聖域と神殿の村
カール達の祖先、所謂”始祖”は多くの子孫を残していた。
それは人族に限ったことではなく、ある意味この世界の常識を無視するかのごとく魔族・獣人族との間にもだ。
そして、目の前のキリエもどうやらその子孫の一人らしい。
確かに、獣人族の中にも血族がいるとカールから聞いてはいたものの、まさかこんなところで出会うとは正直思っていなかったのでこれにはイルムハートも驚かされた。
尤も、それはキリエも同じだったようである。
イルムハートと初めて会談した後にカールは一族の者達へその報告を行ったらしく、それは当然キリエの元にも届いた。そして、その内容に彼女は驚愕する。
”転生者”、”天狼”、”神龍”と言った言葉が並ぶその内容には世界の裏側を知る始祖の一族である彼女さえも最初は何かの冗談かと思ったほどだった。
だがそんな驚きが過ぎ去った後、今度は今迄感じた事がないほどの好奇心が彼女の中に湧き上がる。こんな面白い人間がいたとは!
キリエの場合は理性的なカールやタチアナと違いアクティブな性格、と言うかはっきり言ってかなりのじゃじゃ馬のようでその報告にいてもたってもいられず、すぐにでもイルムハートに会うべくアウレルへと向かうつもりでいたらしい。
ただ、残念ながら彼女の”立場”がそれを許してはくれなかった。
キリエは”聖域”にある鳳凰神殿の神官、しかも上位の職に就いているため思い付きでふらりと旅に出ることなど許されるはずもないのだ。
もう少し神官としての自覚を持ちなさい。
神官長にもそう小言を言われ、悶々とした日々を送っていたことろへ今回のこの報せである。
尚、昨日届いた第一報には生憎とイルムハートの名前は無かった。ただ皇国を離脱した勇者が”後見人”を伴い龍族と共にやって来るとだけ伝えられたのだ。
だが、そこでキリエはピンときた。
龍の島へ攻め入ったはずの勇者に龍族が手を貸すなど普通に考えれば有り得ない事であろう。おそらくは、その”後見人”とやらが間に立ち両者を和解させたに違いなかった。
そんなことの出来る人族など”彼”以外にいるはずがない。キリエはそう考えた。
そして、それが正しかったことを知る。今日届いたファリハからの報せの中にイルムハートの名前を見つけたのだ。
キリエは狂喜乱舞した。別に比喩でも何でもなく、彼女は本当に奇声を上げながら小躍りしたのである。
それによりまたしても神官長から小言をもらうことになってしまったがキリエは気にも掛けない。
それどころか、本来出迎え役を務めるはずだった下級神官を押しのけ自分が行くと宣言し、そして今ここにいると言う訳だ。
その話を聞いたイルムハートは何とも言えない微妙な笑みを浮かべる。この手のアグレッシブな女性にはどうも苦手意識があるのだ。
勿論、それは”嫌い”という意味では無い。彼の姉達も似たような感じだし、ライラやセシリア、フランセスカもどちらかと言えばこれに近いだろう。なので、むしろイルムハートとはある意味相性の良い相手だとも言えた。
ただその反面、彼女達の押しの強さにはどうやっても勝てそうにないと言う負け犬根性がしっかりと染み付いてしまっているため、どうにも複雑な心境になってしまうのである。
「君には聞きたいことが山ほどあるのよ。
怨竜との闘いはどんな感じだった?
天狼様や神龍様ってどんな方?
その辺り、詳しく教えてくれない?」
予想通りグイグイとくるキリエに圧倒されるイルムハート。
「そ、それに関しては後でゆっくり話すとして、とりあえずこの2人を”聖域”に連れて行きたいんですが……。」
その言葉にキリエも自分が何故ここに来たのかを今更ながらに思い出したようである。
「それもそうね、先ずは龍族との約束を果たすのが先ね。じゃないと、また神官長に小言を言われちゃうわ。」
ファリハ達と違いキリエは龍族を敬語も付けずに呼び捨てた。尤も、龍族に関してはカールやタチアナも同様の言葉遣いをしているので、始祖の一族にとしてはこれが普通なのだろう。
「龍族と言えば、獣人族と龍族との間には今でも色々と交流があるんですね。知りませんでした。
そのことはカールさんも教えてくれませんでしたし。」
”孤高の種族”と言われる龍族もかつては他種族との交流を持ってはいたらしい。だが、古代文明人の遺産を狙う者達に嫌気がさし、ある時を境にして龍の島に閉じ籠ってしまうようになったのだ。
なので、まさか今だに獣人族との交流があるとは思ってもみなかったのである。
すると、そんなイルムハートの言葉を聞いたキリエは思いも掛けないようなことを言ってのけた。
「ああ、その件ね。
そりゃカールが教えてくれるわけないわよ。
だって彼、そのこと知らないもの。」
「えっ?」
知らないということは内緒にしているということなのだろうか?
