恋人たちの語らいともうひとりの転生者 Ⅰ
久しぶりに再会したイルムハート達の会話は留守組の近況から行われた。
本当はフランセスカもセシリアもイルムハートに旅の話を聞かせて欲しかったのだが残念ながら時間が無い。この後すぐ夜会のための着付けを行わねばならないのだ。
今回の旅に関してイルムハートが彼女達に話さねばならないことはそれこそ山の様にあり、僅かな時間ではとても話し切れるものではなかった。
そのため、旅の話は夜会が終わった後でゆっくりすることにし、先ずは彼女達の近況を先にしたのである。
「それにしても、近衛にストレートで入隊するなんて本当に凄いね。
話を聞いた時は正直驚いたよ。」
その中で一番の話題となったのはやはりセシリアの近衛入隊の件だった。何せアルテナ学院を卒業したばかりの生徒がそのまま近衛に入るなど実に数十年ぶりのことなのである。
通常、近衛となるためにはその下部組織である衛士隊で実績を積み能力を認められる必要があった。それでやっと入隊する”資格”を得るのだ。
近衛とは国王一家を一番近くで護る存在。そのため何よりも能力が優先されるは当然であろう。そんな近衛隊に現役生が卒業後ストレートで入隊したのだから、それはもう大きな話題となった。
なので、実を言うとイルムハートもセシリアの入隊が決まった時点で既にそのことは冒険者ギルド経由で耳にしていた。
ただ、セシリアとしてはその点がちょっと不満のようである。
「本当は帰ってくるまで内緒にしておいて、師匠をビックリさせたかったんですけどねー。」
そうぼやきながら口を尖らせるセシリアだったが、そんな彼女をフランセスカは笑ってなだめた。
「残念ながらそういうわけにもいかないでしょう。
何しろセシリアの近衛入隊は国内でもかなりの話題になりましたからね。隠しておく方が無理と言うものですよ。」
「それはそうかもしれないですけど。」
「そう拗ねずに機嫌を直してくれないか。
僕だって旅の間は君達のことが気になって色々情報を集めていたんだ。
だから、君の入隊を聞いた時は本当に嬉しかったんだよ。」
「……まあ、そう言うことなら仕方ないですね。今回は許してあげます。」
口ではそう言いながらもイルムハートの言葉を聞いて思わずにんまりと顔を崩すセシリア。まあ、狙い通りである。
そして、イルムハートはここぞとばかりに話題を変えた。
「それで、近衛隊のほうはどうなんだい?
上手くやっていけているかい?」
「はい、任務は厳しいですけど先輩達も優しいし色々教えてくれるので割と楽しくやってますよ。
同性で歳も近いと言うことで今はエリザ王女殿下の専任チームに配属されています。」
エリザ・バーハイム。国王の第4子にして第1王女。
歳はセシリアの2つ下で、確かにその点を考えれば適任と言えた。王女としても同世代の女性が側にいてくれれば何かと息抜きにもなるだろう。
ちなみに、王家の者には貴族名のような”3番目の名前”は無く名と姓のみを持つ。何しろ国名を名乗れるのは国王一家だけなのだからそれ以外必要ないのだ。
「そう言えば……。」
と、そこでセシリアはあることを思い出す。
「殿下は師匠のことをご存知でいらっしゃる様子でしたが、お知り合いだったんですか?」
「殿下が僕を?」
これはまた意外な話だった。
「いや、殿下とはお話しどころかお会いしたことすらないよ。
君の婚約者ということで名前を聞いていらしただけじゃないのかい?」
「いえ、違います。」
すると、セシリアはそう断言しスッと目を細め、何やら不穏な空気を醸し出し始めた。
「あれは絶対に昔から知っている感じの口ぶりでした。
だって、「私も幼い頃はイルムハートさんのもとに嫁ぐつもりでいたのよ」なんておっしゃってましたけど?」
このセシリアの爆弾発言にはフランセスカも即座に反応する。
「旦那様!」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!
さっきも言ったように殿下とは顔を合わせた事すらないんだよ?
