守護の大樹とそこに眠る者
神官達の暮らす村はイルムハート達が通って来たダダスとは異なり、樹上ではなく”守護の大樹”を取り巻く平地に造られた集落だった。
2~3階建ての白い建物がいくつも並び、そこに100人以上の獣人族が暮らしているらしい。
思ったより多いように感じたが、実際の神官は30人程度であとは設備の保全や身の回りの世話をする者達だとのこと。考えてみればここは”村”なのだから神官以外の住民がいてもおかしくはない。
それぞれの建物は”守護の大樹”から少し離れた場所にそれを取り巻く形で半円を描くように建てられており、その中央にはひときわ大きな建造物が見える。
そんな村の全貌を少し離れた場所から見渡しながらイルムハートはキリエに尋ねた。
「あの立派な建物、あれが鳳凰神殿ですか?」
「ああ、あれはあくまでも祈りを捧げるための祭祀殿であって神殿そのものではないわ。」
「そうなんですか?
では、神殿はどこに?」
それが一番立派な建物だっただけにてっきり神殿だと思い込んだわけだが、どうやら違ったようである。
しかし、そう言われても他にそれらしき物は無い。イルムハートは不思議そうに辺りを見回した。
すると、またしても悪戯っぽい笑顔を浮かべながらキリエが口を開く。
「あるじゃない、目の前に。鳳凰様の神殿に相応しい一番立派なヤツが。」
その言葉に一瞬当惑するイルムハートだったが、すぐにその意味に気付いた。
「それって、まさか……。」
「そう、この”守護の大樹”こそが鳳凰様の神殿なのよ。」
それを聞き、思わず呆然とするイルムハート達。
この”聖域”に入ってからと言うもの驚きの連続だったため今更多少のことには動じないつもりではいたものの、これにはさすがに驚かずにいられなかった。
”神殿”と言うからにはてっきり荘厳な造りの人工物だとばかり思っていたのだが、まさか巨大樹そのものが鳳凰神殿だったとは。
だが、言われてみれば森のシンボルであり”聖域”全体を見守ってくれている存在でもあるこの巨大樹こそが鳳凰の眠る場所として最も相応しい場所のようにも思える。
そして、このことからイルムハートは鳳凰がどんな神獣なのか何となく解かったような気がした。
人の世界に興味津々な天狼の場合はいかにもと言った感じのステレオタイプな神殿だったし、どこか飄々とした印象を受ける神龍は特に神殿も持たず龍族の血の中で眠っている。それぞれがその性格に合った場所だと言えよう。
そう考えれば、こんな風に自然の中で静かに生命の営みを見守る鳳凰とはおそらく穏やかで慈悲深い存在であるに違いない。それはこの”聖域”に立ち込めている神気からも十分予想出来た。
以前、天狼は鳳凰のことを『世界が危機に瀕しても面倒がって中々出て来ない横着者』と言っていたが、それは単に直接敵と闘うことだけが神獣の役割と言う訳ではないからだと思われる。
混乱の中で苦しむ生きとし生ける者達全てに対し癒しと安らぎを与える、当時鳳凰はそのことに力を尽くしていたのではないだろうか?
神獣だって皆同じと言う訳ではないはずだ。各々が各々の役割を持ち、それを果たしていると言うことなのだろう。
(まあ、天狼もそれは解かっているんだと思うけど、何せ素直じゃないからな。)
そんなことを考え、つい苦笑いを浮かべてしまうイルムハート。
するとその時、”守護の大樹”の枝が風に揺れ一斉に葉音を奏で始めた。
それはまるで巨大樹がイルムハートの考えに賛同の声を上げているような、そんな風にも思える光景だった。
その後、イルムハート達は先ず祭祀殿へと向かい神官長と顔合わせすることになった。
彼女の名はサーフラ・フェリン・ダクール。
キリエと同じ部族名を持ってはいるがその特徴はかなり違う。
猫を思わせる顔立ちのキリエに対しサーフラの場合は少し面長で広葉樹のような耳をしており、しかもこめかみの辺りに牛の角のような突起があった。
尤も、これは獣人族にとって良くあることのようで、長年の混血で他部族の身体的特徴が混じり合ってしまっているのだ。
おそらくキリエとは大元の部族が同じであっても、近しい血縁者というわけではないのだろう。
イルムハートが今回の訪問についてその意図を詳しく説明すると、サーフラはピーターとシモーヌの受け入れを快諾してくれた。
ほっと胸を撫で下ろすイルムハート。
勿論、”聖域”へ入ることを鳳凰が許してくれている以上は彼女がそれを拒否するはずなどないのだが、それでも物事は互いに納得した上で進めることが大事なのだ。
それからサーフラは別の神官を呼びピーターとシモーヌに村の中を案内するよう命じた。
但し、まだ少し話があると言うことなのでイルムハートだけはその場に残る。
「貴方のことは龍族の方々ばかりではなく、神龍様や天狼様もお認めになっておられるそうですね、イルムハート殿。」
いきなりそう切り出して来たサーフラの言葉にイルムハートはハッとしてキリエに目をやった。
サーフラは何を知っていて、どこまで話して良いのか?