イルムハートは当然そう考える。しかし……。
「もしかすると、これって秘密にしておかなければいけないことなんですか?」
「別に、そう言うわけでもないわ。
ただ、言い忘れてただけ。」
「はぁ?」
「だって、アンスガルドの連中とは滅多に会わないし、会ったとしても事務的な話だけしてすぐ終わっちゃうしね。そんな”雑談”なんかしている時間なんてあまり無いのよ。
それに、例の”教団”とは関係ない話でしょ?
どうしても報せておかなきゃならない話ってわけでもないから、つい忘れちゃうの。
お母様やおばあ様もそんな感じだったみたいだし、だから別にそれでもいいかなぁって。」
これにはイルムハートも唖然とする。
獣人族は自分達の文化や風習へのこだわりは持っているものの、それ以外についてはあまり深く気に掛けない鷹揚な種族だと言われていた。要するに呑気者が多いのである。
キリエのこの性格もその種族性故のものなのか、或いは母や祖母もそうだったらしいことを考えると血筋から来ているものなのか。
いずれにしろ、こんなキリエを相手にしなければならないのだからカールも色々と苦労が絶えないだろうとイルムハートは内心で同情した。
尤も、その点はイルムハートも他人のことは言えない。
以前、天狼との関係を同じように”つい言い忘れていた”せいで仲間達から散々突っ込みを入れられた前科もあるのだ。
そんな自分を棚に上げてカールの心配をする辺り、イルムハートもまたキリエと同類なのだと言えるのかもしれない。
「それじゃあ行きましょうか。
皆、私について来て。」
キリエに先導されイルムハート達は綺麗に整えられた道を通り森の中へと足を踏み入れる。すると、途端に濃厚な神気が彼等を包み込んだ。
だがそれは戦闘時に感じるような荒々しく威圧感を与える類のものではなく、優しく身も心も包み込んでくれるようなそんな暖かさを持った神気だった。
初めて感じるその感覚に驚きながらも、しかしこれこそが神気の本来あるべき姿なのかもしれないとイルムハートはそう思った。
それにしても、神獣の力とは途轍もないものである。
こんな森の外れに於いてすらハッキリ感じ取れると言うことは、この広大な大森林の全域が鳳凰の神気で包まれていることを意味するのだ。
それだけでも驚くべきことだが、しかも外からはそれが一切判らないようになっていた。森に足を踏み入れるまでは神気など全く感じなかったのである。
つまりそれは一度放出した後の神気までをも完全にコントロールしていることを意味した。鳳凰は自分の神気が森の外へ漏れ出ないよう抑え込んでいるわけだ。
(こんなことも出来るのか……もう、何でもアリだな。)
そんなデタラメとも言える神獣の能力にはイルムハートも驚きを通り越し呆れ返ってしまう。
尚、これにはピーターとシモーヌも驚きを感じていた。
「これも神気なんですか?
