり寝室を見た。こちらもベッドからシーツまで全て揃えられている。
「すっごく柔らかいです!」
セシリアは真っ先にベッドへと乗ると、その上でぽよんぽよんと飛び跳ねて見せた。そして、何やらぼそりと呟く。
「……でも、寝室はひとつでも良かったんですけどね。」
勿論、その呟きはイルムハートの耳にも届いたが敢えて聞かなかったことにした。
「それじゃあさっさと部屋割りを決めて、後は下でゆっくりお茶でもしようか。」
お陰でセシリアにはギロリと睨まれてしまったが当然これもスルーである。
その後、3人はリビングでゆっくりすることにした。
ここ”時操りの圏域”の中では時間的余裕も十分にあるので訓練も明日からということになったのだ。
のんびりとお茶を飲みながら、そこでフランセスカが当然の疑問を口にする。
「昔、ナディア・ソシアスもここに滞在していたのでしょうか?
その割には随分と新しい家の様に見えますが?」
確かに、100年以上人の手も入らず放置されていたとは思えない程に家は綺麗だった。老朽化しているような箇所も全く無い。
それはイルムハートも最初不思議に思ったが、何せここは”常識”の外にある空間なのだ。まともに考えるだけ無駄である。
「多分、それとは別のものなんだと思います。
2階には寝室が3つありましたよね?
ソシアスひとりが滞在するのであれば寝室は3つも必要ないでしょうし、僕らに合わせた”3”と言う数もただの偶然とは思えません。
おそらくは今回僕達のために新しく創り出された家なのではないかなと。」
「成る程、全ては鳳凰様の御配慮によるものと言うことですね。」
フランセスカはしみじみとそう言いながら当時のナディアへと思いを馳せる。
「それにしても、ここでたったひとり訓練に打ち込んでいて寂しくはなかったのでしょうか?
いくら必要なことだったとは言え、少し可哀想な気もしますね。」
確かに、ほとんどの人間にとって孤独とは辛いものだ。たったひとり黙々と訓練を続ける姿を想像すると少々気の毒にもなる。
だが、実際にはそこまで過酷なものでもなかったらしい。イルムハートはキリエからそう聞いていた。
「大丈夫ですよ。
ソシアスも人恋しくなった時は一旦村へと戻ってそこで皆と過ごし、英気を養ってから再び訓練を行っていたらしいですからね。
そこまで辛くはなかったと思いますよ。」
「そうなんですか。」
イルムハートの言葉を聞きフランセスカは他人事ながらも安心したように笑顔を浮かべた。
そんな彼女の表情に心を温めながらも、イルムハートは先ほどから黙り込んだままのもうひとりの方へと警戒の目を向ける。
「さっきから何を拗ねてるんだ、セシリア?」
どうも、2階で彼女の言葉を無視したことがまだ尾を引いているようだった。
「別に拗ねてませんけど。」
「無視したのは悪かったよ。とは言え、あんなこと言われても反応のしようが無いだろ?」
「でも、せっかく誰にも邪魔されず3人だけで過ごすんですよ?
もう少しくらいデレデレしてくれてもいいじゃないですか?
デレの無いツンデレなんてナントカを入れないコーヒーみたいなものですよ?」
確か、かなり昔に流行ったCMのフレーズだったと記憶しているが、前世は女子高校だったはずのセシリアが何故そんな古いものを知っているのか?
全くもって彼女の知識の源泉は謎である。
「セシリア、あまり旦那様を困らせるものではありません。」
すると、フランセスカがセシリアをたしなめるかのように口を開いた。
「ここには遊びに来たわけではないのですよ?
神気の制御を習得するために来たのですから、それを忘れないように。」
(いいですよ、フランセスカさん!もっと言ってやってください!)
それを聞き、心の中でフランセスカに声援を送るイルムハート。
だが……その後の展開はイルムハートが望むものとはかなり異なっていた。
「そもそも、人の目が無いからと言って簡単に女性に手を出すような旦那様だとでも思っているのですか?
そんな度胸が旦那様にあるとでも?」
(あれ?)
「そう言えば、師匠がヘタレだということをすっかり忘れてました。」
(おいおい……。)
イルムハートとしてはどうにも嫌な予感しかしない。
「そうですよ、ヘタレなんです。
だからこそ私達は2年もの間、旦那様の留守を我慢出来たのでしょう?」
「そうですね、私達をほったらかしにして女遊びが出来るような、そんな度胸のある人間じゃないって解かっているから耐えられたんですものね。
そうでなきゃ2年どころか1週間だって我慢出来ませんでしたよ。」
「でしょう?
