故郷への道と冒険者の帰還 Ⅱ
険しい山道もようやく終わり平地へと出ると、そこにはバーハイム王国の関所があった。
通常、関所には国境を挟む両国の施設があるわけだがここにはバーハイム側のものしかない。何故ならゼリアル族は自治区への出入りについて特に規制してはいないからだ。
そもそも、周辺国が勝手に”自治区”などと呼びあたかもゼリアル族の領土であるかのように扱っているだけで、本人達がそう考えていると言うわけではないのだ。
御山は誰のものでもなく、ただ「自分達はそこに住まわせてもらっているだけ」というのがゼリアル族の考え方なのだった。
なので、彼等は敢えて他者を排除するような真似はしない。受け入れるかどうかはあくまでも”御山が決める事”なのである。
元々、通行量が少ないため関所はこじんまりとしたものだった。警備の兵を含めても10人いるかどうかと言ったところだろう。国境を護るにしては実に少ない。
だが、だからと言って審査が緩いというわけではなかった。この山岳ルートを通って他国の間諜が入って来る可能性も十分にあるため身元の確認はきっちりと行われる。
尤も、イルムハート達はアルテナ冒険者ギルドの登録証を持っているためさして手間もかからずに入国出来る……はずだった。
だが、そこで予想外の、と言うかむしろ当然のごとくちょっとした騒ぎが起こる。
「アルテナ冒険者ギルド所属イルムハート・アードレー……って、も、もしかするとイルムハート様でいらっしゃいますか!?」
速攻で身バレしたのだった。
まあ、ここはフォルタナ領だ。領主子息の名を知らぬ者などまずいない。ましてや、役人や兵士ともなれば知らない方がおかしいだろう。
その上、今ではイルムハートがアルテナで冒険者をしているという話もかなり広まっているため、わざわざ”フォルタナ”と言う貴族名を名乗るまでもなく身分などあっという間に判ってしまうのだ。
なので、イルムハートとしても今更胡麻化すつもりなどなく「そうだ」と返事を返す。
それにより、この先は単なる冒険者としてのんびり旅をすることなど出来なくなってしまうわけだが、それも仕方あるまい。こうなることは予め覚悟していた。
ただ、近隣の町まで護衛を付けると言う申し出だけはきっぱりと断らせてもらった。彼等の立場からすれば当然の配慮なのだろうが、そこまで堅苦しい真似はさすがに勘弁してほしかったのである。
しかし、物事とはそう思い通りにはいかないものだ。
護衛の方はなんとか回避出来たものの、次の町では代官が待ち構えており下にも置かぬもてなしを受ける事となった。どうやら魔力通信で関所から連絡が入っていたらしい。
おかげで、急遽開かれた歓迎の夜会において地元の名士達相手に形式ばった息の詰まるような時間を強いられることになったのだった。
「やっぱりこうなったか……。」
その夜、来客たちからやっと解放されたイルムハートはうんざりした顔でそう漏らす。ある程度覚悟していたとは言え、それでもさすがに疲れは隠せない。
今まで身分など気にせず気楽な旅を続けてきた分、それとのギャップが想像以上に彼の精神を削ってしまったようだ。
そんなイルムハートの様子を見てライラは思わず苦笑する。
「しょうがないわよ。
なんてったって領主様の御子息と言う立場なんだから。」
「それはそうなんだけど、こんな扱いをされるのは随分と久しぶりだからね。
旅の間の雰囲気にすっかり慣れてしまったせいか、どうにも肩が凝って仕方ないんだよ。」
この旅の間はただの自由な冒険者イルムハート・アードレーでしかなかった。なので、こんな風に気を使うことも使われることもほとんど無かったのである。
「まあ、それはそうかもしれないけど、俺から見れば贅沢な悩みだと思うぞ。
いきなり来てこれだけのもてなしを受けるなんて、やっぱ領主の息子ってのは凄いんだな。」
確かに、ジェイクの言うことも尤もではある。
前もっての予告も無く突然訪れた街でこれほどのもてなしを受ける事など普通は貴族であってもそうそうあることではない。何せ準備する側にとっては少なくない時間と労力を必要とすることになるのだから。
勿論、そんなことはイルムハートも解ってはいる。むしろ、限られた時間で急遽これだけの場を用意してくれた人達には感謝してもいた。
だが、だからこそ先のことを考えると余計憂鬱になってしまう。
「ですが、この分だと今後立ち寄る先々でも同じようなことになりそうですね。
それどころか変な競争意識でどんどん対応が派手になっていくかもしれません。
あの町ではこれだけのことをしたのだから自分達はもっと手厚いもてなしをしなければいけない、なんて言い出す人も出て来るでしょうからね。」
そこなのだ。正にケビンの言う通りなのである。
「やっぱり、フォルタナ経由で帰る計画は失敗だったかな……。」
イルムハートは自分の予想が甘かったと反省した。