こんな穏やかな神気の使い方もあるんですね。」
「誰かに優しく抱きしめられているような、そんなとても暖かい気持ちになります。」
シモーヌには神気を感じ取る力は無いはずだが、どうやらこの鳳凰の神気だけはそんな彼女にも認識出来ているようだ。
すると、それを聞いたキリエは何故か自慢気な表情を浮かべる。
「鳳凰様の神気はね、万人に安らぎを与えて下さるのよ。神気を認識出来る出来ないに拘わらずね。
どう、凄いでしょ?」
別にキリエ自身が凄いわけでもないのだが、そこは敢えて突っ込まないことにする。
「そう言えば始祖の一族の中にはカールさんのように神気を感じ取る力を持っている人もいるようですけど、キリエさんもそうなんですか?」
「勿論、出来るわ。
でも、それは始祖の一族だからと言う訳でもないのよ。私達獣人族は多少の差こそあれ誰でも神気を感じ取ることは出来るの。」
意外な事に獣人族はそもそもの特性として神気の認識が出来るようだった。そして、その中でも特に優れた感覚を持っている者が神殿の神官として選ばれるとのこと。
「尤も、獣人族に限らず人族や魔族だって元々は神気を感じ取ることが出来たらしいけどね。
なのに長い年月の間に神獣様への信仰が薄れてしまい、その力を失ってしまったのだと昔聞かされたことがあるわ。」
もしかするとキリエの言う通りなのかもしれない。イルムハートはそう思った。
考えてみれば、少なくとも古代文明人は神気を”知って”いたはずである。だからこそ転移者に神気を授けるような魔法を創り出すことが出来たのだろう。
もし神気の存在を知らなければ、そもそもそれを付与するなどという考えが浮かぶはずもないからだ。
だが、その知識も能力も長い時間を経るうちに失ってしまった。それが真実なのではないだろうか。
おそらく獣人族の場合は今でもこのように神獣を敬い神気と接することによりかろうじてその能力を維持することが出来ているのだと思われる。
彼等が自分達の文化や風習を強く守り続けているのも、こうした”大切なもの”を後世に残そうとしているからなのかもしれない。
一行がしばらく森の中の道を歩いていると、やがて樹々の切れ間が見えて来た。
そこで、キリエは皆に向かって声を掛ける。
「もうすぐ着くわよ。
どうやら皆無事に辿り着けたみたいね。」
その言葉からこの先に集落があるのだと分かった。
案内役の獣人族は『森の中央部に神官たちの暮らす村がある』と教えてくれたが、おそらく集落はそれだけではないのだろう。どうやら森の外周部にも同じような場所があるようだ。
尤も、イルムハートは最初からそう予想していた。そうでなければキリエがここにいる説明がつかないのである。
森の入り口から守護の大樹のある中央部までは丸一日かけても辿り着けそうにないほどの距離があった。
それを考えると、今日ファリハから連絡を受けたはずのキリエが僅か半日も経たぬ間に森の入り口まで出て来られるはずはないのだ。
と言うことは森の外周付近にも集落はあり、キリエはそこで待機していたと考えるべきだろう。
なので、そのこと自体にはイルムハートも特に驚きはしなかった。
ただ、後半の言葉の意味が良く解からない。
無事に辿り付けた?
確かに、森の中では道に迷ったり獣や魔獣と遭遇する危険も無い訳ではない。
しかし、この森は違った。綺麗に整備された道があり鳳凰の神気によって護られてもいるのだ。どう考えても危険があるようには思えなかった。
なので、その言葉はイルムハートに違和感を与えた。
とは言え、キリエのことだ。特に深い意味もなく口にしただけとも考えられる。
(この人の言うことはあまり真面目に受け取らないほうが良いのかもしれないな。)
などと、つい失礼な事を考えるイルムハート。
その罰が当たったと言う訳でもないのだろうが、この後イルムハートは己の想像を超えた現象に度肝を抜かれることになる。
森を抜け広い場所に出たイルムハートは思わずそこで足を止めた。そして、目の前に広がる光景にあんぐりと口を開けたままただただ呆然としてしまう。
何とそこには幹の直径だけでも50メートルはあろうかというほどの途轍もない巨大樹が悠然とそびえ立っていたのだ。
「これは……”守護の大樹”?」
そんなはずは有り得ないと思いつつも、この樹の巨大さを見る限りそれ以外には考えられなかった。
一体全体、何がどうなっているのか?
イルムハート達が森の中を歩いていたのはたかだか十分ほどでしかない。森の中央部どころかその十分の一、いや百分の一の距離すら移動していないはずなのだ。
なのに、”守護の大樹”はイルムハート達の目の前にその姿を見せている。何故だ?
