聖域への再訪と訓練の始り Ⅰ
いよいよフランセスカ、セシリアの両名と”聖域”を訪れる日がやって来た。
当日、イルムハートは2人と屋敷ではなくわざわざ市街地での待ち合わせを行う。転移魔法を使って移動することになるからだ。
何せ屋敷の有る貴族街には警備のため転移魔法を含むいくつかの魔法の阻害魔道具だったり探知魔道具だったりが、それこそあちらこちらに設置されているのである。
そんなところで迂闊に転移などするわけにもいかない。
それで市街地での待ち合わせをしたわけだ。
「いよいよですね、わくわくします!」
「”聖域”や”時操りの圏域”とやらがどんな場所なのか、今から楽しみですね。」
セシリアもフランセスカもまるでピクニックにでも行くかのような雰囲気でイルムハートを苦笑させた。
だが、それも悪くはないだろう。
確かに、これから”聖域”へと向かうのは神気制御の訓練を行うためなのだが、かと言ってそれほど厳しくするつもりも無い。何事も楽しみながらのほうがやる気は出るはずだ。
理由が何であれモチベーションが高いのは良いことである。
イルムハートがそんな風に考えていると、そこでセシリアがふと思いついたように口を開いた。
「ところで、”聖域”にはライラさん達も行きたがってたようですが、一緒に連れて行かなくて良かったんですか?
特にジェイク先輩なんかは「俺も連れてけ!」って駄々こねそうな気もするんですけど?」
中々に鋭い読みである。
セシリアの言う通り、いずれ”聖域”への連れてゆくと言う仲間達との約束は残念ながらまだ果たされていなかったし、彼等としてもその時を待ち望んでいるのは確かだ。
しかも、今回の件でジェイクがゴネ出したのも事実だった。
「なあ、俺も”聖域”に連れてってくれよ。
別にその”なんとかの圏域”とやらには入らなくていいからさ。
神殿の村で待ってるだけでいいから連れてってくんないか?」
先日、日取りが決まったという報告を仲間達にしていた最中、突然そんなことを言い出したのである。
これにはイルムハートも困ってしまった。
いずれ連れてゆくと約束した手前、無下に断る事も出来ずどうしようか迷っていると、そこへライラが助け舟を出してくれた。
「何言ってんの?
イルムハート達は遊びに行くわけじゃないのよ?
神気制御の訓練をしに行くの。
アンタなんかが行っても何の役にも立たないでしょうが?」
「だから、俺達は村で留守番をしてだな……。」
「どうせアンタのことだから女性神官が目当てなんでしょ?
そんな下心見え見えのヤツを連れて行けるわけないでしょうが?」
「うっ……。」
図星を突かれ思わず黙り込むジェイク。
すると、そこへ追い打ちを掛けるようにケビンが口を開いた。
「そもそも、ジェイク君のような煩悩まみれの人間では鳳凰様から”聖域”への立ち入り許可をもらえないんじゃないですかね?
結局、森の中を延々と彷徨うはめになるでしょうから、行くだけ無駄と言うものですよ。」
こうしてケビンにより止めを刺されてしまったジェイクは最早返す言葉も無くガックリとうなだれることしか出来なかった。
と言ったようなことがあったのである。
「ま、まあ、今回は訓練が目的と言うことで皆も遠慮してくれたんだよ。
揉めてなんかいなから心配しなくても大丈夫、大丈夫。」
それを思い出しながらのせいか、イルムハートの言葉もどこか空々しいものになってしまった。
これにはフランセスカもセシリアも何かを察したらしく、それ以降この話題には一切触れることが無かったのである。
「それじゃあ、行こうか。」
その後、イルムハート達は一旦人気のない場所へと移動してから獣人族大陸へと転移する。
ただ、一足飛びに目的地へは向かわなかった。転移したのは”聖域”近くにある山の上だ。初めてイルムハートが”聖域”を訪れた際に通った場所である。
「あそこが”聖なる森”だよ。
”聖域”はあの中にあるんだ。」
イルムハートは眼下に広がる果てしない大森林を指さし2人にそう告げた。そう、先ずはこの景色を見せたかったのだ。
「ずいぶんと大きな森ですね。全然、終りが見えないじゃないですか。」
「真ん中辺りに巨大な樹が見えますが、あれが”守護の大樹”なのですか?
