騎士団と魔獣の群れ Ⅱ
騎士団とホーン・ベアとの闘いを遠巻きにして見ながら、イルムハートは自分があの群れと闘う場合を想定し、それを頭の中でシミュレーションしていた。
通常個体の能力は騎士団との戦闘を見ればデータが取れる。あとは特異種の能力設定だ。
(通常の1.5倍・・・いや2倍くらいかな?)
特異種の攻撃力や防御力を通常個体の2倍と想定して、イルムハートは1人ホーン・ベアの群れに向かって行く自分を思い浮かべた。
相手が1人なのでホーン・ベア達は密集隊形にはならず、特異種を最後尾として他の個体が二重三重の壁となる縦深隊形を取る。
だが、イルムハートにはいちいち通常個体の相手をしてやるつもりなどない。
狙いは特異種だ。他は特異種を倒した後に弱体化したところを叩けばいい。
身体強化魔法により運動能力を上げたイルムハートは、向かってくるホーン・ベアの攻撃をギリギリのところで、しかし確実に躱してゆく。
しかし、4頭目の攻撃をすり抜けたところで、5頭目が目の前に立ち塞がった。
後脚で仁王立ちしたそれは特異種までのルートを完全に塞ぎ、覆い被さるようにして襲い掛かって来る。
剣で十分受けきれる攻撃ではあったが、そうすればいったん動きを止めることになってしまう。それは避けたかった。
なので向こうの攻撃を躱しながらも、特異種までのルートから排除する方法を選択する。
横薙に振り回されたホーン・ベアの腕を身を屈めて回避したイルムハートは、そのままの姿勢で目の前にある丸太のような足を剣で薙ぎ払った。
その堅固な身体はイルムハートの腕に若干の衝撃を与えたものの剣を止める程の硬さはなく、左足は足首の辺りからスッパリと切り落とされた。
バランスを失って倒れ込むホーン・ベアの脇をすり抜けると、そこには同じように仁王立ちした特異種の姿があった。
間近で見るとさすがに大きい。通常個体ですら4~5メートル程もあるのに、特異種はさらに大きく、6メートル以上はありそうだった。灰色の壁で目の前が覆いつくされたような感じだ。
イルムハートは火魔法で作り出した火球を特異種の顔めがけて打ち出した。
しかし、特異種は全くダメージを受けない。
個体差はあるものの、魔獣は魔法に対してある程度の耐性を持っているのだった。
この特異種にダメージを与えるためには中級以上の魔法が必要になってくるだろう。
もちろん、イルムハートもその事は解っている。火球はダメージを与えるためではなく目くらましを狙ったものだった。
案の定、特異種は一瞬イルムハートの姿を見失う。
その隙をついてイルムハートは特異種の背後に回り込むと高く跳躍し、その後頭部に剣を深々と突き刺した。
いかに硬い皮膚であろうと、魔法で強化された剣とイルムハートの力があれば貫通させることは簡単だった。
それでも特異種は倒れない。延髄を貫かれたにも拘らず。
まあ、それもイルムハートにとっては想定内だった。
イルムハートは剣を通して特異種の体内で火系爆裂魔法を発動させる。
いくら魔法に耐性があったとしても、さすがに体内で発動されてはひとたまりもない。
特異種の首から上は・・・。
(あれ?)
そこでイルムハートは我に返る。
(こんな簡単に倒せてしまっていいの?特異種なんだよ?)
