騎士団と魔獣の群れ Ⅰ
宿場町リバルから少し離れた場所に小高い丘があった。
そこからはところどころに立ち木や背の高い草叢のあるサバンナのような辺りの風景が一望出来た。
陽は傾きかけてはいるが夕刻にはまだ早く、午後の温かい日差しが射し込んでいる。
そんな穏やかな風景の中にありながら、似つかわしくない緊張感がその丘の上には漂っていた。
それはそこに待機する人影によるものだった。
アイバーン率いる騎士団の面々である。
人数は全部で10人。その内、騎士団の者はアイバーンを含めて7名しかいない。残りの人数は別行動をしているのだ。
彼等は現在、ホーン・ベアの群れを後ろから追尾していた。
群れが通過すると想定されるのはこの丘を下った辺り。そこで別動隊と挟撃するというのがアイバーンの立てた作成だった。
これは戦術的な意味合いもあるが、何よりも魔獣を討ち漏らすことのないようにするためである。
「予定通り、こちらへ向かっているようです。」
残る3人の内、ひとりは魔獣発見の報告をしてきた領軍の偵察兵だった。
今、彼は魔獣の群れを監視していた同僚と通信機で連絡を取っている。
同僚たちは無事に騎士団の別動隊と合流し、情報を送ってきてくれていた。
この世界にも遠距離通信の技術はあった。当然と言うべきか、それは電波ではなく魔力を使ったものである。
と言っても魔力を電波のように飛ばして通信を行っているわけではない。収納魔法の空間を通して魔力を送っているのだ。
収納魔法は異空間にスペースを作成し、そこに物をしまい込むことが出来る魔法である。
かつて人々は考えた。通常、ひとつの収納空間には出入口もひとつしかないが、もし複数の出入口を作ることが出来たらどんなに便利かと。
それが可能となればどれだけ離れた場所にいても、瞬時にもののやり取りが出来るようになるのだ。
だが、残念ながら人が魔法で創った空間ではそれは不可能だった。収納魔法で作成した空間の場合は本人の魔力が出入口を開ける”鍵”となるため、違う人間の魔力では開くことが出来ないからだ。
しかし、魔道具なら”鍵”となる魔力はあらかじめ仕込まれており、起動させるだけで誰でも空間を開くことが出来る。ならばその”鍵”を複数用意すればそれぞれから出入口を開くことが出来るのではないかと考えた・・・のだが、それほど甘くはなかった。
確かに同じ魔力を持たせた”鍵”は同一空間へ干渉することは可能だったが、肝心の出入口を開くことが出来なかったのだ。
調査の末にに判明したのは、出入口は空間を作成する際にしか作られないということ。つまり、最初に起動させた”鍵”を持った魔道具しか出入口を持たず、後から作られた”鍵”がいくら同じ魔力を持っていたとしても新たに出入口が作られることはないのだ。
そこで魔道具技師達が考えたのは、同じ魔力の”鍵”を付けた複数の魔道具を同時に起動させることで共有空間を作るという方法だった。それならば複数の出入口を作ることが出来るだろうと。
言葉にすると簡単に聞こえるが、実際には魔法発動の同期調整は極めて高度で複雑な技術を要する困難なものだった。
それでも数多くの試行錯誤を繰り返した後、理想は現実となる。
今では多くの場所でそれは使われており、フォルタナでも王都の駐在事務所や各都市の行政府にそういった魔道具を設置し情報の伝達に使用していた。
当然ながら、それは軍事においても非常に有用な魔道具ではあるのだが、軍が使用するには残念ながらひとつ大きな問題があった。
高価すぎるのだ。
出入口を複数持つ場合、通常の収納魔道具に比べるとその価格は数倍から数十倍に跳ね上がる。
司令部で使う分にはともかく、兵士に持たせるにはそれはあまりにも高価で貴重すぎた。
情報の伝達というメリットと膨大なコストというデメリットの間で苦悩した末に辿りついた結果が、一周回って”鍵”の複製を作るという方法に戻ることだった。
確かにスペアの”鍵”では出入口を開くことは出来ない。だが、空間へ干渉することは出来る。そして、その干渉波は他の”鍵”でも拾い上げることが可能だった。
ならば、モールス信号のように規則化した形で”鍵”の魔力を流して空間に干渉波を生じさせ、スペアの”鍵”でそれを読み取ればメッセージをやり取りすることが出来るはずだ。
そう考えて作られたのが魔力通信機で、今兵士が使っているのもそこから発展したものだった。
元々スペアの”鍵”を作るにはそれほど難しい技術を要しなかったためコストも大幅に削減されている。
そのため魔力通信機は軍事に限らず、今では一般社会においても無くてはならない存在となっているのだった。
「今はこの辺りのようですので、間もなく探知エリアに入るのではないかと。」