話に聞いた通り、確かに天をも貫きそうな巨大樹ですね。」
さすがの2人もこの光景には驚きを隠せないようだった。やはり、わざわざ時間を割いてでも連れて来て良かったとイルムハートは思う。
景色を十分に堪能した後、イルムハート達は再び転移を行い今度は森の外周へと出た。
その場でふと振り向いたセシリアの目には先ほどまでいたはずの山の頂上が遥か遠くに映る。
「それにしても、転移魔法って本当に便利ですよね。
これだけの距離を一瞬で移動してしまうんですから。
いーなー、私も使えるようになりたいなー。」
しみじみとした口調でそう語るセシリア。
王都アルテナから獣人族大陸までの転移の場合はあまりにも距離があり過ぎるせいで逆に現実感を欠いてのだが、こうして視界に入る範囲でそれを見せつけられると改めてその便利さに気付かされるのだ。
しかし、残念ながらこの魔法は極めて限られた者にしか使えないと言うのが現状だった。
どれだけ魔力が大きくても、いくらセンスがあっても使えない者には決して使えない。一般的には既に生まれついた時点で習得の可否がほぼ決まってしまうと言われている魔法、それが転移魔法なのである。
だが、イルムハートはおそらくそれだけでもないのだろうと考えていた。
「多分だけど、君も使えるようになると思うよ。」
「本当ですか!?」
「うん。始祖やナディア・ソシアスは転移魔法を使えたらしいし、パトリックも教えてみたらあっさり習得出来たしね。
だから、決して”生まれ持った資質”が無ければ習得出来ないと言うわけでもないと思うんだ。」
始祖やナディア、そしてパトリックだけでなく、どうやら”再創教団”の幹部の全てが転移魔法を使えるらしい。
地球出身である転移者はそもそも”魔法の資質”などというものを持ち合わせてなどいない。にも拘わらず転移魔法が使えるということは、必ずしも先天的な才能のみが習得の条件というわけでもないのだろう。
おそらくは神気を持つ者にもその資格があるのではないか、イルムハートはそう考えていた。
尤も、神気自体が努力でどうこうなるものではないので、特定の人間にしか習得出来ないことに変わりはないのだが。
「と言うことは、私も使えるようになるのでしょうか?」
「ええ、フランセスカさんだって同じですよ。」
「そうなのですね!」
「じゃあ、今回神気制御と同時に転移魔法も覚えてしまいましょうよ!」
一気にテンションの上がるフランセスカとセシリアだったが、生憎とそう思い通りにもいかないのが世の常と言うものである。
「うーん、残念だけどそれは無理かもしれないな。
外部からの侵入を防ぐため”聖域”の中では転移魔法が使えないようになっているんだ。
なので、憶えようにも訓練自体が出来ない状態なんだよ。」
そのため、パトリックの場合もいちいち”聖域”から外へ出て訓練する必要があったのだが、さすがに今回はそんな時間的余裕など無い。
「そうなんですか……。」
盛り上がる時と同じく、これまたあっという間に意気消沈してしまう2人。
「大丈夫、焦らなくても転移魔法ならいつでも覚えられるさ。
後で必ず教えてあげるよ。」
そんなコロコロと変わる2人の表情に思わず苦笑いしながらも、イルムハートはなだめるようにそう語り掛けた。
それから3人はいよいよ神殿の村へと続く道へと足を踏み入れた。
ここからが”聖域”に入るための最大の関門である。
もし、鳳凰に”聖域”へ入ることを認めてもらえなかった場合、その者は決して神殿の村へと辿り着くことは出来ず森の中を延々と彷徨うことになってしまうのだ。
フランセスカもセシリアも問題無く入ることが出来るだろうとは思うが、しかし何事にも絶対と言うことはない。
やや緊張の面持ちで深い森の中を歩く事およそ数分。やがて道の終りを示す陽光が見えて来る。
そして、その光の中へと飛び込んだイルムハートはほっと安堵の笑みを浮かべた。無事に神殿の村へと到着したのだ。
そこでは天を衝く程に巨大な”守護の大樹”が優しく彼等を迎えてくれていた。
大樹を初めて間近に見たフランセスカとセシリアはその圧倒的な姿に言葉を失う。それと同時に、ここ”聖域”が特殊な場所あるということを改めて実感したようだった。
「これが”守護の大樹”ですか……近くで見ると更にその巨大さを思い知らされますね。
まるで天を支える柱の様にも見えます。」
「と言うことは、もう着いちゃったんですか?神殿の村に?
ほんの少ししか歩いていないはずなのにあんな大きな森の真ん中まで来てしまうなんて……本当にここは不思議な場所ですね。」
その気持ちはイルムハートにも良く解かった。彼も初めてここを訪れた際には同じことを思ったのだ。
まあ、イルムハートの場合はキリエの悪戯で何も知らされないまま連れて来られたため驚きも人一倍だったわけだが、かと言って事前の知識がありさえすれば驚かないと言うものでもない。
この光景の荘厳さと”聖域”の特異性は実際に体験してこそ真に理解することが可能なのだ。
それからイルムハート達は神殿の村へと向かう。すると、そこにはキリエが3人を待ち受けていた。
ここ”聖域”では森へ入る者を感知すると神殿の魔道具がそれを報せてくれるようになっているのである。なので、いつも良いタイミングで出迎えてくれるのだ。
「貴女達がイルムハート君の婚約者さんね。
初めまして、私はキリエ・フェリン・シュレミナよ。
ここで神官をしているの。」
キリエがそう言ってフランセスカとセシリアに笑い掛けると、それに応えるように2人も頭を下げる。
「初めまして、フランセスカ・ヴィトリアと申します。
この度はお世話になります。」
「セシリア・ハント・ゼビアです。
よろしくお願いいたします。」
「そう緊張しなくても良いからもっと楽になさい。
私のことはキリエと呼んでちょうだいね。」
と、ここまでは”良いお姉さん”を演じていたキリエだったが、やはり早々に本性を表してしまう。
「ところで2人共、イルムハート君とはどうやって知り合ったのかな?