それを今更急かしたところでどうにかなるものでもありませんよ。」
「ですよねー。」
イルムハートもこれにはぐうの音も出ない。
どうやらこの2年間放置したままだったことについて、口にこそ出さないが2人なりに不満は溜まっていたのだろう。まあ、当然と言えば当然である。
こうなるとイルムハートに残された選択肢は2つしかない。沈黙か謝罪かのどちらかだ。下手に反論でもしようものならば間違いなく地雷を踏み抜くことになるだろう。
ただ、黙り込んでしまうのも一時的には良いかもしれないが根本的な問題の解決にはならない。後に尾を引くだけである。
となれば、取るべき道はただひとつ。
「申し訳ありませんでしたー!」
その結果、フランセスカとセシリアは辺境伯子息の土下座という滅多にお目に掛かれないものを見る幸運に恵まれることとなったのだった。
「2人には辛い思いをさせていたんだな……。」
その夜、月明りの射す部屋でひとりベッドに横たわりながら、イルムハートはそんな言葉を漏らした。
ここ”時操りの圏域”にも当然の様に夜が来る。しかも、外界同様空には赤い月までもが浮かんでいた。
ただ、元々この空間に昼とか夜とかの概念があるのかどうかは不明だ。と言うか、そもそもそんなものを必要とする場所でもあるまい。
なので、おそらくこれは自分達のバイオリズムを狂わせないために設定された”昼”と”夜”なのだろう。
そんな中、イルムハートは旅の間フランセスカとセシリアに掛けた苦労を思い深く反省する。
自分から婚約を申し込んでおきながらその直後に2年間も放置したわけだ。
しかも、その気になれば転移魔法でいつでも会いに戻って来られたはずなのに、仲間達の手前や変な里心が付くのを恐れたせいでそれも実行しなかった。
考えてみれば随分と身勝手な話である。彼女達の不満も当然と言えた。
「その分をこれから取り戻して行かないと。」
そう決意するイルムハート。
ただ、同時に少々釈然としない気持ちにもなる。
「けど、手を出さないからと言って、それで”ヘタレ”呼ばわりはさすがになあ……。」
2人からの”ヘタレ”連呼は地味にイルムハートのメンタルにダメージを与えていたのだ。
確かに、”その方面”への欲求が薄いことは自分でも自覚していた。”度胸が無い”のではなく、そもそも”欲望が無い”のだ。
勿論、健康的な成人男子である以上全く興味が無いわけではないものの、同年代の他の男性と比べ極端に淡白であるのは間違いない。
これについては以前、転生前の自分が老人だった可能性も考えてみた。
既に精神的にも肉体的にも”枯れた”高齢男性であれば、そう言った欲求が希薄になるのではないだろうか?
その感覚を引き継いで転生したのが自分なのかもしれない。
かつてはそう推測してもみたのだが、今は少し違った。多分、”転生”そのものが影響しているのだと思うようになったのである。
何しろ転生者には神気と言う強大な力が与えられてしまうのだ。
もし、そんな力を我欲にまみれた人間が持ったとしたらどうなるか?
それこそ世界の危機である。”再創教団”幹部のような危険人物をわざわざ増やしてやるようなものだ。
そのため、転生者に対しては敢えて欲望を制限するような”措置”が講じられているのかもしれない。
それがイルムハートの出した結論だった。
考えてみれば男女のことだけではない。金も地位も名誉も、イルムハートにとってはそれほど魅力的なものではなかった。ハッキリ言ってどうでも良いのだ。
これが彼だけの話なら恵まれた環境に生まれたせいでそうなったと言えないこともないのだろうが、フランセスカもセシリアもそこは同じだった。彼女達もそう言った欲望とは無縁の人間なのである。
まあ、セシリアの場合は時々際どい発言をすることがあるものの、あれも決して本心からの言葉ではなさそうだ。イルムハートに構ってもらいたいがために”甘えて”いるだけのようにも見える。
それを考えると欲望が希薄だというだけで”ヘタレ”呼ばわりされるのは極めて不当である。これは冤罪にも近いとイルムハートは考えた。
とは言え、今更話を蒸し返したところでどうなるものでもない。むしろ、この2年間の彼女達の不満を再燃させるだけである。それだけは避けたかった。
「この件についてはあまり深く突っ込むのはやめにしよう。
つまり戦略的撤退ってやつだな、うん。」
そう言って自分を納得させようとするイルムハート。
だが、それこそが正に”ヘタレ”の行為そのものであることを彼は気付いていなかったのである。
その翌日から神気制御の訓練が開始された。
と言っても、2人はまだ神気の覚醒にすら至っていないため、先ずはそこから始めることになる。
イルムハートの場合は災獣・怨竜との闘いという死の危険を伴った状況の中で神気に覚醒したわけだが、まさか2人にそんな真似をさせるわけにはいかない。
そこでイルムハートは自分の神気を彼女達に流し込み、それを”知覚”させるところから始めた。神気がどんなものなのか認識することが大事なのだ。
「あ、これですこれ。
いつも師匠から感じてたヤツです。」
手を握りゆっくりと神気を流し込むとセシリアは即座にそう反応した。
元々、何となくではあるがイルムハートの神気を感じ取っていただけあって通常の闘気との違いもすぐに分かるようになったのである。
その後、自分の闘気の中に含まれる僅かな神気を感じ取ることから始め、徐々にその感覚を馴染ませてゆく。そして、闘気と神気を切り分けて扱えるようになればひとまず完了だ。
「出来ました!