あのアイバーンに自らが相手をすると言わせたほどの魔獣なのだ。それが、こうも簡単に倒せてしまう筈がない。
(設定が甘かったのかもしれない。強さを3倍ってことにして、と。)
イルムハートは特異種の領力を設定し直し、再びシミュレーションを行う。
がしかし、多少手数は増えたものの、やはり苦労することなく特異種を倒せてしまった。
(んー、僕自身の能力を過大に評価してしまってるのかな?・・・いや、それはないか。)
そう自問自答するイルムハートだったが、実のところ過大評価しているのは自身の能力ではなく特異種そのものについてだった。
確かに特異種は元の個体を大きく上回る能力を持っている。
だが、そもそも魔獣の脅威度をランク付けした場合、ホーン・ベア自体は中級程度に位置する魔獣でしかない。
特異種であれば更にそこから1つか2つランクが上がることになるが、それでも中の上と言ったところだろう。
一方、イルムハートはドラン大山脈でそれより強い相手と何度も闘ってこれを倒していた。
例え特異種であろうとホーン・ベア相手では手こずるはずもない。
ただ、アイバーンが自ら相手をすると言ったその言葉によって、イルムハートの評価基準は若干ズレてしまっていた。
それは、特異種の持っている能力が不明なため、万一にも後れを取る事のないように圧倒的強者であるアイバーンが相手をすると言う意味だったのだが、そこを ”彼でなければ相手が出来ない” と受け取ってしまったのだった。
まあ、それだけイルムハートがアイバーンを高く評価しているという事ではあるのだが。
(やっぱり特異種の設定が低すぎるのかな。じゃあもっと強さを増して ・・・。)
イルムハートが特異種の能力を再設定しシミュレーションを始めようとしたその時、凄まじい咆哮が辺りを包み込んだ。
ついに特異種が動いたのだ。
配下を倒された特異種は怒り狂っていた。
そして、その原因である己を取り囲むちっぽけな存在に向けて、特異種は怒りの咆哮を発する。
それは強力な魔力を乗せぶつけることで相手を委縮させる ”威圧” と言う効果を伴っていた。
さすがに、その程度で圧倒されるような人間は騎士団にはいなかったが、咆哮と ”威圧” の合わせ技が厄介なところは魔力の爆発的放射による衝撃波が発生する点である。
突風に襲われたような衝撃に、団員達は防御の体制を取らざるを得なかった。
しかし、その中で唯一人、何事もなかったかのように悠然と特異種に向けて歩を進める人影があった。アイバーンだ。
馬から降りた彼は普段と変わらぬ表情のまま、自然体でゆっくりと歩いて行く。
右手に持った剣が無ければ散策でもしているかのようにも見えただろう。
それが気に入らないのか、特異種は仁王立ちの態勢を取ると、腕を振り上げながらアイバーンに向けて再度咆哮した。
だが、やはり効果はない。
そして、今度はアイバーンが無言で ”威圧” を発した。
特異種のみに向けて放たれたそれは衝撃波こそ伴わないものの、常人であれば気を失うであろう程に凄まじい重圧を与えるものだった。
重圧に押された特異種は思わず後ずさりする。アイバーンの ”威圧” に怯んでしまったのだ。
それでも特異種が退くことは無かった。彼等にとって負けると言うことは死を意味することになるからだ。
例え一瞬でも自分を怯えさせた相手に対し特異種の怒りは頂点に達する。
特異種は一気に間合いを詰めると、アイバーンに向かって両腕を振り下ろす。右左どちらにも逃げ場を無くすために。
もちろん、アイバーンには逃げると言う選択などはなから無い。
迫り来る特異種の両腕に向けてアイバーンは軽く、そう、傍から見れば目の前の虫でも掃っているかのように軽く右腕に持った剣を振った。
次の瞬間、大人の胴回りよりも太く、岩よりも硬いはずの両腕が、ケーキでも切るかのようにスッパリと綺麗に切断され鈍い音を立てながら地面に落ちた。
切断より少し遅れて血が噴き出した己の両腕を見て、特異種は痛みより驚きに呆然としその場に立ち尽くした。
彼は悟ったのだ。自分の死を。
