恋人たちの語らいともうひとりの転生者 Ⅱ
イルムハートがフランセスカの闘気の中に感じたもの、それは確かに神気だった。
極めて微弱ではあるが、しかし間違いなくフランセスカは神気を放っていたのである。
驚きの事実に思わず絶句するイルムハート。
それはそうだろう。まさかこんな近くに神気持ちがもうひとりいるなどとだれが想像しようか。
しかし、それはそれでひとつ大きな疑問が残ることになる。
「そうなのですか?
ですが、私は転生者でも転移者でもありませんよ?」
そこなのだ。フランセスカは前世の記憶を持っていないのだ。
イルムハートもセシリアも共に自分が神によって転生させられたことを覚えている。だが、フランセスカにはその記憶が一切無かった。
勿論、この世界の人間として産まれ育った記録がある以上、転移者でもない。と言うか、そもそも転移者なら初めからそれを自覚しているはずである。
「本当に前世の記憶とかは無いんですか?」
「はい、一切ありません。」
「そんなハッキリしたものでなくとも、何かこう夢の中で見たおぼろげな記憶のようなものとかは……。」
「全く無いです。」
どれもこれもフランセスカに断言され完全に行き詰ってしまう。
「もしかして、まだ記憶が戻っていないだけということは……ないですよね、さすがに。」
セシリアも何とか知恵を絞ろうとするが、さすがに無理があると自分でも気付く。
歳の話をするのも何だが、フランセスカは既に20歳を超えていた。6歳で覚醒したセシリアやイルムハートに比べると、それではあまりにも遅すぎるだろう。
一応、イルムハートもその可能性は考えてみたが、やはりそうではないと結論付けるしかなかった。
「多分違うんじゃないかな。
これは僕の考えだけど、神気を含む転生者の能力と言うのは覚醒して初めて使うことが出来るものなんじゃないかと思うんだよ。
6歳の時に僕は転生者として覚醒したわけだけど、色々な能力が伸び始めたのはそれ以降なんだ。それまでは極めて普通の子供でしかなかった。」
「あ、それは私もそうです。
ちっちゃい頃はどっちかって言うと運動音痴のどんくさい子だったみたいなんですけど、6歳の誕生日に前世の記憶が戻ってからは急に変わりました。
以前は剣なんかろくに振り回せもしなかったのに、いきなり大人顔負けの腕前を見せるようになったらしいです。
と言うことは……本当ならもうフランセスカさんも覚醒しているはずなんですよね?
そうでなきゃ神気が使えるはずないんですから。」
当然、フランセスカが嘘などつくはずはない。それは確かである。ならば何故、覚醒もせずに神気が使えているのか?
うーん、と2人は思わず考え込んでしまう。
すると、それを聞いていたフランセスカが何かを思い出したかのように口を開いた。
「6歳の頃ですか……そう言えば6歳の誕生日直前に階段から落ちて大怪我を負ったことならありました。
なんでも、頭を強く打ったせいで数日意識が戻らなかったとか。
目が覚めるまでの間は夜も眠れぬほど心配したと、今でもフレッド様に言われることがあります。」
「「それだ!」」
思わずイルムハートとセシリアの声がハモる。2人は今のフランセスカの言葉に答えを見い出したのだ。
「それですよ、それ。
本当はもう覚醒していたのに頭を打ったせいでその記憶を失くしちゃったんですよ。
要するに、記憶喪失ってヤツですね。間違いないです。」