なのに、どうしてそんな話になるんだい?」
「さあて、どうしてでしょうね。」
2人の厳しい視線の中、必死で弁解するイルムハートだったが形勢はかなり悪い。
そんな絶体絶命の窮地に落ちいったイルムハートを救ったのはひとりのメイドだった。
「フランセスカ様、セシリア様。そろそろお召し替えをなさっていただくお時間です。」
彼女は夜会用ドレスの着付けのため2人を呼びに来たのだ。
九死に一生とは正にこのことである。
「と、とりあえずこの話はまた後でするとして、とにかく今は夜会の準備にかかろうよ。」
そう言って何とかその場を凌ぐことが出来たイルムハートなのだった。
尚、この件については後日真相が判明する。
当然のことながらイルムハートは無実であり、原因を作ったのは彼の従妹であるミレーヌ・ポートレー・クルームだった。
彼女はイルムハートの母方の伯父スチュアート・ポートレー・クルーム侯爵の娘で、エリザとは”ご学友”として子供の頃から懇意にいていた。
どうやら、その際にイルムハートことを色々と吹き込んだらしいのだ。
ミレーヌは幼い頃、イルムハートの2人の姉から散々弟自慢を聞かされたお陰ですっかり洗脳されてしまい、彼に憧れを抱いた末に一方的な結婚宣言までしたことがあった。
そして、それと同じことを王女にしたわけだ。
ミレーヌからイルムハートがどれだけ素晴らしいかを滔々と吹き込まれたエリザが幼心につい結婚と言う夢を抱いてしまったとしても無理ない事なのかもしれない。
尤も、今となっては単なる幼い頃の笑い話でしかないし、エリザもそのつもりでセシリアに話したのだろうがイルムハートにしてみればとんだとばっちりと言えた。
かと言って、昔の話で今更ミレーヌに抗議するわけにもいかず、イルムハートとしては女難の相を持って生まれた己の運命にただただ溜息をつくしかなかったのである。
夜会は3時間ほどでつつが無く終了した。
元々、何かの祝い事と言う訳でもなく単に出府の挨拶と情報交換を兼ねた集まりなので出席者も限定されており、終始和やかな会話が交わされる中終わったのである。
おかげでイルムハートも特にするべきことは無く、顔見せと帰国の挨拶をする程度で済んだのは幸いだった。
2人の婚約者の機嫌も着替え後は嘘のように直っていて、それもまたイルムハートを安堵させた。
そもそもの話として2人共、過去イルムハートが王女に手を出したなどとはこれっぽちも思ってはいない。
良い意味でも悪い意味でもそんなことの出来る人間ではない、要するに真面目であると同時にヘタレでもあると解っているのだ。
結局、甘えたい気持ち半分でイルムハートをからかってみただけなのである。
そんな彼女達の思惑にも気付かずおろおろしたりほっと胸を撫で下ろしたりするイルムハートの姿に、2人は多少の罪悪感を抱きながらも愛されていることの幸せを噛みしめたのだった。
客達を送り出し、部屋着への着替えも済ませた後は自由な時間となる。
イルムハート達3人は寝室の並ぶ2階にある小さなリビングに集まり、いよいよ肝心な旅での出来事を話すことになった。
ただ、話すべきことがあまりにも多すぎるため、とりあえずは重要な出来事のみをかいつまんで伝えることにした。
先ずは龍族の島で伝説の神獣である天狼と再会したこと。そして、同じ神獣の神龍を助けるため災獣・怨竜と闘い、そのなかで”神気”に目覚めたこと。
それから”神気”とは一体何なのかを説明し、その後カイラス皇国のルフェルディア侵攻、冒険者ギルドの秘密、”勇者”との闘いと続き、最後に”聖域”での件を語ってひとまずイルムハートの話は終わる。
所々かなり端折ったつもりだったが、それでも話し終えるのに2時間近くを要してしまうほどそれは濃密な内容だった。
その間フランセスカもセシリアもほとんど言葉を発することなく黙ってその話を聞いていた。
余計な口を挟むことで話の腰を折りたくなかったのもあるが、何より驚きで言葉が出なかったのである。
「旦那様が異世界からの転生者だと聞いた時、最早これ以上の驚きなど無いと思いましたが……世の中とは広くしかもそれほどまでに不可思議なものなのですね。」
「災獣との闘いとか勇者との出会いとか、いくら”異世界”とは言えちょっと欲張り過ぎですよ。」
聞き終えた後の2人の感想もそれを現わしていた。
だが、それも最初だけ。やはり彼女達は彼女達だった。
「それにしてもカイラス皇国とは実にけしからん国ですね。己が野望のために他者を苦しめるとは許しがたい所業です。