自分の身分が身分である以上ある程度騒がれるであろうことは覚悟していたものの、同時にあまり気を使わないよう言い渡しさえすればそれを受け入れてもらえるだろうと考えてもいたのだ。
だが、この熱狂的とも言える歓迎ぶりはイルムハートの予想を超え、最早制御不可能なレベルにあった。
まあ、それだけ父である領主ウイルバートが領民から愛されているということでもあるのだろうが、それは決して自分の功績ではないわけで正直申し訳ない気分にもなってしまう。
その全てを平然と受け入れられるほど”貴族”にはなり切れないイルムハートなのだった。
そんなイルムハート達がようやく領都ラテスに辿り着いたのはフォルタナ領に入ってから実に9日目のことだった。
本来ならもう少し早く到着出来たはずのだが何せ立ち寄る先々で引き留められ、本来なら通過する予定だった町にまで宿泊せざるを得ない状態だったのである。
強引に振り切ることも出来ないことはなかったが、さすがにそれははばかられた。
住民たちの好意を無下にすることも出来ないし、何より滞在した町としなかった町との間で格差を付けるわけにはいかなかったからだ。
領民に対しては出来る得る限り公平に対応し不平を生じさせないこと。それもまた領主の子としての務めなのだから。
「やっと着いたか……。」
そのおかげで精神的にすっかり疲れ果ててしまったイルムハートは故郷の姿を見て思わずそう呟いた。
すると、それを聞いてライラがイルムハートの肩を軽くポンと叩く。
「ご苦労様。
それにしても、アナタってホント貴族らしくないわよね。
別にパーティーなんかただ偉そうにふんぞり返っていればいいだけなのに。」
「そうするのが一番楽なんだろうけど、でもそれが出来るような人間ならこんな風に冒険者なんて続けていられなかっただろうね。」
「それもそうね。」
イルムハートの言葉にライラは苦笑気味に肩をすくめた。
確かに、今でこそ社会的な地位を得ているとは言え、元々冒険者は社会のはみ出し者が就く職業だった。
しかも、命を元手とする点は今も変わらない言わば”底辺”の仕事であり、そもそもが周りからちやほやされることを当然と思うような人間に務まるものではないのだ。
尤も、AランクやBランクと言った上位冒険者の中にはその名声に溺れ勘違いしてしまう者もいないわけではないが、しかしそれもごく一部でしかない。基本、冒険者とは実に地道な職業なのである。
王国東部最大の都市ラテスは壁に囲まれた城塞都市ではなく水堀によって周囲を守る”開けた”街だった。そのため遠目からでも広く続く街並みが見える。
公称では30万人都市ということになっているが実際には近隣する農村も含めての数字なので、街中に居住する人口はそれよりも遥かに少ない。
王都と違い土地に余裕があるためか高層の建物はほとんど無く、せいぜいが3~4階建ての建物ばかり。おかげで街の中央にある領主の居城フォルテール城の尖塔まで見渡せた。
この街は外周の他に内側にも大きな水堀を持っているが、これは防衛のためと言うわけでは無い。街の姿の変遷を意味しているのだ。
かつてのラテスは今ほど大きな街では無く現在内堀となっている辺りまでしかなかった。その後、人口の増加に伴い市街地が拡大され、そこに今の外堀造られたのである。
街の東西南北には外堀に掛かる大きな橋と門があり、イルムハート達はその内の北門を目指す。
すると、そこには騎馬隊と一台の馬車が彼等を待ち受けていた。どうやらフォルタナ騎士団のようだ。前日宿泊した町からの連絡を受け待機していたのだろう。
彼等は門へと近付くイルムハートの姿に気付くと一斉に馬を降りた。そして、その中からひとりの女性騎士が駆け寄って来る。
「無事のご帰還お喜び申し上げます、イルムハート様。
お元気そうなお姿を拝見して安心致しました。」
彼女の名はニナ・フンベル。フォルタナ騎士団で第4小隊の隊長を務めている女性だ。
「お久しぶりです、ニナさん。
ニナさんもお元気そうで何よりです。」
「成人のお披露目会以来ですか。
暫く見ない間に更にご立派になられましたね。」
ピークを過ぎたとは言え、それでもまだ成長期にあるイルムハート。この2年でまた背も伸びた。ニナにとってはそんなイルムハートの姿が眩しく映るようである。
「今のイルムハート様を見れば婚約者のおふたりもきっと惚れ直すに違いありませんよ。
いいですねー、お幸せで。」
そして、ニナはニヤリと笑みを浮かべながらそう付け加えイルムハートを苦笑させた。
彼女はイルムハートがまだラテスにいた頃に専属の護衛を務めていたこともあり、騎士団員の中でも特に付き合いの深いひとりでもあった。そのため、こうしてよく軽口を交わしたりもするのである。
尤も、イルムハートだって負けてはいない。それに対し意味ありげな笑みを浮かべながら反撃する。
「そう言うニナさんこそ、おめでたいことがあったらしいじゃないですか?