目の前の自分の高さの半分にも満たない小さな敵が実は圧倒的な強さを持ち、その力で自分の命を奪うであろう事を理解した。
「お前に恨みはないが、見逃すわけにはいかないのだよ。」
そう呟くアイバーン。
最早、勝敗は明らかだったが、それでも特異種はそれを認めない。
いや、自分が負けることは認めていたのだろうが、このまま手も足も出せないまま死んで行くつもりもなかったのだ。
特異種は残された最後の武器である牙を剥き、アイバーンに一矢報いるべく再び襲い掛かって来た。
「許せよ。」
アイバーンがそう呟くと同時に、彼の魔力は爆発的に上昇する。
そして、5本の剣が特異種へと向けて突き出された。
別に、アイバーンが5本もの剣を使って攻撃しているわけではない。1本の剣を5回突き出しただけだ。
ただ、あまりにも速過ぎる剣速が、あたかも5本の剣が同時に突き出されたかのように見せているのだった。
更に、その一撃一撃が強い魔力を纏っており、当たる瞬間に激しい衝撃に変換されダメージを与えるという凄まじい威力を持っていた。
その結果、特異種の胸から上の部分は跡形もなく消し飛んでしまったのだった。
地響きを立てて倒れ込む ”特異種だったもの” を見つめながら、アイバーンは剣を振って血を落とすと鞘へと収めた。
「作戦終了!以降は事後の処理に移れ!」
アイバーンが納刀したのを見て、小隊長が新たな号令をかける。
魔獣を倒したからと言って、それで終わりではない。放っておけば血肉に誘われた獣たちが集まってきてしまう。
その対処として屍を方片付け、飛び散った血肉の後始末をする必要があるのだ。
また、魔獣の身体は各種素材として金になるという実利的な面もあった。
魔獣から取れる素材は、それを倒した者がその処分を行う権利があるとされている。
特に希少で学術的価値のある魔獣でもない限りは、例え任務において倒した個体であってもそのルールは適用された。
つまりは、このホーン・ベアは騎士団の物であり、彼等の臨時ボーナスとなるのだった。
小隊長の号令に合わせ団員達は収納魔法の魔道具を使って屍を格納すると共に、肉の破片や流れ出した血を火魔法で焼いた後でそれに土を掛けてゆく。
「凄いですね、オルバス団長の連撃は。あのデカい特異種の上半身が一瞬で吹き飛んでしまいましたよ。」
後始末に動き回る騎士団の姿を見やりながら、魔法士が感嘆の声を上げる。
「そうですね。僕も団長の本気の連撃は初めて見ましたが、本当に凄いです。」
イルムハートも正直、驚きを隠せないでいた。
以前、団員の訓練でアイバーンが連撃を使っているのを見たことはあった。だが、実戦のそれは訓練で見たものとは桁違いに凄かった。
凄まじい破壊力を持った5本の剣が一斉に攻撃してくるのだ。それでは特異種であってもひとたまりもあるまい。
(アレは、2本目を防げるかどうかもあやしいな・・・。)
実のところ、思考加速を使えば5本の剣ではなく5つの連撃であることを見極めることは出来るのだが、認識出来るのと対応出来るのは全く別の話である。
それでも訓練で見せた連撃の場合は、なんとか3本目までは防げるのではないかと感じていた。
だが今見せた本気の連撃であれば、おそらく1本目を防ぐのが精一杯だろう。
アイバーンとの間にある歴然とした力の差を改めて感じたイルムハートだった。
(やっぱり、まだまだ遠いなぁ。)
イルムハートの目標は既に副団長のマルコではなく、アイバーンその人に移っていた。
まだマルコを越えたわけではないが、じきに追いつくだろうと感じていた。
実は現時点でも剣と魔法を組み合わせて戦いさえすれば、マルコにも負けることはないだろうと思っている。
だが、イルムハートはそれで満足はしない。純粋に剣技で追いつくことを目指していた。
そして、マルコにはもうすぐ手が届きそうなところまでは来ているのだが・・・次なる目標はそれよりも遥かに遠いところにいるようだ。
イルムハートはそれがちょっと悔しくて、それでいて胸の躍る感覚を味わっていた。
そんな憧れにも似た感情をアイバーンに抱くイルムハートなのだが、今はひとつだけ彼に対して不満を感じていた。