「或いは、昏睡中に覚醒してしまったせいで記憶が上手く定着しなかったのかもしれない。」
「つまり、既に覚醒はしているものの私自身がそのことを自覚していないだけだと?」
「多分そうなんだと思います。
せっかく思い出した記憶も、その事故のせいで意識のどこか深い処に再び仕舞い込まれてしまったんでしょう。」
「成る程、そう言うことですか……。」
フランセスカとしてはまだ確信するまでには至っていなかったものの、自分が神気を持っている以上疑問の余地は無い。おそらく、イルムハート達の言う通りなのだろう。そう得心する。
そして、実に嬉しそうな表情を浮かべながらこう言った。
「つまり、私も旦那様やセシリアと同じ転生者だったのですね。」
フランセスカは3人目の転生者だった。
それは驚きと共に喜びをイルムハート達に与えた。本当の意味での一体感を感じることが出来たからだ。
勿論、今までだって彼等の間に分け隔てなど有りはしなかった。それは断言できる。
ただ、3人の中でフランセスカのみが転生者ではないと言う事実、それだけはどうしようもなかった。
それは3人の心の中に無意識の内に線を引いてしまい、いつしか深く触れてはいけないタブーのような扱いとなってしまっていたのである。
だが、これでその境界線も完全に消えて無くなったわけだ。本当の意味で等しく同じ立場になったのである。
知らず知らずの内に抱えてしまっていた心の中のつっかえが取れ、自然と微笑みの浮かぶ3人。
が、そこでイルムハートはふとあることを思った。
転生者が3人、同じ時代に同じ国で出会う。それは奇跡にも近い確率のはずで、おそらく単なる偶然などではないのだろう。
だとすれば、どこまでが神の思惑によるものなのか?
3人が出会うところまで?
それとも、互いに惹かれ合うようになるところまでが全て神によって決められていたことなのだろうか?
もしそうだとすれば、自分の彼女達への想いは果たして”本物”だと言えるのか?
それが神により植え付けられた”偽”の感情などではないと、そう自信を持って断言出来るだろうか?
自分達は心から惹かれ合っているのだと信じたい。しかし、神からの影響を完全に否定出来るだけの確信も無いのだ。
そんな、どうにももやもやとした感情を振り払えないイルムハート。
だが、セシリアとフランセスカの場合は違った。
「転生した3人がこうして出会うなんて、もうこうなると偶然なんかじゃなくて運命ですよね?
私達は運命の赤い糸で結ばれてるってことですよね?
もしかすると前世でも、いえその前もその前の前もずっと一緒だったのかもしれませんね!」
「そうかもしれませんね。
私達はこうして出会うべくこの世界に生を受けたに違いありません。
このような運命を与えて下さった神様には心から感謝しなければ。」
何やらうじうじと考え込むイルムハートとは異なり、純粋にこの状況を心から喜んでいるようである。
彼女達にとっては”どうしてこうなったのか?”はあまり重要ではないのだ。今の自分の気持ちを信じ、それを大切にしながら前向きに生きている。
妙に穿った見方をして要らぬ悩みを増やしてしまうイルムハートとは人生の楽しみ方が根本的に異なるようだ。
(これじゃあ勝てるはずも無いよな……。)
時々、精神的な強さは彼女達の方がずっと上なのではないかと感じることがある。
イルムハートは今まさにその理由を見せつけられたような気がして思わず心の中で感嘆の溜息をつくのだった。
「はあ!?
