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出立の日とそれぞれの愛情の形

 ラテスに到着して5日目の早朝、イルムハートはマリアレーナと共に王都へと旅立つべく屋敷を後にしようとしていた。

 随行するのはマリアレーナの補佐官に加えフォルタナ騎士団から第2小隊と副団長のマルコ・ルーデンス。そして、魔法士団からは上級魔法士2名が同行する。

 今回は次期辺境伯の護衛とあって騎士団副団長が護衛の指揮を執ることになっているのだ。

 副団長のマルコは貴族でこそないがここフォルタナ領内においては名家であるルーデンス家の出であるため上品で洗練された男性だった。

 しかし、今日のマルコはいつになくどこかやつれたような表情をしている。

 実を言うとそれには理由があり、原因は彼の新妻ニナ・フンベル、もといニナ・ルーデンスだった。

 過日イルムハートが騎士団を訪れた際、マリアレーナと共に飛空船で王都へ戻ることになったと告げたところ急にニナが騒ぎ出したのだ。

「イルムハート様が同行されるのであれば私も一緒に行きます。」

「馬鹿なことを言い出すんじゃない、ルーデンス小隊長。」

 それを聞いてマルコは「またか」と思いながら我が妻を諭す。

「いいかね、マリアレーナ様の護衛に第2小隊がつくことは既に前々から決まっていたことなのだ。

 それを今更変える訳にはいかないのだよ。」

「ならば第2小隊はそのままで、私ひとりがイルムハート様の護衛に付けば良くないですか?」

「何を言ってるんだ君は?

 そんなことをして第4小隊はどうするつもりだ?」

「副隊長がいますから問題ありません。」

「問題無いわけないだろうが!」

 思わず声を荒げるマルコ。

「君は小隊長という職を何だと思っているんだ?

 そんな簡単なものではないのだぞ?」

 しかし、ニナもそう簡単には引き下がらない。

「そもそも、王都行きを邪魔するために私を小隊長にしたんじゃないですか。

 それを今更『簡単じゃない』なんて言われても全然説得力無いですよ?」

 イルムハートが王都で学院に通っていた時、ニナはその身辺護衛として王都に行くことを希望していたのだ。

 だが、その頃既に彼女は騎士団の中でも中核を成す重要な人材となっていたためあの手この手で引き留められ、その挙句小隊長の地位にまで引き上げられたのだった。

 勿論、それは引き留め工作のためだけでなく彼女がそれだけ評価されていた結果ではあるのだが、どうもニナは今でもそのことをただの”嫌がらせ”だと思っているらしい。

「団長も副団長もホント意地悪です。」

「あのね、ニナ……。」

 拗ねた顔で口を尖らせる愛妻にマルコは頭を抱えた。

 そのせいか、律儀にも公務中は公私を分けるべく”ルーデンス小隊長”と呼んでいるのだが、ついそれを忘れ思わず名前で呼んでしまう。

 そしてその後、2人の口論は公務中の接し方に始まり、やがて食べ物の好みがどうの犬の世話がこうのと日常生活での愚痴大会へと発展していった。

 しかし、そんな光景を目にしながらも周りの団員達はいたって平然としている。

 勿論、イルムハートも特に驚きはしなかった。いつものことなのだ。

 ただ、以前と違うのは愚痴の内容が職務上の話だけでなく日常生活にまで及ぶようになったことくらいだろうか。

(仲が良くて何より。でも、随分と騒がしい新婚生活になりそうだな。)

 イルムハートはいつ終わるとも知れぬ2人の口論を聞きながらついそんなことを考え、思わず苦笑してしまったのである。


「随分とお疲れの様ですね?

 もしかすると、ニナさんはまだ納得していないんですか?」

 そんなマルコにイルムハートはそっと声を掛けた。

 すると、マルコは疲れ果てたような声でそれに答える。

「先日はお恥ずかしいところをお見せしました。

 実は昨晩になってまた話を蒸し返し出しましてね、何度言い聞かせても聞く耳を持たないのですよ。」

「それで、今ニナさんは?」

「……騎士団本部で皆に取り押さえてもらっています。」

 それを聞いたルムハートはつい笑ってしまった。

「何と言うか、ニナさんらしいですよ。

 副団長も苦労されますね。」

「笑い事ではありません。」

 確かに、マルコにとっては笑い事ではないだろう。しかし、ニナが他の団員達に押さえつけられながらも必死で逃げ出そうとする、そんな光景を思い浮かべるとどうしても笑いが止まらないのだ。

