思わぬ朗報とちょっとした反則
翌日、イルムハートはジェイク達を迎えに行くため昼前に馬車で城を出た。彼等のために母セレスティアが主催する茶会に招待するためである。
さすがに昨日の晩餐は家族と、そしてアードレー家が家族同然に扱っている少数の者達だけで行いジェイク達を招かなかったので、今日はその埋め合わせというわけだ。
と言っても、ジェイク達が冷遇されていると言うことでは決してない。それは極めて当たり前のことだった。
何故なら、大規模な夜会等であればともかく少人数での会食において辺境伯と同席するだけの資格が彼等には無いからだ。
一見理不尽な理由にも思えるかもしれないが、階級社会であるこの世界にはこの世界のルールがある。いくらイルムハートの友人であってもその辺りのルールは守らねばならないのだった。
ちなみに、それはイルムハートだって同じだ。辺境伯の子息である彼でさえ国王主催の夜会に出席することは許されても個別の会食に加わることは出来ない。それに値する身分ではないと言うことである。
以前、イルムハートに連れられジェイク達がラテスを訪れた際も城の中を見学しただけで食事会等は催されていないし、両親とも短い時間”謁見”しただけだった。
だが、誰もそれを不満には思わない。それがこの世界の”当たり前”だからだ。
そう考えると、今回辺境伯夫人がわざわざ彼等のために茶会を主催すること自体、驚く程の厚待遇と言えるだろう。正に有力貴族並みの扱いである。
旅の間、我が子と苦楽を共にしてくれた友人達を労ってやりたい。
おそらくこの茶会は、そんなセレスティアの母心から催されたものであるに違いなかった。
ジェイク達の泊まる宿屋へ向かう前に、先ずイルムハートは冒険者ギルドへを訪れた。滞在報告の件もあるが、何よりギルド長への挨拶をするためだ。
元々イルムハートが最初に冒険者としての登録を行ったのはここラテスのギルドであり、当時は辺境伯子息であるということもあって色々と便宜を図ってもらった。
その後、王都の学院に入学するに当たりアルテナのギルドへと転籍したわけだが、イルムハートにとって古巣であることに変わりはない。
そんな理由もあって個人的に挨拶をすべくひとりギルドを訪ねたのである。
ラテス冒険者ギルドの建物は内堀を越えた新市街にあった。
以前は旧市街に建物を構えていたのだが、街の発展と共に冒険者が増えていったせいで手狭になり新市街に新しく建て直したのだ。
イルムハートを乗せた馬車はギルドの正面ではなく建物の裏へと廻りそこで彼を降ろす。冒険者専用の出入り口はこちらにあるからだ。
御者にはギルドの馬寄せで待つよう指示しイルムハートが中へと入ってゆくとそこには見慣れた光景が広がっていた。
ギルドの建物は初めて訪れた場所でも戸惑わずに済むようにどこもおおよそ同じような造りになっており、それがどこか安心感を与える。
「いらっしゃいませ、イルムハート様。」
すると、イルムハートの姿を目にとめたひとりの職員が彼の名を呼ながら近付いて来た。
ラテスにいた頃はまだ後見人も決まらず冒険者としての活動自体は行っていなかったものの、それでも皆の話を聞くためによく出入りしていたし帰郷の度に顔を出すようにもしていた。なので、見知った者も多い。
ただ、いつ来てもお客様扱いされてしまう点が少々気になってしまうのだが、まあここはラテスだ。領主の子と言う事実は変えようも無く、そこは仕方ないと割り切るしかないだろう。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」
予め訪問する旨は告げてあったため職員はそのままイルムハートを奥へと通す。それからギルド長室へと向かうが既に何度も訪れているので案内は必要無かった。
ギルド長の部屋は2階にあり、そこにはここラテスの冒険者ギルド長であるハロルド・オーフェンがイルムハートを待っていた。
「ようこそおいで下さいました、イルムハート様。
無事旅から戻られて何よりです。」
ハロルドはギルド長であると同時に現役の冒険者でもあるのだが、そうは思えない程に立ち居振る舞いが洗練されていた。
勿論、冒険者の皆が皆荒くれ者だと言うわけでもなく、理知的で教養深い者も多い。だが、彼の場合はそれが抜きんでている。
そのため最初にハロルドと会った時、イルムハートは彼が貴族の出身なのではなかと感じたわけだが、その推測が当たっていたことを後で知ったのだった。
「ありがとうございます、オーフェン・ギルド長。」
再開の挨拶の後、イルムハートはハロルドに勧められソファに腰を下ろした。
それから暫し近況の話をした後、話題は当然のように旅の話となる。
「それで、いかがでしたか、”修行の旅”は?」
「はい、色々ありましたが実に有意義な旅でした。」
イルムハートはこの旅で色々なことを知った。冒険者ギルド設立に関する”秘密”もそのひとつだ。
冒険者ギルドとは当時流浪の荒くれ者でしかなかった冒険者を規律ある集団にまとめ上げ社会的に信用のある職業とすべくアンスガルドと言う人物が創り上げた民間組織である。と、世間ではそう理解されていた。