兵士は同僚から送られてきた情報を元に、地図上の位置を示して見せる。
「探知しました。魔獣が6頭、うち1頭は確かに他と比べてかなり強い魔力を持ってますね。」
そう答えたのは9人目の男、特異種の能力解析のため参加している魔法士だった。
「今のところ身体強化以外の魔法は感知出来ません。常時発動型の能力ではないようです。」
「となると、戦闘時に特化した能力と考えた方がいいだろうな。」
アイバーンの言葉に魔法士は頷いた。
それはあまり喜ばしいことではなかったが、かと言って悲観する程でもない。想定の範囲内である。
「予定地点にさしかかります。」
探知魔法で魔獣の動きを追っていた魔法士にそう告げられたアイバーンは、第1小隊の隊長に目配せをする。
「全員、騎乗!」
小隊長の命令に団員達が動き出した。そんな中、アイバーンは一人だけ今だ騎乗していない傍らの団員に声を掛ける。
「フンベル、護衛は任せたぞ。」
「ハッ!この身に代えましても!」
そう応えるニナ・フンベルの敬礼に頷きながら、アイバーンはその隣にいる人物に話しかけた。
「イルムハート様はここから動かれませんように。万一、何かあったときはフンベルの指示に従って頂くようお願いします。」
そう、その場にいた最後の人物、10人目はイルムハートだった。
「分かりました。武運を祈ってます。」
アイバーンはイルムハートの言葉に笑って頷くと、軽やかに馬の背に跨った。そして団員達へと命令を下す。
「出撃!」
その声と共に団員達は一斉に丘を駆け下りて行く。
ホーン・ベア討伐作戦が今開始されたのである。
作戦開始より遡ること数時間前、魔獣討伐の部隊は辺境伯一行と別れてリバル方面へと出立した。
その陣容は騎士団長アイバーンとそれに従う第一小隊12名。加えて、偵察部隊の兵士と特異種の能力分析を役目とする魔法士。
そして、最後に子供がひとり。イルムハートだ。
兵士や魔法士はともかく、完全武装の騎士団と共に幼い子供が馬を進める姿は少々不思議な光景である。
イルムハートもそれは自覚しているし、そもそも自分がその場にいることに一番戸惑っているのも彼だった。
勿論、騎士団の作戦行動に同行したいという気持ちは持っていた。
今回、魔獣の群れが領内に侵入してきた原因が天狼にあるかもしれないという話は別として、純粋に騎士団の闘い方を見てみたかったのだ。
だが、その希望は叶わないだろうとも思っていた。
トラバールでの一件もあって自重する必要を感じていたこともあるが、何よりも危険な場所へ出向くことを父親が許すはずはないと考えたのだ。
結局、渋々ながら諦めることにしたイルムハートだったが、その思いが表情に出ていたのだろう。そんな彼を見てウイルバートの方から話しかけた来たのだった。
「イルム、騎士団に同行したいかね?」
イルムハートはその言葉に驚いた。と言っても、別に気持ちを読まれたことに驚いたわけではない。
幼いころから騎士団への憧れを隠さない子供が実際の作戦行動を目の当たりにすれば、強く興味を魅かれるのは当然である。
加えて、先ほどから妙に浮かない顔をしてるのを見れば、それを言い出せずにしょげていることくらい誰にでも予想がつくだろう。
では何に驚いたのかと言えば、その話をウイルバートの方から切り出した事にだった。
イルムハート自身は大人しく我慢するつもりでいるのに、わざわざ話を向けてしまっては火に油を注ぐことにもなりかねない。
それが解らないウイルバートではなかろう。それが不思議だったのだ。
「・・・はい、騎士団が闘うところを見てみたいです。」
イルムハートは少し考えてから、正直にそう答えた。
「ふむ。では、魔獣からは十分距離を取る事、それとアイバーンの言葉には必ず従う事。これが守れるのであれば同行を許可しよう。」
「えっ!?今、何と言いましたか?」
あまりにも予想外の言葉にイルムハートは思わず聞き返してしまった。
そんなイルムハートを見てウイルバートは苦笑を浮かべる。
「同行を許可すると言ったのだよ。そんなに驚くことかね?」
(そりゃ驚きますよ!)
イルムハートはそうツッコまずにはいられなかったが、かろうじて声に出すのを堪えた。
「えーと、正直少し意外でした。危険だから止められると思っていたのですが。」
「確かに危険な魔獣だが距離さえ取っていれば問題ないだろう。そこはアイバーンが適切に判断してくれるはずだ。」
部下への信頼か、あるいはここ数日少し元気のない息子を気遣ってのことなのか、意外なほど簡単に同行の許可が下りた。
しかも、実動部隊との打ち合わせを終えたアイバーンにウイルバートがその話をすると
「承知しました。特に問題はないでしょう。」
と、これまたあっさり了承されたのだった。
(こんな簡単に?)