これが神気なんですね。」
すると、何とセシリアは開始から僅か3日ほどで神気だけを単独で扱うことが出来るようになった。
イルムハートに比べればまだまだ弱々しい神気ではあるが一度覚醒してしまえば後は徐々にその量も増えてゆくだろう。次はその訓練をしてゆくことになる。
(それにしても、随分と早く覚醒したな。)
イルムハートは彼女の覚醒を喜ぶと共にその早さに驚き、そして若干の理不尽さをも感じた。勿論、セシリアにではない。天狼に対してだ。
自分は無理やり怨竜と闘わされ死の際まで追いつめられた状態で覚醒した。まあ、それが一番手っ取り早い方法だったのだろうが、よくよく考えると酷い話である。
実際、こうして僅かな時間で神気に覚醒することが出来たセシリアを見ていると、一体あれは何だったのか?と憤懣やるかたない気持ちになるのも無理ないことではあった。
とは言え、セシリアの覚醒もまだ完全ではない。まだ僅かな量の神気を放出出来るというだけで実用にはほど遠い。そのためにはもう少しの時間が必要となるだろう。
だが、最大の関門は見事クリア出来た。後はゆっくり慣れてゆけば良い。
見事覚醒に成功し喜ぶセシリアの顔を見ながらイルムハートはそう思った。
セシリアは順調に覚醒した。しかし、問題はもう一人の方である。
セシリアの場合、以前から薄々神気の存在に気付いていたわけだがフランセスカは違う。イルムハートのそれもただの”闘気”としか認識していなかった。なので、闘気と神気の違いから認識する必要があるのだ。
そして、これが意外に難航した。
「私が不甲斐ないばかりに、申し訳ありません。」
予想外に手間取ってしまっているせいでフランセスカは少々落ち込み気味になる。
そんな彼女をイルムハートは優しく慰めた。
「気にすることはありませんよ。何しろセシリアは前々から神気を感じ取ることが出来ていたようですからね。
しかも、それだって前世の(ちょっと偏った)知識があってこそのことだと思います。
ですから、これが普通なんですよ。」
セシリアが神気に気付けたのも、おそらくは前世のアニメか何かの知識から所謂”チート能力”と言うヤツを連想したからなのだろう。
こちらの世界の普通の人間には出来ない発想から神気の存在を認識したのだ。
それを考えるとセシリアの早さが異常なのであり、フランセスカのように時間か掛かってしまうのが当たり前だと言えた。
「でも、ジェイク殿だって神気を感じ取ることが出来るのですよね?」
「ああ、彼の場合はまた別ですよ。
何となく普通とは違う闘気を感じると言った程度で、ハッキリと神気を認識出来ているわけではないんです。
何せ僕とはもう8年一緒に冒険者をしてますからね。だからなんでしょう。」
パーティー・メンバーのジェイクも一応”神気らしきもの”を認識することは出来た。
ただ、それはイルムハートの闘気に何か普通とは違うものを感じ取っているだけで明確に神気として捉えている訳では無いし、しかもかなり大量に放出した場合に限られていた。
つまり僅かであればそれが神気だとは認識出来ないのである。
それに、彼はイルムハートと8年も一緒にいるわけで、決して一朝一夕にその感覚を会得したのではない。
だから、時間が掛かるのは当たり前。イルムハートはそう言ってフランセスカを力づける。
その言葉にフランセスカも元気を取り戻した。
そしてセシリアから遅れること7日、ついにフランセスカも神気に覚醒したのである。