それは決して間違いではない。確かに、アンスガルドが夢見たのはそんなギルドの姿なのである。
だが、それとは別にもう一つ、ギルドには重要な役目があった。”再創教団”の動向を監視することだ。
”再創教団”とはこの世界の滅びを目的とした秘密結社。
彼等は”神気”と呼ばれる人知を超えた力を有する異世界からの転移者を幹部に擁し、恐怖と混乱を振りまくために世界中で暗躍しているのである。
そしてそれに対抗すべく今から400年ほど前、教団を裏切った幹部のひとりがアンスガルドに力を貸し全世界的な情報網を構築するために造られた組織、それが冒険者ギルドのもう一つの顔だったのだ。
尚、このことを知るのはギルドの中でもほんの一握りの者だけである。だが、残念ながらハロルドはその中には含まれていなかった。
そのため、会話には言葉を選ばねばならないのが辛いところである。
「初めて見聞きすることが多く、特に(冒険者の国アンスガルドの首都)アウレルには驚かされっぱなしでした。
まるで古代文明を再現したような街でしたよ。」
おそらくは異世界人の知識をベースとして造られたであろうアウレルはこの世界において異質とも言えるほどに進んだ街だった。
高層建築が立ち並び馬車ではなく自走する車が走り回る。その上、ギルドの地下には鉄道網までもが整備されていた。
それは元同郷人であるはずのイルムハートでさえ目を見張る程の光景だったのである。
「確かに、あれには私も正直度肝を抜かれたものですよ。」
ハロルドも職務上何度かアウレルには足を運んでいたし、ギルド長になる前には”修行の旅”で訪れた事もあった。
当時の事を思い出したのだろう。ハロルドは驚きと、そして半分呆れの混じったような表情でそう言った。
それから、彼はふと何かを思い出したような顔になる。
「そう言えば、ルフェルディア滞在中にはカイラス皇国の侵攻に遭遇したらしいですね?
危険な目には会いませんでしたか?」
「ええ、隣国マレドバを攻略した勢いでルフェルディアにも攻め入って来たらしいのですが、幸いにも最初の街で龍族により撃退され撤退しましたので特に被害はありませんでした。」
「”龍騎士”ナディア・ソシアスの故郷ノーラですね。」
「はい。
ソシアスのおかげでノーラには”龍族の加護”が与えられているのだと言う噂は耳にしていましたが、まさか本当だったとは正直僕も驚きました。」
「ナディア・ソシアスの伝説がまたひとつ追加されたわけですね。」
イルムハートの言葉を聞いたハロルドはノーラで繰り広げられたその光景を想像しながら実に感慨深げにそう呟いた。
「ところで、その龍族に対し後日皇国が反撃を仕掛けたという話は聞いていますか?」
続いてハロルドは少し探りを入れるような感じでイルムハートにそう問い掛けた。この件では非公開となっている情報もあるため、おそらくはどこまで話していいのかを見極めるためなのだろう。
尤も、実のところイルムハートの方がハロルドよりももっと多くの情報を持ってはいるのだが。
「勇者を擁した皇国軍が龍の島に攻め入ったと言う噂は聞きました。
ただ、それ以降その件についての噂は全く耳にしなくなってしまったので、てっきり偽情報かと思っていたのですが……やはり事実だったのですか?」
「ええ、事実です。
情報統制が掛けられたせいで世間には知られていませんが、実は龍族の逆襲を受け皇国が敗北したらしいのです。
しかも、その際に勇者が行方不明になってしまったようですね。」
「そうなんですか……。」
ハロルドの話にイルムハートは神妙な顔をして見せる。
言うまでも無くノーラの件も龍族の逆襲の件も、両方ともイルムハートが首謀者であるわけだがそれを口にするわけにもいかない。ここは何とか知らぬ振りを貫くしかなかった。
「勇者だの龍族との戦争だの、僕からすればどうにも非現実的な話に思えてしまいますね。」
「全くです。」
イルムハートの言葉にはハロルドも苦笑交じりで同意するかない。
「それにしても随分と厄介な真似をしてくれたものです。
下手をすれば龍族と人族との全面戦争にまで発展しかねない行為ですからね。その話を聞いた時はさすがに血の気が引きましたよ。」
これにはイルムハートも全面的に同意だった。あの時点で龍族にその意思は無かったようではあるが状況次第では最悪の事態になる可能性も十分にあったのだ。
「ですが、そのお陰で……と言う言い方は少々不謹慎かもしれませんが、結果として良い方向には進んでいるようです。」
「と言いますと?」
「龍族との闘いで敗戦したことにより主戦派の力が弱まり穏健派が実権を掌握したようでしてね、国政の改革と共に周辺国との関係改善にも動き出し始めたのです。
マレドバの自治権拡大やルフェルディアとの割譲地返還交渉なども水面下で始まっているらしいですね。」
この件についてはイルムハートも知らなかった。初耳である。
まあ、あれから既に数か月の時が経っているのだ。その間に何らかの動きがあったとしても不思議では無いだろう。
「そうだったんですか。これで世の中が落ち着いてくれると良いのですけどね。」
「正におっしゃる通りです。」