いっそのこと、旦那様の力でこの世から消し去ってしまえば良かったのではありませんか?」
「勇者と侍女のラブロマンスですか、いいですねー。
何なら、闘いの結果師匠と勇者の間に友情を越えた熱い感情が芽生えて侍女との三角関係になるとかも、考えただけでご飯が進みそうです。
……いや、その場合は私達もいるから五角関係ってことになるんですかね?」
これほどの話を聞かされても平常運転でいられるとは何とも頼もしい限りである。
「ま、まあ、その話は置くとしてだ、天狼達は僕が何らかの使命を持ってこの世界に生まれて来たのだと言っていたけど、残念ながら今はまだそれが何かは分からない。
と言うか、その事自体本当なのかどうかすら正直自分でも良く分からないんだ。
でも、鳳凰の言っていた”世界が混乱に包まれる”という話はおそらく本当なんだと思う。
だから、僕達はそれに備えておかなければならないんだ。」
「大丈夫、心配ありません。
旦那様がいればどんな災厄も恐るるに足りませんよ。」
「そうですよ。何たって勇者をも凌ぐ神気の持ち主なんですから。」
お気楽なのか、それともイルムハートに対する絶対的信頼の表れなのか。いずれにせよ、彼女達の言葉には危機感が薄くイルムハートも思わず頭を抱えた。
「あのね……話を聞いていたのかい?
おそらく敵となるだろう”再創教団”には同じ神気持ちが10人近くいるんだ。僕ひとりでどうにかなるものじゃない。
それにセシリア、君だって神気を持っているんだからね。」
「へっ?」
突然名を呼ばれセシリアは一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、すぐさま納得したように頷いた。
「そうか、私も転生者ですものね。神気を持っていて当然と言う訳ですか……。」
セシリアもまたイルムハート同様に地球からの転生者だった。同じ”事故”の犠牲者という話ではあったが今となってはその真偽も不明である。神がどんな意図で2人を転生させたのか、そこに小さな疑問が生じたからだ。
「そうだよ、そして君も僕と同じように何らかの使命を持って転生して来たのかもしれないんだ。
だから、この世界の危機を回避するために君にも神気を使いこなせるようになってもらう必要があるんだよ。」
「転生者……神気……。」
イルムハートの言葉にセシリアは何かぶつぶつと呟きながら考え込んだ。
おそらくは自分の運命を知り、それに対し気持ちの整理を付けようとしているのだろう。黙り込むセシリアを見てイルムハートはそう思った。
しかし、その後セシリアの口から出て来た言葉はイルムハートを、そしてフランセスカをも混乱させた。
「と言うことは、フランセスカさんも転生者だったってことなんですね?」
「はあ?突然何を言い出すんだ、君は?」
「何故、そんな話になるのですか?」
2人は呆れた口調でそう突っ込んだが当のセシリアは平然としている。そして、続いて衝撃的は言葉を口にした。
「だって、フランセスカさんも神気を持っているじゃないですか。」
「はい?」
「えっ?」
今度はイルムハートとフランセスカが驚きに目を見開く番だった。
「……フランセスカさんが神気を?」
「私が……ですか?」
思わず顔を見合わせるイルムハートとフランセスカ。
そんな2人を尻目にセシリアはしたり顔で話を続ける。
「フランセスカさんと手合わせしてると、時々師匠に似た特別な”気”を感じることがあるんですよ。
前々からそれを不思議に思っていたんですけど、今ハッキリ解りました。あれは神気なんです。間違いありません。
と言うことは、フランセスカさんも私や師匠と同じく転生者だってことになりますよね?
どうりでいくら頑張っても追いつけないはずですよ。何せフランセスカさんも私同様に何らかの”恩寵”を授かっているに違いないんですから。」
セシリアの話を聞いたイルムハートは暫くの間ポカンと口を開けた間抜け面で彼女の顔を見つめていたが、やがてハッとした表情になり慌ててフランセスカに語り掛けた。
「フランセスカさん、ちょっと闘気を解放してみてもらえますか?」
「はい、解かりました。」
その言葉に戸惑いながらもフランセスカは闘気を放って見せた。
そんな彼女をじっと見つめるイルムハート。そして、その口から驚きに満ちた声が漏れる。
「……本当だ。間違いない、これは神気だ。
まさか、フランセスカさんまでもが僕達と同じ神気持ちだったなんて!」