フランセスカの嬢ちゃんまでもが転生者だっただと!?」
翌日、帰国の挨拶も兼ねて冒険者ギルドを訪れた際にフランセスカの件を話すと、ギルド長のロッド・ボーンは驚きに目を見開きながらそう叫んだ。
ロッドはかつて”再創教団”の幹部としてこの世界に召喚され、その後教団を裏切ってアンスガルドと共に冒険者ギルドを創立した人物、今は”始祖”と呼ばれる者の子孫である。
そのため、ギルドの裏の顔も知っているしイルムハートのことについても報告を受けていた。彼が転生者であり、旅の間に神気に目覚めた事も含めその全てをだ。
だがフランセスカの件は、そんな彼ですら思わず大声を上げてしまう程に衝撃的な話だったのだ。
「セシリアが転生者だって話を聞いた時も心底驚いたが……まさか、3人目もいたとはな。
一体どうなってやがんだ、お前ら夫婦は?」
「まだ夫婦ではありませんよ。婚約者です。」
「そんな細かいことはどうでもいいんだよ。
いずれ一緒になるんだから同じだろうが。」
イルムハートの返しに面倒臭そうな声でそう言い捨てると、ロッドは大きく首を振った。
「それにしても、次から次とホント驚かせてくれるヤツだよ、お前は。
これを聞いたらカールのヤツなんざぶったまげて椅子から転げ落ちちまうんじゃねえか。」
カールとはロッドと同じ”始祖”の血族で現在アンスガルドの冒険者ギルド総本部において事務局長付補佐官を務めているカール・エリアスのことである。
イルムハートにギルドの秘密を教えてくれたのも彼であり、そして自分が転生者であることをフランセスカとセシリア以外で最初に明かした相手でもあった。
ただ、カールとロッドでは同じ血を引いているとは思えないくらいその印象は全くの正反対だった。
カールは物静かで貴公子然とした人物なのに対し、片やロッドはその言葉使いもそうだが筋骨隆々の身体といかつい顔がまるで山賊の親玉のようにも思えてしまう。
「さすがにカールさんならそんな驚き方はしないんじゃないですかね。
上品で穏やかな感じの人ですから。」
「何が上品で穏やかだ。
アイツの方が怒らせたら何するか分からんずっと危ないヤツなんだぞ。」
「そうなんですか?」
「当たり前だろ、俺達一族の頭張ってんだぞ?
ひ弱な坊ちゃんに出来ることだと思うか?」
カールは始祖の血族たちを取りまとめる立場にある。
となれば、確かにただ頭が切れるだけではないのかもしれない。何せ血族にはロッドのように一癖も二癖もある者達がわんさといるのだから。
あの風貌からはあまり想像出来ないが、おそらく怒らせたら怖い人間であることは間違いないのだろう。
イルムハートには妙に腑に落ちた様子で頷いた。
「なるほど、それもそうですね。
そのくらいでなければギルド長のような曲者の相手は出来ませんものね。」
「ちっ、おかしな納得の仕方するんじゃねえよ。」
これにはロッドも心当たりがあり過ぎるせいで、苦々しくそう言い捨てるしかなかった。
尚、その場にはイルムハートの仲間達3人も同席していたが珍しい事に全く口を挟もうとせず、ただニヤニヤしながらイルムハートとロッドのやり取りを楽しんでいた。
何故なら、彼等は既にフランセスカの件を知っていたからである。
馬車で3人を拾い上げこのギルドに来る途中、イルムハートは昨日の話を皆にしていたのだ。
当然、彼等にとってもそれは驚きの内容ではあったが、ただロッドほどに驚愕したわけでもない。むしろ「ああ、またか」と言った感じが強かった。
イルムハートと一緒に行動しているせいでこの手の話にはすっかり慣れてしまっているのである。
「はえー、フランセスカさんも転生者だったのか?
道理で強いはずだぜ。
それにしても、そんな凄い嫁さん2人ももらうことになるとはお前も苦労しそうだな。」
「婚約者同士3人が3人とも転生者で神気持ちって……とんでもない戦力の家庭になりそうよね。
なんでアナタの周りにはこうも非常識な事ばかり起こるのかしら。」
「結婚したらとにかく家庭円満だけは十分に心掛けて下さいよ。
もし夫婦喧嘩なんて始まってしまったら、それこそ世界が滅亡するような事態にもなりかねないですからね。」
いつも通りの毒舌ぶりではあるが、まあ大体予想通りの反応だった。
「しかし、相変わらずだね、君達は。
逞しいと言うか豪胆と言うか、大概のことには驚きもしないよね?