それを確認するためである。
すると、その視線を受けキリエが急に慌て出した。
「だ、大丈夫、神官長は全て知っておられるわ。
始祖のことも教団のことも冒険者ギルドのことも、全部ご存知でいらっしゃるの。」
考えてみればここには意識不明のままの始祖が匿われているのだ。なのに、神官長が何の事情も知らないと言うことは有り得ないだろう。
もしかしたら、始祖と”聖域”とはまだ彼が健在だった頃から関係があったのかもしれない。キリエの先祖ともここで知り合った可能性すらあるのだ。
ただ、どうして急にキリエが慌て出したのか?
それを不思議に思うイルムハートだったが、その後サーフラの目がすっと細くなり険し気な表情になるのを見て大方の予想がついた。
「そのことについて何も話してはいなかったのですか、キリエ?
全く、貴女と言う人は……面倒がって大事な話を端折ってしまうその悪い癖は直すよういつも言っているはずでしょう?」
「あ、いえ、あの、その……申し訳ありません。」
要するに、またしても”つい忘れていた”ようである。
サーフラの様子にここでまた説教が始まるのかとキリエは思わず身をすくめた。
だが、どうやらそれは何とか回避出来たらしく、ひとつ溜息をついただけでサーフラは再びイルムハートへと視線を戻した。
ほっと安堵の息を漏らすキリエ。
しかし、その直後サーフラから「貴方には少しお話があります。後で私の部屋に来るように」と言い渡されてしまい、ガックリと肩を落とすことになる。
イルムハートはそんなキリエを見てつい失笑してしまい、そのせいで彼女から恨みがましい目で睨み返されることになってしまったのだった。
「どうやら、先ずは”聖域”とキリエ達の先祖との関係からご説明したほうがよろしいようですね。」
それからサーフラはキリエに代わり”聖域”と始祖との関係を説明してくれた。
それによると、どうやらイルムハートの推測は正しかったようで両者の関係はかなり昔からあったようである。しかも、それは始祖が冒険者ギルドを立ち上げる以前から続いているのだそうだ。
何でも、”聖域”の噂を聞きつけた始祖は教団と対抗するために鳳凰の力を利用出来ないかと考えたらしい。
勿論、そんな不遜な考えが実現するはずもなかった。いくら始祖が神気と言う人外の力を有していたとしても、その程度で遥か高みの存在である神獣をどうこう出来るわけがない。
始祖は”聖域”に入り、そこに満ちる鳳凰の神気を感じ取った時点でそんな己の愚かさに気付いたのだそうだ。
これはイルムハートにも理解出来た。
イルムハート自身、あの神気の圧倒的な力には己の卑小さを感じずにはいられなかったし、その穏やかで優しい感覚には憎しみや争いの無意味さを考えさせられたのだ。
おそらくは始祖も同じだったのだろう。この世界を優しく見守ってくれている存在を争いに利用しようなど、それがどれ程馬鹿げた考えであるかを悟ったに違いない。
そのせいだろうか。鳳凰は考えを改めた始祖を受け入れ”聖域”への立ち入りを許した。
そこから始祖と”聖域”との関係が始まったのである。
以来、始祖は度々この地を訪れていたらしい。そんな中、やがて神官のひとりと結ばれキリエの家系が生み出されたと言うわけだ。
教団の手に掛かり瀕死の重傷を負った始祖を匿ったのも、そんな経緯があったからなのだろう。
「それで、始祖は今どこに?