現状だけを見れば転移魔法で移動した可能性も考えられないことは無い。
ただ、その場合はゲートを通り抜ける瞬間の感覚と前後で景色が一変することにより魔法を使用したことがハッキリと解かるはずなのだ。
なのに、そんな様子は一切無かった。それはつまり転移魔法によるものではなかったと言うこと。
(じゃあ、どうやって僕達はここに来たんだ?)
訳が分からずただ立ち尽くすイルムハート。
そして、その思いはピーター達も同様だった。
「これってどう言うことなんです?
僕達は今、森の中央部にいるんですよね?
でも、どうして?」
「あれだけの距離をこんな僅かな時間で移動してしまうなんて……これも鳳凰様のお力なんでしょうか?」
既に神獣の能力の異常さは嫌と言う程思い知らされた。なので、シモーヌのようにあれこれ理屈を考えず素直にそう受け止めるのが正解なのだろうとイルムハートは思った。
そして、それはどうやら正しかったようである。
「ここが”聖域”の中央部よ。
どう、ビックリした?」
驚きを隠せないイルムハート達を見て、キリエはしてやったりと言った表情を浮かべた。少々茶目っ気が過ぎる気もしたが、イルムハートとしては素直に兜を脱ぐしかない。
「ええ、正直驚きました。
でも、どうしてこれ程までに早く着くことが出来たんですか?
転移魔法を使ったようには思えませんでしたけど?」
「勿論、転移魔法なんか使って無いわ。と言うか、そんな必要もないの。
ここ”聖域”はね、森の中に鳳凰様が創り出した外とは別の”世界”なのよ。
ここでは鳳凰様の意志こそが”法則”であり、見た目上の距離なんか関係ない。鳳凰様のお許しを得た者であればどんなに離れた場所にも一瞬で辿り着くことが出来るの。
逆に、もしお許しを得ずにこの森に入った場合は道が果てしなく続くだけで決してここに辿り着くことは出来ないようになっているのよ。」
つまり、この空間そのものが鳳凰によって創り出されたものであり、自在に操作可能ということらしかった。
”聖域”には”再創教団”の幹部ですら容易に侵入出来ないとカールは言っていたが、確かにこれでは手も足も出まい。
先程の『無事に辿り着けた』と言うキリエの言葉も今なら理解出来る。イルムハート達だって、もし鳳凰に認めてもらえなかった場合は延々と森の中を彷徨うはめになっていたわけだ。
「空間まで創造しそれを支配してしまうなんて……もう、何て言ったら良いのか。
今更ですが神獣の力のとんでもなさには言葉もありませんよ。」
「空間だけじゃないわよ。
何なら時間だって操ることが出来るわ。」
「そんなことまで出来るんですか?」
「ええ、時間の流れを外の世界より早くしたり遅くしたりも出来るの。”聖域”全体の時間を操る事も可能だし、特定の場所だけに限って変える事も可能よ。
昔、ナディア・ソシアスが神気制御の訓練を行った時も時間短縮のためにその方法を使ったって聞いたわ。」
”聖域”で1年過ごしても外界では僅か1日しか過ぎていない。どうやら、そんなことも可能らしかった。神獣と言うのは全くもってデタラメな存在である。
そんな風に呆れ果てながらも、イルムハートはそのことを聞いて内心喜んだ。これは使えそうだと、そう考えたのだ。
尤も、ピーターの訓練にそれを利用しようと思いついたわけではない。
彼の場合、そう急ぐ必要は無いのだ。むしろ皇国から追われる身である今は、そのほとぼりを冷ますため敢えて時間を掛けた方が良いとさえ言える。
なので、しばらくはこの”聖域”でのんびりと心身を休めてもらおうとイルムハートは考えていた。
加えて、その間にシモーヌからこの世界の”常識”を教育してもらえば言うこと無しだ。
時間操作の件についてはまた別の思惑があったのだが、それは今ここでどうこうしようと言うものではない。キリエとは後でゆっくり話をしてみよう、そうイルムハートは思うのだった。
とにもかくにも、イルムハート達は無事目的の地へと到着することが出来た。まずはこれでひと安心と言ったところである。
そんな彼等の安堵した表情を見て、キリエは両手を広げ笑顔を浮かべながらこう声を掛けたのだった。
「ようこそ”神殿の村”へ。住人一同、貴方達を歓迎するわ。」