(団長の力が圧倒的すぎて、特異種の強さが良く解らなかった・・・。)
結局、特異種に関するデータが取れず、自分との戦闘シミュレーションを諦めるしかなくなってしまったのだ。
手を抜けとまでは言わないが、ここまで一方的にあっさりと倒してしまわなくてもいいのに・・・などとイルムハートが勝手な事を考えていると、後始末を終え集結しつつある騎士団の姿を見つめながら傍らのニナがぽつりと呟いた。
「確かに凄いです。アレは・・・私なんかじゃ1本目で終わってしまいますからね。」
「えっ?まさか、ニナさんが1本も防げないなんてことはないのでは?」
そんなイルムハートの言葉にニナは苦笑で応えた。
「ムリですよ、団長の本気の連撃を受けるなんて。訓練の時の加減した連撃でさえ2本受けたらもう手が出せなくなるのに、本気出されたら絶対にムリです。
そもそも、団長が本気で魔力を込めた剣の威力なら特異種だって一撃で倒せますよ。連撃を出す必要すらないくらいです。」
任務に対しては完璧主義のアイバーンだけあって、どうやら万にひとつの取り逃がす可能性すら無いように過剰とも言える攻撃で特異種を倒したようだ。
「マルコ副団長も言ってました。さすがにアレは1本防げればいいほうだって。副団長ですら1本が限界なのに私にどうこう出来るわけないですよね・・・。」
そう言ったニナの眼差しはどこか遠くを見ていた。おそらく、訓練ではかなり痛い目をみたのだろう。
そして、そのニナの言葉はイルムハートにも軽い驚きを与える。
(マルコ副団長ですら僕とあまり変わらないのか・・・。)
マルコだって決して弱いわけではない。確かに団長を務めるにはまだ力不足であることは否めないが、副団長としては十分な実力を有している。
だがこの場合、比べる相手が悪すぎた。
アイバーンは200年以上の歴史を誇るアルテナ高等学院剣術科において、歴代でも十指に入るとされる剣の天才だった。王国騎士団長の座に最も近いひとりと言われたほどに。
そんなアイバーンの前ではイルムハートが感じる自分とマルコとの間の力の差など僅かな誤差でしかないのだろう。
だがそれにしても、とイルムハートは疑問に思う。それほどの人物を王国騎士団は何故放逐したのか?
本人の不祥事ならばともかく、問題を起こしたのは部下のはずだ。上司として何らかの責任を負わねばならないのは仕方ないとしても、退団までする必要があったのだろうか?
(団長が貴族の出だったら、違う結果になっていたのかもしれないな。)
イルムハートは、王国騎士団長有力候補としての名声が災いした可能性を考える。
王国の騎士団長ともなれば、その名誉は地方騎士団の長とは比べ物にならないほどであろう。その地位に就きたい者、就かせたい者が裏で激しく争う姿を想像するのは難しくなかった。
その結果、貴族としての後ろ盾を持たないアイバーンが追い落とされたのだとしても、別に驚くようなことではない。
(分ってはいたけど・・・貴族社会って面倒そうだな。)
驚くことではないにしても、面倒な話ではある。特に、王都に移り住む予定のイルムハートにとっては。
ラテスのように良くも悪くも領主が全ての権力を持つ地方都市とは違い、王都は権力を持つ者で溢れかえっていると言っても過言ではない。
政治や経済の様々な面において数多くの権力とそれを行使する者が存在する。
最終的な絶対権力者は国王であるとしても、国というものは王ひとりで全てを取り仕切るには大き過ぎるからだ。
(そういった人たちとは、出来るだけ関わらないようにしたいなぁ・・・。)
とは言え、貴族である以上は否応なしに関わり合わずにはいられないのだろう。ましてや辺境伯の息子ともなれば向こうが、放っておいてくれないかもしれない。
そう考えると、楽しみにしていた王都行きも少しだけ憂鬱になってくる。
(まあ、今から心配しても仕方ないか。なるようになるさ。)
そう割り切りはしたものの、魔獣討伐の後始末を終えて丘へと集まって来る騎士団員達を眺めながら、イルムハートはひとりため息をつくのだった。