この村のどこかで眠っているのですよね?」
カールからはそう聞いていた。だが、どうやらそれは正しくもあり不正確でもあるようだった。
「彼は今、鳳凰様の神殿の”中”で眠りについています。」
神殿内、と言ってもその言葉通り巨大樹の幹の中という意味ではあるまい。おそらく、”守護の大樹”の内部にはまた別の空間が創り出されているのだと考えるべきだろう。
始祖は”不老”の加護を持っていると言う話だが、それだけで意識も無く食事も取れぬまま生き続けることが出来るのか、そこは少々不思議に思ってはいた。
だが、この世の法則を超えた空間で眠り続けているのであればそれも納得出来ると言うものである。
「そうなんですか……。」
可能ならば始祖の顔をひと目拝んでおきたいと思っていたのだが、どうやらそれは難しいようだ。なので、イルムハートは意識を切り替え本題に入った。
「ところで、僕にお話とは何でしょうか?」
そのためにひとりここへ残されたのだ。ピーターやシモーヌを体よく人払いしてまで話さなければならないこととは一体何なのか、それが気になった。
「そうでした。つい話が逸れてしまいましたが、それを話さねばいけませんでしたね。」
サーフラはそう言って少し苦笑気味な笑みを浮かべた後、「どうぞ。こちらへ」とイルムハートを祭祀殿の奥へと案内する。
そして、歩きながらこう話し始めた。
「数日前、まだ貴方がたがここへ来ると言う連絡を受ける前のことですが、鳳凰様からひとつのお告げがあったのです。
それは、近日中にある方がこの”聖域”を訪れるだろうと言う内容でした。
その方はこの世界の行く末を左右するカギとなられる方だと、そう鳳凰様はおっしゃったのです。」
サーフラは静かに、しかし厳粛な声で話を続ける。
「その後、勇者一行がここを訪れるという連絡をもらい、私はそれが貴方だと確信しました。
貴方が神龍様や天狼様の信を得、しかも怨竜を退けたと言う話は私も聞いていましたからね。
間違いなく貴方こそが鳳凰様のおっしゃっていた”未来へのカギ”となる方なのでしょう。」
イルムハートは黙ってその話を聞いていた。勿論、反論したい気持ちは山ほどある。
世界の行く末を左右する存在?
確かに、今となってみれば自分がこの世界に転生して来たのは単なる偶然などではなく、何かしら意味があってのことなのだろうと考えてはいた。
しかし、それでも自分がこの世界の未来をどうこう出来るような、そんな大層な人間であるなどとは微塵も思っていなかった。いくら神気のような強大な力を持っているからと言って、そこまで己惚れるほどイルムハートは傲慢な人間ではないのだ。
とは言え、ここでサーフラにそれを言っても仕方ないことではある。サーフラは鳳凰に仕える神官であり、その言葉は彼女にとって絶対的な”真理”なのだから。
「イルムハート殿には祭壇にて祈りを捧げて頂きたいのです。」
そうすれば鳳凰からの言葉を授かることが出来る、最後にサーフラはそう言った。
その言葉に思わず身を引き締めるイルムハート。
果たして鳳凰は自分に何を告げようとしているのか?
今回の”修行の旅”においてイルムハートは多くの事を知った。今まで十数年それが”常識”だと思っていたものを全て吹き飛ばしてしまうような、そんな途轍もない”真実”に気付かされたのだ。
そして、徐々にこの世界の真の姿が見えて来た。
もしかすると、鳳凰との会話は今回の旅で得られる最後の1ピースとなるかもしれない。
そんな漠然とした思いを抱きながらイルムハートはサーフラに伴われ祭壇の間へと足を踏み入れた。
祭壇の間は思ったほど広くはなかった。せいぜい5~60人が入るかどうかと言ったところだろう。しかも、全体的に簡素で華美な装飾などは皆無である。
とは言え、飾り気が全くないわけでもない。正面には”守護の大樹”とその上で翼を広げる鳥(おそらく鳳凰なのだろう)を描いた巨大な美しいレリーフが飾られていた。
ただ、その姿はイルムハートの想像とは少し違うようだ。
レリーフ自体が単色なせいもあるだろうが、それ以上に見た目が違う。
元の世界で定番だった鶏や孔雀に似た姿をしているわけではないし、かと言って麒麟や鹿・蛇などを掛け合わせたキメラ的生物でもなかった。
どちらかと言えば鷲や鷹のような猛禽類に近く、それが頭だけ横を向いた形で大きく翼を広げているのだ。
何やらどこぞの国のコインで見た事のあるような姿である。
(これをピーターが見たらどう思うかな。)
これには、ついそんなことを考えてしまうイルムハートだった。
「どうぞ、こちらへ。」
サーフラは祭壇へとイルムハートを誘う。尚、祭壇と言っても蝋燭と花が供えられただけのこれまた簡素なものだ。
それに従い祭壇の前に立つイルムハート。
すると、一瞬眩暈のような感覚に襲われた後にいきなり周囲の景色が変わった。
今まで祭祀殿の中にいたはずが、いつの間にか外に出て”守護の大樹”の前に立っている自分に気付く。