何故だろう、同行を許されたことは嬉しいのだが、どうにも釈然としない気持ちになった。
自分の先ほどまでの葛藤はいったい何だったのか?そう言いたくもなる。
確かに、騎士団と共にいればホーン・ベア程度なら心配するほど危険という訳でもないだろう。また、万一何か問題が発生したとしても、今回は政治的な話が絡んでくるわけではない。そう言う意味ではイルムハートの希望が通っても不思議はないのかもしれない。
(魔獣は脅威だけど、それと同時に日常の一部ってことなのかな?警戒はするけれど、必要以上に恐れはしないってこと?)
前の世界の感覚で言えば、町の近くで出没した熊の退治に子供を同行させるようなもの・・・だと思っていたのだが、それとは少し違っているらしかった。
魔獣という存在はそれよりもっと身近な存在なのかもしれない、とイルムハートは無理やりそう結論付けた。
そして、これがこの世界の一般常識なのだという認識を持つことになるのだが、それが大きな誤解であることは言うまでのないことであった。
小隊長を先頭に騎士団を乗せた馬が7騎、ホーン・ベアの群れへと怒濤のごとく押し寄せる。
それに気付いた群れはいったん後退しようかと動きを止めたが、その直後に後方からも騎馬が迫って来た。
今まで魔法で気配を消しながら追尾していた別動隊は、群れを追い込むために魔法を解除し殊更大きな音を立てていた。
前後を塞がれた群れは逃げることを断念し、敵を迎え撃つべく戦闘態勢に入る。特異種を中心とした密集隊形を取ったのだ。
パニックになりそれぞれが闇雲に襲い掛かって来たりしないという事は、それだけ群れの統率が取れているということなる。
そう考えて気を引き締め直した団員達の耳元に、魔法士から風魔法で声が送られて来た。
『特異種の能力が分かりました。軍団魔法です。たった今、魔法を発動しましたので注意してください。』
不明だった特異種の特殊能力を魔法士が解析し、その結果を知らせてきたのだ。
「軍団魔法か。どうりでな。」
それを聞いてアイバーンは呟いた。
軍団魔法とはその名で分かるように集団戦闘に特化した魔法だった。
群れを作る習性のある魔獣はそのリーダーが似たような能力を持つことがある。
但し、それは群れを従えるための強制力を持つ程度の魔法で集団魔法と呼ばれている。
軍団魔法はその上位魔法であり、配下に対し更なる強化魔法を掛けると共に意識を術者に同調させることで連携した行動が取れるようにもなるのだ。
そういうことであれば、ホーン・ベア達の統率が取れた動きにも納得がいく。
「厄介な能力だが・・・問題はない。」
元々、通常個体であれば1頭に対し1人の団員で十分に対応出来る相手だった。
多少の身体強化が追加されたとしても、圧倒的に数で上回っている以上慌てる必要など無いのだ。
別動隊の団員も隊へと加わり、ホーン・ベアの群れを包囲する。
「突撃用意!」
全員が揃った事を確認した小隊長が団員達へ号令を掛けると全員が馬から降りて剣を構えた。
ホーン・ベアのように腕力を武器とする相手の場合、馬上では踏ん張りが利かず力に押し負けてしまう可能性がある。
そのため、攻撃位置の高さを捨てることになっても自らの足を地面に付けて戦う必要があるのだ。
但し、アイバーンと小隊長はまだ騎乗したままだ。高い視点から戦場を見渡すためと、万一包囲が突破された時に逃がさぬよう追尾するためだ。
主を降ろした馬たちが訓練された通りに距離を取って離れるのを見届けた後、小隊長は叫んだ。
「かかれ!」
それを合図として、団員達は一斉に距離を詰め、ホーン・ベアに襲い掛かった。
まずは通常個体を標的として、2人一組となり相手をする。
特異種を倒してしまえば群れは弱体化するはずだが、それを取り囲むように通常個体が位置取っているためそこから切り崩してゆくしかない。
と言っても集団対集団の闘いにおいてはそれが普通の形であり、そのことに対する焦りなど団員達には無かった。
ただ戦法通り確実に相手の数を減らすことだけを考えればいいのだ。
対するホーン・ベア達は追い詰められた事により凶暴さを増していた。
加えて軍団魔法の効果によりその力は普通のホーン・ベアを数段上回るものとなってはいたが、それでも騎士団の敵ではなかった。
強化魔法の重ね掛けにより岩のように硬くなっているはずの皮膚も、武器強化の魔法で頑丈になった剣とそれを振るう団員達の剣技の前では自らの身を護る鎧とはならず、1頭また1頭と倒されてゆく。
そして、ついに残るは特異種だけとなった。