一体どういう神経してるんだか。」
それは確かにその通りだった。普通なら言葉を失ってもおかしくないほどの出来事も彼等にかかればあっと言う間に冗談のネタになってしまう。随分と図太くなったものだ。
しかし、3人としてはその原因となったイルムハートにだけは言われたくなかった。
お陰でイルムハートは「お前が言うな」の大合唱を食らうこととなり、憮然としながらも黙り込まざるを得ない状況となってしまったのである。
「とりあえず、カールのことは置いといてだな。」
形勢が不利と判断したロッドは慌てて話を変えた。
「それで、嬢ちゃん達のことはどうするつもりなんだ?
このまま自力で神気に覚醒するまで放っておくつもりか?」
それもひとつの手ではある。
本人達が”神気持ち”であることを自覚したからには、いずれ自然と力に目覚める日が来るだろう。本来ならそれが最も無理の無い覚醒の仕方なのかもしれない。
だが、残念ながらそうもいかない状況なのだ。いつ覚醒するかも分からない状態のままで放ってはおけないのである。
別に急いで覚醒させたいわけではないし、その必要も感じてはいない。
ただ、ある日突然覚醒した場合、それを制御出来るようになるまでの間神気を垂れ流し続けることになってしまう。それではマズイのだ。
「いえ、さすがにそう言う訳にもいかないでしょう。
覚醒直後の制御も上手く出来ない状態では神気が流れ出るのを抑えることが出来ません。もし、それを皇国なり教団なりに察知されてしまうとかなり厄介なことになってしまいますからね。
ですので、早々に覚醒してもらって同時に制御の訓練もこなしてもらうつもりです。」
「と言っても、それだって相応の時間はかかっちまうんじゃねえか?」
「そうですね、僕の場合は制御を覚えるのにひと月ほどかかりました。
彼女達の場合はそれに加えて神気の覚醒から始めないといけませんから、もう少し余分にかかるでしょうね。」
「その間はどうするんだ?
神気が漏れっぱなしってことになるが、お前みたいに龍の島に籠るつもりか?
だとしても、そもそも1カ月以上の休みなんか嬢ちゃん達に取れるのか?」
フランセスカもセシリアもそれぞれ騎士団・近衛隊と重要な職務に就いており、それをひと月以上も休むとなれば周りに多大な迷惑を掛けることになるだろう。
さすがにそれは無理と言うものである。ロッドが不安に思うのも尤もだ。
だが、イルムハートには考えがあった。
「ええ、ですから訓練は”聖域”で行おうと思っています。」
”聖域”。それは獣人族大陸にある神獣・鳳凰の張った結界により守られし聖地。
”聖域”は悪意を持った者の侵入を決して許さない場所であり、またその中ではどんなに神気を使おうと一切外に漏れ出ることも無い。まさに訓練にはうってつけの場所だった。
しかも、”聖域”の中には特殊な空間も存在した。時間の流れを自在に変える事の出来る空間だ。
そこでは外界の1日を1カ月にも1年にも引き延ばすことが出来るのである。つまり、そこを使えばフランセスカ達が1日休みを取るだけで十分に訓練が出来ると言う訳だ。
「成る程、その手があったか。要するに、ナディア・ソシアスの真似をしようってわけだな。」
伝説の冒険者で”龍騎士”と呼ばれたナディア・ソシアスも実は異世界からの転移者で、神気に覚醒した後同じ方法で訓練を行ったのである。
イルムハートはそれに倣おうと考えたのだ。
「ええ、これなら何の問題も無く彼女達の訓練を行うことが出来ますからね。」
本当ならあまり無理はしたくないのだがフランセスカとセシリアの身の安全を考えればそうも言ってはいられない。
とにかく、2人が神気持ちであることは皇国にも教団にも悟られるわけにはいかなかった。
(出来ればあの2人には余計な苦労なんか背負わせたくないんだけど……まあ、それも僕の思い上がりなのかもしれないな。
彼女達には自分の生き方を自分で決める権利も資格もあるのだから。)
神気に覚醒した後、おそらくは波乱に満ちたものとなるであろうこの先の2人の運命に想いを馳せながら、ふとそんなことを考えるイルムハートなのだった。