いや、正確には祭祀殿の”外”ではないようだ。何故なら、その巨大樹の周りからは本来あるはずの森の樹々や建物の姿が消え、一面ただの平原と化していたのである。
しかも、雲一つない晴天であるにも拘わらず淡い七色のオーロラが空を埋め尽くしていた。
そこはイルムハートと巨大樹のみが存在する空間。
精神世界。そんな言葉がイルムハートの頭に浮かぶ。
「よく来ましたね、イルムハート。」
突然そう声を掛けられふと見ると、いつの間にか目の前には白く裾の長いドレスに身を包んだひとりの女性が立っていた。
女性……確かに、一見するとそう見えたが実際には人ではあるまい。その虹彩の無い目も風になびく髪も全て淡い緑色をしており、これはどの種族にも有り得るはずのない色なのだ。
「貴女が鳳凰なのですか?」
鳳凰が人の形をしているはずはない。しかし、もしここが彼女(?)の精神世界だとすればそれも納得ではある。
以前、神龍の精神世界に入り込んだ時、彼や怨竜が人の姿をしてイルムハートの前に現れたのと同じ現象なのだ。
すると、どうやらその推測は正しかったようでイルムハートの問い掛けにその女性はゆっくりと頷いた。
「この世界の者達からはそう呼ばれているようですね。」
そして、静かに微笑みながらこう続ける。
「私はずっとここで貴方を待っていたのですよ。」
「ずっと待っていた?」
「ええ、遥か遠い昔から。
そのために私はこの”聖域”を創り出したのです。」
その言葉にイルムハートは驚く。
自分を待っていたと言うだけならそれほど意外にも思わなかっただろう。彼女達神獣はこの世界の全てを見通しているのだ。その中で神気を持つイルムハートに興味を持ったとしても不思議ではない。
だが、そうではなかった。鳳凰はこの”聖域”が出来る前の遠い昔から待っていたと言ったのだ。
「それって、まさか僕がこの世界に転生して来る前からということですか?」
「その通りです。
やがてこの世界は大きな混乱の渦に巻き込まれることになるでしょう。残念ながらそうなることは世界が創られた時点で既に決まっていたことなのです。
そして、その行く末がより良きものとなるよう導くため貴方が遣わされる。それもまた初めから決められていた事なのです。」
これにはイルムハートもすっかり混乱してしまう。
自分がこの世界へ生まれて来たことには何が意味があるのだろうと気付いてはいた。だが、こうなったのはあくまでも偶然であり、たまたま自分が選ばれただけだとも思っていた。
しかし、鳳凰の話を聞いているとどうやらそうではないらしい。
「それはどう言うことなのですか?
僕がこの世界に転生して来ることはこの世界が創られた時から決まっていたことだったとでも言うんですか?」
鳳凰の話を信じるとすれば自分は最初からこの世界へ転生させることを目的として神により創られた存在だと言うことになるのではないか?
だとすれば自分が持つ前世の記憶とは何なのか?
あれはまやかしの記憶なのだろうか?
自分自身についての記憶を一切失ったまま転生して来たのも、今思えば元々そんなものは無かったからなのかもしれない。
「僕は……一体何者なのですか?」
己の存在そのものに疑問を抱くイルムハート。
だが、鳳凰からそれに対する答えは無かった。ただ、その代わりにこう語り掛ける。
「”第4の聖地”を訪ねるのです。
そうすれば全てが解かるでしょう。」
「”第4の聖地”?
そこへ行けば僕が何者なのか分かるのですね?」
「ええ、貴方が何者で何をすべきかが解かるはずです。
私はそれを伝えるためにずっと貴方を待っていたのです。」
そこに何が待っているのかは分からない。だが、それでも行かねばならないことだけは確かなようだった。己が存在する”意味”を確かめるために。
「その”第4の聖地”とは何処にあるのですか?」
イルムハートは身を乗り出すようにしてそう尋ねたが鳳凰はただ静かに首を振る。
「それについて私の口から教えることは出来ません。自分で探し当てねばならないのです。
でも、心配する必要はありませんよ。貴方が道を誤りさえしなければ、運命はいずれ必ずそこへと導いてくれるはずです。」
道を誤るなとは中々難しい話ではある。そもそも何が”正しい”道なのか、それが分かれば誰も苦労はない。
とは言え、鳳凰の言葉がこの先の指標となってくれることは確かだろう。
いずれ”第4の聖地”とやらへ運命が導いてくれると言うのなら、それまでは自分の信じる道を進むだけである。それが正しい道かどうかは分からないとしても、イルムハートに出来ることはそれだけなのだ。
この先、何があろうと自分を信じること。もしかすると、鳳凰はそれを伝えたかったのかもしれない。
(結局、僕は僕。やることは今までと変わらないってことかな。)
「解かりました。
貴女の期待に沿えるよう努力することを約束します。」
「貴方を信じていますよ、イルムハート。」
どこか吹っ切れたようなイルムハートの表情に鳳凰は満足そうな笑みを浮かべた。そして、心地よい風の吹く中、その姿はゆっくりと消えて行ったのだった。