途中の町で話を聞きましたよ?」
「えーと、まあ、そんなこともあったような無かったような……。」
その言葉にニナはぽっと顔を赤らめながら思わず視線を泳がせイルムハートの笑いを誘った。
「結婚おめでとうございます、ニナさん。
それにしても、まさかニナさんがルーデンス副団長と結婚するとは意外でした。
あれだけ副団長への不満ばかり口にしていたニナさんがねえ。ふーん、そうだったんですか。」
イルムハートがそう言ってわざとらしく頷いて見せるとニナは更にあたふたし始める。とは言え、イルムハートとしても実のところそれほど意外に思っているわけではなかった。
お相手のマルコ・ルーデンスはフォルタナ騎士団の副団長で、団長に代わり騎士団の規律引き締めを行うのもその仕事のひとつだ。
そんなマルコにとって自由奔放な性格のニナは常に頭痛の種であり、彼女が何かやらかす度に頭を抱えさせられていた。また、ニナはニナで色々と口うるさいマルコへの愚痴を散々イルムハートに漏らしていたのである。
と、それだけを聞くと2人の仲は最悪のように思えるかもしれないが、これがまたそうでもない。
お互い相手の気持ちは理解しながらもどこか放っておけなかったり、つい我儘を言ってしまったりで、まあ要するに傍目から見れば単なる痴話喧嘩にしか見えないのだ。
おそらく、そう感じていたのはイルムハートだけではあるまい。周りの皆がそう思っていたはずだ。
この結婚は成るべくして成った。つまりはそう言うことなのである。
「お、お迎えの馬車を用意してありますので、どうぞあちらへお乗りください。
ささ、お早く。」
形勢が不利だと悟ったニナは慌てて話題を変え、イルムハート達に馬車へ乗り込むよう手招きした。それを見て、これ以上いじめるのも可哀想とイルムハートは笑いながら素直にその言葉に従う。
アードレー家の馬車は言うまでも無く最上級の代物である。何せ”十候”と呼ばれる最高位貴族家の内のひとつなのだからそれも当然。これに勝るものと言えば王家の専用馬車くらいなものだろう。
広々とした車内の乗り心地も最高で、石畳の上を走ってもほとんど振動を感じないし上質なクッションのおかげで長時間乗っても尻が痛くならない。最早、一般人の考える”馬車”とは全くの別ものなのである。
にも拘わらず、ジェイク達には特に驚くような素振りは見られなかった。まるで乗り慣れているかのようにくつろいでいる。
それもそのはず、彼等にとってアードレー家の馬車に乗るのは初めてではないのだ。それどころか一番”身近な”馬車であるとも言えた。
何せ王都アルテナではイルムハートに便乗する形でよく使わせてもらっていたのだから。
「いやー、やっぱ馬車はこうでなくちゃ。
ギルドの馬車も悪くはないけど、このレベルに慣れてる俺としてはいまひとつ物足りないんだよな。」
そのせいもあるのだろう。ゆっくりと動き出す馬車の中、ジェイクは深々と座席に身を沈めながら思わずそう言い放ちライラを呆れさせた。
「何エラそうなこと言ってんのよ、コレはアンタの馬車じゃないでしょ?
乗せてもらってる分際でずいぶんと図々しいわね。
そう言う台詞は自分で馬車を持てるようになってから言いなさいよ。」
「そりゃ今はまだだけど、俺だっていずれAランクになったらこのくらいの馬車の一台や二台は……。」
「さすがにAランク冒険者でもこのクラスの馬車を手に入れるのは無理だと思いますよ?
部品のひとつひとつ、その全てが特注品ですからね。とても手がでませんよ。
それに、そもそもこんな大きな馬車がジェイク君に必要ですか?
一緒に乗る相手もいないのに?」
「お前なぁ、最後のひと言は余計だろうが?
第一、ひとりで乗ろうと誰かと乗ろうと、そんなの俺の勝手だろ?」
「おや?随分と弱気ですね?
そこは『俺にだって一緒に乗る相手くらいいるぞ』くらいのことは言って欲しかったんですけれどね。」
そう言って意味ありげに笑うケビン。これにはジェイクも渋い顔をしながら黙るしかなかったのである。