カイラス皇国の動きは遠く離れたこのバーハイム王国でも無視できない状況にあった。何故なら、隣国メラレイゼ王国の内乱にも皇国が関与しているからだ。
皇国の方針転換によりメラレイゼの内乱が平和的に終息してくれれば、それはバーハイムにとっても有難いことなのである。
それからイルムハートは自分が留守にしていたおよそ2年の間の国内状況について色々と教えてもらい、その後ハロルドの部屋を後にしたのだった。
その日の夕方近く、茶会を無事終えたイルムハートはジェイク達の宿泊するホテルの部屋にいた。彼等に相談事があったからだ。
茶会の間はさすがのジェイク達も緊張しまくっていたせいで中々話を切り出せなかったし、今夜も夕食は家族で取ることになっているためこのタイミングでしか話す時間が無かったのである。
「ちょっと相談と言うか意見を聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
イルムハートの言葉に3人は何事かと視線を向けて来る。
「実は3日後にマリアレーナ姉さんがお父様の名代として王都へ行く予定なんだ。
それで、その際僕達も飛空船に同乗して王都に帰ってはどうかと言う話になっているんだよ。」
事の発端は昨日の夕食の席。マリアレーナが王都へ行く件が話題になった時、彼女は突然こう言い出したのだ。
「その時はイルムハートとお仲間の皆も飛空船に同乗して帰ればいいわ。」
まあ、せっかく王都まで飛空船を飛ばすのだからそれに乗っていた方が速いのは確かではある。
しかし、そうは言ってもイルムハート達は”修行の旅”の最中なのであり、簡単に受け入れる訳にもいかない。
「姉さんの配慮は嬉しいんですが僕達は冒険者としての経験を積むために旅をして来たんです。
なのに、最後の最後で飛空船に頼ったりしたら旅の意味が無くなってしまいますよ。」
イルムハートの言葉は正論である。
だが、マリアレーナも引かない。愛する弟と少しでも長く一緒にいたいという彼女の固い意思はその程度で揺るぐはずもなかった。
「でもそれは国外を旅してこそ意味があったのではなくって?
色々な国の文化や人々の暮らしを自分の目で確かめる。そのために国を出る選択をしたのでしょう?
だとすれば、国境を越えこのバーハイム王国へと入国した時点で最早旅は終わったのだと言えるのではないかしら?
それならこの先は何を使って移動しようと問題無いと思うのだけれど?」
少々、と言うかかなり強引な理屈ではあるがイルムハートは言い返すことも出来ず黙り込む。元々、この手の言い争いで姉達に勝てたためしなどないのである。
「それに、王都で開く夜会にはフランセスカとセシリアも招待してあるのよ?
一日でも早く彼女達に顔を見せてあげるべきではなくって?」
この言葉にはイルムハートの心もかなり揺らいだ。
フランセスカ・ヴィトリアとセシリア・ハント・ゼビア。イルムハートの2人の婚約者。
この2年間、手紙こそまめに送ってはいたが一切顔は合わせていない。自分から婚約を申し込んでおきながら、言ってみればイルムハートの我儘のせいで彼女達は放置されたままなのだ。
2人に対する愛しさと罪悪感に苛まれ、余計言葉に詰まるイルムハート。
そして、マリアレーナは止めとも言える台詞をそんなイルムハートに投げかける。
「第一、このまま今まで通りの旅を続けていたら何時フォルタナ領を出られるかも分からないのよ?」
これで勝負あり、と言ったところだろうか。正にマリアレーナの言う通りなのである。
フォルタナ領に入って以来と言うもの、立ち寄る町々で足止めされ接待漬けにされる毎日だった。お陰でラテスへの到着も大幅に遅れた上に、イルムハートの精神的疲労も限界に達しかけた。
もし、このまま今まで通りの旅を続けたとしたら間違いなくそんな日々が再び繰り返されることになるだろう。それだけは勘弁して欲しかった。
「……解かりました。姉さんと一緒に飛空船で王都に戻ろうと思います。」
既に最初から分かり切っていた事ではあるが、結局マリアレーナに押し切られる形でイルムハートはそれを受け入れたのである。
とは言え、事はイルムハートだけで決められるわけでもない。
何せ自分達で決めたルールに対し”反則”を犯すことになるのだから仲間達の意見も聞く必要がある。
そう考えて話を切り出したわけだが……自分の苦悩は一体何だったのか?と思わせるほどに彼等はあっさりとそれを受け入れた。
「おー、そいつは良い考えだな。
速いし楽だし、言うこと無いぜ。」
「確かに、お姉様の言う通り国境を越えた時点でアタシ達の旅も実質終わったようなものだしね。
ちょっとくらいならズルしてもいいんじゃない?」
「それに、国内についての知識は学院で色々と学んでますからね。
今更、見聞きして驚くようなものも無いし、正直旅のモチベーションをどうやって保とうか迷っていたところだったんですよ。」
それどころか3人共、マリアレーナ以上に乗り気のようである。
「……そうか、それは良かったね。」
彼等の反応にそう言って一応は笑顔を返したものの、これにはどこか釈然としない気持ちになるイルムハートなのだった。