恋に落ちるまでの馴れ初めは?
どんなところが好きになったの?
あと、何て言ってプロポーズされたの?」
まるでマシンガンのように質問を繰り出すキリエ。余程この手の話に飢えていたのだと思われる。
何しろここは神聖な鳳凰神殿のある場所で、まがりなりにもキリエはその神官のひとりなのだ。普段はこんな話題で盛り上がることなどほとんどないのだろう。なので、気持ちも解からないではない。
だが、目の前で堂々とそんな会話をされても困る。こういう話は自分のいないところでやってほしいものだ。
と言うことで、イルムハートはキリエを黙らせるための”必殺ワード”を使うことにした。
「それよりキリエさん、先ずは神官長へのご挨拶が先だと思うんですけど。
神殿で僕達のことをお待ちになっておられるのではありませんか?」
「うっ、そうでした……。」
さすがのキリエも神官長の名を出されては大人しくなるしかなかった。余程苦手としているようだ。まあ、日頃あれだけ小言を浴びせられていればそうもなるだろう。
尤も、それは神官長が厳し過ぎるというわけではない。全ては神官としてあまり相応しくない言動ばかりとるキリエに原因があった。
つまりは、因果応報・自業自得ということなのである。
神官長への挨拶を無事終えたイルムハート達は、その後3人だけで”時操りの圏域”の入口へと向かった。
実のところキリエもこれに付いて来ようとしたのだが神官長から「話がある」と言って止められてしまったのだ。
また何かやらかしたのか、或いは神官長が気を回してくれたのかは分からないが、お陰で何とかキリエによる”恋バナ”の強制は回避出来たのである。
「ここが入り口なんですか?」
入口へと着いたフランセスカとセシリアは恐る恐ると言った感じで圏域へと続く道を覗き込んだ。
そこは何の変哲もないただの小道で、その先に時間の流れの異なる不思議な空間が広がっているなどとはとても思えない。
尤も、ここ”聖域”の入口だってそうだった。どこにでもありそうな森の中の道を少し歩いただけで丸一日かかりそうな距離の先にあるはずの村へとあっという間に辿り着いてしまったのだ。
「途中で道を間違えたせいで時の漂流者になったり、とかは無いですよね?」
いざ小道へと足を踏み入れようとしたその時、ふとセシリアがそんなことを漏らす。さすが自他共に(と言ってもイルムハートとセシリア2人だけだが)認める”アニメオタク”だけあって随分と想像力も旺盛のようだ。
「大丈夫。
ここでは鳳凰が全てをコントロールしているんだからそんな心配は無用だよ。」
そう言って笑いながらイルムハートが先頭を切って進んで行くと、安心したように2人もその後を追った。
そして数分後、3人は”時操りの圏域”へと辿り着く。
「これはまた……。」
「どこまで続いてるんです、これ?」
目の前に広がる果てしない平原に驚きの声を上げるフランセスカとセシリア。
ここ”聖域”へ来てからというもの驚いてばかりの2人だが、まあそれも当然だろう。イルムハートだって最初はそうだったのだ。
「どこまで続いているかは僕にも分からない。
と言うか、例え”終り”があったとしても辿り着く事は不可能なんじゃないかな。」
「あー、あれですね?
宇宙の”果て”みたいな感じの。
光の進むスピードより宇宙の膨張する速度の方が早過ぎて永遠に”果て”には到達出来ないとか何とかみたいな。」
「良くそんな話を知ってるな……。」
「アニメで見ました。」
そう言ってドヤ顔になり胸を張るセシリア。
すると、そんな2人の会話を不思議そうに聞いていたフランセスカが首を傾げながら問い掛けて来た。
「”光のスピード”とか”宇宙の膨張”とか、一体何の話ですか?
この空間と何か関係あるのでしょうか?」
その言葉にイルムハートとセシリアは「あっ」と我に返った表情をする。フランセスカの前世の記憶がまだ完全に戻っていないことを思い出したのだ。
この世界でも一応地動説が主流にはなっていたし、”宇宙”と言った概念もあった。おそらくは古代文明から細々とではあるが受け継がれて来た知識なのだろう。
ただ、その内容は当時と比べ遥かに劣化し未だ神話の影響を多分に受ける未成熟なものとなっており、地球のレベルにすら遠く及ばない。
そんな知識しか持たないフランセスカにこんな話をしたところで何が何やら意味不明に思うのも当然である。
だからといって「説明しても解らないだろうから気にするな」とも言えない。
さて、どうしたものかと悩むイルムハート。
しかも、何とセシリアは「それは師匠が説明してくれますよ」と全てをイルムハートになすりつけさっさと逃亡してしまった。
お陰でその日以降イルムハートは、拙い知識ながらに毎晩”宇宙”の説明をフランセスカにするはめになってしまったのである。
それは神気制御を教えることより数倍も彼を苦労させたのだった。