 だが、次にマルコが放った言葉を聞くとその笑いもピタリと止まってしまう。

「いずれイルムハート様もご結婚なされば解ると思いますよ。」

 そうだった。イルムハートの2人の婚約者は揃ってひと癖もふた癖もあるような相手であり、彼女達の言動にはいつも振り回されてしまっていた。

 そんな2人と一緒に暮らすようになった時のことを考えると急に不安になってくる。

「確かに、他人を笑っている場合ではないかもしれません。」

 そう呟きながら急に真顔になるイルムハートの姿に、今度はマルコが苦笑を浮かべることになったのだった。


 屋敷前でイルムハート達を見送るのは母セレスティアと使用人達、そして騎士団長のアイバーン・オルバス。

尚、父ウイルバートとは彼の公務の予定が入っているため既に挨拶は済ませてあった。それにしても、こんな朝早くからとは領主様も大変である。

 あと、いつもならここに魔法士団長であるバリー・ギャレルが加わるところなのだが、今日は腰を痛めて寝込んでいるため姿を見せていない。

 まあ、彼も齢80をとうに過ぎ、この世界においてもかなりの老体である。そのせいであちこちガタが来るのも仕方あるまい。むしろ、その年齢で今だ魔法士団の長を務めていること自体、驚くべきことだろう。

 とは言え、実質的な団長職は既に副団長に移行しており、バリーのそれは名誉職のようなものだった。

 何と言っても彼は王国3大魔法士の内のひとりなのだ。そんな彼に一線から完全に退かれてしまったのでは、それはそれで困る。

 なので、例え名誉職であっても魔法士団に残ってもらわねばならないのである。

 尤も、彼自身も引退するつもりなどさらさら無いようで、見舞いに訪れたイルムハートに対し

「やれやれ、今更こんな老骨など必要ありませんでしょうに。」

 などどぼやいてみせながらも案外喜んでやっているようだった。

 魔法と、そしてこのフォルタナをこよなく愛する。

 それがバリー・ギャレルと言う偉大な魔法士なのである。


「イルムハート様。」

 そんな中、アイバーンが難しい顔をしながらイルムハートに近付き声を掛けて来た。

「フレッドのやつがまた何かおかしなことを仕出かすようでしたら、すぐさまご連絡下さい。私が諫めてやりますので。」

 ”フレッド”とはバーハイム王国騎士団団長フレッド・オースチン・ゼクタス子爵のことで、彼はアイバーンの父親違いの弟だった。

 フレッドは兄アイバーンからアルテナ学院在学中のイルムハートに”悪い虫”が付かないよう陰ながら見守る役目を依頼されたわけだが、その際に少しだけやり過ぎた。

 王国騎士団との接点を創り出すために部下のフランセスカを強引にイルムハートへ近付けさせたのである。

 フレッド本人としては女をあてがうなどと言った下卑た考えを持っていたわけではなく、ただ同じ剣士としての親交を深めてもらえばとの思いからではあったらしい。

 だが、イルムハートとフランセスカが婚約したことで結果的にそういうことになってしまった。

 イルムハートからしてみればある意味縁結びの役目を果たしてくれたわけだし特にフレッドを責めるつもりなどなかったが、アイバーンとしてはそうもいかない。

 幸い何の問題も無く婚約まで辿り着けたから良かったものの、もし悪意を持つ者が関与していたら大きなトラブルにもなりかねないような案件なのだ。

 結果良ければ全て良し、と笑って済ませるわけにもいかないのである。

 お陰でフレッドはアイバーンからこってりと絞られることになった。数時間に渡り延々と説教を喰らったのだ。

 さすがの王国騎士団長も兄には頭が上がらないようで、今でもその時の話をすると露骨に嫌そうな顔をするのである。

「大丈夫ですよ、フレッドさんもあの一件で相当懲りたみたいですから。」

「ですが、あいつは少々悪ふざけが過ぎるきらいがありますからね。

 その行いには十分に注意してください。」

 フレッドに対する実の兄からの評価は中々に辛いようだ。

 そう言えばフランセスカも同じようなことを言っていた。

 それで良いのか騎士団長?といった感じではあるが、まあアイバーンにしろフランセスカにしろ本気でフレッドのことを悪く思っているわけでもない。

 フレッドはアイバーンにとって実の弟、フランセスカにとっては幼い頃から目を掛けてくれた兄にも近い存在である。それ故、愛情の裏返しでどうしても求めるハードルが高くなってしまうのだろう。

「そんなことはありませんよ。

 フレッドさんが色々と目を配ってくれているお陰で僕も余計なトラブルに巻き込まれずに済んでいるのですから。

 とても感謝しています。」

 それは決してアイバーンへのリップサービスなどではない。

 辺境伯の息子であり剣や魔法の腕も立つイルムハートは王都でもそれなりに名が知られていた。

 そんな彼を取り込み利用しようと考える輩は決して少なくないが、フレッドが目を光らせているせいで彼等としても迂闊に手が出せないでいるのである。

 イルムハートもそれは十分に理解していた。

「そうですか、それなら宜しいのですが。」

 イルムハートの言葉にアイバーンはそう応えながら、それでも少々不安気に眉をひそめて見せる。

 だが、その表情とは裏腹に彼の声はどこか嬉しそうでもあった。


「2人共、気を付けていってらっしゃいね。」

 セレスティアはそう言ってマリアレーナとイルムハートに微笑みかけた。

 その言葉に2人は「はい、お母様。行ってまいります」と応え馬車へと乗り込んだ。そして、馬車を中心とした隊列はゆっくりと動き出す。

 手を振る屋敷前の人々の姿を馬車の後部窓から追い、やがてそれも見えなくなった頃、マリアレーナはイルムハートに顔を向け口を開いた。

「あなたも忙しいのでしょうけれど、時々はラテスに戻りお父様とお母様に顔を見せてさしあげなさいね。

 あなたのことだから心配無いと解ってはいても、それでも気に掛けてしまうのが親と言うものなのよ。」

 学院生の頃は休みの度に帰省していたのにこの2年は顔も出さなかったわけで、イルムハートとってそれは少々耳の痛い言葉だった。

 旅に出ていたのだから仕方ないと言えばそれまでだが、両親にももう少しまめに手紙を出すべきだったと後悔する。

「解かりました、出来る限りそうします。」

「そうなさい。

 アンナローサも多忙なようだけれど、それでも定期的に帰ってくるようにしているのですから。

 尤も、あの子の場合は他の意図もあるのですけれどね。」

 イルムハートの下の姉アンナローサ・アードレー・フォルタナは現在王国外務省に勤務し王都の屋敷に住んでいる。

 彼女自ら外勤を選び、そのせいであちこち忙しく飛び回っているようだが、それでも年に数回はラテスに戻り両親に顔を見せるようにしていた。

 尤も、それには親孝行の他に実はウイルバートの暴走を封じるためという面もあった。

 ウイルバートの妹、つまりイルムハートの叔母もかつて外務省に勤めており、国外へもよく足を運んでいたようだ。そして、その際に知り合った隣国リシュタールの貴族と結婚したのである。

 もし、アンナローサも叔母同様に外国の貴族と結婚するようなことになってしまえば滅多に会うことすら出来なくなってしまうだろう。

 ”親バカ”ウイルバートはそれを極度に心配しているのだ。

 まあ、だからと言って外務省に手を回しアンナローサを内勤に移動させようとするほど横暴な父親ではないが、それでも彼女に近付く男性がいないかどうかをかなり気にしていた。

 下手をするといちいち監視を付けられるようなことにもなりかねないので、アンナローサは定期的に顔を見せさりげなく仕事の話をしながら何事も無いことをアピールしているのである。

 そのことはイルムハートもアンナローサから聞いて知っていた。

「もう子供ではないのに、お父様も困ったものよね。

 もし、私やマリアレーナ姉様が結婚するなんて話になったら、それこそ泡を吹いて卒倒してしまうのではないかしら。」

 その時、アンナローサが口にした言葉は決して有り得ない事では無く、イルムハートも乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 ただ、息子である自分が婚約した時は無条件で喜んでいたのに、何故娘のこととなるとこうも過剰に反応してしまうのか?

 その辺りがイルムハートにはまだよく理解出来なかった。

 イルムハートがそんな疑問を口にするとマリアレーナは苦笑しながらもそれに答える。

「おそらく、父親とはそう言うものなのでしょう。

 あなたも将来娘が産まれればその気持ちも解かるようになるのではないかしら?

 まあ、いずれ孫が出来たらそちらに気が向いてお父様も子離れすることになるでしょうから、それまでは私達が親孝行してあげなければね。

 だから、たまには会いに来てさしあげなさい。」

 どうやら父親より娘の方がずっと”大人”のようだ。

 と、そこで終われば綺麗に話がまとまったのだが、最後の最後でマリアレーナの本音が漏れてしまう。

「但し、帰って来るのは私がラテスにいる時になさい。

 もし、留守の間に来て私に顔を見せぬまま帰ったりしたら許しませんからね。」

 父親のことをあれこれ言いながらも、やはりマリアレーナはマリアレーナだった。

(姉さんも早く”弟離れ”してくれると有難いんだけど……。)

 ラテスに戻って来る時は必ずマリアレーナの所在を確認すること。そう固く約束されられながらイルムハートは心の中で呟き、そっと溜息をつくのだった。

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